重なる情景
フライパンに油を垂らし、冷蔵庫から取りだした2つの卵を叩いてパカっと割る。食欲をそそる音と共に、やがて透明だった部分が白くなれば、少量の水を入れて蓋をする。
火力を弱めたところで、男は気づく。
「やべっ ベーコン入れんの忘れた」
まあ、いいかと息をつくと、再び冷蔵庫を開けた。
本当はサラダにするつもりだったが、目玉焼きに入れ忘れたベーコンと、適当な野菜を取りだす。
手際が良いとはいえないが、毎日やっているからそれなりに慣れてきた。それでも包丁の扱いはまだまだだから、人参の皮むきは専用の道具を使う。
「おはよ」
聞き慣れた女性の声に、振り向くこともなく。
「おう、おはよさん。はやいじゃんか」
すでに身支度を終え、服も着替えていた。
「うん、えらいでしょ」
男の立つ台所に入ると、女性は棚から2人分のコップを出す。
「コーヒーで良い?」
「どもです」
凝ったものではない。パカっと開けた蓋でガラス製の容器を叩き、コップの中に適量を入れる。
「甘くしてね」
「わかってるわよ」
当時はブラックだったが、もともと男はミルクの入った甘いコーヒーの方が好きだった。女性は少し動き、ポットのお湯を注ぐ。
「はい、牛乳は自分で入れてね」
材料があるのなら、粉乳より牛乳のほうが好き。
「ありがと、そこ置いといて」
心のこもってないお礼。
「新聞は?」
「机」
先に読むと怒られるから、畳んだ状態のまま。女性はお礼もなくその場から移動すると、机にコップを置いて椅子に腰を下ろす。
新聞をひらく独特の音が耳に入ってくる。
「もう少しかかるけど、ちょっと待ってて」
蓋をとれば湯気が顔にかかり、すこし熱い。
「良いよ、急がんで」
手に持っていた蓋をどこに持っていくか悩むが、まあ良いやと適当な場所に放置する。フライパン返しでくっついていた目玉焼きを2つに分けると、用意しておいた皿へと運ぶ。
一品目が完成した所で、コーヒーを一口。
「うまいわ」
ダイニングキッチンという奴で、ここからでも相手の様子を伺えた。女は新聞から視線をそらすことなく、すこし口もとを緩めてから。
「でしょ」
コップの中の液体を眺めながら、先ほどとは違う口調でもう一度。
「うまいわ」
女は返事をしなかった。相手に向けた言葉ではなかったため、男も気にすることなく、再び作業に移る。
キッチンペーパーでフライパンの汚れをざっと拭うと、また油を引いて熱を灯す。
まな板にあらかじめ切っておいた野菜を入れてから気づく。先にベーコンを焼くべきではないのかと。
「まあいいや」
フライパンを揺すりながら菜箸で隙間をつくり、そこにベーコンを放る。
ふと炊飯器をみれば、あと2分。
碗は棚から、しゃもじは引き出しから。
簡単な準備をすませ、意識を野菜炒めにもどす。味付けはどうしようか悩むが、いつも通り塩コショウと醤油で終わらせる。
男はこれまでの経験から、下手に工夫すれば不味くなると学んでいた。
見栄えは良くないが、二人分の小皿に野菜炒めを移すと、大きめのお盆にそれを載せる。
炊飯器のアラームがなる。湯気を恐れ、離れた位置から蓋を開けた。
炊きたてが一番上手いと人は言うが、実は冷たい飯のほうが男は好きだった。コンビニ弁当とかも、レンジを使わずに食べることが多い。
水をつけたしゃもじで出来たてのご飯を切りながら。
「味噌汁どうする?」
女は新聞から視線を外し、斜め上を向く。
「私いいや」
「まあ、インスタントだしね」
それでも飲みたかったから、自分の分だけ用意する。
お盆の上に必要な物品を。男は飯のお供がコーヒーでも良いのだが、女は嫌がるため。
「牛乳で良い?」
「水で良いよ」
水を飲んで腹を壊した経験のある男からすれば、都会の水道水でも美味いと感じるが、文明の利器で浄水器というものが取り付けられていた。
もっとも最近は、水道水でもそこまで不味くないと聞くが。
忘れ物がないかを確認すると、お盆を持ち上げて女の待つ机へと。
男の姿を確認すると、新聞紙をたたんで横の空いた椅子におく。
「机拭く?」
「綺麗だし良いんじゃない」
許可が出たため、お盆から自分の分の朝食を取りだす。
「いつも似たようなもんで悪いね」
「いいよ、いつもありがとう」
儀式みたいなもので、このやり取りはほぼ毎日。
女が自分の分を出したのを確認してから、お盆をキッチンにもどす。
椅子は4脚だが、それなりに広いこの場所には、今のところ二人しかいない。
男が席につくのを待って。
