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機械乙女は世界を改変する  作者: にしだ、やと。
第一章 世界はそして無色になる
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#001_アスター・ルードベックの平穏なる日常

 セーフライトから放たれる暗緑色の光が照らす室内に、カチャカチャと小気味よい音が鳴り響いている。

 音を奏でているのは一人の青年の指先だ。

 その手には幾何学的な模様の描かれた手袋がはめられており、見たところどうやら作業台の上で何かを修理しているらしい。


「……ようやくできた」


 彼は満足そうに呟くと、完成した物体を眺め始めた。

 それは、手のひらに乗るくらいの大きさの黒光りする箱だった。

 光沢のある表面には継ぎ目が見当たらず、一目見ただけではこれがどういった代物なのかは全く見当もつかない。

 しかし彼の様子を見る限り、きっと相応に価値のあるものなのだろう。


『アスター様、お客様が来ております』


 青年がその箱を何やらいじるような動作をし始めた途端、部屋に取り付けられたスピーカーから柔らかな女性の声が発せられた。

 室内にいるのは彼一人だけだから、右手の行き場を失っているこの青年の名前がアスターということで間違いないだろう。

 彼は名残惜しそうに黒い箱を作業机に置くと、入り口近くの壁面に取り付けられたパネルを操作し、音声通話を開始した。


「ありがとうリリィ、お客さんって誰かな」


 この時間に誰かが来る予定なんてなかったんだけど、と思いながらアスターが問いかけると、彼の優秀な侍女はそう聞かれることを悟っていたかのような早さですらすらと言った。


『商店街の精肉店の店主さんです』


 その答えに、「ああ」と納得したかのような声を出しつつも「相変わらずせっかちだなあ」と思わず苦笑してしまう。

 すぐに行くと言って通話を切ると、彼は工房の隅で布を被っていた大きな物体を台車に載せ、運び出していった。


 アスターが台車を押しながら応接用のスペースにやってくると、小太りな中年男性が待ちかねたように彼の元へ駆け寄ってきた。

 どうやら彼が精肉店の店主のようだ。


「急かしたみたいですまないねぇアスター君! もう点検は終わっているかい!?」

「ミーツさん、こんにちは。ご依頼のオーバーホールは昨晩のうちに完了してありますよ」


 そう言いながらアスターは台車の上の物体から布を取り去り、自身の仕事が完璧に終わっていることを店主に伝えた。

 布の下から出てきたのは、無骨な金属の塊――いや、これはロボットと形容するのが正しいだろう。

 縦長の円筒形の胴体の左右からは滑らかに動かせそうなアームが生えており、四つの脚によってその鈍重そうなボディを支えている。

 また、胴体上部には半球体のカメラが備え付けられている。

 特に装飾がなされていないことから、完全に実用性重視の代物なのだろう。


「すぐに故障しそうな箇所はありませんでしたが、放っておくと作動効率に影響が出そうな部分が幾つかあったのでそちらは全て新しい部品と換装して調整済みです。起動して動作確認しますか?」

「いやいや、アスター君の機巧に関する腕前は信頼しているからね! 君が大丈夫と言ってくれればそれだけで充分さ!」


 男は随分アスターのことを信頼しているらしく、大変満足そうに大声で笑い始めた。

 アスターもつられて少しだけ笑いそうになってしまったが、部屋の隅で控えているリリィがこちらをみて微笑ましそうな顔をしていたのが見えたので少しだけ恥ずかしくなり、コホンと一つ咳をして話題を変えることにした。


「でもミーツさん、予定では引き取りは明日だったじゃないですか。急いで仕事する必要なんてないんですし、点検中くらいゆっくり休めばいいと思うんですけど」


 彼がそう言うと大笑いしていた男は笑うのを止め、まあそうなんだがと前置きしてから照れくさそうな顔で続けた。


「どうにも店を開いてるほうが楽しいもんでなあ。いやまあ仕事自体はほとんどその機巧人形に任せきりだからワシが何かをするってえわけじゃないんだが……しかし、分かるだろう?」

「誰かが喜んでる顔を見てるほうが楽しいっていうのは分かりますけどね、でも僕の場合は頼まれるからやってるだけですし、休めるなら休みたいですね」

「はっはっは、若いうちからそんなんじゃ人生楽しめないぞ!!」

「大丈夫です、ミーツさんをはじめとして街の色んな人が楽しい話を持ってきてくれますから」


「それじゃあ楽しい話をしてやないとなあ」とミーツは言うと、街で話題になっている様々な楽しいニュースを語り始めた。

 アスターもそんな平和なひとときを満喫し、結局日が傾き始めてようやくその場はお開きとなった。




「そういえばアスター様、お仕事は昨晩のうちに終わっていたみたいですが、本日は工房で何をなさっていたんですか? お仕事以外で工房にこもられるのは随分珍しいですよね」


