Chapter7:狩り
どうも、こんにちは。ロベリア・イェーガーです。
私は現在一人で神宿の街を散策しています、しかも人通りが少ない道を適度に織り交ぜて移動しているわけなのですがーー
***
磔殺人事件の翌日、変死体の写真と資料を広げた机を挟んで私と先生は睨み合っていた。
「……許可を出す訳にはいかない」
「何故ですかっ!」
吐き出した言葉と共に前に乗り出す、しかし、悲しいかな。相手は百戦錬磨の巨匠、微塵の揺らぎも起こしてはくれない。
「リスクが高過ぎる、それに確実性に欠ける」
「しかし、次の事件が起きてからでは遅いんですよ!」
「それも理解している。しかし、儂が君を助手として雇っているのはなにも危険な目に合わせる為ではない」
このように頑なに私の提案を拒否して話を聞いてくれない。
そもそも情報が無い以上は何かしらの手段を用いて手掛りを此方に引き寄せない限り犯人を捕まえることはできやしない。
見た目で言えば捕まえやすそうな私を囮にした方が論理的に考えて犯人も動く可能性が高いはずだ、なのに許可してくれないどころか「儂が囮になろう」とか言っている。
あまりこんなことを言いたくはないが長身で逞しい身体付きの強面の壮年が囮になるとは思えない、まず失敗するだろう。
だから必死になって私が囮になると言っているのに……
「このままでは平行線で日が暮れてしまいます、この辺で落とし所を決めましょう」
「……ふむ、仕方がないな」
我侭な娘に手を焼いている父親のように疲れた顔をして渋々、了解をした。私にしてみれば先生の方がよっぽど頑固でわからず屋だと思うのだが…って話が進まない、落ち着かないと。
「折衷案として私は囮に、先生には護衛をお願いしたいです」
「ん? それでは何も変わっとらんではないか」
「そこは先生の技量でカバーしてください、私が無事に囮を全う出来るような策を期待していますから」
「ん……ぐ、なんともやり辛い助手だな」
笑顔で全幅の信頼を寄せる私に何とも言えない表情で肩を落とした先生は脱力して椅子に身体を預けた。
しかし、すぐに気持ちを切り替えたのか椅子から徐ろに立ち上がると部屋の入口まで軽快に歩きだして。
「一階から仕事道具を持って来る、少し待っていなさい」
と言って扉を開けて出て行ってしまった。
一階には仕事に使う物が収められている、危険な物も数多く保管されており、未だに私は足を踏み入れたことはない。
10分もしないうちに先生は戻って来て冒頭の私の散策に話は戻るわけなのだが……
まったく当たりが来ない。
わざと人気がない場所を通ったりと工夫をしてはみるもののそれらしい人間との接触は無しだ。しかし今日はやたらと誰かに声をかけられたり野良猫が着いてきたりとなんだか賑やかなのがいけないのだろうか。でも、わざとやっているわけでもないので勘弁して欲しい。
ちなみに先生は今も護衛してくれているらしいが何処にいるのかまったく分からない、気配も微塵も感じ取れない。
隠れる場所が無いのに潜伏する技量は我が師ながら驚きを禁じ得ないがこれは今更だろう。
「本当にこのまま時間だけが過ぎそうだ……」
弱気になりつつも事件現場から近い場所をジグザグと進み、ふと歩いてきた道に微かな共通点に気が付いた。
周囲には特に高い建物があるわけでもない。しかし、同じぐらいの高さの建物が不規則に並びアミダくじのように道を四方八方へと伸ばしている。この程度の立地ならば何処であろうと似たような場所があるだろう……だが、いずれも道が狭く昼間だというのに薄暗い、これは偶然なのだろうか?
狭く隙間から覗く空を見ながら今までの道を思い返す。
殺人事件のあった路地の周囲の道はいずれも狭く暗かった、考えてみれば少し離れた道は道幅は普通だが日当たりだって別に悪くもないし人だってそれなりに歩いていた。
犯人は狭く暗い場所から獲物を狙っている?
