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機械乙女は世界を改変する  作者: にしだ、やと。
第四章 旅路の出会いと友
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#031_ドサの青年と、夢と友達

 真っ白な視界の中で、遠くから電子音が断続的に鳴り響いている。

 一体いま自分はどんな状態にいるのかと、そんな思考すら覚束ない少年が意識を取り戻して感じたのは、冷たい地面の味と、ほのかに伝わる人肌の温もりであった。


『――は、正常――このあた――特に――』


 白から黒に世界が反転していくにつれ、アスターの意識は次第に現実味を帯びていく。

 遠くで鳴り響いていたと思っていた電子音は頭上数センチのところから聞こえてくるようであったし、混濁した思考能力ではその内容こそうまく理解できなかったものの、誰かがぶつぶつとつぶやいている声も確かに聞こえていた。


 ――いつだったか、似たような展開に襲われたことがある気がする。


 そんな不確かな感覚に身を任せたまま、無意識の波間をしばらく揺蕩っていると、次第にはっきりと言葉を捉えることが出来るようになってきた。


『――うん? 意識レベルが上昇してきたみたいだ。目が覚めたのかな? 大丈夫?』


 この声は――誰の声だろう。

 知らない男の、少しばかり心配そうな気持ちのこもった声。

 誰かはわからないけれど、少なくとも彼は悪い人ではないだろう。


 アスターはそれだけのことをたっぷり時間をかけて判断すると、自身の体を再起動しようとして――うまく体に力が入らないことに気がついた。


「ああ、無理して起きないほうが良いと思うよ。軽い脳震とうを起こしたあとだしね。簡単に診断した限りでは特に異常はなさそうだったけど……」

「……えっと、」

「あっ、別に気にしなくていいからね! これくらいでお金取るほど薄情な街じゃないから!」


 そういうことを言うつもりではなかったんだけどと、アスターは頭には思い浮かべたものの、言葉にすることはできなかった。

 今はこの善良そうな青年――声から判断する限りだが――の好意に甘え、快復を待つとしよう。

 などとアスターが体から力を抜き、寝心地の悪い地面で落ち着こうとしていると、青年がお構いなしにぺらぺらと喋り始めた。


「いやー、それにしても見事な一撃だったねえ。さすがに驚いちゃったよ」


 一体この青年は何を言っているのだろう。

 彼の言葉が何を指しているのか思い当たらなかったが、そもそも自分がどうしてこんなところで倒れ伏しているのか、その原因についても覚えがないことにアスターは ようやく気がついた。


「えっと、僕はどうして倒れているんでしょう……?」


 どうしても気になり、なんとか起き上がって青年に尋ねると、彼はきょとんとした顔でぽりぽりと頬をかき始めた。


「ありゃ、もしかして覚えてないのかな。まああれだけ思いっきりやられれば、記憶が飛んでもおかしくないのかな?」

「思いっきり、やられた……?」


 不穏な言葉にアスターは首を傾げる。

 その様子をみた青年はきまりが悪そうにはにかむと、ことのあらましを説明してくれた。

 といっても、彼が語ったのはたった一行ほどの出来事だった。


 ――アスターが街の若者に喧嘩を売られ、そして一撃でノックアウトされた。


 彼の身に起こった出来事は、本当にそのたった一つだけのことだったらしい。

 聞けば、こうした私闘はドサにおいては良くあることだそうで、曰く「強いやつが一番偉い」のだとか。

 アスターに喧嘩を売ったという若者も、きっと何事か二人の間でやり取りをしようとして、その手段として金銭ではなく力比べを選んだんだろうと、目の前の青年は解説してくれた。


