麒麟の足跡
あれよあれよと、高速などの有料道路が、自動制御装置を搭載した、自動走行車の専用道路になってしまった。
出入り口には、自動制御走行車用のセンサーが設けられていて、自動走行可能車でないと入り口と出口のゲートが開かず、入る事も出る事も出来ないのだ。
逆走車の進入を防ぐために、出口はわざわざ間隔を開けて二重のゲートが、設けられているほどだ。
自動制御走行車のナビゲーションシステム、別名『ジュエル』に任せれば、楽々と目的地まで走り抜けられるようになっていた。
『ジュエル』は、車内の何でも屋を目指して、開発されていたので、突発的な事にも対処が早かった。
21世紀初頭までの、帰省や行楽地などの渋滞は、すっかり影を潜めてしまっていた。
友坂一家が、ステーションワゴンタイプの車で、初めて高速道路に、乗ったのは、秋の行楽シーズンだった。
運転していた、友坂進一が、おおっと、声を上げた。
音声案内の後、彼の手から、ゆっくりとハンドルが引っ込み、足元のアクセルとブレーキも、引っ込んだのだ。
運転席の前が広くなり、足元もゆったりした。
ナビの『ジュエル』がさりげなく、運転を代わったのだった。
もちろん、緊急用のボタンが、車と一体化して埋まっている、ハンドルの上に現れたのはマニュアル通りである。
これは、運転者が押す事も出来るが、音声認識で作動させる事も、『ジュエル』の一存で、稼働させる事も出来るようになっていた。
運転をしないとはいえ、さすがに後ろを向く事は安全上出来ないが、運転者も景色を楽しみ、会話に混ざる事が出来る。
慣れない自動走行で、緊張感が走ったが、10分もしないうちに、肩から力が抜けた。
流れに乗っていたからだ。
どの車も気まぐれな追い越しや無謀な車線変更や割り込みがなく、下の道路からの合流地点でも、止まる事もなく、スムーズだった。
最初の休憩地も、『ジュエル』に任したままで、アッサリと入っていった。
駐車場は、案の定混んでいた。
観光の大型バスやワゴンカーやキャンピングカーなどが、視界を遮る。
流通会社のトラックやトレーラーもそこに混ざっているが、普通車の数は尋常じゃないほどだ。
人気のサービスエリアだったので、これは想定内だ。
その中をスイスイと『ジュエル』は、走行し、アッと言う間に、空いている昇降用スペースに、車を停めた。
全て衛星基地局からの指示とはいえ、あまりにスムーズだった。
友坂家御一行を下ろした後、駐車スペースに向かう『ジュエル』に後を頼み、ゾロゾロとまずはトイレだ。
不思議な気分で、無人の愛車が走り去る、その後ろ姿を見送った。
建物の方を振り向くと、山並みが美しい。
これから行く牧場経営のペンションを、期待させるには、充分な景色だった。
木をふんだんに使っている建物には、大型のトイレが設置されていて、男女の間には休憩スペースがある。
そんなトイレが3箇所、設けられているから、遥か遠くのトイレに走る事も無い。
あれだけの車の人数を、アッサリと呑み込んでしまうほど、広く明るいトイレだった。
これほど広くても、音声案内が空いたトイレを教えてくれるので、無駄も無いのだ。
バスからの客は、そちらの専用に行く。
トラックやトレーラーの溜まり場所には、又別のトイレが設置されてるらしい。
そう。
女子供連れには、トイレが大事なのは、変わらない事の1つだ。
色分けさられた長椅子を目印に、友坂家は再集合した。
運転手をしていた進一、妻の菜美、中学生で長男の理一、小5生で次男の基紀、1番下の1年生の夏菜子、妻の母親の林美千代の6名で、これからお昼ご飯だ。
お土産コーナーを抜けると、広いフードコートに出た。
その広さと人の多さの中、空いているテーブルを捜すのが至難の技で無駄に待たされたりしたのも、ひと昔前の話。
今では、区分けされた入り口のひとつに立つと、人型でモニターを付けた案内が待っている。
中性的な人工の声で、液晶パネルがニッコリとしながら、迎えてくれるのだ。
聞かれたまま、人数を言うと、床に埋め込まれているガイドラインが光り、誘導される。
探す事もなく、ガイドラインの導くまま、6人は、テーブルに案内されていた。
