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さよなら王子さま

作者: 清水 壜

 ものは心で見る。大切なことは目では見えない。

 僕は先生の言う通りにそこへマーカーペンを引いた。「最も重要」という意味の黄色のペン。生きる意味がみっちり詰まった2センテンス。

 でもこの2つ、僕に言わせてもらえば、対になっているわけじゃない。ただ隣り合っているだけだ。1年3組の教室の中の僕と天川みたいに。

 毎月1日、担任はクジ引きを用いて生徒をシャッフルする。生徒は全部で46人(全員男)、感動のない席替えをして、佐藤文生と天川千幸が3ヶ月続けて隣同士になる確率はX%――これはつまり数学の問題だ。

「そう思わないか?」

 まず、目に見えないものを、心で見ることができるとは限らない。また、顔面に嵌まっている双眼よりも、心の目が優れているとも限らない。それにそもそも「心」とやらが曖昧じゃないか。一体何者か、どこにあるのか、はたまたないのか。心こそが「目に見えない」のだから、釣り合わない。

「ボク、そんなややこしく考えなかった。大切なのは見た目じゃないよ、心の持ちようだよって、それだけのことじゃないの?」

 放課後の教室で、夕日を浴びて、天川はさらさらの金髪を揺らして微笑む。この男は、そうすれば、この世の全ての憂いが振り払えると思っている。そして口惜しいことに、それは上々の確率で成功する。僕は天川の台詞の、あまりの白々しさに溜息をつく。

「天川は何か一つでも難しく考えたことがあるのか?」

「ないよ。ボク、未来が見えるんだもの。」

「お前、そういうことばかり言うから、いつまでもクラスに馴染めないんだぞ。」

「だって本当なんだもの。アナタが一番分かっているはずだよ。席替えのこと、思い出して?」


 今から遡ること約3ヶ月、極めて中途半端な時期に、天川千幸はこの片田舎の男子高校へ転校してきた。

 命の枯れ果てた冬の朝、彼をはじめて見た時の衝撃を、僕は一生忘れないだろう。

 彼は、その恵まれた体躯をもって、真っ黒で野暮ったい学生服をどこかの国の軍服のように着こなしていた。はにかんだ唇は薔薇色で、肩にかかるほどの金髪には光の輪を冠していた。僕を含めたクラスメイト全員が、雷に打たれたみたいな顔になった。

「天川千幸です。はじめまして。」

 教壇へ上がった彼はそう言って小さな頭を下げた。素っ気ない口ぶりが、彼を一層気高く見せた。

 その日は丁度月初めで、僕たちのクラスでは席替えをする日だった。担任が46番のクジ紙を箱へ追加して、天川もクジを引いた。その結果、天川は僕の隣の席に決まった。彼は少し前の態度とは打って変わって、悪戯っぽく微笑んで僕に耳打ちした。

「きっとボクたちずっと隣同士になるよ。よろしくね。」

 ――そして予言の通り、僕たちの席は3回連続で隣同士になった。

 その間に僕は天川のことを少しずつ知っていった。彼は難しい名前の国で生まれ育ち、また身体にはその血が流れていること。その為国語はまだ苦手なこと。彼の大変目出度いが目立ち過ぎる名前を考えたのは彼の母親で、その為に随分苦労してきたこと。しかし今では女の子に受けがいいので気に入っていること。彼の父親は俗に言う転勤族で、その為に彼も学校を転々としていること。しかし男子校はここが初めてだということ。

 天川の打ち明け話はいつも唐突に始まるので、僕は最初の何回かは狼狽えて、対応に失敗して彼を怒らせた。彼は気だてが良いが、頑な部分も持っていた。そこを茶化されるとすぐ拗ねる。見た目に反して性格は少々子供っぽいのだ。

「確かに偶然にしちゃ出来過ぎだな。」

 僕は天川とは違う。説明が必要ない位、平凡な一男子高校生だ。頭の出来も例に漏れない。それに代わる第六感もない。それでも、さすがに気がついている。

 あれは予言ではなく犯行予告だった。

「すごいでしょう?」

 天川が大げさに胸を反らす。同時に、下校15分前を告げるチャイムが鳴る。僕たちは、日直の仕事を急いで終わらせなくてはならないことを思い出す。


 以下の3つの問いに答えよ。

 ある片田舎の男子高校の1年3組には、毎月一日に席替えをする習慣がある。方法はクジ引きを用いる。生徒は現在46名で、2人ずつ並んで坐るものとする。

 [問1]生徒である佐藤文生と天川千幸が3ヶ月続けて隣り合う確率は何%か。

 [問2][問1]が実際に起こるとき、考えられる最も現実的なトリックは何か。また、その理由について自由に考察せよ。


 天川にはいつも時間がない。彼は常に転校というタイムリミットに脅かされている。

 まず目ぼしい人物を見つけて、目の端で確認し合い、何も言わずに感じ合い、それから徐々に距離を詰めていく。彼はそんなややこしい段階を全て踏み飛ばして誰かの隣に坐る。大切なのはそこからだ。出来るだけ長く隣り合うこと。彼はその為ならなんだってする。クジ紙を交換してもらうことくらい造作もない。彼には経験値があるし、なにより、特殊な案件には、転校生という肩書きや麗しい見た目がとても役に立つ。