確信はないがこれはしっくりくる気がする。
もしそうならば犯人の捜索範囲を絞ることができそうだ。
細やかな指針を元に一歩踏み出したところでーー
ドサッ
と、イヤな音が背後からした。
振り向きたくはないが一切の音がそれ以上しない。
いつの間にか暮れてきていたのか、空から射していた日差しが消えて周囲が影にゆっくりと沈んでいく。
額を流れる汗を無視し、思い切って後ろを振り返った。
人が、いた。
二本の足で立ち、両の手は壁へと付き、ちょうど覗き込むような体勢で立っている。
私からは側面を向いているので確かなことは分からない、だが首から上は壁の中に消えていた。
「ーーっ!?」
息を呑み、一歩後退る。
さっきまで後ろには誰もいなかった、それは間違いない。
なにしろ通り過ぎた場所にはこんな不気味なオブジェのようなモノが存在していたら絶対に気が付くはずだ。
じわりじわりとイヤな汗が滲み、緊張感から胃が小さく痛む。
先程より、周囲を包む闇が濃くなった気がした。
壁、物陰、背後。
私からは見えないが誰かが暗がりからこちらを観察している。
正体不明の監視者から身を守るため、壁を背にして左右に意識を向けるが依然として視線を感じる、なんだこれは。
時間の感覚も抜け落ちているのか、辺りは暗闇に閉ざされ、建物の隙間から照らしていた日差しも在りはしない。
焦りと怯えを圧し殺してギュっと拳を握り締めたところで闇が波紋が拡がるように蠢き、暗がりを裂いて白いモノが拡がる。
手、だ。
大量の腕が爆発したかのように一斉に群がってきた。
青白く細長い腕は全てが私を目指して殺到し、襲いかかる。
壁も地面も闇ではなく手の白さに寄って染められていき私は抗う術すらなく無数の白に蹂躙されーー
ーーコレは予想が外れたかね
低い声が闇に響く。
大量の手の下に私の姿は無い。
何時入れ替わったのか分からないが其処には男性が一人、凶悪な笑みを浮かべた大柄の壮年が古めかしい本を片手に立つ。
手にした本には見たことのない不思議な光が灯り、周囲の闇と手を照らし出した。
「犯人は人間かと思っていたがこのような異形とは。本当に儂ら向けの仕事だったか」
闇を照らす光に怯えたのか、はたまた目の前の人間に怯えたのか定かではないがざわりと手が騒々しく揺れる。
「この世界の法則が通じぬ相手には相手の法則に合った手段を講じれば良い。つまり異質な力には異質な力を」
気味の悪い腕はピタリと動きを止め、先生の方を一斉に向いた。
そして、何十何百もの手が激流のように風を切り迫っていく。
普通に考えれば数多の腕の餌食となり数秒後には惨たらしい死体へと成り下がるだろう。しかしーー
「……イステの歌よ」
手にした光る本を掲げると驚いたことに手が逸れた。
いや、逸れたのではなく見えない壁のようなものに遮られ一つとして壮年の身体には触れることができない。無限にも思える腕は退けられ虚しく空間だけを抉る。そして本を持たぬ方の手が静かに向けられた。
鋭く響く甲高い音。
迫った腕の一群が霧散するように散る。ススキのようにざわめいていた腕は嘘のように引き、闇が拡がっていく。見ればいつの間に手にしたのか古めかしい回転式拳銃が鈍く光を照らし返しているではないか。
更に二度三度と音は続き、白い腕は紙吹雪のように散っていく。
あれだけ溢れ返るように蠢いていた腕は纏めて消えていく。しかし、減った分だけ補充されるように闇から湧き水のごとく白い腕が続々と姿を現し、更には足下からも腕は飛び出すと拘束しようと執拗に掴みかかる。
だが、予想外にもその身体からは想像できない身軽さで風のように難なくその手を回避してみせた。
「一筋縄ではいかんか」
顎髭に手を添え、不敵な笑みを浮かべる余裕さえ見せると拳銃を排莢し悠々と弾丸を装填していく。
あれは明らかに挑発してみせているだろう。
一発ずつ弾を込める様を見せつけ、煽ってみせた先生は実に悪役である、いや悪役にしか見えない。
その甲斐があったのか壁のように全ての手が伸び、押し迫る。
守りも関係なく地面に埋める勢いで近づく腕を前に先生は嗤った。
「爆ぜよ」
次の瞬間、凶悪な閃光と爆発が狭い路地を埋め尽くした。
闇から光に反転した世界が視界を焼き、轟音が鼓膜を揺らすとすぐに消え、痕跡は何も無かった。
此処に私と先生しかいない。
まるで夢でも見ていたかのようにごく普通の路地の光景があるだけ。
「……終わったんですか?」
ゆるゆると絞り出した私の呟きに先生が応えた。
「いや、アレは消えてはおらんよ」
そう言って手にした本を懐へしまう、確信するような口振りは悔しさも清々しさもなく事実だけを述べている。
「アレは何だったんですか……」
「ふむ、そうさなーー」
少し思案するように目を伏せ、言葉を選びながら口にした。
「アレはいわば異世界の神の一部、世界と世界の極小の繋がりから這い出た髪先のような物よ」
か、髪先?
