#013_メフッタの街へ
「えっと……エリカさんは大丈夫なの?」
「何がかしら」
荒野を走る大型貨物装甲車に揺られながら、アスターは問いかけていた。
「その、僕と一緒にリジーマを出てしまって。雇われているんだよね、あの街に」
「ええ、問題ないわ」
今、彼らはリジーマから隣の街、メフッタに向かう商隊に同行して移動している。
目的は当然、紋章について調べるためだ。
先日エリカに話を聞いたところ、どうやら隣の街はそれなりの規模らしく、多分目的の人物にも会えるだろうとのことだった。
なのでまずはメフッタに行くことに決めたのだが、まさか彼女も一緒についてきてくれるとは思わなかったのだ。
「別にあなたのためについてきたわけじゃないわよ。ちょうどメフッタに行かなければならない理由ができたから、ちょうどよいと思っただけ。そもそも、あなた一人じゃこの商隊にだって乗せてもらえなかったでしょう」
「う、それはそうなんだけど……」
商隊の車に乗せてもらうのだって当然タダと言う訳にはいかない。
燃料や護衛の依頼など、移動するだけでもそれなりに費用がかかるのだ。
だから相応の代価が必要になるし、それを支払うのにアスターの所持金では少々心もとない所だった。
しかし幸か不幸か、彼らが雇っていた護衛部隊が先の戦闘で負傷したため、護衛役がいなくなっていたのだ。
そこで登場するのがエリカである。
彼女は護衛料を割り引く代わりに、アスターを無料でメフッタまで乗せてやってくれと交渉してくれたのだ。
もちろん、たった一人積み荷が増えるだけで彼女ほどの手練れが安く雇えるのに断る理由もなく、こうして二人で乗り込むことに成功したわけである。
「それにね、確かに私はリジーマに雇われていたけれど、実際には随分前に当初の契約期間は終わっていたのよ。生活するのに悪くない場所だったから、そのまま残って追加で仕事をしていただけ。彼らだって全く自衛が出来ないほど弱くはないし、ちょうど良い機会だったと思うわ」
「そっか、みんなこの世界で生きているんだもんね……」
そう言って、アスターは小さな窓から外の様子を眺め始める。
流れていく景色はどこまでいっても乾いた土の色で、緑なんてほとんどない。
こんな土地に住みやすいも悪いも無い気がしたが、それでも彼らにとっては何かが違うんだろうし、敵だらけのこんな世界でも生き続けられるほど、きっと彼らは強いのだろう。
「ところであなた、その服でメフッタに行くつもりなのかしら」
しばらくの無言が続いたのち、ふと思い出したかのようにエリカが呟いた。
言われて、外光に照らされた自身の服装を見直してみる。
アスターが着ているのは襟付きの白いシャツに、軽くて丈夫な素材で出来たスラックス、そしてシンプルな革靴という組み合わせで、故郷クランエではごく一般的な格好だ。
特に上等な代物ではないが、動きやすい割に見た目が整って見えるからと、普段はもっぱらこういう服装しか彼は着ていない。
時折地味だなどと言われることもあったが、あまりお洒落というものに興味を持てなかったので変に悪目立ちしないのならそれでいいかなと思っていたくらいだ。
もっとも――。
「確かにだいぶ汚れてきてるけど……ダメかな?」
普段は清潔感漂うそれらも、今では随所がだいぶ汚れてきてしまっていて、真っ白だったシャツもまだら模様だ。
洗濯する機会なんてなかったし、そもそも自分の服装にあまり頓着していないアスターが、ここ数日のドタバタで自分の身なりがひどくなってきていることなど、気にするはずがなかったのだ。
しかしアスターが言ったことはどうやら見当違いだったらしく、エリカは小さくため息を付きながら首を振っていた。
「そういうことを言っているんじゃないわ。むしろ汚れてきてよかったと言いたいくらいね」
「どういうこと?」
「あなたね……周りの服装と自分の服装を比べて、なんとも思わないの?」
「そんなこと気にする余裕今までなかったから……」
申し訳なく思いながらも、しかしそうまで言われてしまってはとりあえず他の人の服装を見てみるしか無いと、周りを見回そうとする。
けれど残念ながら商隊の人々はエリカたちに気を使っているのか、あるいは怖いのかはわからないが皆別の車両に乗っているようだった。
運転席もここからでは見えないし、異性であるエリカと見比べたところであまり参考にはならないだろうと、見比べることを諦める。
そんな彼の様子をみてしょうがないとでも思ったのか、エリカは再び小さくため息をついて説明し始めた。
「いい? あなたの服は上等すぎるのよ。そんな服、一般人が着られるわけないわ。多少汚れたところで高級品であることには違いないんだから、そんな格好で一人で街を歩いていたら襲われて身ぐるみ全部剥ぎ取られるわよ」
「商隊の人たちが変な目で見てたのはそのせいなんだ……」
言われてようやく納得がいった。
なんとなく、珍しいものを見るような目で見られていた気がしていたのだ。
その時は単純にあまり見かけない顔だと思われてるのかなくらいにしか思っていなかったが、この世界の状況を考えれば確かにクランエでは普通の素材でも、充分に高価な素材になってしまうのだろう。