「これ、今日のアナタの寝癖。ボクの席から見たときのね。」

 日誌の備考欄に滅茶苦茶な線を描きながら、天川はぼくに笑いかける。

「そんなもの描いている場合じゃないだろう。」

 夕日の赤がどんどん濃くなる。天川が聴こえないふりをするので、僕は彼の腕の隙間から手を延ばして、苦心して日誌に日付を書き込む。1月28日木曜日。明日は創立記念日だから、今月最後の登校日ということになる。

 そして次の登校日は一日だ。天川がやって来てから丁度4回目の一日。

 僕は身震いする。冒険し慣れない僕にとって、失うことについて考えるのはとても怖いことだ。

「でも大切なことなの。」

 天川の声の調子が落ち着いているので、僕は余計堪らなくなる。

「知っているよ。」

 実のところ、見ないふりをしていただけで、嫌な予感は何日も前からしていた。とはいえ、前にも言った通り僕の感覚は一般人のそれだから、これは予感なんかじゃなく、誰にでもできる簡単な推測に過ぎないのだろう。ヒントも十分あった。いつだったか天川は言っていた、ボクはひとつ前の学校には4ヶ月もいた(・・・・・・)の、と。

「これが例えば給食に出た芽キャベツだって、いつか同じように大切になるの。」

「知っているよ。」

 僕は指摘された寝癖を撫で付ける。今日は朝から鏡をろくに見ていないが、天川の絵が相当拙いことは明白だ。

「アナタに分かればいいの。」

 天川は僕の心を見透かして、夕日のせいでなく少し赤くなる。僕はまた気づかないふりをして席を立つ。窓を閉め、カーテンを引く。日誌は天川に任せるとして、あとは黒板を拭くだけだ。


 黒板に書かれた日直の名前。佐藤文生と天川千幸。対になっているわけじゃない、ただ隣り合っているだけだ――それなら何故、僕は消すのを躊躇う?

「やっぱり隣同士って特別だよね。」

 僕は何も言わない。僕にはまだよく分からないのだ。僕の生きる意味も、天川の生き方も。

 天川の特別は、僕でなくてもよかった。だけど特別のクジを引いたのは僕だった。たったそれだけのこと――でも生きていくってきっとそういうことの連続だ。天川は、幼い頃から冒険して来た分、そのことをよく知っている。

 だから全力を注ぐ。短い時間の中で、その場その場にたった一人の特別を見出すことに、つまりその場その場を出来る限り大切にすることに。真剣な悪戯ほどたちの悪いものはない。慣れていることもあって、見事な手際だった。僕はまんまと彼に飼い慣らされたことを認めよう。

 しかし、この期に及んでなお、天川が見落としていることがある。それは例えば、何日か後のこの教室のことだし、またそのときの夕日の色のことだ。

「天川、日誌を書き終わったら、お前にひとつ秘密をやる。隣の席の好みだ。」

「ヨシミって誰?」

「お前がずっと大切にしてきた人。」

 僕はこの先何度も天川のことを思うだろう。天川が意図的に、あるいは気まぐれに残した贈り物が、僕を躓かせ、泥まみれにし、呆れさせる。癪な話だ。立つ鳥後を濁さず、という類の諺は、彼の母国には存在しないのだろう。

「ボク知らないよ。」

「お前はもっと自分のすることに責任を持たないといけない。」

 今度こそ国語の問題だ。僕がお前にとって世界でたった一人の人となる――対になるのはどんな言葉か?

 天川が首を傾げる。不思議そうに瞬く。その仕草に合わせて、髪が、瞳が、キラキラ光る。僕は増え続ける贈り物を抱えて立ち尽くす。

「天川。」

 僕だって知らなかった、失う恐怖と同じ重さで、誰かの幸福を祈る歓びがあるなんて。

「ボクに任せて。」

 天川が日誌を閉じて席を立つ。彼は全ての項目をきちんと書き込んだだろうか? あの下手な落書きは消しただろうか?

 天川は黒板の前まで来て、黄色のチョークを手に取った。そしておもむろに一筆書きする。まず僕と彼の名前の上に三角形、その頂点から名前の間に真っすぐ線を下ろして――。

 僕は彼が古風な呪いを書き終える前に、隣り合う名前を消した。天川がそっと笑うのが分かった。

「これで秘密を教えてくれる?」

 僕は頷く。砂漠色のチョークの粉がはらはら舞う。

「僕も、ほんの少し先の未来なら見ることができるんだ――お前の予知能力に比べたら、あんまり、意味がないけど。」

 うん、と天川も頷く。彼もまた怖がっている。下校五分前のチャイムが鳴る。僕たちは再び、急がなくてはならないことを思い出す。僕たちはずっと一緒にはいられないということを思い出す。僕は、一度深呼吸をしてから、付け加える。

「次の席替えで用意されるクジ紙は45枚だ。」

 言ってしまえば、なるほど、難しくも何ともない。

 天川は紛れもなくいま僕の隣で生きている。4日後、クジ紙が1枚なくなっても、天川はこの星の何処かで生きている。金の髪を揺らして、よく笑って、千の幸せを振りまいて。

「そう思わないか?」

 天川が顔を赤くする。

「ボクに見える未来と同じだ。」

 下校のチャイムが鳴る。僕たちは1年3組の教室を出る。


 [問3]次の席替え前に天川千幸が転校するとき、彼の隣の席が佐藤文生であったのは、このクラスで過ごした時間の何%か。


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