席を探してウロウロ歩く事がないし、子供達は率先して、光の導く道を歩いてくれる。
テーブルに備え付けの、二台のパネルを駆使して、注文を済ませると、意外と早く料理が届く。
持ってきてくれるのは、ワゴン型の自走機だが、人が付いて、テーブルに皿や丼を乗せてくれるので、違和感はない。
菜美が備え付けのサーバーから、人数分の水をコップにいれ、みんなが喉を潤してから、食事を始めた。
それぞれ、好きな物を頼んだ。
女性陣は色々調べて来たらしく、あれやこれやとバラエティに富んだのを頼んでいたが、男達は、もう3人共、ガッツリ系だった。
何処にでもある、ラーメンやトンカツだ。
もちろん、ここの名物が使われてはいたが、腹に入れば、残るのは皿と丼だけだろう。
女性陣のには、ちまちましたデザートが付いているので、ここで、二手に分かれた。
最近のサービスエリアは、展示もしていて、息子2人は、それも目当てだったのだ。
お目付け役だが、進一も楽しんだ。
色々な戦闘機や戦艦などが神話の世界の怪獣や神獣などと合体して、展示されていて、それらがゲームとリンクしている。
携帯をかざして、何やら2人で話している。
もちろん、サイズはかなり小さいが、そのゲームの世界観を表したジオラマは、圧巻だった。
昔ながらの龍や鳳凰が、キャタピラや機銃などで、覆われている。
ゲームの世界が忠実に再現されていて、縦に切り取られた部分からは、地下の基地の様子がわかるし、海の中の様子もわかるようになっていた。
天井には、大型の鏡が埋め込まれていて、真上からの全体像がはっきりと見える。
息子2人は、携帯で写真や動画を撮るのに夢中だ。
進一も、しばらく頭の上と目の前のジオラマとを、試す違えず、何度も見たのだった。
ねだられて、そのゲームのキャラクターのガチャガチャを買ってやった。
百円高い、レア専用のを回すと、2人の息子は感嘆の声を上げた。
どうやら、お目当て以上のが、出て来たらしい。
携帯が鳴り、言われた場所に行くと、すでにお土産を手にぶら下げた、菜美達と合流出来た。
普段なら、1人で運転をしているので、変な疲れや苛立ちがあったが、今日は穏やかな時間が流れていた。
何処もかしこも、人だらけだったが、窮屈さも、猥雑さも、感じない。
待たされてのイライラも、人混みの嫌悪感も、生まれて来ないのだ。
みんながここに立寄る気持ちがわかった。
自動販売機で、冷たい飲み物を各々(おのおの)手に取ると『ジュエル』を呼んだ。
陽射しが暑くなっていたが、適正温度に設定されている車内は爽やかだった。
この先が、この高速道路の難関点だったので、進一は気を引き締めた。
この先では、ヒヤリとした嫌な思い出があったのだ。
まったくどんな考えで、設計したのか。
この先、3箇所のトンネルを越えるのだが、1車線のトンネルの前に、追い越し線が設けられているのだ。
トンネル自体は登りと下りでわざわざ分けられているのだが。
つまり、トンネルの側に来る度、二車線から1車線に、車線が減少するのだ。
信号機も無い高速では、かなり危険が増す。
お互いにスピードを出し合っていては、すんなり車線変更に対処するのが、難しくなってしまう。
原因になった割り込み車が通り抜け後、後続車同士が衝突していると言う、なんとも言えない、事故が起きてしまっていた場所だったのだ。
その上、そんな場所なのに、周りの景色が壮大で美しい。
山並みを背景に、広い牧草地帯が見える場所には、のんびりと放牧された牛の群れがみえる。
なのに、そこは高速にあるまじき、アップダウンが設けられていて、尚且つ、大きくカーブまでしていた。
そんなこんなで、この辺りでは、景色を楽しむ余裕など、運転手には生まれなかったのだ。
そんな緊張をよそに、車は嘘のようにスイスイと走り、問題のトンネルも、減線された車の車線変更もスムーズに、トンネルを越えていった。
最後のトンネルを越えると、開けた場所に出た。
天候も良く、あちらこちらに点在する牛の姿もクッキリと見える。
カーブもアップダウンも、難なく過ぎていった。
拍子抜けしたぐらいだが、進一も景色を楽しんだ。
