#030_ドサの街にて
荒々しい街。
ドサについたアスターがまずはじめに感じたのは、そういった印象だった。
具体的にどこがと問われれば、多分うまく説明することはできなかっただろう。
うず高く積み上がったミレスらしきものの残骸も、路上で武器の手入れをする屈強な男たちの姿も、軒先で昼間から酒に溺れている馬鹿騒ぎも、この世界においてはきっとありふれた光景であり、ただそれだけで街全体が荒々しいなどとは感じるべくもない。
それでも確かに彼はこの街に漂う空気に無骨で粗雑な何かを感じ取っていたし、実際のところそれが全く見当外れなものではなく、むしろその程度の表現で収まるようなものではなかったのだと、今まさにその身をもって実感しているところだった。
「どうしてこんなことに……」
「おいにーちゃんてめー、何ぶつくさ言ってんだよぉ!? いーからさっさと構えやがれ!!」
「おッ、いいぞいいぞー! よくわかんねーけどやっちまえーっ」
眼の前には血気盛んに拳を構える長身の男。
少し前までは武器を携行していたようだったが、今はその武器も道端に投げ捨ててしまったようだ。
拳だけで会話をしようとアスターを睨みつけ、未だに構えようともしない彼に対して怒鳴りかかっている。
隣には人の気も知らず楽しげにはしゃぐ少女、ルル。
多分彼女はこの状況を、ちょっとした催し程度にしか考えていないのだろう。
しきりに歓声をあげ、アスターと男を煽り続けている。
この場においては一応仲間であるはずの少女には応援よりも制止することを求めたいのだが、この調子では当てにできないだろう。
やれやれとため息を深くつき、この状況をどうしたものかと考えながら、改めて周囲に目を向ける。
眼の前の男と出会ったときには人通りもまばらだったはずなのに、気づけばアスター達の周りには人だかりができていた。
おそらく、彼女の歓声と男の怒鳴り声が彼らを呼び寄せたのだろう。
群衆は遠巻きにアスター達の動向を見守るばかりで、今まさに始まろうとしている――というか一方的にふっかけられているだけの――喧嘩の仲裁に来たというわけではないようだ。
それどころか、早く始めろだのなんだのと野次が飛びはじめている。
よくよく観察してみれば、群衆からお金を掻き集め、賭けの場を開いているものまでいる。
きっとこんなふうに突然始まる喧嘩騒ぎも彼らにとっては日常の一部でしかないのだろうし、むしろストレスを解消するための数少ない娯楽の一つとして、喜んで受け入れているのだろう。
「はあ……全くどうしてこんなことに……」
どこを見渡しても味方のいなそうなこの街角で、アスターはただひたすらため息をつくことしかできなかった。
一体全体、何がどうしてこんなことに彼は巻き込まれてしまったのか。
そもそもの始まりはドサについた直後まで遡ることになる。
「それでは、到着して早々ですがクレイシアの支部までご同行願えますか? ここまでの報酬をお支払いしたく」
「そうね、さっさと済ませてしまいましょう」
ドサの街に到着すると息をつく暇もなく、ヴェロニカの提案でクレイシアの支部まで行くことになった。
少しくらいは休んでもいいのではないかとアスターは思ったが、旅の仲間たちは疲れ知らずの二人と、疲れは知っているものの職務には真面目そうな提案者の彼女だけである。
当然そんな自分の意見は却下されるだろうとすぐに予想がついたので、仕方なく黙ってついていくことにした。
ヴェロニカに案内されるままに移動していくと、ひときわ存在感を放っている巨大なビルが眼の前に現れた。
そう、ビルである。
街のそこかしこに建てられた継ぎ接ぎだらけのボロ屋とはちがい、眼の前にそびえ立っていたのは、入念な計算に基づいた設計と堅牢な建築技術によって作られた紛れもないビルだったのだ。
別の世界から切り取って貼り付けられたような空間になぜだか郷愁の念を覚えながらも、さりとてあまりぼんやりしていると田舎者だと思われるのではないかとアスターは努めて平常心を装い、つかつかと進んでいくヴェロニカたちについていく。
内装も外見に違わずシンプルながらもこだわりがそこかしこに伺える作りとなっており、来訪者への配慮も行き届いた快適すぎるこの空間に、受付嬢の元へとたどり着く頃になればアスターはすっかり緊張した面持ちになっていた。
「ようこそ、本日はどういったご用件でしょうか?」