「そっか……なんとも聞くだけで間抜けな事件だったってわかるね……。ともかく、介抱してくれてありがとう」

「いやいや、むしろ謝らなくちゃいけないのはこっちのほうなんだよ。何しろ君を殴った相手ってのが……ぼくの兄だからね」


 ああ、それで、と先ほど彼が見せた表情について納得するアスター。

 いくらこの街ではそうするのが当たり前になっているとはいえ、住人ではない少年にドサのルールを押しつけるのはよくないだろうと、この無害そうな青年は考えているらしい。


「でもさ、まさか一発で終わっちゃうなんて本当に前代未聞なんだよね。おかげで観てた皆も消化不良だったみたいでさ。ほら――」


 この会話をするころにはアスターの意識もほとんど回復しきっていて、青年が指さす方向に目を向けた途端、今まで気づきもしなかった光景が濁流のように襲いかかってきた。


『うおおおおおおっ!! これで二十人抜きだあああああああああっっっっ!!!』

『一体あの嬢ちゃんは何者なんだーーーッ!? ただのネーヴァとは思えねえぞっ!!』

『おいっ、次に挑戦するのは誰だ!? 腕に自慢のあるやつならまだいるだろおがっっ!!』


 割れんばかりの歓声と、白熱しきった荒々しい男たちの、興奮を一切隠さない言葉の数々。

 目眩がするほどの熱気にむせ返る様相にアスターは完全に言葉を失ってしまう。

 一体これは、何の騒ぎだというのか。

 とにかく訳が分からず、眼の前で楽しげに笑っている青年に説明を求めたくなったが、そんな中でも時折聞こえてくる幾つかのキーワードから、彼は嫌な予感を感じ取っていた。


「えっと……?」

「きっかけは君の連れの子なのかな? ほら、あのちっちゃい女の子が突然、『オレも遊びたいっ!! 勝負しようぜーっ』だなんていい出してね。さっきも言ったとおり皆くすぶってたところだったから、それで火がついて気づけばあんな騒ぎに」


 やっぱり、とアスターはため息をつく。

 騒ぎを起こさないことなんて、結局あの爆弾娘にはできっこないことだったのだ。

 もう早くお家に帰って静かに暮らしたい――そんな彼の心中を察してくれる者がこの場にいるはずもなく、眼の前の青年は青年で、いささか興奮した様子で更に言葉を続けた。


「彼女、ネーヴァだよね? やっぱり戦闘型なのかな? いくら勝負の内容が腕相撲だって言っても、この街のちから自慢たちをことごとく倒しちゃうなんて、やっぱり戦闘型じゃないとありえないよね? すごいなあ。あ、そっか! 君ってもしかして彼女の専属技師? だったら喧嘩が強くないのも納得できるなあ」


 早口でまくし立てる青年に、アスターはますます疲労感を募らせていった。

 この状況がすでに彼の手に余るというのに、ルルとの関係性まで聞かれてしまってはもうどうすることもできない。

 かといって何も答えないというのもおかしな話で、三秒ほど悩んだ末、結局アスターはただ無難にこう答えることにした。


「彼女はちょっとした知り合いってだけ、かな……」


 この返答には彼も少しだけガッカリしたようで、興奮も収まってきたようだった。


「でもそれにしたって、戦闘型のネーヴァと知り合いって言うだけでも十分すごいと思うなぁ。だって、戦闘型って言ったら今じゃ大半がクレイシアに所属しちゃってるでしょ? そりゃこの街にだってクレイシアの支部はあるけどさ、やっぱぼくたちみたいな部外者には近づく機会なんてないしさー。技師志望としてはやっぱり戦闘型のネーヴァの体を整備してみたいって思うんだよね」

「技師志望、なんだ」

「ああ、うん! 君の体を検査したこのデバイスも、ぼくが作ったんだよ! そういえば自己紹介していなかったね? ぼくの名前はタ・ヒルっていうんだ。君は?」

「……アスター」

「そっか! アスター、よろしくね!」


 タ・ヒルと名乗る青年は無理やり自己紹介をすると、居心地が悪そうに名乗るアスターの手をとってブンブンと振り出した。

 どうにも彼は人懐こい性格をしているらしく、この荒々しいドサの街には不似合いな性格をしているなと、アスターはなんとなく思った。

 そして同時に、少しばかり強引だけれど憎めない彼に対して、親しみのようなものを感じていた。

 気恥ずかしさに逸した視線の先では、ルルがまたしても筋肉隆々の戦士を一人倒し、喝采を浴びているところだった。


「ははは、やっぱ彼女はすごいね。きっとよほど腕利きの技師がメンテナンスしてるんだろうなあ。憧れちゃうよ」

「憧れ? ルルさんに?」

「え? あっ、あの子はルルさんっていうんだね。でも違うよ違う。ぼくが彼女に憧れてどうするのさ!」


 どこかズレたアスターの言葉に、タ・ヒルはそんなまさかと笑い出す。


「じゃあ、何に?」

「何ってそりゃあ……」


 少し考えれば当然分かるようなことを間違えてしまったことに気恥ずかしさを覚え、そんな自分の失敗を誤魔化すように努めて冷静さを装ってアスターが淡々と尋ねると、タ・ヒルは待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。

