#010_センチピード
センチピード――通称"多脚"。
複数の同一形状のユニットが連結したムカデ型の大型個体である。
最大の特徴は各ユニットが独立して行動可能という点にあり、ユニット同士が自由自在に分離・結合できる。
この性質から、センチピードを討伐しようと思ったなら最低でも五人編成の小隊を三つは用意しろと言われるほど、極めて危険な個体だ。
それを知っているからこそ、男は絶対的な強者というものがどれほど自分たち凡人とはかけ離れた存在であるかを実感してしまった。
たった一人でセンチピードに戦いを挑もうとしている少女の、あの余裕そうな佇まい。
武器は手にしていても決して身構えてはいない。
相手の出方をうかがっているというよりは、かかってくるのを待っているかのような緊張感のなさ。
いや、そうか、そうだったのか。
少女がセンチピードに戦いを挑もうとしているのではなかったのだ。
センチピードの方が、少女に戦いを挑もうとしていたのだ。
圧倒的、絶対的な強者としてこの世界に君臨する少女こそ、この戦場の支配者。
なればこそ、少女はこう言ったのだ。
――命あるものならば抗ってみせよ、と。
不意に少女が一歩踏み出した。
しかしそれだけだ。
敵に少し近付こうと、歩いただけ。
ただそれだけであの意思のない巨大なムカデのマキナが後退りした。
無論、感情のないミレスがそんな動きをするはずがない。
そう見えてしまうほど、男には少女とセンチピードの戦力差が絶対的なものに感じられてしまっていたのだ。
存在しないはずの恐怖心に襲われたセンチピードが先手を取ろうとしたのは必然だったのかもしれない。
実力で劣っているのならば、少しでも差を埋めるために利をとるのだ。
持ち上げた頭部の先端、ちょうど顎に当たる部分が怪しく光を放ち始める。
――あれはまずい。
もはやただの観客と成り果てた護衛部隊のリーダーがそう思ったときにはもう攻撃は終わっていた。
なんの危機感も抱いていなかった剣の乙女が立っていた位置が、爆ぜた。
視認不可能な超高速の、光速での攻撃。
いわゆるレーザー兵器の一種だと言われているそれは知覚することを決して許さず、発動したときには結果だけが残っているという必殺の一撃だ。
爆発を起こし砕け散った地面が砂煙を巻き起こし、その中には少女の影一つ残っていない。
強者だと思われた少女でも不意打ちにはかなわないのかと、男は悲嘆する。
一度は救われた命も、彼女がいなくなってしまえばまた風前の灯。
結局、他者による救済などこの世界で期待できるはずがなかったのだ。
【風剣】などという噂は本当にただの噂でしかなく、少し強い程度の少女が持て囃されていただけなのだと、男は諦観した。
どうせなら夢を見たままで逝きたかったなと、彼らしくもない思考に至っていた。
しかし。
「いくら攻撃そのものが早くても予備動作が遅すぎるわね。それで本当に私を壊せると思っていたのかしら?」
もう聞くことは出来ないと思われていた凛とした声が戦場に響く。
どこかがっかりしたような声。
あるいは淡々と事実を告げているだけの至極平坦な声。
そして、自身の勝利は揺るぎないものと確信している、自信に満ち溢れた声。
砂煙が晴れた地点には確かに少女の姿は欠片一つ残っていなかった。
しかし、少女は既にセンチピードの背後に回っていた。
剣に手を添え、敵の装甲を完全に間合いに捉えながら、傷一つないその姿を晒していた。
一体いつの間にあれだけの距離を移動したのか。
そもそも男は一瞬たりとも彼女の姿を視界から外したつもりはなかった。
レーザー攻撃の予兆に驚きはしても、彼とて立派な戦士の端くれ。
注視すべき対象から目をそらすなんて世界が滅びても決してするはずがないのだ。
だというのに、彼女は一体いつ移動したのだろう?
