#014_街と人と、人類資源管理局
到着した車はそのまま門を通過するのかと思ったが、どうやら乗員は全員降りて確認を受けなければならないようだった。
「結構厳重なんだね」
「そうでもないわよ。単純に変なのが街に入ってきたら困るってだけ。よっぽどのことがなければ普通に入れるわ」
それならよかったと答えながら、案内されるままに歩いて門を通過しようとする。
何台ものカメラと、何人かの門衛の視線に晒されるのを感じるが、エリカの言葉を信じてアスターは極力普通でいようと心がけた。
「おい、ちょっと止まれ」
しかし彼の物語は、普通というものを決して許してはくれないようだ。
男の一人がなにかに気がついたようで、アスターたちに足を止めるよう指示してきた。
「僕ですか?」
内心とてもドキドキしながらも、ここで焦っては変に疑われるだけだろうと、心外だなという雰囲気を出してみる。
エリカも彼が呼び止められたことに少し驚いたようで、一緒に足を止めて事の成り行きを見守ってくれるみたいだ。
「お前と、あとそっちの女もだ。ちょっと首元をよく見せてみろ」
完全武装した男はそう言って小銃を握り直しながら、ちょんちょんと自分の首に指をさすようなジェスチャーをした。
「首?」
エリカも一緒に声をかけられたことが少し意外だったが、それよりも何故首を見せろと言われているのか分からず、思わず首をかしげてしまう。
図らずも、それで男の要求通りにしっかりと首が露わになったようだ。
「やはり首輪なしか……それに見ない顔だ。誰かこの男の素性を保証できる者はいるのか?」
小銃の男は一層警戒を強めたように語気を鋭くしながら、先に歩いていた商隊の面々に向かって大声で叫ぶ。
だが残念なことに彼らもアスターのことはあまり知らなかったので、互いに顔を見合わせながら首を振るだけだった。
「ああ、ごめんなさい。私も付けていなかったわ。これでいいかしら」
こんなときに助け舟を出してくれるのは、やはりエリカだった。
彼女は何処からか黒い小さな輪っかを取り出すと、それを首に取り付けた。
銀色の刺繍が縫い込まれていて、彼女にとてもよく似合うチョーカーだ。
「その色……それにその刺繍……まさか!!」
それを見た警備の男たちの態度の変わりようは、まさに豹変と言うにふさわしいものだった。
強気さは霧散していき、何か恐れるような、あるいは敬意を示すような色が浮かび上がってきた。
「ええ、そのまさかよ。首輪は嘘をつかないわ」
対するエリカは平然とした様子で、何が何だか分からないアスターはすっかりその場から忘れ去られているかのようだった。
「失礼しました。まさかこんな商隊にあなたのようなエンシスのお方が同行しているとは思いもせず……」
「別にいいわ。私も首輪を付けていなかったもの。それにそういう態度はあまり好きではないわ。エンシスだろうと、ヒトだろうと、私だろうと、あなただろうと、偉い人間なんて一人だっていやしないわ」
「いえ、確かにそうですが、これは個人的な感情もありまして……」
「そうなの。それより、こっちの男は私が保証するから入っていいわよね」
「あ、はい。印付きの方の保証であれば私でなくとも異を唱える者はこのメフッタにはいないでしょう。どうぞお進みください」
話がまとまり、エリカはさっさと門を通り抜けようと歩き出す。
アスターは少しの間戸惑っていたが、彼女のツカツカという足音にハッと気がつき、不安そうな顔をしながらも慌てて追いかけていった。
そんな彼らの背中を、小銃を下ろした男たちが神妙な眼差しでいつまでも見守っているようだった。
「ねえ、さっきの……」
駆け足で追いつき、門を抜けながらエリカに聞こうとしたところでアスターは言葉を失ってしまった。
飛び込んできた光景が、予想していたものとは全く違っていたからだ。
行き交う人々。
よく踏みしめられ、平らに均されたあまり硬くなさそうな地面。
乱立する建築物は素材こそまばらで継ぎ接ぎだらけだが、多くの人間がこの街で生活していることを物語っている。
声を上げながら歩き回っている、あの大きな箱を背負った男は物売りだろうか。時折立ち止まり、呼びかけられた人と手渡しで何かを交換しあっている。
路地の端の方では誰かが音楽を奏で、立ち聞きする人は楽しそうにお金を彼に投げ渡している。
小さな子どもたちが、ボロボロになった服を更に汚しながら駆け回っている。
一言で言うなら、雑多。
それが第一印象だが、それゆえにメフッタは紛れもなく活気に溢れた街だった。
リジーマに感じた、世界に抗いながらなんとか生き延びているという雰囲気は一切ない。
この街の中では、誰もが外の世界を忘れて人生を謳歌しているのだ。
