#032_友と対価
「そうだ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「うん、なに?」
話が一段落したところで、アスターは今がまさにちょうどいい機会であることに気がついて切り出した。
ドサの民であればこれから向かう予定の地域がどんな場所なのか知っているのではないかと、ほんの少しだけ期待を込めて尋ねる。
「うーん、そっちの方は狩りでもいかないからなあ」
「そっか……」
しかし残念なことに、タ・ヒルは何も知らないようだった。
「せっかく新しい友だちに頼ってもらえたのに……役に立てなくてごめんね」
「ううん、聞いてみただけだから。気にしないで。こっちこそ気を使わせちゃったみたいで、その、ごめんね」
「いやいやいや、そんなこと! 謝られるようなことじゃないって! こっちこそほんとにごめんね!」
「それはこっちだって……」
二人はそれから互いに謝り合い続けた。
何度も、何度も、何度も。
最初はきちんと意味があったような気がする謝罪も、今ではもう何のためにしているのか分からない。
不毛の世界で繰り広げられる、無意味な謝罪の応酬。
けれどだからこそこの一幕は、アスターにとって無意味以上の大きな価値を持っていた。
そしてとうとう自分たちがやっていることの可笑しさに気づいてしまったのか、
「ぷっ、ははははははっ」
どちらともなく、二人の少年は笑い声を上げ始めた。
タ・ヒルは腹を抱えて苦しそうに、けれど心底楽しそうに。
アスターは滲む涙を拭いながら戸惑い、しかし嬉しそうに。
この時ばかりはアスターは故郷のこともすっかり忘れて、いつもよりほんの少しだけ色づいて見えた街の風景に溶け込んだ自分自身を受け入れていた。
「ひぃ……ひぃっ……あっ、そうだ」
ひとしきり笑い終えた頃、乱れきっていた呼吸を整えながら、タ・ヒルが何か妙案を思いついたように呟いた。
「うん? どうしたの?」
「もしかしたら、じっちゃんならなにか知ってるかも……!」
「じっちゃん?」
「そう! じっちゃん!」
じっちゃんというのはタ・ヒルに技師としての知識や技術を教え込んだ師匠であり、この街随一の工房の親方であり、また同時にこの街のいわば顔役でもある人物だそうだ。
じっちゃん氏はドサの民の中でも特に長命であり、それゆえこの辺りの地理にも詳しく、街の衆が狩場を変えるときには彼の意見を聞くことが多いのだとか。
「もう狩り尽くしちゃって行かなくなった地域のことなんかもじっちゃんなら多分知ってるだろうし、聞いて見る価値はあると思うんだよね!」
「なるほど……よかったら紹介してもらえる、かな? もちろん対価は……」
「ううん、アスターから何かをもらおうなんて思わないよ! もう友達なんだし、他の街ではどうかは知らないけど……友達が困っていたら助けるのはこの街じゃ当然のことだよ!」
屈託のない笑みを向けられ、アスターは自身の言ったことを後悔した。
客観的に見れば、この世界の常識を何とか身につけ、それを実践してみせた彼に落ち度などあるはずがなく、誰もつまらないことを言うななどと責めたりはしないだろう。
それでもアスターにとってこの発言は、初めて出来た友人を見くびるような、同時に自分自身を裏切ってしまうような恥ずべきものであった。
「それじゃあ、お願いしようかな。あ、でも……」
クレイシアの支部を出てから、もう随分と時間が立ってしまっている。
気絶していた時間がどれほどだったかは分からないが、そろそろエリカ達の用件が終わっていてもおかしくないだろう。
そのことをタ・ヒルに伝えると、彼は特に意に介した様子もなく、じゃあと言って脇に置いてあったカバンから大きな携帯端末を取り出した。
「アスターも携帯情報端末って持ってる? なければルルさんに頼むんだけど……」
「持ってるけど、どうするの?」
「うん、ドサの地図データと工房の場所を送ろうかな……って、うわあ、アスターのそれ、凄いね。君が作ったの?」
彼の意図に納得して懐から端末を取り出すと、タ・ヒルは目を輝かせ始めた。
どうやらフェリにもらったこの端末は見ただけで分かるほど、かなり高性能なものだったらしい。
実際、タ・ヒルの端末が片手で持つにはいささか辛そうな大きさの箱であるのに対し、アスターの物は片手でも楽に操作できる、板といって良いレベルの小ささだ。
おそらく、処理能力の面でも大きな差があるのだろう。
「ぼくも新しくもっと良いのを作ろうかな……でもお金がないし、そもそもぼくの腕じゃそこまで小型化できないしな……っと、それよりも地図送らなきゃだったね!」
タ・ヒルはぶつぶつとしばらくの間願望を垂れ流していたが、程なくして自分がやるべきことを思い出し、アスターの端末と自分の端末とを接続した。