「お疲れ様です。ネーヴァ管理局所属、高等監視員のヴェロニカです。現地協力者への報酬の支払いをしたいのですけれど、よろしいでしょうか?」
「高等監視員の……?」
「ええ、これが社員証ですので確認していただければ」
そう言って、ヴェロニカは懐から一枚のカードを差し出す。
受付嬢は彼女の言葉に訝しがりながらも、こちらに失礼にならない程度の笑顔を貼り付けたまま、受け取ったカードを確認しはじめる。
それが確かに自社の社員証であることに気がついた彼女は一瞬だけ気を緩めた雰囲気となり、だが次の瞬間には記載されている事項の意味に思い当たったのだろう。
慌ただしく立ち上がり、今までの非礼を詫びるかのように態度を改めた。
「……あっ、おっ、お勤めご苦労さまです! すぐにお部屋をご用意いたしますので少々お待ちくださいっ」
「ええ、よろしくお願いしますね。それと、もうそちらは返していただいても?」
「あっ、すすす、すみませんっっ!」
預かった社員証を返さずに奥へ行ってしまいそうになった受付嬢にやんわりと注意をするときも、ヴェロニカは笑顔のまま、実に優しげな雰囲気であった。
それがかえって彼女の緊張を煽ったのか、余計にしどろもどろになっている。
「やっぱ、クレイシアって変なとこよね。変な上下関係なんて作って」
そんな彼女らのやり取りを傍目で眺めていたエリカがふと呟いた。
独り言というよりは誰かの同意を待っているようなその物言いがなんだか気になり、アスターは思った通りのことを口にする。
「そうかな? 会社を運営していくなら上下関係があったほうが楽なんじゃないかなって思うけど。クレイシアって大きいん……だよね?」
「命令系統がきちんとしているのは軍においてはいいことだと思うわ。けれど、あそこまで下手に出る必要性は全く無いでしょう。ほんと、ヒトってのは変な生き物ね」
「まあ、そうなのかもね」
彼女の疑問が分からないアスターではない。
実際、彼の故郷でもあそこまでの光景は、恐怖心の入り混じったような態度はみたことがない。
けれどそんなことよりも、彼女がそんな疑問を口にするということのほうが、よほど違和感のあることだと、彼はそう思っていた。
果たして以前の――初めて会った頃のエリカが、このような些事に興味を持つものだろうか?
「お、お待たせしました! お部屋の準備ができましたので、ご案内いたします」
エリカとの会話もそれきりで、すっかり静かになったエントランスで十分ほど待っていると先程の受付嬢が戻ってきた。
準備ができたとのことなので、揃ってついて行こうとする。
「あっ、失礼ですがご協力者さまは認識標を……チョーカーをお持ちでしょうか? お持ちでない場合は仮登録手続きをした上で中へお入りいただきたいのですが……」
しかし、一歩踏み出そうとしたところでおずおずとした様子で受付嬢が尋ねてきた。
どうやら、管理上の都合で中に入るには登録が必要になるらしい。
エリカはチョーカーをすでに持っているから大丈夫ではあったが、アスターは困ってしまう。
出来る限りこの世界の住民となるような行動は避けておきたいところだったし、登録をする上で出自が不明であるということが問題になるのではと、不安になったのだ。
「ああ、そうね。それは少し面倒だから、私だけで手続きはやっておくわ。あなたもそれで別に構わないわよね?」
「ええ、お二人がそうしたいのでしたら、書面上の手続きをエリカさん名義にするだけですので。わたくしの方は特に異論ありませんよ」
アスターが何も言えずにいると、困惑している理由を察したのか、あるいは本当に面倒だと思っただけなのか、どちらにせよ、エリカが助け舟を出してくれた。
二人のやり取りを聞いて、受付嬢の方も心なしホッとしたような雰囲気で息を整えていた。
「えっと……そうしたら僕はここで待っていたらいいかな?」
「そうしましたらアスターさん、少しお願いがあるのですが」
いつも助けてくれる彼女に感謝しながら、手続きが終わるまでの間どうしていればいいか確認しようとしたところ、まるで渡りに船であるとでも言うように、ヴェロニカが両の手を合わせた。
「先程から退屈そうに不貞腐れてるあの子を……ルルを見ていてくれませんか? もちろんこのまま縛り付けておくのでも問題はないのですが、やはり少しかわいそう……ですので。アスターさんがついていてくださるのであれば、わたくしも安心ですし」
言いながら彼女が向けた視線の先には、確かにつまらなそうに転がっている少女がいた。
