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機械乙女は世界を改変する  作者: にしだ、やと。
第三章 自由と、悪意と、日常と
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#020_悪夢と街の悪意

 明るい陽射しが降り注いでいる。


 ああ、あったかいなあ。


 随分久しぶりに日向ぼっこをしてる気がするけど、なんでだろう。


 何だか嫌な夢をずっと見ていたような……。

 あ、あの後ろ姿はリリィかな。

 あんな所で突っ立って一体何しているんだろう。


 おーい、リリィ。


 あれ、声が出ない。おかしいな。

 あ、でもこっちに気づいてくれたみたい。


 振り返り陽光を浴びる彼女に、僕は手を振ろうとして――世界に止められた。

 視界に一瞬ノイズが走ったかと思うと、陽の光が急激に失われていく。


 え、なに?


 僕が混乱している間にも、世界の変化はとまらない。

 光に溢れた世界は闇に覆われ、崩れ落ちていく。


 気づけば、こちらを見つめるリリィの顔が見えなくなっていた。

 いや、もしかしたら最初から見えていなかったのかもしれない。

 笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか。

 音のないこの世界で彼女が伝えようとしている何かが、僕には分からなかった。


 暗転した世界はやがて瓦礫と死体の山へと変わっていた。

 事態を未だ飲み込めず呆然と立ち尽くしていると、彼女が重そうな足取りでこちらへ向かってくるのが見えた。

 どす黒い何かをぽたりぽたりと垂らしながら、右足を引きずって歩いてくるのが見えた。


 嫌だ、そんなの、嘘だ……。


 わけのわからない状況に、僕はその光景の意味だけを直感して、事実を否定するために祈りの言葉を紡ごうとする。

 けれど、思い描いた言葉は音にならず、びゅうびゅうと吹き始めた冷たい風の音ばかりが響き始めた。


『シニタクナイ……タスケテ……』


 彼女が近づいてくると、風の音に紛れて壊れかけの機械のような音声が聞こえ始めた。

 まるで僕を恨み、妬んでいるかのような呪詛の言葉。


 リリィがそんな事を言うはずがない。

 だって彼女は誰よりも優しくて、太陽よりも温かな女性のはずなんだ。


『……ドウシテ……ドウシテコンナバショニ……』


 ギシギシと軋む音を響かせながら、呪いの言葉はなおも近づいてくる。

 目を凝らすと、彼女の胸元に大きな穴が空いていた。

 穴の向こう側では、生々しい色合いの臓器がピクリともせず、ただじっと、じっと僕の方を恨めしげに見つめていた。


『カエシテ……カエシテ……』


 ああ、嫌だ。

 こんなもの、見たくない。

 僕はもう、こんな場所にいたくないんだ。

 お願いだから、僕を責めないでくれ。

 どうすることもできなかったんだ。

 リリィ……ああ、リリィ……。


 やがてリリィだったものが僕の目の前にたどり着き、崩れ落ちるかのように僕のもとへ手を伸ばしてくる。

 それを見て、僕は本当に耐えきれなくなって、後退りして……。


 ――。


 ――――。


 ――――――。


『あなたさえいなければ私はずっと幸せに生きていられたのに』


 視界から消えた彼女は、僕の背後から、小さく、ゾッとするほど柔らかな声音でそう告げた。


 ――。


 ――――。


 ――――――。



「……うわあぁぁぁっ!」


 弱々しい光が窓の隙間から差し込む宿の一室で、少年が飛び跳ねる勢いで目を覚ました。

 小さな叫び声は誰に届くこともなかったが、よほど悪い夢を見ていたらしい彼は自分がもうすでに悪夢よりは幾分かはマシなこの現実世界に戻っていることに気が付き、荒れ切った呼吸を落ち着けようと深く息を吸い始めた。