「はい、これで完了! じっちゃんには言っておくから、用事が終わったら来てね! あっ、別に明日になっても大丈夫だからっ」
満面の笑みで手を振るタ・ヒルとアスターは別れると、クレイシアの支部へと道を戻っていった。
いつの間にか再び祭りの中心で遊んでいたルルを連れて帰るのに少しだけ苦労したものの、最終的にはヴェロニカの名前を出したことで大人しくついてきてくれた。
「遅かったわね、収穫はなにかあったかしら」
「お待たせ。エリカさんの方はもう終わってたんだね」
クレイシア支部のエントランスホールに入ると、すぐ近くの壁際から声がかけられた。
どうやらアスターが戻ってくるまで特に何もせず、じっと待っていたらしい。
「ええ、報酬は現金と物資とに分けて受け取るように手配しておいたわ。それで構わないわよね?」
「うん、後で僕も確認しておくけど、エリカさんがその方が良いと思ったのなら、それで良いよ」
「そう。それで、あなたの方は?」
「えっと、タ・ヒル――街の人に、知っていそうな人のことを教えてもらったよ。だからこのあと行こうかなって思うんだけど……」
アスターはエリカにタ・ヒルのことを言おうとして、しかし言葉を少しだけ濁してしまった。
現地の友人を作ったなどと、彼女に知られるのは何となく憚られたのだ。
「分かったわ。どの道今後の方針を決めるのにその情報を聞いておくべきだし、今日のところはここから動けないのだからちょうど良かったわ」
「動けない?」
「現金はすでに受け取ったけれど、物資の手配は明日までかかるそうなのよ。だからまた明日ここに来る必要があるわ」
「ああ、なるほど。じゃあちょうどいいね」
「それに――」
今日は街を離れられないという理由に納得していると、エリカが何かを言いかけて、しまったと言わんばかりにすぐ口を閉ざした。
なにか他に問題でもあるのかと、当然のようにアスターは追求する。
「それに?」
「……いえ、なんでもないわ。私の問題だから、忘れて頂戴」
「……?」
「そんなことより、早く行きましょう。のんびりしていたら日が暮れてしまうわ」
何かをはぐらかされたような気がして、けれど急かす彼女の様子だけはいつも通りのエリカであったことから、アスターは不思議に思いつつも、今は気にしないでおくことにした。
彼としては以前よりは多少親しくなったつもりではあるが、あくまでアスターとエリカの間柄は単なる雇用関係にすぎない。
彼女が拒む領域に土足で踏み込む権利など、彼は持ち合わせていないのである。
「ゲファッファッファファ! よく来たのぉ、儂がイゲジハじゃ!」
タ・ヒルにもらった地図を頼りに歩くこと三十分。
たどり着いた工房で待っていたのはどこか既視感のある出迎えであった。
「えっと……初めまし……て? あの、メフッタの街で会ったことありません、よね?」
「うぬ? 儂は生まれてこの方八十年、ドサから離れたことなんぞ一度もないが?」
「そ、そうですよね。すみません、知っている方によく似ていたので……」
「うぬ、そうかしこまらんで良い。儂の弟子が世話になったようじゃからの」
タ・ヒルのじっちゃんこと、イゲジハ爺は工房の親方にふさわしく着古した作業服に身を包んだ、とても齢八十を超えてるとは思えない豪快な老人であった。
体躯こそ少しばかり衰えてはいるものの、背筋はしゃんと伸びきっており、細くなった腕は枯れ枝と言うよりは長い年月風雪を耐え続けた老木のそれを想起させた。
しかしアスターが既視感を覚えたのは、この力強い老人の笑い声や豪快さからだけではない。
彼の頭上に輝く――いや、輝く彼の頭上こそが、アスターがメフッタの街で出会ったかの整備士を思い起こさせたのだ。
「そいで、お主は何を聞きたいんじゃ?」
「えっと、それは――」
アスターは目的地までの距離と方角が分かるように自分の端末に地図を表示させながら、イゲジハ爺に簡潔に質問した。
それを聞いた老人はしばらく目を瞑って顎を何度もなぞりながら、何かを思い出そうとしているようだった。
「うぬ……お主が何故そんな場所のことを知りたいのかは問うつもりはないが……その地についてはよう知っておるぞ」
「ほ、本当ですか?」
知っている、という言葉を聞き、アスターは前のめりになる。
分かりやすい反応を見せた少年にイゲジハ爺は少しだけニッと微笑むと、勿体ぶることなく口を開いた。
「うぬ。その地は――」
「答えて貰う前に、一つ、いいかしら」
だが、彼が何かを言う前に、それまで静観していたエリカが割り込んでくる。
微笑していた老人は思わぬタイミングの妨害に顔を強張らせると、声のトーンを少しだけ落とした。
「うぬ? お主は……ほう、ネーヴァの娘か。それも――いや、言うだけ野暮というものじゃな」