今まで全く会話に参加してこなかったからすっかり忘れそうになっていたが、どうやらヴェロニカに例の拘束具で口をふさがれ、手足も移動する事以外できないように縛られていたようだ。
アスターもその姿を見て得心し、確かにあのままにしておくのは忍びないとアスターは苦笑する。
「わかりました。ただ一緒にいればいいんですよね?」
「ええ、適当に街の中でも散歩してきていただければ。もしルルがご迷惑をおかけするようなことがあったなら、後ほどご報告いただければ。ルルも……わかっていますね?」
空恐ろしいほどの笑顔で見据えられ、ルルはどうやってか拘束されたまま綺麗に正座に直り、ぶんぶんと首を大きく縦に振って懇願した。
この様子なら、何もしなくても彼女が突然暴れだすなんてことは無いだろう。
「せっかく街の中を歩くのなら、情報を集めておいてもらえると効率的だと思うのだけど、頼めるかしら」
「うん? まあいいけど……あんまり期待はしないでもらえると嬉しいかな。そういうの、あまり得意じゃないし」
「わかっているわ。少しでも無駄な時間を減らすために可能な限り努力しなさいということよ」
こうして、アスターとルルというおかしな組み合わせの二人組で、ドサの街を散策することになったのが、事の始まりである。
ルルは手足と口が自由になったのがよほど嬉しいのだろうか、あるいは生来の性格からなのか。
元気に無駄口を叩き続けながら街の中を飛び跳ねまわっていく。
その動きはまさに自由気ままに飛び回る子猫のよう。
街路に落ちているスクラップに興味を惹かれて立ち止まったかと思いきや、屋台で売られる串焼きに誘われてふらふらと歩いていき、また何か別の気になるものを見つければ先程まで見ていたものを忘れてそちらに飛んでいく。
「全く、これじゃ本当に情報収集も何もできそうもないよ……」
散々振り回された末、ようやくルルが立ち止まり、少しは落ち着けるように思えたので上がりかけていた息を整えながら一人愚痴を吐くアスター。
そんな彼の気持ちを知る由もない少女が、彼の思ったとおりの行動する瞬間など果たして本当に来るのだろうか。
「むむむーっ! なんだかあっちの方に面白そうなことがある予感ッ!」
どうやら案の定、そんな瞬間は訪れなかったようである。
ほんの一瞬の油断をつくかのように、何かを嗅ぎつけたようにルルが急に駆け出し始める。
「あっ、ちょっと!」
見失う訳にはいかないと慌ててアスターも叫びながら駆け出すも、そこはネーヴァとヒトとの単純なスペック差が大きいのだろう。
ぐいぐい距離を離されていく。
「ああ、もう!」
それでも必死に自分の出せる全速力で脇目も振らず走り続けること数分。
ようやく遠目に彼女が立ち止まるのが見えたので安堵し、そのまま追いつこうと周囲への注意を怠ったまま駆け抜けようとした、その時――。
「おわっ!?」
「――っっ!?」
横道から突如出てきた何者かとアスターは衝突事故を起こしてしまった。
全身に走る鈍い衝撃。
勢いが乗り切ったアスターの速度は普通に歩いていただけの男に受け止めきれるものではなく、驚きの声を互いに認知する前に二人は一つの塊となって転がり、ともにルルが立っていたちょうどその場所まで地面と仲良くすることになった。
「いってぇ……一体何だってぇんだ……?」
「いたたたた……」
幸い二人とも大きな怪我には至らなかったようで、しばし放心した後、痛みの残る体を擦りながらそれぞれ立ち上がった。
そして、状況を少しずつ理解し、互いの顔を見やる。
「ええと、その……だ、大丈夫です……か?」
「ああ……普段から鍛えてっからな、多少は痛むが大したことはねぇ。――それよりも、だ」
恐る恐るといった風にアスターが聞けば、男はぶっきらぼうに答える。
言葉の通り、確かに体つきは全体的にガッシリとしていて、腰に銃器らしきものを下げていることからおそらくエリカのように傭兵稼業かなにかをやっているのだろうと推察できる。
顔つきや声の感じからするとアスターからそれほど歳は離れていないようだったが、よく見てみれば頭上に鎮座する髪の毛が妙に尖っており、その冒険的すぎる髪型には何か戦術的な意味があるのだろうか……などと彼が思い始めた頃。
それまで若干探るような雰囲気だった彼の様子が、少しずつ問い詰めるようなものに変わっていった。
「ぶつかってきたのはにーちゃん、あんたで、間違いねーんだよな?」