 夕飯を終えて食後のデザートを堪能していると、リリィがふと思い出したかのように訊ねてきた。

 この美しくも控えめな侍女がこういった質問をしてくるのは珍しいので少しだけ驚いたアスターだったが、特に隠すようなことでもないと思い、昼に完成した機巧について語りはじめた。


「ああ、実はこの五年間、コツコツ修理を続けてきた機巧があってね。かなり難しかったんだけど最近大きく進展があってようやく完了の目処が経ったんだ。それで今日は時間があったから少し集中してたってわけ。おかげで無事修理が終わったよ」

「それはおめでとうございます。しかし五年間もかかったとなると随分大層な機巧なのでしょうね」

「うーん、どうだろう」


 アスターが答えをはぐらかすのには理由があった。

 五年間かかったとはいえ、その五年間ずっとこれだけに専念してきたというわけでもないし、そもそも五年前といえばアスターがまだ一二歳の頃、機巧の勉強を始めてからそれほど経っていなかった頃だ。

 本格的に修理が進んだのはこの一、二年間くらいと言ってもいいだろう。

 それでも随分時間がかかっていることには違いないが、しかし彼としてはあまり大仰に五年間もかかったと言いたいものではない。


 それに、理由はそれだけではない。


「正直、あの機巧が何のためのものなのか僕にもよくわからないんだ。理論上は直っていると断言できるんだけど……」



 翌日、アスターはリリィに完成した黒い機巧の箱を見せることにした。

 ちょうど起動実験もしたかったし、年長者である彼女ならもしかすると彼には考えつかない用途を思いつくかもしれないと思ったからだ。


「じゃ、起動するよ」


 そう言ってアスターは黒い箱の表面を軽くなぞる。

 するとその動作に反応して、黒い箱の一面がぼんやりと青白い光を放ち始めた。

 これからどんな変化が起きるのかと期待と不安に胸を膨らませるアスター。

 音もなく放たれ始めた光は徐々に強くなっていき――数秒後、ついには何も起こらなかった。


「……これだけ?」


 待てども待てども一向に何も起こらないことに困惑し、流石にそんなはずはないだろうとアスターは他に操作できる箇所がないかどうか黒い箱を再びいじり始める。

 けれど探せど試せど光を放つ以外の反応を見せることはなく、いよいよ自分はただの光源を直すのに五年もかかってしまったのかと自信を失い始めていた。


 そんな時、隣にいたリリィがなにかに気がついたように声をあげた。


「あれ? なにか映っていませんか?」


 そう言って指さしたのは、箱から放たれた光が照らしているその先だ。

 アスターが箱を動かしたことで壁にうまい具合に当たり、ぼんやりとだが映像が浮かび上がったのだ。


「これは……絵かな? 焦点があってないからボヤケていてわかりにくいけど、確かに何か映ってそうだ」


 言いながら位置を調整し、焦点をあわせていく。

 数秒後、壁に映し出されていたのはやはり一つの絵だった。

 二つの曲線が二重らせんのように互い違いに捻れて交差しており、その二つのらせんに挟まれるように花のようなシンボルと、歯車を模したようなシンボルが描かれている。

 また、それら全体を囲うように四角く縁取られている。


「これは……紋章かな?」

「随分抽象的な絵ですし、紋章の類かもしれませんね。それにしても何処かで見たことのあるような……」

「確かに、僕も見たことがある気がするんだよね。なんというか、全体的な造形の方向性がうちの――ルードベック家の家紋と似ている気がするんだ。もちろん全然違うと言えば全然違うんだけど」


 アスターがそう言うと、リリィは首を振りながら静かに彼の言葉を否定した。


「いえ、そうではなく――この紋章自体を私は見た覚えがあるのです。確か屋敷のどこかで……」

「えっ、本当!? 一体どこで!?」


 彼女が放った予想外の一言に、アスターはつい大声を上げてしまった。

 そんな彼らしくない行動にもリリィは決して動じることなく、思い出そうと右手を頬に当て、考え込みはじめた。


「ええと、確かあれはどこかの床を掃除していた時だったと思うんです。でもあまり頻繁に見た記憶もないですし、きっと普段は掃除しない場所……そう、そうです。確かあれは倉庫で――」

「倉庫って、僕が材料置き場にしているあの? 見たことないけど……」

「いえ、普段は使っていない、古い方の倉庫だと思います。アスター様の資材置き場には私は入らないようにしていますので」


 古い方の倉庫。そう言われて、アスターは思い出したことが一つだけあった。

 それは、この紋章を映し出しているだけの機巧を見つけたのも、随分古くてもう誰も使っていない、あの倉庫だったということだ。


「よし、確かめに行こう」


 好奇心がそれほど旺盛でない彼でも、ここまでお膳立てされればそう決断するのは当然のことだろう。


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