濃い緑の森と牧畜されてる草原が緑のパッチワークを広げ、雲と空がそれを縁取っていた。
わざわざ牧草を刈り込み、いらっしゃいませ!、の文字と牛が描かれている。
それらを、他の車に邪魔される事もなく、堪能したのだった。
進一はホッとしていた。
ここを走る為に、自動走行車に変えたといっても良いだろう。
ここ程では無くても、事故の頻発する場所は、全国そこかしこに点在していた。
いつの間にか、助手席の菜美を残して、後ろの4人は、寝てしまっている。
妻も眠そうだ。
高速も終わりが近づいている。
進一は、緩みがちな自分に喝を入れた。
『ジュエル』は、高速を降りれば、普通のナビになってしまう。
一般道に出る為の二重のゲートの間に、ハンドルやペダルが、戻ってくるようになっていた。
楽をさせて貰ったのだからと、身を引き締めた。
その時だった。
車の流れが歪んだのだ。
走行中の車は、振動が伝わっても、感じにくいが、眼は列の歪みを捉え得ていた。
勝手な車線変更も割り込みも無いので、その歪みは、違和感をもたらした。
突き上げる力が、突然下から襲って来た。
弾かれた前方の車が、障壁に追突して行くのが見える。
それぞれの車に搭載されている『ジュエル』達が、一斉にこの変化に反応していた。
進一の車の『ジュエル』も、早い。
周りも自分達の車も、のたうつ道路に次々と弾かれ出していた。
何が起きたのか、考える暇は無かった。
気付けば、病院のベットの上に寝ていたのだった。
ボーッとした頭で、天井を見ていると、隣から、上の子2人の話し声が聞こえて来た。
ゆっくり頭を巡らすと、窓の方の2つのベットに、2人が寝ながら話している。
こちらを向いていた理一が、肘を使って頭を持ち上げた。
「お父さん、僕ら助かったんだよ。」
その声に基紀も、身体をクルリとまわし、顔を向けるとニッコリと笑った。
「お婆ちゃんとお母さんと夏菜子は、女の人の部屋にいるって、さっき看護師さんが教えくれたけど、みんな元気だよ。」
いつになく、理一の声が大きい。
「凄いよね、あんなに揺れたのに、タンコブ出来なかったよ、僕。」
しょっちゅうあちこちをぶつけている基紀が、手で自分の頭をクリクリと撫で回している。
そこに看護師さんが入って来た。
「元気だね。
もう少し、静かに話そうか。
まだ、目覚めていない人も居るからね。」
6人部屋の反対側に、お年寄りが寝ている。
「はい、ごめんなさい。」
「ごめんなさい。」
いつになく、おとなしいので、ビックリだ。
「友坂進一さんですね。
他のご家族も、先程目覚められました。
何処にも怪我はありませんので、ご安心下さい。
『ジュエル』の催眠ガスの効果は人それぞれですので、万が一のための経過入院です。
よろしければ、少しベットを上げましょうか。」
「ありがとうございます。
お願いします。」
看護師が慣れた手つきで、ベッドをあげてくれた。
視野が広がり、自分の腕に刺さっている点滴も見える。
「何か有りましたら、呼び出しブザーをお使いください。」
「わかりました。」
「さてと、君たちはもう少し、小さな声で話すんだよ。」
ワザと小さな声で『はーい。』と2人で返事をしている理一と基紀に笑いながら、看護師は部屋の外へと行ってしまった。
「理一、基紀、少し静かにしような。
お父さんまだ、頭がはっきりしてないだ。」
「はーい。」
小さな返事をする度、2人は嬉しくて仕方がなかったが、布団を口まであげて、喋るのを我慢したのだった。
進一は眼を閉じて、霞が掛った記憶の糸を手繰っていた。
警告音と無味無臭のガスの噴出は、覚えていた。
車内に白い綿の様な物が出てきたのも、思い出したが、そこまでだった。
他の同室の人達もそれぞれ目覚め、友坂家の3人の点滴も外れた。
丸一日が経過していたので、お腹は空いていた。
お昼は食堂で食べる事になっていたので、3人は同室の人達と共に、ゾロゾロと歩いて行った。
案内されたテーブルには、菜美と夏菜子と義母が先に座っていた。
どうやら、家族はひとテーブルに集められている様だった。
お互いの無事を確かめ、食事が始まった。
