#015_美味しい練り物と符牒
「それで、その人達、なのかな。はどこにいるの?」
「彼らは街の中に紛れ込んでいるの。もちろん知っていれば会うことは出来るけれど、知らなければ決して会うことはかなわないわ」
要領を得ない回答だったが、とにかく行けば分かるわと、エリカはスタスタと歩いていく。
見知らぬものに溢れた街でアスターは目移りしながらも、見失わない程度に時折駆け足を交えて追いかけていく。
「そういえばさっき言ってた気まぐれっていうのは?」
よそ見をしながら、何気なく前方のエリカに問いかける。
注意力散漫になっている彼に対して特に興味もないのか、あるいは取り合う気もないのか、エリカの身体は特に何の反応も示さず、まっすぐ前だけを見て歩き続けている。
しかし、声だけはきちんと返ってきた。
「窓口があるのよ。でも、その窓口は日によっていたりいなかったりする。運が悪ければ三十日以上会えないこともあるわ」
「へえ……、なんだか僕は運が悪い気がするんだけど」
今までの流れからして、アスターは自分がもしかしたら運がとても悪くて、普通は大丈夫なことほどダメになってしまう体質にあるのではないかと思い始めていた。
けれどその心配はどうやら杞憂だったらしい。
「大丈夫よ、今日はいるみたいだから」
そう言ってエリカは突然立ち止まる。
急なことだったのでアスターの足は止まり切ることが出来ず、彼女の身体にぶつかってしまった。
彼女は微動だにしなかったが、異性との急接近にアスターの心臓は鼓動を少しだけ早めていた。
「あ、ごめん……ええと、それでその窓口っていうのは?」
誤魔化すようにして、とっさに離れて周囲を見渡す。
けれどそこは先程まで通り過ぎてきた街と特に変わることのない、店舗や住居が入り混じって立ち並ぶ、ごくごく普通の街路だった。
何に使うのかもよくわからないガラクタのような金属を並べる店、見るからに強そうな風貌の店主が軒先に立っている武器商店、客があまり入っていなそうなことを気にもとめていなそうな柔和な笑みを浮かべる若い女性が座っている食品店、看板は立っているが本当に営業しているのか疑わしい錆びついた扉の店。
目についた店舗はどれもが怪しく、同時にどれもがこの世界ならば当たり前に存在していそうなものだった。
「うーん、でも流石にあのお姉さんのお店ではなさそうだね。練り物屋さん……なのかな。少しだけいい匂い」
エリカが特に何も言ってくれないので、一人で勝手に推理を始めるアスター。
彼もやはり男なのだろう、まずはじめに目をつけたのは女性店員のいる店で、窓口ではなさそうと思いつつもどこか興味有りげな雰囲気だ。
「あらぁ? 坊や、お腹がすいてるのかなぁ? お一ついかがぁ?」
なんとなく近づいていくと、間延びした声で女性が声をかけてきた。
少しだけドキドキしながらも、そういえば小腹が空いているかもなどと言い訳がましいことを呟き始める。
エリカも一緒についてきていたが、そのやり取りにはやはり特に興味が無いらしく、この店に近づいたことにすら文句を言う雰囲気もない。
きっと小腹がすいたという言い訳を真に受けてくれたのだろうと、アスターは都合よく解釈して胸の大きな店員との会話に乗り出すことにした。
「ええと、何か軽く食べられるおすすめを……」
「うちの練り物はぁ、どれもおいしぃですよぉ」
彼女はニコニコと笑ってばかりで、どうにも会話するのが難しい。
故郷でこんなやり取りをしたときには、どこの店主も自分に押し付けるようにやれ新作だの、やれ出来たてだのと言って商品を差し出してきたので、アスターは自分で選ぶということをあまりしたことがなかった。
だからこうして、どれでも良いなどと言われると反応に少し困ってしまうのだ。
「じゃあ何か知ってるものを……あ、これ……」
困った末に、何か見たことのあるものでもあればそれを選ぼうと思い、並んでいる商品を一通り見てみると、この世界に来てから何度か食べて気に入っている物が目に止まった。
甘みと苦味のバランスが絶妙な、黒光りする練り物。
「これ、ください」
「あらぁ? まだお若いのにクロカマボコが好きなのねぇ。珍しいわねぇ。一つ五百クレジットよぉ」
「? そうなんですか? 食べやすいと思うんですけど……はい、五百クレジットです」