「言葉を持たないマキナと会話をしようとしたって無駄ね」
そう呟くと、少女は横薙ぎの一閃を放つ。
一切のブレのない、真っ直ぐで鋭い一撃。
熟練した剣士の剣閃だが、目で追えないほど早い一撃ではない。
あの程度の攻撃で分厚いミレスの装甲を切り裂けるはずがない――観戦者の誰もがそう思った。
しかし、現実はいつだって常人の予想を凌駕し続ける。
超重量の巨大な身体が地に落ち、大音量が男の鼓膜を襲った。
まるでクロカマボコにでもナイフを入れているのかのように、刃が装甲を切り裂き、センチピードを文字通り一刀両断したのだ。
「おいおい……振動徹甲弾でも難儀するセンチピードの装甲を一撃で真っ二つかよ……」
通常兵器でこの化物を破壊しようと思ったら、振動徹甲弾と呼ばれる極めて破壊力に優れた特殊弾頭を何発か用いて内部にダメージを蓄積させ、ユニットの機能不全を起こさせるのが最も効率良いと言われている。
それでも一発あてた程度では完全に装甲を貫くには至らず、同じ場所に何度も当てればなんとかという具合なのだ。
にもかかわらず、少女はただ剣を一振りしただけで、いともたやすく切り裂いてしまった。
横たわる二つになった機体。
断面には潰れたあとが一切なく、彼女の剣の切れ味の良さを示している。
「あら、あっけないわね。もう少し楽しみたかったのだけれど」
剣を鞘に納め、物足りなそうに呟く少女は倒した敵には一切目もくれずのんびりと歩き出す。
結局、彼女とセンチピードでは戦いにすらならないのだろう。
争いとは、同じレベルの者同士の間でしか起こりえないのだから。
「さて、死なれても取り立てに困るし要救助者の応急手当くらいはしておこうかしら」
どうやら彼女は既に救助の代価をもらうことを考え始めているようだ。
完全に状況は終わったものとして、のんびりとした足取りで傷つき倒れている護衛部隊たちの元へ近づいてくる。
そんな彼女の様子に心強さを感じながら、護衛部隊のリーダーは激しい焦燥感を同時に覚えていた。
「おい――まだ終わってない!! 後ろだ!!」
とっさに叫ぶ男。
一体何のことかと、とぼけたような顔をする少女。
言葉の意味をまだ理解していない彼女の背後に、倒したはずの機体が――二体のセンチピードが迫ってきていたのだ。
あの二体は、少女が両断してしまったセンチピードだったものだ。
彼女は綺麗に身体を横に真っ二つにした。
だがそれはあの厄介なムカデを倒したということには決してならない。
なぜならば、センチピードの身体は複数のユニットが連結して構成された、言うなれば群体だからだ。
壊れた部位を切り離せば、それだけでまた活動を再開できる。
当然今のように、再連結せずに二体のセンチピードとして活動することだってできるのだ。
今度ばかりはもう駄目だと男は思った。
二体のセンチピードによる十字攻撃。
予備動作さえ見ていれば確かに彼女には避けられるのかもしれない。
けれど完全に油断して、背後を二体に取られてしまってはどうしようもない。
再びムカデの顎が怪しく光を放ち、一撃必殺のレーザーが照射される。
「ああ……だから言ってるじゃない。遅すぎるって」
風が吹いた。
ほんの僅かな、頬を撫でる程度のそよ風だ。
けれどそのそよ風に人を包み込む優しさはなかった。
一言で言うならば、死の風。
触れるあらゆる者を切り裂き、しがみ付く生の大地から吹き飛ばさんとする暴風。
命なき機械の命すら刈り取る、死神の鎌。
そしてこの風こそが、彼女の名の所以――【風剣】そのものだった。
一体何が起きたのか。
男にわかったのは、一撃必殺の攻撃を放ったはずの二体のセンチピードが全く同じタイミングに割れた、ということだ。
それぞれ縦に、今度こそ再び活動することが絶対にできないように。
「全く、私に速度で勝負を挑むなんて最近のミレスは学習能力も落ちたのかしらね?」
いつ抜いて、いつ斬ったのか。
予備動作すら認識できない速度で斬り終えた彼女が剣を再び鞘に納める。
その姿だけを見て、傍観者の男はただ一言、こう思った。
――ああ、あれが女神ってやつなんだなあ。
【風剣】。
それはある少女に付けられた二つ目の名前。
彼女が戦場に立つ姿はどんな噂よりも美しく、彼女の強さはどんな噂でも語り尽くせない。
男は後に語り歩くだろう。
誇張しようがない、本当の【剣の乙女】の強さの話を。