あれだけ暴れてみせた怪異が髪の先っぽ程度だというのか。
あまりの正体に私が呆然としているのを可笑しそうに笑った。
「何を驚いている。神なんてものは儂らの想像の及ぶような矮小な存在ではない、その在り方も力もな」
確かに、私は身を持って知っている。しかし、だからといってこれはないだろう。
たかだか戯れ程度であんな真似をされたら人類はすぐに枯渇してしまう、あんな異形たちによって。
「しかし、無抵抗でこの身を差し出すほど腑抜けてもおらん」
そう言って微笑う。
「正面きって倒すことは出来ずとも気勢を削ぎ、退けるくらいの抵抗はできるもんだ」
ついさっきまで行われていた出来事を思い返す。
確かに人間には太刀打ちできない相手かもしれない、だけど諦めて理不尽な死が振り下ろされるのを待つのは絶対に違う。
「それにな、別世界の法則を持つ力をお前さんは知っている」
「私たち自身、ですか?」
「その通り。その力はしっかりと相手に通じる、儂が保証しよう」
正義の味方とか誰でも救えるとか大袈裟なことは言えないが、私たちの力は確実に誰かの助けになる。
そう信じて振るうことができるとを先生は言う。
ステレオタイプな言葉だが力に善悪はなく振るう人間によって変わる、たとえ手にした切っ掛けが歪だとしてもだ。
暗い路地裏から出た私を陽射しが焼く。
どうやらあの路地は一時的に異界と化し真っ暗になっていたらしい、なんとも規格外な存在だ。
その場にいるだけで世界に影響を及ぼす存在……そんな相手に末端とはいえ正面から立ち向かい退ける先生は何者なのか。
不思議と興奮を覚えながら私は先生の後を追った。
***
「ところで今日はやけに人やら野良猫が私に構ってきていたんですが、あれも異界の神の仕業だったんですか?」
「なんだ、気づいておらんかったのか。あれは囮になると言うからお前さんに関心をより惹きやすくする術式を付与しておいた」
だから色々と群がってきたんですね、蟻みたいに。
思い返せば人以外も集まっているのだから何かしらの力が働いていることは明白でしたよ。
「あ、あと私と先生が入れ替わった術ですけれどあれは?」
「あれはちと変則気味な呪術だな。ロベリア君に降りかかる禍を儂に移す呪いにより、その場にいたのがロベリア君ではなく儂だったことにしたのだ」
「……それって世界の法則を書き換えていませんか」
「魔術とは己が力で世界に影響を及ぼし書き換える術、あれぐらいの手品などで驚いていてはまだまだ」
サラリと笑ってみせる先生だが本当にこの世界はおかしい。
ごく普通の生活を送っている人の裏で物理法則を無視して暴れ回るような輩が大勢いるのだ。しかも、導火線に火が点いているような状態の世界なのに対岸の火事のように人は生きている。
気がついた時は手遅れだというのに。
安穏と生きる人々を裏から支える先生のような人間がいることを知って欲しいのは私の我侭だが、誰かの犠牲で生きている以上は精一杯生きて欲しいと思う。
人生はいつ終わってしまうのか、分からないのだから。