イゲジハ爺は彼女の姿を射抜くような鋭い眼光で数秒見つめると、どうやら何かを悟ったらしい。
警戒心を解くかのように、ふっと笑いながら力を抜いた。
「情報をくれるのはありがたいことだわ。けれどその前に、決めておくべきことがあるでしょう。押し付けられてから吹っ掛けられたくなんてないわ」
エリカが気にしていたのは情報料としていくら要求してくるのか、ということだ。
確かにアスターがタ・ヒルに約束してもらったのはこの底知れない翁との対談だけであるし、その先の情報の値段を先に聞いておくというのは、決して間違ったことではないだろう。
だがしかし、イゲジハ爺はそうは思っていなかったようだった。
「ゲファッファッファファ! そうか、そうか。それもそうじゃのぉ」
突如大きな声で笑い出すと、今度は随分と愉快そうな顔つきでエリカのことをじっと見据えだした。
先程までの何か本質を探るような視線ではなく、手のかかる孫を見守るかのような、優しげな眼差しだ。
「何が、おかしいのかしら?」
「うぬ、うぬ、いやはやなんだ。別にお主を笑っとるわけじゃあないぞ。全くもってネーヴァっちゅうもんは融通が利かないからのぉ」
「……」
「全く、本当に……そう怖い顔をしなさるな。せっかくの綺麗な顔が台無しじゃぞ? ……うぬ、しかしそうじゃな。儂が話せることなんぞ大した内容ではないからのぉ。金を取るほどではないんじゃが……いや、うぬ、そう睨みなさるな」
「睨んでいないわ。見つめているだけよ」
しかしそんな優しげな眼差しもエリカの鋭い視線にかかれば一瞬で勢いを失い、いつしか熟練の整備士はただの弱気な爺へと成り下がり、うろうろとその視線の終着点を探し彷徨うようになってしまっていた。
「あの、えっと……」
このままでは埒が明かない。
そう思ったアスターは何とか打開しようと恐る恐るといった風に小声で妥協案を出そうとした。
だがそんな彼の小さな勇気は、またしても横から飛び込んできた大きな声によって打ち消され、誰にも気づかれないまま消滅していってしまった。
「じっちゃ……親方ぁーー! ちょっと相談したいことが――って、アスター! 来てたんだね!?」
相変わらずの元気さを振りまいてきたのは、タ・ヒルだった。
イゲジハに用があったのだろう。
真っ直ぐに先程の笑い声の発信源めがけて飛び込んできて、そしてすぐに近くにいたアスターの存在に気がついて急停止した。
「……うん。お邪魔してるよ、タ・ヒル」
アスターはほんの少しだけ言いたくなった何かをグッと飲み込み、笑みを浮かべることなく淡々と挨拶した。
隣ではエリカがため息をつき、すっと半歩だけ後退していた。
「うぬ? タ・ヒルか。すまんの、今はこの通り見てやれそうもないから後にしてくれるか」
「なにか困ったことでもあったの?」
「うぬ……この少年に聞かれたことを教えようと思ったんじゃがな……タダでいいと言っとるに情報を受け取ろうとしてくれんでな」
イゲジハが状況を簡単に説明すると、タ・ヒルはふーんと言いながら周囲にぐるりと視線を走らせ、困り顔のアスターの顔と、感情の読めなそうな女性の顔を見つけた。
状況を察したらしい彼が再び視線を戻すとイゲジハは「分かっただろう?」と無言で眉をひそめる。
それを見たタ・ヒルは顎に手を当てて逡巡し、すぐに何かを閃いたのかパッと顔を明るくしてこう言った。
「あ、じゃあさ! こういうのはどうかな? 実は今じっちゃ――親方に相談しようと思っていたことなんだけどね、今度新しい武装を作ろうと思って色々考えていたところなんだ。それで親方にも意見をもらおうかなって思っていたんだけど……代わりにアスターたちに相談を受けてもらう、っていうのでどうかな? きっと旅をしているアスター達の意見なら何かいいヒントになると思うんだ!」
彼の提案は確かに良い線をいっていた。
情報という無形なものに対して、こちらも意見という極めて似た性質のものを提供する。
元来価値のつけにくいもの同士であるから、これほど一般的に同意しにくいものはなく、それゆえ逆にこの場においては非常に同意の取りやすいものであった。
「――そうね、互いにあとから文句をつけない、という誓約をするのであれば私からは文句はないわ」
「うぬ、儂から反対する理由は特にないのぉ」
「僕なんかの意見が役に立つとは思えないけど、タ・ヒルがそれでも良いって言うなら」
「よし、じゃ、交渉成立だね!」
こうしてタ・ヒルのおかげで雲行きが怪しくなりかけていた商談もなんとか収まるべきところに収まり、アスターは依頼達成に向けて一歩前進した。
「では、まずは儂から教えるとしようかの。お主たちが知りたがっとる彼の地……あそこには遺跡があった」