限りある資源を最大限に活用し、余りある時間を目一杯楽しむことに、あるいは明日を生きるための糧を稼ぐために費やしている。
それらは決して、そう、決して愉快なものばかりではない。
よく見てみれば疲れ切った表情で座り込んでいる者もいる。
あるいは楽しげな声に紛れて、怒声のようなものも時折聞こえてくる。
追いかけっこでもしているのかと思いきや、なにか悪いことでもしたのか物凄い剣幕の大人に追いかけられ必死に逃げているような子供だっている。
少し見ただけでもこれだけの事がわかるのだ。
きっと実際には、もっと大変なことが――アスターにはまだ想像もつかないような大変なことが――溢れているに違いない。
けれどそれでも、この街は――人々は生きている。
豊かではなくとも、どんなに不自由があろうとも。彼らは自由で、何より豊かな人生を送っているようだった。
「なに?」
言いかけた言葉の続きがいつまでたっても聞こえてこないことにしびれを切らしたのか、立ち止まるアスターに不満をぶつけるかのような口調でエリカが催促してきた。
ハッとして、何を聞こうとしていたのかを思い出す。
「ええと、ごめん。聞きたいことがあったんだけど街が随分賑やかで驚いちゃって……」
「そうね、リジーマに比べればメフッタは栄えているわ。ここはクレイシアの傘下だから当然といえば当然ね」
「クレイシア?」
聞き返すと、そういえばあなたは知らないのね、とエリカが丁寧に解説を始めてくれた。
いつもいつも本当にありがたいことである。
「人類資源管理局、クレイシア。一体いつからこれがあるのかはあまりハッキリとした記録が無いのだけれど、随分昔からこの世界でかなりの力を持っている企業よ。超効率の動力源として普及しているエナージュの管理および再充填事業、食料生産工場の管理事業、廃棄資源の洗浄および再利用可能な状態への再整形事業、ネーヴァの管理事業などなど、手がけている事業は挙げきれないほど。この世界で多くの人類が生きていられるのはクレイシアのおかげと言っても過言ではないわね」
「そんなすごい企業が……それってもう、統一国家になっているようなものなんじゃ?」
「それは違うわね。彼らが言っていることを復唱するなら、『我々は我々の目的のために取引材料として人々に数々の技術を提供しているだけ。政治家の真似事をするつもりは毛頭無いし、ましてや慈善事業などやってやろうなんて気持ちは荒野の水源よりも持ち合わせてない』、だそうよ。あくまで人々とは企業と顧客の関係でいたいみたいね」
クレイシアもお金が欲しいから独占している技術をうまく売っているだけ、ということなのだろうか。
やっていることのスケールとしては、国を作るのと何が違うのかいまいちピンとこないアスターだったが、クレイシアのおかげでこの荒廃した世界でも人類が存続出来ているという事実だけはなんとなく理解できた。
「あれ? でもそうすると、どうしてリジーマはあんなに貧しいのかな。リジーマもそのクレイシア? の傘下に入ればこの街くらい豊かになるっていうことだよね」
純粋に疑問に思ったことを口に出すと、エリカは首を振っていた。
何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。
「そんなの、気に入らないからに決まっているでしょう。確かにクレイシアの言い分じゃ、市民とクレイシアの立場は対等な取引関係にあるわ。けれど現実はそうもいかないでしょう。クレイシアのおかげで生きていける。だから、市民は彼らが何か無理を言ったとき、強く拒むことが出来ない。この街の防衛体制だって、大部分がクレイシアの提供が占めているの。力関係は自然と決まってくるわ。そんな肩身の狭い生き方、したくないって考えるのはおかしいかしら?」
「そっか……いろいろあるんだね」
知った上で改めて観察した街の様子は、しかし何も変わらないように見えた。
助けてもらうことで、抑圧される生き方。
本当にそんなものがあるのかと、アスターにはまだ分からずにいた。
「まあでも、そうね。リジーマだって全くクレイシアと関わりがないわけじゃないわ」
「そうなの?」
「クレジット、あるでしょう。あんな紙切れがどうして価値を持っていると思う?」
「え? えーと、紙幣っていうのは銀行が発行して、それで……」
「単純な話よ。クレイシアがクレジット紙幣を発行しているの。それで、決められたレートであらゆる資源と交換してくれるのよ。つまり、クレイシアがその価値を担保してくれてるってわけ」
「つまり……クレイシアは銀行業務もやっているってこと……?」
「間違いではないわね。でも大事なことは、クレイシアがそれだけ信用されているということよ。こんな紙切れじゃ何も作れやしないのに、みんな当たり前のように食料だって物資だって、はたまた人身だってクレジットで取引する。関わりたくないと思っても、これだけ流通したものを否定することまでは流石にできないわ」