 まるで、それを語りがためにアスターとの会話をここまで続けてきた、と言っても不思議ではないくらいの勢いであった。


「彼女を整備してる凄腕の技師さんに、さ! さっき技師を目指してるって言ったよね? ぼくの夢はその中でも特に、ネーヴァ専門の技師になることなんだよ!!」

「夢?」

「そう!」


 夢。

 そう言われて、アスターには一瞬言葉の意味が分からなかった。

 今の彼にとって――いや、過去のどんな瞬間を切り取ったとしても――、夢という言葉ほど縁遠い言葉は存在しないだろう。


 アスターにとって、自分の仕事とは単なる日常に過ぎない。

 彼はそれが夢であったから、幼少の頃より学び続けていたわけではない。

 ルードベック家の跡継ぎとして、機巧師――あるいは技師――となることは当然の義務であり、疑う必要のない定められた道筋である。

 だからアスターには夢を抱く瞬間など一秒たりともなかったし、そんなものを思い描く必要すら幼い頃より感じたことは一切有りえなかった。


 だからこそアスターが紡ぐことが出来たのはとても退屈な言葉で――眼の前で熱く語ろうとする青年の勢いを削いでしまうような、何の面白みもない一言だけだった。


「それって、つまり目標……っていう意味だよね?」

「えぇ? うーん、まぁそうだけど、そうじゃないよ。もっとこう、ほら。ワクワクするような、そのために生きるんだ! って思えるような……アスターには夢はないの?」

「僕に?」

「そう。だってアスターはきっと旅をしてるんでしょ? 何か夢があるからなんじゃないの?」

「……」


 純粋すぎる青年の問いに、アスターはただ声にならない声を吐き出すことしか出来なかった。


 ここまで来るために、ただ目の前の何かについていくことだけで精一杯だった。

 自分が見つめているのは、いつだって過去だけだ。

 かつて過ごした安寧の地に逃げ帰るため、リリィの犠牲を決して無駄にしないため。

 そしてその選択自体は決して間違っていないと今でも信じているし、エリカだってそれを認めてくれている。

 けれど、目の前のタ・ヒルという青年は、違う。

 こんな滅びかけの、明日の糧すら危うい不毛の大地で、彼は未来を常に見ている。

 果たして自分は本当に――自分のままで良いのだろうか?