事故を聞き付け、病院に来た親戚とのその後の面会を言い渡されてる家族もいた。
大人は、まだまだボーッとした顔をだったが、子供達は回復が早く、少しでも触れ合えば、我慢出来ずに、笑ったりしている。
その後、私服に着替えて、事故に巻き込まれた全員が、会議室の様な場所に集められ、それぞれの携帯電話を返されたのだった。
この病院には、20人ばかりが運ばれてきていたのだ。
ザッと事故の経過が話された。
局地的な地震が襲ったのだ。
震源地が浅く、高速道路は橋桁ごと落ちてしまったそうだ。
死傷者は無く、全員無事だと知らされて、ホッとした。
入院と退院の手続きを済ませ、それぞれの保険屋への連絡も出来た。
車の側に行くと、無傷の愛車が『ジュエル』と共に待っていた。
車内も整頓されている。
残念ながら、牧場のペンションへは向かわず、帰宅の途につくのだ。
車の中は、あの時の事で持ちきりだった。
上の2人は、麒麟を見たと言い張る始末。
下の娘は雲に乗って歩いたと、言うし。
確かに、ガスが出た時、一緒に白いモヤモヤした物が出ていた様な気がする。
『ジュエル』は、車内のそんな喧騒なぞ、どこ吹く風で、何時もの仕事を淡々とこなしている。
帰宅してから、ワイワイと喋りながらも、夕飯の時間が来た。
それぞれ食卓に着くと、悪いクセだが、ついつい、テレビをつけてしまう。
「あれ、あれだよ。」
「あー、見て見て。」
そこには、あの事故のニュースが流れていた。
白い靄の様な物に包まれた車が、4本足で歩いていた。
所々薄かったりで、下の車の色が出ていたりして、胴が太い、不恰好なアミメキリンそっくりだ。
下に字幕が出ている。
『ジュエル』搭載の車には、この雲の様な安全装置が搭載されていると言うのだ。
中の人間は笑気ガスの一種で、リラックスさせらていて、柔らかな繊維に包まれる。
外側はコーテングされてそれなりに硬くなり、車全体を支えながら、その長い足で歩いて、安全地帯まで、移動すると言うのだ。
確かに、麒麟の行進に見えなくもない。
長い足は、高速から降りると、縮まる。
車の下に取り付けられた細い繊維に沿って、雲の様な綿の様な物質は変化し、歩き出すのだが、それは企業秘密だと、書いてある。
「えーっ、それが知りたい事じゃん。」
「だよねー。
足が前に出て、歩くなんてさ。
凄いのに。」
理一と基紀がブーブー文句を言う。
「割り箸で歩いてるみたい。」
と、夏菜子がケロケロと笑う。
皆んな、箸を持ったまま、テレビに釘付けだ。
前を確認する為、伸びた部分がまるで麒麟の頭の様だ。
ギクシャクしながらも、麒麟たちは、山の牧場を超えて行く。
長いトレーラーには、8本の足がついていた。
3人の子供達には、これが大ウケで、しばし食卓は、爆笑の渦の中だった。
どうやら、空気に触れると変化を起こすガスの様で、それを細い繊維に絡ませながら、車を包み、足にしている様だとわかったが、そこまでだった。
いくら聴かれても、携帯で検索をかけても、あれが歩く事の謎は解けなかった。
それでも、あの地震の中、誰も怪我1つしなかったのは、あの安全装置のおかげに他ならない。
後から映し出されたあの高速道路は、グネグネに曲がり、1部は下に滑落していたので、今度は箸を持ったまま、シーンとしてしまった。
溜まった新聞にも、行進する麒麟の群れと、壊れた高架がカラーで大写しされた写真が載っていた。
携帯のサイトからその新聞の写真を取り出し、引き伸ばして、額に入れた。
よく見ると、麒麟たちの後には、足跡が残っている。
よくぞ助かったものだと、その足跡を見ながら、皆んなで話した。
あれから、3年。
『ジュエル』は、事故を減らしてくれた。
車に乗る安心感は、とても上がったのだった。
それでも、麒麟の行進には、あまり会いたくない。
あの高速道路はトンネルのある場所から、1車線の一般道に変更になった。
おかげで、路肩に車を停めて、牧場や牛を見る場所が出来て、観光客が増えたそうだ。
理一の受験も終わった事だし、今年こそ、あの行きそびれた牧場のペンションに行く計画を立てている友坂一家御一行だった。
今は、ここまで。