なんとなく、アスターはポケットを探ってしまう。
そこには何枚かのクレジット紙幣があった。
お金だからと言われて受け取り、当たり前のようにその価値を信じてしまっていた紙切れ。
だが実際には、そんな当たり前ですら理由があってのことだったのだ。
少なくともこの世界にいる間は言われたこと全てを信じるのはやめたほうが良いのかもしれないと、アスターは指先の感触から考えたのだった。
「っとそうだ。聞きたいことは他にあるんだった」
何気ない発言から新たな知識と教訓を得たアスターだったが、元々聞きたかったのはこんなことではないことに気がつき、ポケットから手を出した。
エリカも、そういえば話を脱線させてしまったわと少しだけ申し訳なさそうな顔つきだ。
「えっと、そのチョーカーにはどんな意味があるのかな。さっきそれを見せたらあの人達の態度が急に変わったけど」
視線を彼女の首元に向けながら問いかけると、エリカは手を首にあてながら答えた。
「これは首輪ね。正式名称は……人類資源管理局発行登録人類認識用信用度表明環、よ。長すぎるから誰も正式名称で呼ばないけれどね」
彼女が唱えた正式名称は全く頭に入ってこなかったが、多分何度聞き直したところで意味がなさそうだった。
彼女もそれが分かっている風で、その呪文だけはやたら早口で唱えていたからだ。
「ええと……それで?」
頭上にはてなを浮かべながらも、とにかく首輪の説明の続きを催促してみることにする。
「クレイシアが信用されてるってのはさっきも言ったわよね。そのクレイシアが、信用できる人間に対して発行しているものなの。種族と、信用度合いがひと目で分かるようにね」
「うーん?」
「私のこれの場合は黒地だからネーヴァ・エンシス。さらに銀色の刺繍が彫り込まれているから最上級顧客っていうことね。ヒトなら深緑だし、一般ネーヴァなら灰色よ」
チョーカーが持っている記号がどんな意味を示すのかを説明されても、アスターにはまだピンときていなかった。
それがきっと顔に出ていたのだろう。
ふうと一息ついて、エリカがさらに続けた。
「知らない街に行った時、誰も自分が信用できる人間だなんて証明できないでしょう? それをクレイシアがやってくれるっていう、それだけの仕組みよ。確かに街から一歩もでない人にはそこまで必要でもないけど、私みたいな流しの傭兵や定期的に取引のために外に出る商人なんかにはとても便利なものよ」
そこまで聞いて、ようやく理解できた。
確かにリジーマに入るときも怪しまれたし、さっきだって素性を保証できる別の信用できる人物を求められていた。
おそらく、この世界では本当に他人というものは信用出来ないのだろう。
だからこそ、誰もが信用しているクレイシアに保証してもらうのが、最も早くて最も確実なのだ。
商隊のおじさんが似合わないチョーカーを付けていたのは、お洒落でもなんでもなくて、単に必要だったからに過ぎなかったということだ。
「じゃあ僕も……首輪があったほうが良いのかな」
「あったほうが便利なのは確かね」
取得できるかは保証できないけれど、とエリカは付け加える。
確かにそうなんだろう。
信用の証なのに、誰でも手に入るならそれこそ信用できない。
しかし、これから先どれだけ旅が続くのかも分からない。
他の街に入ろうとするたび、いちいち止められてしまっては大変だろう。
だからもしも手に入れる方法があるのなら、きっと手に入れておくべきなのだろう。
そこまで合理的に考えて、改めて首輪を付けているエリカの顔を見る。
彼女はあまり首輪が好きではないらしく、そろそろとってもいいかしらなどと呟いている。
街を行き交う人々の首元を見てみれば、付けている人も付けていない人もいる。
だがなんとなく、付けている人たちは安心しているような雰囲気を醸し出していた。
そしてそんな彼らの顔を全て見た上で、アスターは自分の気持を優先することにした。
「……いや、取れたとしてもやっぱり良いや。なんだか、この世界でずっと生きていくみたいな気がしちゃうから」
信用の証明より、自分の首をこの世界に縛りつけられたほうが、よっぽど息苦しくて大変になりそうだと、アスターは感じたのだ。
彼の判断はエリカにどう聞こえたのだろうか。
良いとも悪いとも言う顔ではないが、どちらかといえば好きな判断だと言ってくれそうな微妙な笑顔を浮かべていた。
「それならいいわ。これ以上知っておきたいことが特にないようなら、やるべきことを早めに済ませることにしましょう。彼らはクレイシアよりも信用できるけど、気まぐれなところもあるから」