「なんだかひどい夢を見ていた気がする……はぁ……」


 夜は随分と冷え込むというのに、彼の寝間着は雨の中で寝ていたとしか思えないほどに水を吸い込んでいた。

 そのこともまた、寝起きの彼を一層憂鬱な気持ちにさせたようだ。

 ただでさえ暗い朝が、一層暗くどんよりとした雰囲気に満ちていく。


「顔、洗おう」


 呟き、部屋に備え付けの簡易洗面台に歩み寄る少年。

 汗でびっしょりだから本当はシャワーを浴びたいと彼は内心思っていたが、ないものねだりをしても仕方がない。

 顔を洗うための水だって使える量に制限があるのだ。

 スイッチを押すとほんの少しだけ出てくる水をこぼさぬよう両手ですくいあげ、思い切り顔にぶつける。


「……ふぅ」


 水滴を滴らせながら顔を持ち上げると、目の前の壁に据え付けられた鏡が少年の目に入ってきた。

 そのままじっと見つめ、はははと自虐気味に笑い始める。


「ひどい顔だな」


 映し出されていたのは、暗くて、なんだかひん曲がったような無様な顔だった。

 いくらこの鏡が薄汚れていて質が悪いにしても、ここまでひどい顔にはならないだろう。


「でも、これがいまの僕なんだね」


 そして彼はようやく、自分自身がただの弱いアスターであることを認識した。

 一人の夜に寂しさと不安を覚え、悪夢に苦しむしかできない少年。

 それこそがいまの自分なのだと。


「とにかく急ごう。いつまでもこんな事してる場合じゃないんだ」




 手早く身支度を済ませたアスターが宿を出ると、外は相変わらずどんよりとした空模様だった。

 街をゆく人々はなにかに急かされるかのように落ち着きなく動き回っており、時折聞こえる怒声も相まってひどい喧騒が生まれている。


 今日の食い扶持のため、明日の生活のため。

 金のため、欲を満たすため。

 アスターの目に映る人々は誰も彼もが余裕を失い、自分自身のためだけに走り回っていた。


 こんなに、うるさかったかな。

 と、アスターは心の中で呟く。

 昨日は生き生きとしているように見えた街が、今では色あせて見えている。

 一晩経ち落ち着いたことで正しい姿が見えるようになったのか、あるいはアスター自身の心が変わってしまったのか。

 いまの彼には判断がつかないことだったが、どちらにせよ、ここで長い時間を過ごしたくないという気持ちだけは変わらなかった。


「おにーさん、おにーさん。ちょっといいかい?」


 歩き始めて道のりの半分ほどを進んだときのことだった。

 アスターが曲がるべき十字路かどうか確認するために少しだけ立ち止まっていると、若い男に声をかけられた。

 身なりはこの世界基準ではまあまあ整えられている風で、こざっぱりとした印象を受ける。

 表情も穏やかそうな笑みを浮かべており、少なくともアスターにはこの男が悪巧みをしそうな人物には見えなかった。


「はい? なんでしょう」

「いやあ、急いでいたら悪いね。おにーさん、街の外からやってきたのかい?」

「? ええ、そうですけど、どうして?」


 アスターが男に聞かれるままに受け答えをし始めると、彼はさり気なく半歩近寄ってきた。

 その動きはとても自然で、なんとなく話がしやすいように近づいてきたのかなと、アスターは特に気を留めない。


「へへ、たまたま歩く方向が一緒だったもんで目に入ってたんだけどねえ、どうにもおにーさんが道を確認しながら歩いているように見えたんでねえ、この街の住人ならそんなふうに歩いたりはしないだろう?」

「ああ、なるほど、確かに迷うといけないので」

「やっぱり! そうするとおにーさんはあれかな、行商人か、その見習いってところかい?」


 男の語りはなんとも軽妙で、アスターの心の扉を軽く叩いて自然と開けさせるような雰囲気があった。

 もしも彼がこの世間に慣れていて、世の中には騙すために善人を装う悪人がゴロゴロしているということを知っていれば、この時点で警戒してすぐに離れることが出来ただろう。

 だが彼は、悪という言葉が辞書に載っているだけに過ぎない国で育った、無垢な少年だった。

 この軽薄そうな男が、少年の目には本当にただの気さくな街の住人にしか見えていなかった。


「ええと、まあ、そういうことになっています」


 アスターは若干の抵抗を覚えながらも、エリカと話して決めておいた嘘をついた。

 いくら彼が純粋無垢な少年だと言っても、自分の事情を見知らぬ人に気安く話すべきではないということくらいは理解できている。

 彼は純粋だが、決して愚かではないからだ。

 行商人というのは危険を犯して街の外を歩く身分としては、最も無難で怪しまれない人種なのだ。


「へえ、へえ! そいつは運がいいや!」


 しかし、結局の所この名乗りは今回に限っては悪手でしかなかったようだ。

 意を得たりと言わんばかりに男が声音を上げ、またアスターの方に半歩近づいてきた。


「人の縁ってのは不思議なもんでねえ、ここでおにーさんとお近づきになれたのはきっと神さんの思し召しってやつなんだろうねえ、ま、神さんはもういないんだけどね」

「は、はあ」

「おっと、すまないね、つい嬉しくってね。それで、だ。おにーさん、実は今なかなかいい儲け話があるんだけどねえ、街の外に出られる商人でこの件が任せられそうな人がなかなか見つからなくてねえ、困っていたんだよ」

「儲け話、ですか?」


 話の方向がどんどんきな臭くなっていることには全く気づかず、困っているという男の言葉を真に受けアスターは話の続きを促す。


「お、さすがおにーさん、儲け話にはやっぱ食いつくかい? へへ、なんとなくおにーさんは信用できる気がするからねえ、やっぱ声をかけて正解だったな。もちろんこの話に乗るかどうかは最後まで聞いてもらってからで構わないよ、ただね」

「ただ、なんでしょう?」

「ほら、ここは往来が激しいだろう? どこでこの話が聞かれてるかもわからない。商談をするのにこんなに不向きな場所があると思うかい?」


 それはまあそうだとはアスターも思った。

 しかし、ここで男についていくとなると、エリカの元へ行くのが遅れてしまう。


「おや、やっぱり急いでいるのかい? それなら仕方ないけど、その場合はもうこの話はこれっきりってことになるかなあ。いくらおにーさんが信用できそうだって言っても、せっかくの勝機をミレスに食わせちまうような目の曇った奴とはこっちも組みたくないからねえ」


 アスターが迷う雰囲気を醸し出すと、男は途端に失望したように首を振り始めた。

 彼としては別に儲け話にそこまで興味があるわけでもなかったが、ココまで露骨に蔑むような態度を取られてはむきになってしまう。

 お金はこの先いくら必要になるかわからないのだし、と自分に言い聞かせ、アスターは男にまんまとのせられてしまう。


「……いえ、そこまで急ぎではないので、とりあえずお話だけでも聞かせてもらえますか」

「そうこなくちゃ! 人目の無い、良い場所を知ってるんだ。案内するよ」


 そう言って男は歩き出し、アスターも頷いて彼の背中についていった。

 騙されているとも知らず、男が彼の見えない所で不気味な笑みを浮かべているとも知らずに。


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