彼は彼女は
彼は彼女は美しい人であったけれど、それはどこか浮世離れした、この世の物ならない美しさであるかのように感じられた。
事実彼は彼女は終始生気を感じさせない人であったし、また本人達が彼と彼女意外の人という人に対しまるで興味が無かった事もその原因なのだろう。彼は彼女は彼と彼女だけを見ていて、他の事は心底どうでもよいというふうに感じているようであった。
彼も彼女も友人と言う者をひとりとして持たなかったし、美貌に魅かれいいよる多くの(それはそれはとても多くの)異性達にもつれなかった。彼が彼女が口をきく事はひどく少なく、珍しがられる事であった。そもそもにして彼も彼女も人前に姿を出すことを決して好まず、いつも二人きりでいるようであったので、私達その他多勢が彼の彼女の声を聞く機会など決して多くはなかったのだ。
彼が彼女が二人きりでいる時にはどうしているのか、何をしているのか。それは私達のような若造の、もっぱらの興味の対象であった。それは勿論二人ともできているに違いないのだ、乳繰り合ってでもいるのだろうさとちゃかし笑う者もおれば、あの得体の知れない奴等の事だ、口も開かず向かい合って黙っているのだと当然のように言う者もおり、一方には、彼を彼女を神聖な者とし崇める者も確かにいた。そしてそれ以外の多くの者達は彼に彼女に恋焦がれて、恋しい相手とともに過ごす、彼に彼女に嫉妬していた。
私も思春期をむかえたおりには、彼に彼女に恋焦がれた。けれどそれは後に他の者達へ抱いたような、異性への愛とは何処か違っていたのではないかというふうに思う。そもそもに私は、彼と彼女とを離し考える事は出来ずにいて、結局彼と彼女両方に対し恋をしたのだ。私に同性を愛す傾向はなく、それ以降は異性にしか恋をしていない。それに私は一様にして、ろくに交流もない相手に対し、恋焦がれる事などしない。外見やら印象やらで異性を愛す事は邪であると思っていたし、そういった輩を未だ軽蔑してもいるのだ。彼へ彼女への初恋は、私のたった一つの例外であった。
結局のところ、当然でもいうべきなのかどうなのか、彼も彼女も誰か一人に恋慕の情をそそぐ事などしなかった。それは彼が彼女が彼に彼女にとうに惚れていたからなのだと人は言うが、私はそうとは信じていない。
彼も彼女も相手に対し、こうと言った情は抱いていないふうに見えたのだ。だからといって、では彼が彼女が彼を彼女をどう感じていたのかなどと、私には推測する事すらも叶わぬのだが。
私と、またその友人とがあらかたに学業を終えた頃、彼は彼女は忽然と町から姿を消した。行方を知っている者などは、当然ながらいるはずもない。長いこと、私達の恋慕だの憧れだの羨望だの奇異だの好奇だの嫌悪だの嫉妬だのといった、色々な視線をいたずらに集めた二人の失踪に、私達はどよめきたった。やれ駆け落ちだだのやれ心中だなど、皆してやかましい事このうえなく騒いだけれど、桜が散る頃になれば、皆がそれどころではなくなっていった。
彼に彼女に現在も続く形で恋をしていたはずの若造共は、いとも簡単に次の恋をし、それを実らせもしたし散らせもした。既にとうの昔に彼へ彼女への恋を終らせていた私達や、そもそもにして彼に彼女に恋などしていなかった者達は、彼を彼女を青春時代の思い出の象徴として心に残した。
かくして彼は彼女は、私達の世代に共通する伝説となったのだ。
彼は彼女は、今だこの町に戻ることなく、血の通わない、伝説の中の人としてだけ存在している。実際のところ、私達の中に彼の彼女の事を多く知る者はおらず、私達の中の彼は彼女は、「美しい人」というだけの単なる偶像とかしたのだ。けれどそれは、私達の思い出を彩るにはこの上無き良い記号として機能したし、初恋の思い出を美化してもくれた。
どこかには存在したであろう、彼の彼女の親類達の中にならば、彼の彼女の事をよく知る者もいたのだろうか。そしてそういった者達は、偶像ではない、彼を彼女を覚えていたりするのだろうか。
先日、仕事で都心へと赴いたとき、青春時代の残響に出合った。それは確かに私が恋した、彼で彼女であったのだ。彼は彼女は私が知る姿のままで、無表情に駅のホームをかけていた。私はよく彼を彼女を見たかったけれど、電車は酷にも酷い速さで通り過ぎていってしまった。
実は、私は近日中に結婚をする予定である。青春の残響を見た夜に、そうする事を決意したのだ。相手の人は、正直あまり美しくない。けれど柔らかく笑う人で、深い考えを持つ人だった。彼にも彼女にも、決して似ていたりはしない。
きのう、食事を共にした時、彼の彼女の事を話してみた。私の初恋の人の事を、私が抱くその偶像を。
あの人は決して馬鹿にせずに聞いてくれて、大切な思い出なのだろうと言って柔らかく笑った。その話題はただそれだけで終ってしまい、その後はあの人の初恋の話をとうとうと聞いた。あの人の初恋は近所に住んでいた高校生へと抱かれた物であり、とても無邪気な可愛らしい物であった。二人で語らい笑いあって、私はたしかに幸せなのだと、ふかくかみ締める事ができた。
そのあとにすぐ帰路につき、私は彼の彼女の事を思い出した。
けれど、どう頑張っても彼の彼女の顔が思い出せない。先日駅で見たときは、確かにそれだと思ったのに。
だというのに、それを私はさして悲しいとも淋しいとも思わなかった。大切な思い出であったはずなのに、輝かしかったあの時代の、象徴であったはずなのに。
ポケットに手を突っ込めば、携帯電話が震えていた事に気付く。名前を見ると、今しがたわかれたあの人からだ。
すぐに電話を開き、もしもしと言ってよびかける。声は自然にはずんでいて、顔はだらしなくほころんだ。結婚式は六月だ。楽しみで嬉しくて仕方が無い。どうやら一人で笑ってしまっていたようで、どうかしたのかと問いかけられる。なんでもないと答えながら、私の頬は赤くなった。
帰ったら、もう一度式場のパンフレットを読んでしまおう。そうして私はもう一度、贅沢に幸せをかみしめよう。
軽い足取りで家へと向かう私の頭に、彼は彼女は、もう既に必要ではないようだった。
突発的に思いついて出だしだけ書き始めましたが、気がつけば思いついていた物とは全くの別物になっていた不思議な代物です。
短時間で書き殴って物なんですが、勢いでこのまま載せてもらいますね。