4.大使館
「というわけで英下衆国に到着だ」
飛行機に乗りようやく到着した英下衆国。
やはり国が変われば雰囲気も異なるもの。
独特の匂いを吸い込み、俺は大使館へと歩き出す。
「ようこそようこそ。憲伸くんだね」
出迎えるのは初老の男性。
彼が大使館の責任者。全権大使である。
「お世話になります。さっそくですが、奈美の件について、知っていることを教えて欲しいのですが」
「うむ。奈美くんの件は不幸な事件だった。といっても、私も何があったのかは知らないのだよ」
英下衆国における邦人の保護。
それを主目的とする大使館が、いささか情けないのではないか?
「奈美くんの留学について、大使館は無関係だからね。私は会ったこともないよ」
だが、俺は英下衆国に着いたなら、まずは大使館を訪れろと聞いている。
奈美も大使館を訪れたのではないか?
「それは誤解だよ。留学と大使館。最強武闘大会と大使館は何の関係もない」
それでは、今回、俺が大使館に来た理由は?
「もちろん。奈美くんの件があったからだよ。大使館としては邦人を保護する目的がある。最強武闘大会に参加する者が危害を受ける恐れがあるのであれば、バックアップしようというわけだ」
ということであれば、これ以上。
奈美について聞いても無駄である。
「分かりました。それでは英下衆大学のこと。最強武闘大会のこと。聞かせてもらえませんか?」
「うむ。その前に」
大使館員が見やるその先。
ソファーから立ち上がる1人の女性の姿があった。
「はじめまして。撫子といいます。よろしくお願いします」
一礼するその立ち居振る舞いが美しい。
撫子というだけあって、大和撫子なのだろう。
この俺ですら、一瞬、目を奪われるのだから大したものである。
撫子の一礼にあわせ、俺もお辞儀しようとする寸前。
「彼女が奈美くんに代わり、英下衆大学へ留学。最強武闘大会へ参加される撫子さんだよ」
……なんだと?
俺はその身体の動きを止めていた。
この女が、本来ならば俺が選ばれるはずだった代表の座。
それを横から掠め取った泥棒猫だと?
折ればひしゃげそうな細身の身体。
いかにも上品な娘さんといった雰囲気をまとう彼女が、剣術甲子園3連覇。
いまだ負けしらずの黄金ルーキーで天才剣士だというのか?
「……憲伸だ」
俺は一礼を取りやめ、ぶっきらぼうに名前を告げるに止める。
常に礼儀を忘れない謙虚な男。超・天才剣士。憲伸。
しかし、相手が泥棒猫だというのなら話は別である。
どう見ても良いところのお嬢様であろう撫子。
その身にまとう服飾から見ても、金などいくらでも有り余っているという高級感。
お前の留学費用を俺に寄こせという。
「? どうかされましたか?」
可愛く小首をかしげる撫子。
おのれ。
どうすれば自分を可愛く見せることができるのか?
男心を知り尽くしたであろう、その仕草。
まちがいない。
こいつは、幾百幾千の男をくわえたビッチだと、俺の勘が告げている。
「挨拶もすんだところで、まずは大学について説明しよう」
大使館員の説明によると、英下衆大学は4年生。
構内への出入りには学生証が必要とのこと。
講義は好きな科目を自由に選択。受講する。
学年末や卒業の際には、レポートの提出で合否が判断されるという。
俺たちが留学するのは、10月から12月末まで。
進級も卒業も関係ないため、事実上、講義は全く受けなくとも問題ないわけだ。
「ですけど、英下衆の講義がどのようなものか、興味がわきますね。憲伸さんはどうされます?」
そう言って、隣のソファーに腰をおろした撫子が俺の肩を優しく叩く。
おのれ。
軽々しく異性の身体に触れるなど。
早くも俺を誘惑しようと。そういうわけか?
だが、俺を普通の男と侮ったのが貴様の敗因。
俺は超・天才剣士。
剣術以外に興味などないからして、貴様の媚びた態度の全てが全くの無駄である。
「撫子くんの学生生活については、協力者を用意している。入ってくれ」
大使館員の合図で部屋のドアが開かれる。
「きゃるーん。わたし。ココロちゃん。よろしくにゃん」
ドアの先には、天使がいた。
いまだ小学校の高学年といった年ごろだろうか。
髪の色は金色。
小学生っぽい服装に赤のランドセルを背負っている。
可憐だ。
「にゃん。にゃん」
飛び跳ねながら部屋に入る少女。
両手を頭に乗せて、何やらパタパタ動かしていた。
猫耳のつもりだろうか。可愛い。
まちがいない。
彼女こそが天使であると、俺の勘が告げている。
「えーと……彼女。まだ大学に通う年齢じゃないようですけど……」
そう撫子が疑問を口にする。
おのれ。
このような可憐な少女と一緒に通学する。
その夢を阻もうというのか?
しかし、言われてみればもっともな疑問。
おそらくだが、身長は約140センチ。体重は40キロ程度か。
理想のプロポーションではあるが、どう見ても大学生には見えない。
「彼女は天才少女。飛び級で大学へ入学したのだよ」
まったく……天才のバーゲンセールだな。
天才剣士に天才少女ときたものだ。
「にゃん。ココロちゃん。天才なのー。にゃは」
可愛く飛び跳ねるココロちゃんを見た撫子が、顔を近づけ囁いた。
「……なんだか怪しくありませんか? 妙に媚びたといいますか、不自然な言動。それに、自分で自分を天才だなんて」
媚びているのは撫子。貴様のほうだ。
男の耳に息を吹きかけるなど、誘惑レベルに換算するならレベル3の荒業。
超・天才の俺でなければ籠絡に成功したであろうが、残念な努力である。
そして、いったい貴様は何を言うのか?