 出口の見つからない思考の迷宮にアスターが囚われかけそうになっていると、突然、壁を破壊するかのような元気な声が飛び込んできた。

 はっとして、意識を現実により戻す。


「よーーっ!! 少年二人!! そんな端っこでなーにつまんなそうな話ししてんだーっ!? お前らも早くこっちに混ざれよーーっ!!」


 全く空気の読めない声の主は当然――ルルだ。

 完全にお祭りの主役となっていた彼女が、どういう風の吹き回しか日陰者二人組に目をつけたようである。


「つまんなくなんか無いよ! なんてったってぼくらが話してたのは互いの夢についてだからね!」

「へーっ、夢! ……夢? ヒトがみるっつう、寝てるときのアレ?」

「違う違う、もう、君たちはなんでそんなにズレてるかなぁ。夢って言ったらほら! 浪漫的な、生きがいみたいな!」

「生きがい? 生きがいのことを夢って言うのか? なんだぁそりゃー……」


 嵐の如き闖入者にタ・ヒルは少しだけムッとして、それでも少女との話を楽しいものにしようと熱く語る。

 そんな彼の言葉にルルは首を傾げ、まるで興が冷めたかのように声のトーンを落とし呟くと、目を伏せ無言になる。

 何か気に入らないことでもあったのか。

 普段のルルらしくない反応にアスターは違和感を一瞬覚えたものの――。


「めっっっっっっちゃ良い響きだな! 夢、夢か! うんうん、オレめっちゃ気に入ったぞ!! オレも今日から夢を語っていくことにするか!」


 花火の如き笑みで叫ぶ彼女。

 どうやら、一瞬沈んだ様子を見せたのは単に言葉を噛み締めていただけのことだったらしい。

 うんうんと頷きながら、アスターたちと会話に興じようと二人の近くにどっかと座り込みはじめた。


「それでぇ? 誰がどんな夢をもってるんだー?」

「えっと、次はアス――」

「ルルさんも――ネーヴァにも生きがい、夢ってあるの?」


 タ・ヒルが自分に話題を振ろうとしたのをなんとか避けるべく、また同時にルルのこと自体にも興味が湧いたこともあり、アスターは割り込むように先手を打った。

 するとルルは何を言ってるんだと言わんばかりに首を傾げ、当然のようにこう答えた。


「ん? そりゃオメー、あるに決まってんだろ! ……いや、オレらくらいかもしれねーけどな?」

「へぇ、何なに? ぼくも気になるよ!」

「へっへっへ、オメーら、しりたいかー? 仕方ないなー、今日は特別にこのユルラルリア・リンキア様……通称【剛剣】のルル様が崇高なる目的を――いや、『夢』を語ってやろう!!」

「ははは、【剛剣】だなんて名乗ったら、本物の【剣の乙女たち】様に怒られちゃうよ〜。いいから早く教えてよ!」

「むっ、失礼なやつだなー。まっ、いっか! ココだけの話だぞ〜?」


 多分、この【剛剣】という通り名はきっと本物なのだろう。

 けれどタ・ヒルには目の前のお調子者の少女が本当にエンシスなどとはどうにも思えないらしく――きっと彼の中ではエンシスの存在は美化されているのだろう――、変わり者のネーヴァくらいの扱いになっているようだった。

 軽くあしらわれているルルのほうもバカにされていることに気づけないのか、あるいは心が広いのか、とにかくそれほど気にしていないようだった。


 ともかく、二人がルルに注目すると、彼らの期待を浴びて気分でも高揚してきたのか、ルルが叫びながら立ち上がった。


「オレの、夢はっ!!」


 その勢いと言えば背後で爆発の演出が起こったって不思議ではないくらいのものだ。

 同時に隣で固唾を飲む音がしてきて、アスターも思わず緊張してきてしまう。

 ルルの方もそんな二人の様子を見て満足気にたっぷりと溜めを作ると、高らかに宣言した。


「世界中の人たちと友達になることなんだっ!! だから今日戦ったこの街の連中は、もうオレの友達だ! そしてこの街の連中は似たようなもんらしいから……この街はもう完全制覇だなっ!!」

「おぉーーっ!! 凄い夢!!」

「は、はぁ……」


 大げさにのたまうルルの夢は、拍子抜けするほどにアスターにはピンとこないものだった。

 しかしタ・ヒルには十分凄さが伝わったらしい。

 あるいは単に適当に言っただけなのかもしれないが、しかしキラキラとした眼差しでルルを見つめていることには変わりがない。

 そんなタ・ヒルの羨望の眼差しを一身に受けた少女はますます高まってしまったのか、感情の赴くままに不思議なポージングを決め始めた。

 おかげで人間の体とはあんな体勢になっても平然と立っていられるものだろうかと、アスターは見当違いなことを考え始めてしまう。


「まっ、っつーわけでオメーらもオレの友達だかんな〜、これからよろしくなっ!! ニシシ」

「うん! よろしくね! ぼくら三人ともすっかり仲のいい友達だねっ」

「えっ、あっ、うん……?」


 アスターが人体構造の不思議について思いを馳せているうちに、どうやらタ・ヒルとルルと友達になってしまったらしい。

 それは当然否定するようなことではなかったものの、去るつもりのこの地で友達が出来るなどと、灰色の大地に降り立ち絶望の底に突き落とされていたかつてのアスターに、一体どうして想像ができただろうか。


 だからこそ言葉とともに差し出されていた手の意味がとっさには理解できず、それでも遅れて何とか握り返すことにだけは成功した。

 右手からは、わずかに人の生きる温もりが感じられた。

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