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スライル、0

久しぶりに出てきた村はなんだか輝いていて見えた。雲ひとつない空から降り注ぐ日差しは踏み込む一歩を軽快にする。いや、輝いて見えるのはきっと念願だった学校の開設を果たし、少しずつ生徒たちが集まってきており、そこで学び育つ子供たちの姿を見ることができているからだろう。

この世はまさに乱世であり、男は戦場へ行き、女は戦う男たちを後方で支えることを要求されている。肉体のみが資本であり、身分の低い人々は素養や教養を身に着けることなく、自分を守るために、もしくは、顔も見たことのない偉そうな誰かのために道具のように扱われて死んでいく。

私はそんな世の中が嫌だった。誰もが平和で幸せな世の中にしたい。しかし、その幸せになることがまた難しい。幸せとは……という難しい話ではなく、身分の低く素養も教養もない人は何も選べないからだ。与えられたことを与えられたようにする。決まったレールの上にある人生には無味乾燥しかない。人の幸せとは自分で探し出すしかないのだ。そして、その幸せを探す旅に出るには力がいる。自分を守る力、状況を判断する力、未来を選択する力……。それこそ知であると私は考えている。


私が一般向けの学校を開校しようとしたとき、それを反対する者は多かった。特に今では疎遠になってしまったが、敬愛する我が師には強く反対された。いつ死ぬともわからない平民のために勉学を教える必要はない、国を支える官僚などの王族や貴族の教育に力を入れていればよいと……。特にガルネシア王国のような大国には身分制度があり、王族や貴族と平民には大きな貧富の差がある。王族や貴族には教育が義務化されているため、国を支えていく上で必要な者への教育は十分行き届いている。しかし、それは違う。もちろん、貴族たちへの教育も必要だが、本当に国家を良くしたいのなら、国民一人一人の個の底力を上げなくてはならない。個々の幸せが国家として最大の力を発揮するはずだ。


国を飛び出して5年……。最初は誰もいなかったが、今では噂が噂を呼び、入校希望者が少しずつ増えてきている。師と疎遠になってしまったことは少々後悔しているが、私のしていることに対して、私は誇りを持っている。


武ではなく知こそが世界を平和に導く。

私が生きる意味はそれを伝えることにある。


村の市場を歩いていると店先から店主と思しき若いお兄さんが声をかけてきた。

「お兄さん、なんだか調子いいね!このトマト、どう!?お兄さんのように生きがいいよ!どうよ、ちょっと寄っていって!」

「おや、おいしそうですね……。おっと、目的を忘れてはいけませんね。今日は教材を買いに来たのでした。」

「教材?何だい、教材って?どんな食べ物だ?うまいのか?」

一般人の知識はこんなものだ。先人たちの知恵を学ぶ機会がなければ、その人の知識は自分の人生経験からしか学びを体験できない。一人分の経験で得られるものなんてたかが知れているというのに……。


「教材と言うのは、学びの幅を広げる物です。他人の人生経験を自分のものにし、自分の人生をよりよいものにするための補助具です。」

「あ?お兄さん、何言ってんだい?」

店主はキョトンとした顔をする。

……何年も教鞭に立っているというのにまだ教師としては未熟者である。自分の思うままに話すだけでは伝わらないことは身をもって知っていたのに……。やはり、しっかり準備しないと人に伝わる授業はできない……。

教え子の伸びしろを感じるというのが教育者の魅力であるが、こういうふうに自分の伸びしろを感じるのもまた教育の面白いところである。

「すみません、わかりやすく言うと勉強道具のことですよ。」

「勉強?……。そんなことより、このレタスどうだい?みずみずしいだろ!買っていかないかい!?」

「いえ、また今度。」

苦笑いしながら八百屋を後にする。教材と言っても一般人の認知がこの程度なので、当然教科書の類が世に出回っているはずもなく、必要な物は自分で作り出さなくてはならない。今日はばねと小さい球、定規はあって……まあ、なんか都合のよさそうなものを適当に買っていきますか。


目的の物を買い終えたときにはすっかり夕暮れになってしまった。この分だと学校に戻るのは完全に日が落ちた後だろう。夜道は危険だが今日は天気がいい。日が落ちても松明もあるし、あとは月明かりで何とかなるだろう。

急ぎ足で自分の学校に向かう。学校まであと2kmもないところで日が落ちてしまったが、案の定、その日は日が落ちても月明かりと松明で夜道に迷うこともなかった。教材は自作であるため村に行っても欲しい物がなかったということも少なくないが、今日は欲しいものもすべて買いそろえることができた。気分が良いせいか、はたまた追い風のせいか、今日は足取りが軽い。


……と、そう思っていた。

もう少しで学校に着くところで松明が消えそうになり、新しいものに付け替えるか迷っていたとき、ふとあたりが暗くなっていることに気付いた。空を見上げると月がいつの間にか隠れていた。

雨雲とは違う黒い雲……。

風になびく木々の音……。

暗い夜道、異様な静寂、言い知れぬ不安感だけが私を襲う……。


いつもならこのあたりまで来れば学校の明かりが見えるはずなのに……。

いつもなら私の帰りを待って明かりをともしてくれているのに……。

今日に限って何も見えない。


何も見えない暗闇の中を松明のわずかな明かりを頼りに……。

いつもの道を、こびりつくような汚い臭いがを鼻にまとわりつく……。

妙な静けさのある夜の山もその日は心臓や肺が爆音を掻き鳴らす。


やがてたどり着く。いや、たどり着くことはなかった。

深淵の中に月が顔を出したとき、真っ黒になった平和と真っ白になった幸せが静かに眠っていた。



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