「味はぁ、そうねぇ……。でもぉ、やっぱり原料がぁ、あれだからぁ、若い人は抵抗があるみたいなのねぇ」
「原料?」
そういえば、原料についてあまり気にしてこなかった気がする。
エリカの説明でも、これはこんな風な味がしてこう食べると美味しい、なんてことしか聞けなかったし、食べられるならそれほど変なものは使っていないと思っていたからだ。
しかしよくよく考えてみれば、この黒光りする練り物が、一体何を練って作ったものなのか、非常に気になってくるところである。
「えぇ、クロカマボコはぁ、クロムシが原料なんだけどぉ、坊やはぁ、知らなかったのかなぁ?」
「クロムシ……?」
その名の通り、黒い虫なのだろうか。
確かに虫を食べるというのは若干抵抗があるかもしれない。
しかし、故郷にも蜂を美味しそうに食べるおばあさんがいたし、この世界の状況からすればそれが一般化していても不思議ではない。
それに、この味なら昆虫食も悪くないかなとアスターは思い始めていた。
エリカが差し込んだ、次の一言を聞くまでは。
「クロムシっていうのは暗くて湿度が高いところを好む夜行性の虫よ。地方によってはゴキとも呼ぶそうね」
「ご、ごき……!?」
ちょうど今買いとり、手にしたクロカマボコを、アスターは思わず落としてしまった。
その様子をみて、女性店員はあらあらぁと相変わらずの笑みを浮かべている。
エリカは自分がした爆弾発言をなんとも思っていないらしく、ケロリとした様子だ。
「やっぱりヒトの若者はそういう反応をするのよね。別に美味しいなら何でも良いじゃないの」
「いや、だって、あの、ごきっていったらカサカサで黒光りしてて、見るからに汚いって感じで……とにかく怖いよ!?」
「虫なんてどれも同じじゃないの」
「そうよぉ〜、虫は繁殖させやすいから安くて美味しい、いい食材なのよぉ。特にクロムシは本当によく増えてぇ、ありがたいんだからぁ」
「えぇぇ……」
血の気がさっと引き顔面蒼白になりつつある彼の前で平然としている女性陣二人を見て、彼女たちは本当に同じ人間なのかと、アスターは疑わざるを得なかった。
いくら加工してあると言っても、アレだけは生理的に受け付けない。
地面に落ちた食品も、その黒光りする見た目が段々とアレそのものに見えてきてしまい、目に入るのも耐えきれずもうこの場から立ち去りたいと、アスターは強く願った。
「そ、そうだ! エリカさん、早く用事を済ませよう!?」
慌てて、本来の用事を済ませようとエリカに催促する。
この店に寄ったのはアスターの勝手な理由だったから、これ以上ここに長居する理由もない。
食べ物を無駄にしてしまったのは申し訳ないとも思うが、しかし買い取ったものをどう扱ったとしてもこの世界の人々ならきっと文句は言わないだろうし、そもそもアレが原料なら誰も文句は言わないだろう。
「ええっとそれで、一体どこの誰に――」
しかしエリカはといえば、アスターが落としたクロカマボコを勿体なさそうに拾っている所だった。
全く、せっかくの食べ物を粗末にするなんて良くないわと呟きながら、地面に触れてしまった部分を何処からか取り出した刃物で器用に削ぎ落とし、美味しそうに食べ始めている。
その姿を見て、アスターは言葉と、食欲を同時に失ってしまった。
「うん、やっぱり美味しいわね。これなら大樽いっぱい食べたいくらいだわ」
「そ、そんなことより早く……」
食べ終えたエリカの言葉がアスターがさらにげんなりさせてきたので、彼はもうこれ以上この場にいられないと、自分の足でなんとか探してみようと身を翻そうとした。
「あらあらぁ? それは穏やかではないわねぇ。どんな味が好みなのかしらぁ?」
しかしあの合理的なエリカにしては珍しく、この店での世間話に興じるような気配が感じられた。
そのことがどうにも気になり、アスターは動き出そうとする足を止めて振り返り直し、彼女たちの様子を眺め始める。
「それについてはじっくり味わえる深みのあるものがいいわね。どうかしら」
「それはそれは……本当に穏やかではないわねぇ」
どうにも噛み合っているようで噛み合っていない二人の会話だったが、穏やかそうな女性店員の雰囲気がふわふわとしたものから、次第に剣呑そうなものに変化している気がした。
これは一体どういうことだろうか。
彼女たちは、味の好みに関する世間話をしているわけではないのだろうか?