「え、ええ……他に誰もいませんし、何もありませんし……」
「ふむふむ、まーそうだな。確かに俺達がふっ飛ばされてきた方には誰もいねーし、何も無ェ。そいつぁ間違いなさそうだ」
男はその言葉が全く正しい認識であることを強調するように、目の上に手を当て良く眺めるかのようなジェスチャーで語った。
「で、だ。聞きてぇのはこっからなんだが……にーちゃんはなんで俺にぶつかってきたんだ? スリの類だってんならまーわからんでもないが、それならさっさとズラかってるはずだよなぁ? ま、別にそれで上手くやられたんなら油断してた俺がわりぃんだ、とやかくいうつもりは無ェ。だけどにーちゃんはここにまだいる。んー、こりゃーどういうことだぁ?」
「え、えーと、その……」
わざとらしく、少しだけ間延びしたとぼけたような口調で、けれども明らかにその裏に怒りに近い感情を漂わせながら、男は次々に言葉を紡いでくる。
その剣幕にアスターは思わずたじろぎ、すぐにすればよかったはずの謝罪ができなくなってしまう。
「まーもちろん? 少しばかしぼーっと歩いていて横道を見てなかった俺もわりぃのかもしれねぇな? でもよー、誰がこんな人気のない道を、全速力で脇目もふらずに駆け抜けてると思うよ? 誰が街中で短距離走の練習なんてしてる奴がいると思うよ? 思わねーよなぁ?」
「ええ、そうですね……」
「じゃ、教えてくれるかぁ? よっぽど急ぎの理由があってぶつかっちまったってんならまぁ、詫びの印を一つ見せてくれりゃ今回は勘弁してやるがよぉ」
「その、理由は……えっと……」
とにかく正直に言うしか無いと、理由を言おうとしてその原因となった少女に視線を飛ばす。
彼女はその先で、なにか面白いことが起こりそうだと言わんばかりの表情で――ニヤニヤとした満面の笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「へっへっへー、面白いこと、みーっけ!」
「……はぁ」
どうやら彼女のセンサーが反応していたのは、こうなる未来のことだったらしい。
これはもうダメそうだと、アスターにはただ溜息をつくことしかできなかった。
「……ははーん、てめぇが俺に突進かますほどの重要な用事ってのは女の尻を追いかけ回すことだったってわけだ……。そいつぁおもしれぇ冗談だな? あ? しかもよく見りゃ俺のこの――じゃねぇ、なかなか可愛らしい女の子じゃねえか」
見た目だけなら幼女と言っても決して間違いではないルルのことを好みだと、この冒険的な髪型の男は口にしかけたような気がしたが、それはきっとアスターの聞き間違いだっただろう。
実際見た目が可愛らしいというのは客観的に間違っていない評価だ。
そんな女の子を追いかけ回していた、なんて事実は、客観的に考えて大切な用事とは思えないし、むしろ良くない、有り体に言ってしまえば犯罪的な行為でもあるだろう。
「ふーむ、見た目は幼く見えるがしかしあの感じ、さてはありゃネーヴァだな? とすると……にーちゃんのモノってことか? ……ちっ、こっちが上手くいってねーってのにこんなひょろっちぃ兄ちゃんが女連れたぁ――いや、さては他所モンだな? ははん、こいつぁ俺にもツキがまわってきたかもしれねぇな」
ルルがニヤニヤと経過を見守り、アスターがどうしたものかと口を閉ざしているのを良いことに、男はぶつくさと一人つぶやき続けている。
断片的に聞き取れる内容からして、この先にアスターを待ち受けている展開が面倒極まりないということは、考えを巡らせる必要もなくわかりきったことだった。
「よーし、気が変わった。いいぜ、にーちゃん。さっきの事は水に流してやる。ふん、ありがたく思うことだな」
「えっと、それは……ありがとうございます」
突然上機嫌そうにアスターの肩をたたきながら、ニコニコと喋りだす男。
そのあまりの豹変ぶりに困惑しながらも、さりとてそれを指摘することも藪蛇だろうと話の流れに身を任せるしか無いアスター。
当然、不気味な笑顔を浮かべる男の話には続きがあった。
「ただし、だ。にーちゃん、俺と勝負しろ。もちろん命の取り合いって話じゃねぇ。男と男、拳と拳の一対一の喧嘩だ。あんた、街の外から来たんだろう? この街の流儀ってもんを教えてやるよ」
こうして、その街の流儀とやらの説明もろくすっぽにないまま、アスターと男はドサの街の片隅で一対一の喧嘩をすることになったのである。