天才が天才を自称せずにどうするという。
「ココロちゃんは英下衆国の貴族だが、ありがたいことに今回、我々に協力してくれると申し出てくれたのだ」
「にゃん。困った時はココロちゃんにお任せにゃん」
素晴らしい。
見知らぬ土地である英下衆国。
右往左往するであろう我々を気づかって協力を申し出るなど……
もはや天使を通り越して、神である。
「よろしくにゃん」
「は、はあ。よろしくお願いします」
お互い握手する撫子とココロちゃん。
ついで、ココロちゃんが俺の前まで来ると
「よろしくにゃん。おにいちゃん」
そういって、ココロちゃんは俺に抱き付いた。
ズガーン
おにいちゃん……おにいちゃん。
まさか、このような可憐な少女からおにいちゃん呼びされるとは。
しかも、甘えるように抱き付いてくるなど。
感無量である。
英下衆国……来て良かった。
これなら留学費用に消えた白銀刀も本望である。
「あーココロちゃん。こちらの男性。憲伸くんはただの留学で、最強武闘大会の代表ではない」
「にゃん!?」
大使館員の言葉と同時。
飛び去るようにココロちゃんは離れていってしまった。
寂しい。
「それじゃ続いて最強武闘大会について説明しよう」
最強武闘大会は、英下衆国主催の大会。
本選は16人による勝ち抜きトーナメントで争われる。
うち8枠は英下衆選手が。7枠は各国からの招待選手が。
残る1枠だけが予選を勝ち抜いた者に与えられる、自由参加枠だという。
「ちなみに、自由参加枠を勝ち取るための予選大会。どの程度の人数が参加するのでしょう?」
「そうか。憲伸くんは本当に参加するつもりなんだね。その場合、まずは予選からだよ。予選に参加する人数はざっと1000人」
本選進出は1000分の1。
0.1パーセントの計算だ。
「憲伸さん。大丈夫でしょうか? 無理しないでくださいね」
無理するなと。俺に本選進出するなと。そういうことか?
おのれ。早くも俺を陥れようとは、撫子。卑怯なり。
「にゃん。全力でがんばるにゃん。死ぬまで戦えば何とかなるにゃん」
確かに。
俺がここ英下衆国まではるばる来たのは、奈美の仇を討つため。
そして、優勝するためだ。
0.1パーセントという狭き関門。
それこそ命懸けで戦わねば、乗り越えられない関門だと。
そう。エールを送ってくれるのか。
「ありがとう。ココロちゃん。俺。がんばるよ」
家宝の白銀刀を売りさばいてまで、留学したのだ。
例え命をかけようとも、負けるわけにはいかない。
ココロちゃんの手を取り、お礼を述べようとする。
「にぎゃー!?」
とたん。ココロちゃんは走り撫子の背中にへばりついてしまっていた。
残念。
というか、撫子め。邪魔なところに立つんじゃない。
「大会では武器防具の使用は自由。降参。もしくは死んだ時点で敗北となる」
「禁止事項は?」
「ない。闘技場内は完全なる治外法権。何をしても問題ない」
最強というだけあって、なかなか実戦的な大会のようである。
しかし、相手を殺しても良いときたか……
剣術決定会にしろ剣術甲子園にしろ。
あくまで剣術大会であって、殺しの大会ではない。
そのため、武器は木刀。
有効剣撃が決まれば1本。3本先取した者が勝者となる。
急所攻撃は禁止。頭と胴に防具を着用しての試合だった。
それと比べると、まるで勝手の異なる大会。
下手すれば、本当に死にかねない危険な大会。
そう考えれば、奈美が参加しなくて良かったともいえる。
「そんな……危険すぎますよ。前回の大会で亡くなられた方など、いらっしゃるのですか?」
「参加16名中。死者は4名。危険な大会だよ……それだけに、撫子くんのようなお嬢さんが参加するのには驚いた」
まったくだ。
怯えるのであれば、とっとと辞退しろと言いたい。
そして、その留学費用を俺に寄こせという。
「いえ……辞退はしません。私にはやるべきことがあります」
そう凛として答える撫子。
人それぞれ事情はあるのだろう。
その横顔は、何かの決心を抱いているように思えた。
「うむ。私としてもその方が助かる」
最強武闘大会。
いわずとしれた、世界最強国家である英下衆国が主催する大会。
各国代表が参加するその大会に優勝したとなれば、参加者はもちろん。
その国にも、世界最強の栄誉が与えられる。
「もちろん実利もある。優勝者には、賞金100万ドルが贈られる」
100万ドルだと!?
1ドル100円で換算するなら1億円。
とんでもない優勝賞金。
そういう大事なことは、先に言っておいて欲しい。
なんといっても、白銀刀を10本買ってもお釣りがくる大金。
俄然、やる気が湧いて来た。
「にゃん。おにいちゃん。優勝したらココロちゃんにもお裾分けにゃん?」
ゴロゴロ喉を鳴らして俺の胸を突っつくココロちゃん。
「任せておけ。キャットフード1年分。購入してあげるよ」
突っつく指を捕まえ、その甲へと口づける。
「ぎにゃー!?」
歓喜の声を上げ、ココロちゃんは部屋を飛び出していった。