陸ノ刻 ~小望月~
私は今、兄が消えた扉の前に立っている。
この扉の向こうに兄がいる。
私は黒い月の銅板を扉に嵌め込んだ。
すると、ガチャという音のあとにギ……ギィ……という音を立てて扉がひとりでに開く。
扉が開くと同時に扉の先から生暖かい風が吹き出す。
そして、その先にあったのは下へ下へと続く螺旋階段。
下を懐中電灯で照らしてみると吸い込まれそうな闇が広がり、ゴオォと風が下から吹き上げる。
私は恐怖し思わず後退ってしまう。
しかし、兄のことを思うと躊躇っている時間はない。
私は恐怖を押し殺して、石造りの階段を下りる。
◆◆◆
カツン……カツン……
どれくらい下りたのだろうか。
下を照らしてみても闇が広がっているばかりで、終わりが見えない。
それに気のせいだろうか、階段を下りるたびに息苦しく感じるのは……
何度も立ち止まって休もうと思ったが、その度に兄の顔が頭に過る。
そして、「早く行かなければ」という焦燥感に駆られる。
私は重い足を引きずりながら階段をなるべく早く下りていく。
そんなときだった。
突然、両腕と左足に締め付けられるような激痛が走り、思わず足が止まる。
見ると左足首にまで縄のような青い痣が浮かんでいた。
あまりの痛みでその場に立っていることができず、蹲り、目を瞑る。
すると、フッと痛みが消える。
そして、目を開けると……
なにも見えない、なにも聞こえない無音で漆黒の闇の中に立っていた。
そんな闇の中、突如光が差し込む。
眩しさで思わず私は目を細める。
すると、その光を正面にして人が立っていた。
その人は顔だけをこちらに向けてなにかを呟く。
しかし、その人の声がなぜか聞き取れない。
すると、その人は光に向かって歩き出す。
私はその人に駆け寄るが、追いつけない。
突如、私の視界が白黒に反転し砂嵐のように掠れ始める。
私は叫ぶ。
「――兄さん!!」
それを最後に私の視界はプツンと黒くなった。
◆◆◆
「――兄さん!!」
私は叫び、起き上がる。
はぁ――、はぁ――……
どうやら気を失っていたらしい。
それに嫌な夢を見た。
兄がどこか遠くへ行ってしまう夢。
そんな夢を見たせいか、さっきから寒くもないのに体が小刻みに震え、呼吸が乱れ、嫌な汗が止まらない。
私は震える体を抱き、深く息を吐き、自分を落ち着かせる。
大丈夫……、きっと大丈夫……
そう自分に言い聞かせる。
すると、体の震えは止まり、呼吸も落ち着いた。
それに気のせいだろうか、体が少し軽くなったような感じがする。
私は懐中電灯を拾い上げて、再び暗い石造りの階段を下りる。
しばらく階段を下りると、長かった階段が終わり、朱い扉の前に辿り着く。
私は扉の前に立ち開けようと手を触れようとしたときだった。
扉がゴゴゴ……という音とともにひとりでに開きだした。
扉の奥から生暖かい風が吹き出したかと思うと、人の手のように体に纏わりつき私を引っ張る。
まるで、私を誘っているように感じた。
私は、扉の奥へと足を踏み入れた。
◆◆◆
扉の奥に入るとゴゴゴ……と音を立てて扉がひとりでに閉まる。
もう、後戻りはできない。
私は暗い通路を進んでいく。
すると、また扉があり、扉には『月ノ宮』と書かれてある。
扉は私が前に立つと、ゴゴゴ……とひとりでに開く。
中に入ると、大きな広間に出た。
広間に入ると、先程と同じ音を立てて扉がひとりでに閉じる。
広間の中央には、上から光が差している。
上を見ると穴が開いていて、そこから月の光が零れている。
その光の中にきらきらとなにかが光っている。
私はそれを手に取ってみる。
大きな青い石が嵌め込まれた首飾りが落ちていた。
これが父の紙片に書いてあった霊滅石の首飾りなのだろうか?
青い石が月の光を反射して淡い青い光を放っている。
私がそれに見入っていると、周囲の暗闇からくぐもった声がする。
さい……なさい……
辺りを懐中電灯で照らそうとするが、光が点かない。
何度も点けようと試みるが、なにも反応しない。
やがて、それは徐々にこちらへと近づいてくる。
……さい……つばめ……
そして、それは暗闇から姿を現した。
私はそれの姿を見たとき息を呑んだ。
それは、18歳ぐらい少女だった。
右手には血塗れの大きな鉈、そして、着ている紫の着物は鮮血に染まっていた。
少女は俯きくぐもった声でなにかを呟いている。
「……本当は……私がお姉ちゃんとして……みんなを守ってあげなくちゃいけなかったのに……」
少女は、徐々に語気を荒げていく。
「……なんで……私は……あの娘たちを守ってあげることができなかったの!!」
少女の悲痛な叫び声が広間に木霊する。
「私のせいだ……私のせいで……みんな……みんな死んだ!!」
少女の怒号で私は思わず一歩後退る。
少女は涙を流しながら笑みを浮かべ、ギィ……、ギィ……と音を立てながら大鉈を引きずりながらこちらに近づいてくる。
そして、先程とは打って変わって穏やかな声で私に語り掛ける。
「……だから……あなたも……」
「……殺してあげる……」
そう少女が呟くと、大鉈を振り上げ、迷いなく振り下ろす。
私は驚き後退るが、足がもつれて後ろに倒れ込む。
大鉈は私が立っていたところに振り下ろされた。
私は立ち上がり少女から距離を取り、どうしたらいいかを考える。
その間にも少女はゆっくりと近づいてくる。
父の書き残した紙片……もし……あれが本当ならば……
私は立ち止まり首飾りを前に掲げてみた。
しかし、なにも起こらない。
少女は足を止めずにこちらにゆっくりと向かってくる。
私はもう一度首飾りを前に掲げてみた。
だが、やはりなにも起こらない。
少女はもう一度大鉈を振り上げ、そして、振り下ろす。
そのとき私は目を瞑り、強く思った。
……助けて!! ……
すると、少女の耳を劈くような悲鳴が聞こえた。
目を開けてみると、首飾りの霊滅石が強い青い光を放っていた。
しかし、その光はすぐ消えてしまった。
少女は呻きながら頭を押さえ、ふらふらと立ち上がる。
「……うう……うっ……」
そして、またギィ……、ギィ……と大鉈を引きずりながらこちらに近づいてくる。
私は考える。
どうして霊滅石が光を放ったのか?
考えろ……
どうすれば、また光を放つのか?
考えろ……!
あのとき、私は強く思った。
強い思い……? もしかしてそれが……?
気が付くと少女はすぐ近くまで来ていた。
そして、三度大鉈を振り上げる。
私は首飾りを前に掲げ、強く思う。
私を護って……!!
すると、首飾りの霊滅石が強く光り出す。
目が眩むほどの青い強烈な光が広間を覆う。
そして、次に少女の悲鳴が広間に響く。
しばらくすると少女の悲鳴が遠のいていく。
目を開けると広間に少女の姿はなかった。
そして、奥の扉がひとりでに開く。
その扉の奥にはさらに下に行く階段が顔を出す。
私は首飾りをギュッと握って階段を下りる。
この下に兄がいると信じて……