「でも困ったな。服を着替えたほうが良いのはわかったけど、肝心の替えがないよ」
「ちょうどいいじゃない。ここに商人がいるんだから、買っちゃえば。着ている服を買い取ってもらえばお釣りが返ってくるわよ」
なるほど、それは賢いやり方だとアスターは感心した。
悪目立ちする服を処分できる上、どれほどの金額がつくのかはわからないが路銀を稼ぐことも出来る。
エリカの言うことが本当ならこんな格好で街を歩いただけできっと危ないことになるのだろうし、商隊しかいないここで替えてしまえば危険もほとんど無くなる。
「そうだね、次の休憩時間にでも頼んでみようかな」
その日の夕方、日が落ちるので移動は中断して野営をしようということになったので、早速商隊のおじさんに声をかけて服を譲ってもらうことにした。
最初は怪訝な顔をしていた彼だったが、いま着ている服を代わりに買い取ってほしいと提案すると、みるみるうちに笑顔になり、心なしか鼻息が荒くなっていたようだった。
ガタイの良い短髪の――しかも流行っているのか知らないが、チョーカーなんてつけている――おじさんが興奮している様子は、人の良いアスターでも少し近寄りがたいなと思うくらいだった。
「あら、似合っているじゃない」
三十分後、詰め寄ってくる年上の同性に貞操の危機を感じたり、同じ商隊に参加している何人かの商人同士で多少の揉め事があったりなど、決して穏やかだったとは言い難い一時を過ごした後、なんとかこの世界らしい衣服を手に入れることに成功した。
買い取ってもらった服は思いの外高い値段がついたので、懐も随分と温かくなったのは嬉しい誤算だ。
「そうかな?」
「ええ、その方がよっぽど整備士らしいわ」
肌着として内側に着る薄手のシャツと、随分丈夫そうな作りのジャケット。
ズボンは重たいが不思議と動きやすい、ポケットの随分多い代物。
どちらも色合いは深くくすんだような緑色になっていて、これはあとから染めたのか元々そういう色合いの素材なのかはよくわからないが、とにかくこういう色味の衣類が多いようだった。
靴はエリカも履いているような、岩を落としても潰れなそうなくらい重厚な黒いブーツ。
まだ履き慣れていないので少し歩きにくいが、革靴で整備されていない地面を歩くのが少し辛いとは感じていたので、その分を差し引きすればこちらのほうが良さそうだなとアスターは思った。
「お金は色んな場所に分けて隠しておくと良いわよ。あんまり大金を持ってるってバレると結局狙われるんだから」
「分かった。色々教えてくれてありがとう」
「……別にいいわよ、それくらい」
今度の反応は、きっと照れ隠しなんだろうなとアスターは確信した。
何かと感情の読めないところの多いエリカだが、さすがにこれは彼女が持っている数少ない親切心の一つからきたものに違いない。
本当に合理的なだけの機械なら、聞いてもいない助言なんてするはず無いし、アスターの今の格好を似合っているなんて言うわけがないからだ。
「さあ、あなたは早く寝ておきなさい。ヒトはもう寝る時間よ」
一通り服装におかしなところが無いか確認し、お金を隠すならどこが良いのかなど簡単に教えてもらい終えると、エリカが切り出した。
辺りはすっかり暗くなっていて、ランタンの灯りが随分眩しく感じるほどになっていた。
「エリカさんは寝ないの?」
「私はネーヴァよ。毎日寝る必要はないし、寝る必要があったとしてもせいぜい一時間程度しか眠らないわ。それに私は護衛役。夜は皆を守る仕事があるの」
こういう言葉を聞くと、やはり彼女は機械なんだなと改めて思い知らされる。
そういえば――ふと、アスターは考える。
リリィも生前はあまり睡眠時間が長くなかった印象がある。
あれはやっぱり、彼女もネーヴァだったから、眠る必要性があまりなかった、ということなのだろうか。
もしかしたら、僕たちに合わせて夜は静かにしていてくれただけなのかもしれない。
エリカを通してネーヴァのことをもっとよく知ることができれば……。
なんとなく、こうしてエリカと過ごせるのは最悪の中でも運が良かったことなのかもしれないと、アスターは少しだけ嬉しい気持ちになっていた。
「……ありがとう、おやすみ」
自然と漏れ出た、何度目か分からない感謝の言葉を述べ、アスターは車内の椅子に横になる。
「ええ、おやすみなさい」
挨拶を返した声は彼の寝息を確認することもなく、そっと、その場から離れていった。
それから二日後、道中で時折ミレスの小さな群れを撃退しつつも、一行は無事にそびえ立つ巨大な壁のもとにたどり着いた。
「……ここが」
到着の知らせを受け、思わず車の天井扉を開いて外に身を出すアスター。
見上げる壁はとても大きく、リジーマでみたものよりも更に厳重な防御態勢が敷かれているようだった。
随所に設置されたレンズが一斉にその向きを変え、やってくる者たちをじっと見つめている。
そしてその動きに連動するようにして、壁から生えている筒状の機械が――外敵排除用の銃器が――不審者であれば即座に射抜く準備ができていると、客人たちを無言のままに威圧している。
「ええ、西方商業都市、メフッタよ」