「さ、行くわよ」
疑問に思っているうちに、女性店員が店に中へ消えていってしまった。
エリカもまた、淡々とした調子でどこかへ行こうとしている。
「えっと、行くって……?」
「決まってるじゃない。会いに行くのよ。もう面会の約束は取り付けたわ」
「え? 一体いつ、どうやって? 窓口っていうのは……」
「たった今、話していたでしょう。彼女が窓口なのよ。まさか私が世間話でもしていると思って見ていたの?」
どうやら、先程の『大樽いっぱい食べたい』というのが符牒になっているらしく、その後に聞かれる好みにどう答えるかで、大まかな用件を伝えるらしい。
女性店員の『穏やかではない』、という回答が貰えれば了承してもらえているとになるのだそうで、今回は今すぐに会えるということだった。
全く、一番ありえなそうだと思ってアスターが選んだあの店が、窓口になっているとは本当に驚きである。
確かにこれなら、知らなければ絶対に会えないだろうし、街に紛れ込んでいるというのも頷ける話だった。
隣にもっと怪しい店があるのに、あんなに無害そうな女性を怪しむ人間なんてそういないだろう。
感心している間にも、アスターはエリカに導かれるままに店の脇にある小さな路地を進んでいく。
普段はよほど人が通らないのだろうこの道は表の街路に比べて一層汚かったが、不思議と歩きやすいように片付いていて、かと言ってこの路地を歩く者の姿が外からでは見えないような入り組んだ作りになっている。
まるで、密談に向かう後ろ暗い者たちの素性を守るかのような迷路だった。
「ついたわ。ここよ」
五分ほど歩いた後に到着したのは、一見すると何もない場所だった。
別に行き止まりというわけでもないし、当然左右の壁に扉があるわけでもない。
しかしエリカがついたと言うからには、きっと目印になるようなものすら無いこの場所から会談場所へと向かえるのだろう。
「いい? 私が許可するまで一言も喋らないで。質問にはあとで答えるから。賢いあなたなら分かるわよね」
一体どうやってその場所へ行くのか聞こうと口を開きかけた途端、彼女が釘を刺すように強く言ってきた。
まさか自分が聞こうとしことが分かったのかと少し驚いたが、エリカがこんな風に言うのならきっと意味があるに違いないと、黙って頷いた。
アスターが分かったとも言わずに黙って了承の意を示したことに満足したのか、少しだけニコリとしたあと、エリカは壁に向かって四度、軽くノックした。
――。
しかしノック音に反応する音はない。
反応するまでにもしかしたら少しだけ時間がかかるのかとも少しだけ思ったが、数十秒待ってもしかしやはり返事はない。
流石にだんだん雲行きが怪しく感じられ、なにか間違えているのではないかと不安な眼差しでエリカを見つめる。
けれど彼女は特に困ったような素振りを見せておらず、こうなることを知っているかのようだった。
不安ばかりが募っていく沈黙が続くこと、実に三分。
ようやく時が動き出したかのように、返事が返ってきた。
――トン、トン。
それと同時に、壁が音もなく左右に割れ、そこに新たな空間が表れた。
「もう喋って平気よ。入りましょう」
おそらくこの場所の符牒は言葉ではなく、『合図があるまで喋らずに待ち続けること』なのだろうとアスターは当たりをつけた。
そして同時になんとなく、これほどまでに用心深い人物であれば確かに信用はできそうだとも思った。
開いた壁を抜けた先は何処かの家の中のようで、雑然とした廊下が続いていた。
一見しただけでは本当にただの民家の内部としか思えないが、歩くたびに僅かに音が鳴り響くようになっていることに気が付き、ここが確実に普通ではないということが理解できた。
そのままエリカについて歩いていくと、小さな部屋にやってきた。
この扉を開けるのはどうやら自由らしく、何の躊躇いも合図もなく、彼女が扉を開き、その中に足を踏み入れていく。
「やあやあ、お客様よ。この世界で揃えられないものは何一つ存在しない、メフッタのフェリへようこそいらっしゃった。さて、今日はどんなご相談かな?」
部屋の中で待っていたのは、アスターがよく見慣れている小奇麗なスーツに身を包んだ男だった。