「新聞いる?」
一通り読んで、問題ないと判断したのだろう。
「飯食ったあとでいいや」
リモコンを手に取り、テレビをつける。
ニュースが流れていた。
「頂きます」
女に習い、男も形だけの挨拶をする。
味噌汁を一口。野菜炒めをご飯に乗せ、頬張る。
「やっぱあれだな、味噌汁が一番うまい」
「そんなことないでしょ」
慣れてはきたが、料理上手とは程遠い。というか家事全般は彼女の方が腕は上だった。
「あんたなんでも美味いって言うじゃない」
「そんなことないよ、食えないもんもあった」
生卵は外国だと下手物だが、それと同じで日本の文化では食べない物も多い。
女は箸を置くと。
「私もやっぱ味噌汁欲しいな」
「ほいよ、ちょっと待ってな」
それくらい自分でやると、男を制止して立ち上がる。
「んじゃあ、ついでに醤油もってきて」
「はいよ」
二人とも、目玉焼きには醤油派だった。
ふとテレビを見ると、ニュースの話題が変わっていた。
外国では、今日も戦争をしているらしい。
ご飯を食べながら、何気なくそれを見ていると、女が戻ってきてチャンネルを変えた。
片手に持っていた味噌汁を自分の場所に置く。
「醤油は?」
「忘れた」
女は取りにもどる。床に味噌汁がこぼれていたため、ティッシュを何枚かすくい拭いておく。
今の生活に愛着がある。満足してるって何度も言っているのに、彼女は未だ信じてくれない。
「ありがと」
手渡された醤油を自分の目玉焼きにかけ、そっと机に置く。
すでにご飯は少なくなっていた。
「おかわりいる?」
いつも断られるけど、解っていても聞いてしまう。
「まだ全然減ってないわよ」
食べるのが速いと、今までなんどか言われたが、小さい頃からだから直らない。
自分の分だけよそいに行く。
机にもどると、彼女はテレビをみていた。
「私たちも、そろそろ考えなきゃね」
画面では複数の子供が遊んでいた。待機児童だかで大変らしいが、今のところ家では関係の薄い問題だった。
「そうさな」
椅子に座るのも忘れ、男は呆然と立ち尽くす。
彼女は知らない。
「どうしたの?」
先ほどの映像よりも、こちらのほうがレンズ越しの風景を。
「いや」
椅子に腰を下ろし。
「もし子供できたら、俺も働いたほうが良いかな?」
「そうだね」
仕事道具はすべて捨ててしまったし、同業と立ち上げた名ばかりの会社とも縁を切った。
コネもない。手形をどのように入手するのかも、もう忘れてしまったし思い出したくない。
「俺たぶん大した職にはつけんよ」
「そっか」
貯金は互いにある。彼女の年収も悪くはない。
「ごめん。もう少し家事とか、上手くなってからにしたい」
主夫という今の仕事は、まだそこまで難しいとは感じていない。
「子供育てんのって、やっぱ大変なんだよな」
「そうだね、もうちょっと考えよっか」
互いに三十は過ぎている。
「二人でも私、幸せだよ」
肩を落とし、男はうなずく。
・・
・・
新聞を取りに行くついでに、ゴミは捨てておいた。
「じゃあ、行ってくるね」
玄関にてお見送り。
「おう、晩飯はどうする?」
「まだわかんないから、夕方に連絡する」
新婚ならキスでもしていたが、今は手をあげるだけ。
玄関の扉が閉まる。
「愛しています」
独り言になってしまったが、これだけは欠かさない。
まずは一息。
やることはそれなりにあるが、ベランダにでて胸ポケットから煙草を取りだす。
線を引く青い煙は曇り空に伸び、消えていく。肺より吐き出した白いそれは空気に溶けて臭いだけが残る。
カメラも酒もやめたけど、これだけは未だにやめられない。
道路には車。
歩道には人。
瓦礫のなかで少女は立ち尽くす。
建物は今にも崩れそうだった。
無表情だった女の子は、男の姿を確認すると、糸が切れたように泣き出した。
『俺はなにをやってる』
銃口のかわりわりにレンズを向け。
『その前に、やるべきことがあるんじゃないのか?』
引き金のかわりに、右手でシャッターを押す。
こんな写真、値がつくとは思えない。批判を受けるだけじゃないのか。
それでも、人差し指は力を緩めることはない。
男は煙草を握りつぶすと、空いた腕でベランダの柵を掴み、額をこすりつける。
何処かから、子供の笑い声が聞こえてきた。
気持ちが悪い。吐き気を催す。
「育児なんて……できねえよ」
さっきから、右手が熱くてしかたがない。
あいかわらず、大して調べもせず書き始めてしまいました、気分を害された方がいたら、申し訳ありません。