“ちょうしん”少女の話
初めて書いた小説です。
私はいつも「のっぽの方」ですとか、「大きい方」ですとか、とにかくそういう風に人から呼ばれることが多いのです。何かにつけて、まるで「大きい」ことこそ一番よいことであるかのような言い回しはよく耳にしますけれども、「少女」と分類される年頃の女子である私にとってそれは決して喜ばしい呼称ではなくて、むしろそう呼ばれることで劣等感に苛まれることもしばしばあるのです。
そもそも、比較の対象が居なければ、私がこのように不本意な呼称で呼ばれることもないはずなのです。そう、私の唯一の同僚である彼さえ居なければ。
「なぁ、背ってどうやったら伸びるんだ?」
「…知りませんわ」
生まれつきですもの、と付け加えようとして隣に並んだ彼の方を向くと、ちょうど私のあごの高さくらいに彼の頭のてっぺんが来ることに気づいてしまったので、付け加えようとした言葉は言葉になりませんでした。
あぁ、彼が私より小柄でさえなければ、と、今まで何度思ったことでしょう。
走り続けることを生業として生きる私と、同じく走り続けることを生業として生きる彼は、生まれながらにして四六時中二人きり、同じ空間で働くことが定められているのですが、いくらその空間がただ広くても、自らの意思に関わらず他者と四六時中居なければならないというのは、時として結構な苦痛を感じるものなのです。感じるはずなのです。
それなのに、彼が私に対して不満を感じているような素振りを未だかつて見たことがありませんので、まさかこのような感情を抱えているのは私だけなのかと不安に思うこともしばしばあるのですが、四六時中彼と二人きりで働く私には彼以外に話し相手もおらず、日々募るこの心のもやもやした感情を吐き出せる相手も場所も、結局見つけられないでいるのです。
「よう」
「…こんにちは」
「あ、そのさぁ、『こんにちは』っての」
「何か?」
「『おはよう』と、『こんにちは』の境目と、『こんにちは』と、『こんばんは』の境目って、何時だと思う?」
「…さぁ?」
やっぱ謎だよな、と呟く彼を追い越し、私は走り続けます。一定のリズムで、一定のコースを一定の歩幅で走り続けることが私に与えられた職務であるので、彼のおっとりした物言いに付き合って遅れを取ることはおろか、足を休めることすら決して許されはしないのです。
たん、とん、たん、とん。ただ広い空間に響く足音を聞きながら、自分のペースが乱れていないことを確認しつつ、ゆっくりと、それでも所定の時間ぴったりに決められたコースを一周すると、また彼の背中に追いつくのでした。
「なぁ」
「…また何か?」
「何でいつもそんなに忙しないんだ?」
「…これが私の仕事、ですから」
そっか、と呟く彼をまた追い越し、走り続けます。
彼の背中に追いついては追い抜き、追い抜いては追いつくのもまた、私に与えられた職務の一部なのです。
私が彼に対して不満を感じるのは、彼と私の外見を比較されてしまうことや、彼と二人きりの職場に嫌気がさしていることばかりが原因ではなく、彼の仕事量が私の仕事量と比べてあまりにも少ないと常日頃から感じているせいなのです。私が細心の注意をはらい、職務を遂行している間に彼がどのように心掛けて職務を遂行しているのか知る由もありませんが、私が彼を追い抜いてからコースを一周し、また彼の背中に追いつくまでの間、彼は私の走るコースの十分の一すら進んでいないのです。同じコース上で、何度も私に追い抜かれているにも関わらず、焦る素振りすら一度たりとも見せたことはなく、そのくせ私の顔を見るたび、挨拶代わりのつもりか二言三言、取り止めのないことを話しかけてくるのです。
「よう、また会った」
「私は出来ることならお会いしたくないのですが、」
「『仕事だから仕方なくです』だろ?」
「何度目でしょう、このやり取り。」
「忘れた。でも、」
「でも?」
「俺はお前に会うと、嬉しいよ」
「…ふん、」
相変わらず反応薄いな、とこぼす彼の言葉を背中で受け、走り続けます。彼の言葉だけでなく、視線も背中に受けていることを感じますが、だからと言って振り向くことも立ち止まることも、決して許されはしないのです。
こうして、私が生まれてから今までに何十何万何千何百何十何回彼を追い抜き、何十何万何千何百何十何回追いついたか覚えていられない程時間が流れたある日ある時、その瞬間はやって来ました。
「あのさ、俺、ずっと考えてたんだけど」
「考える時間はたっぷりありますものね」
「…『私と違って』って、言うんだろ。嫌味だなぁ」
「異論がありまして?」
「…まぁいいや、あのさ、」
「はい?」
「俺、お前のこと好きみたいだ。」
そう発せられた彼の言葉はあまりにも想定外で、だからこそ深く深く心に突き刺さるものであったので、心の準備など一切出来ていなかった私は彼の言葉を一瞬理解することができず、ただいつものように彼の視線が自分の背に向けられていることを感じながら、いつものように走り出してしまったのでした。
たん、とん、たたん、とん、決して乱れてはいけない私のペースは、心臓の音の乱れにつられてどんどん崩れていきました。落ち着こうとするほど焦りは増し、たっ、とん、たん、とととっ、と、リズムも歩幅も、元のように一定ではなくなってしまうのでした。こんなに乱れてしまっては、自分の力で職務を全うすることなど到底出来そうにありませんので、いっそ思い切って立ち止まってしまおうとも思うのですが、心とは裏腹に、走り慣れた私の足は止まってはくれませんでした。
たっ、とん、たたん、ととん。私の足音が普段と違うと気づいたのでしょうか、それとも、いつも所定の時間ぴったりに彼を追い抜く私が、その時間を過ぎても彼に追いつくことすらできていないことの意味を一秒でも早く知りたいのでしょうか。彼は肩越しに私に目を向け、口を開いたのです。
「なぁ、『このまま時が止まればいいのに』なんて、思ったことある?」
何を馬鹿なことを、といつもの私ならば一笑に付していたところでしょうが、彼の震える声やほんのり赤く染まった頬を見ると、そんな気は失せてしまうのでした。
むしろ私のほうこそ、彼に笑われてもおかしくないのです。なぜなら私は、彼の頬の赤さその何倍、何十倍に自分の頬が赤く染まってしまっているのか、考えることすら嫌になってしまっていたのですから。
たったの一言、彼に伝えるだけでも声が震えてしまわないよう、必死でした。
「…今、初めて思いましたわ」
たん。私の足音はそこで止まりました。
(“長針”少女の話)
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