3.留学
ドアを蹴とばし無断で踏み込む先。
「な、なんじゃ? なにごとじゃ?」
「学長。俺を最強武闘大会へ。英下衆国へ留学に行かせてください」
剣術大学の学長室。
齢60を超える老人で頭はハゲかけているが、ただの一学長ではない。
国内一の権威を誇る剣術大学の学長。
その発言力を利用すれば、留学の1つや2つ。
取り付けるのは容易いことだ。
「いきなり何を言いだすんじゃ」
「奈美の件。もちろん学長はご存じなのでしょう?」
「……誰から聞いたのじゃ?」
「留学生に対する、よってたかっての非道。見過ごすわけにはいきません」
「それについては抗議する」
「必要ありません。代理として俺を留学させれば、それで終わる」
その宣言に対し、残念そうに学長が頭をふる。
「すまんが……奈美くんの代理はもう他に決まっておる」
なんだと!?
「今回の留学は英下衆大学で開催される最強武闘大会。その参加がメインなのじゃ。英下衆側からは国内1の使い手をと念押しされておる」
国内1の使い手となれば、やはり俺である。
全日本学生剣術決定会。3大会連続準優勝の天才剣士。
俺以上にふさわしい者が存在するはずはない。
「確かに3大会連続準優勝は見事なもの。じゃが、優勝と準優勝。その間に越えられない大きな壁があるのも分かるじゃろう?」
……屈辱ではあるが認めざるを得ない。
オリンピックでも。
金メダルを獲得した者と銀メダルを獲得した者とでは、その待遇はまるで大違い。
「次の代表は剣術甲子園3連覇の天才剣士。高校在学中は負け知らずの黄金ルーキーに白羽の矢が立ったというわけじゃ」
高校生だと?
負け知らずだろうが何だろうが、そんなケツの青いガキに何ができるという。
そもそもが天才剣士とは俺のことであって、安売りされても困るという。
ガキが天才剣士を名乗るなら、俺は超・天才剣士だぞ?
「奈美くんが大怪我するほどの相手がおるのじゃぞ? 奈美くんに敵わなかった君が出場しても無駄じゃよ」
それは違う。
奈美との対戦成績。
通算では125勝110敗で俺が勝ち越している。
ここ最近。肝心な試合で負け続けているだけだ。
「肝心な試合で力を出せない。それが弱いということじゃ」
……屈辱ではあるが認めざるを得ない。
「……それは決定事項なのでしょうか?」
「決定事項じゃ」
すでに決定したのであれば、今さら何を言っても仕方がない。
結局のところ、優勝できなかった俺自身の弱さが原因。
「すまんが予算は1人分の留学費用のみ。憲伸くんに回す予算はないのじゃ」
けちくさい奴だ。
最強武闘大会へ参加するという者を、1人、異国の地に送り込むなど。
本気でやる気があるのか?
「わしも1人で行かせるのは反対なんじゃが……国立で税金なのじゃ。予算はどうにもならん」
学長のくせに追加予算を決定する力はないという。
役に立たない奴め。
「分かりました。それなら、留学費用は自分で何とかします。学長は留学の話と大会の参加だけ、何とか手配してもらえませんか?」
「うむう……留学はともかく、大会は2ヵ月後じゃからのう」
今さら飛び込み参加は無理ということか。
「いや。飛び込み参加なら可能じゃ。大会の1週間前。自由参加枠を巡って開催される予選を勝ち抜けば、参加できるのじゃ」
なんだ。
それならそうと先に言ってくれれば良いのに。
「それでしたら何も問題ありません。予選を勝ち抜き参加します」
俺は天才剣士あらため、超・天才剣士。
予選敗退など、ありえない心配は必要ない。
「ふむ。それなら、留学の話を大学側に取り付けてみるとしようかの」
「ありがとうございます。お願いします」
「ただし、1つ条件があるのじゃ」
何が条件か?
留学費用すら出さないくせに、一丁前に口だけは出そうというのか?
「奈美くんに代わり大会に参加する娘。名前を撫子というのじゃが、その娘の護衛を頼みたい」
「黄金ルーキーの天才剣士に護衛が必要とは思えませんが?」
「天才だからじゃよ。天才とは繊細なもの。奈美くんの例もある。異国の地に1人。何があってもおかしくはないのじゃ」
それなら最初から奈美を1人で行かせるなという。
「その教訓を踏まえての措置じゃ。それに予算は、わしではどうにもならんと言っておるじゃろ」
金。金。金。
結局、世の中、金というわけか。
まったく。お前のハゲ頭のカツラを売れば、金くらい工面できるだろうに。
ケチくさい奴だ。
「とにかく。留学の件はわしに任せてもらうが、留学費用は憲伸くんで工面するのじゃぞ?」
「分かりました。よろしくお願いします」
一礼を返して、学長室を後にする。
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「母さん。留学費用をください。お願いします」
さっそく自宅に帰った俺は、居間で母に頭を下げていた。
「まあ。憲伸。どうしたの?」
かくかくしかじか。
要点をかいつまんで母に懇願する。
「そう。奈美ちゃんが……分かりました」
俺の説明に母はふすまをガラリ、奥の座敷へ歩き座る。
母が手を合わせるのは、先祖代々の霊が眠る祭壇。
今は亡き父をまつる祭壇。
引き出しを開け、母が取り出した1本の刀。
白木の鞘から引き出された白銀の刀身。
70センチもの長さに渡り青白く波打つ刀文が浮かんでいる。
これぞ名刀というべき逸品。
「白銀刀。これを質にいれます」
「え?! それって……父が遺したものでは」
若くして病に没したという父。
その遺品を売りさばくのは、さすがの俺でもためらわれる。
「売るのではありません。質に入れるだけです」
いや。期限までにお金を返済できなければ、白銀刀は売り払われる。
そして、返済できる当てなどないのだから、売却も同様である。
「奈美ちゃんの仇を討ちにいくのでしょう?」
「……別に」
奈美の代わりに最強武闘大会に優勝。見返したいだけだ。
敵討ちなど……暇があれば、ついでにやるだけのこと。
「奈美ちゃん。娘のためです。父も喜んで賛成してくれますから大丈夫です」
いや。
すでに故人となった父。今さら賛成しようがない。
そして、奈美はお隣さんの娘であって、我が家の娘ではない。
「売り払った物であれば、また買い戻せば良いのです。それとも、その程度のはした金。稼ぐ自信ありませんか?」
……失くしたものは、もう2度と取り戻せない。
しかし、売り払う。
いや。一時的に他人に預けるだけであれば。
「それとも、本当に失うまで。このまま刀を抱いて待つだけですか」
奈美と悪態をつきながら笑い合ったあの日々。
はるか昔に感じるが……まだ失われたわけではない。
だが、このまま日本に留まったのでは。
奈美の笑顔は一生涯、戻らないだろう。
俺が奈美の仇を討つ。
その時こそ、奈美のドジを話の種に。
またお互い笑い合えるはずと信じて──
「母さん。不肖、この憲伸が白銀刀。一時お預かりいたします」
母から受け取る白銀刀。
俺の筋力があれば、重いはずなどないというのに……ズシリと重いこの1本。
「はい。いってらっしゃいませ」
笑顔で手を振る母を後に、俺は質屋に駆け込んだ。
「すみません。これの換金。お願いします」
白銀刀の代わりに、チャリンと手渡される100万円。
買い戻すとなれば、10倍としても、ざっと1000万円か……
まあ、超・天才剣士の俺だ。その程度のはした金。
最強武闘大会の終了後、1秒で稼いでみせる。
それまで、せいぜい大事に預かっていてもらうとしよう。