chapter6:闇
ひとは暗がりの中に何を見るのだろう。
昔の人は夜闇の奥や灯りが届かない闇の中に不気味な存在を想像し、得体の知れないモノを妖怪や幽霊といった存在として絵画や本などに記し近年まで伝えてきた。
ーーしかし、それは本当に想像の産物だったのだろうか?
先の見えない闇の向こう側でナニかが息を殺してこちらを見ていないと誰が断言できるのだろう。
ほんの少し隙間の開いた扉の向こう、部屋の明かりが届かない場所、暗い水底、街灯に照らされた自分自身の影の中、暗がりは現代も昔も其処に存在する。
人気も明かりも存在しない薄汚れた路地裏の中にも。
***
「……なんですか、コレ」
私の第一声は概ね間違った反応ではないと、思う。
自分の存在も現実味がないのは分かっているが目の前に広がる光景も輪をかけて現実味がない。
路地裏で男が壁に磔にされている。
この時点で猟奇的な殺人だと誰もが思うことだろう、実際に私もそう思う。だが問題はそこではない。
地上から大体4メートルほどの高さに磔になっているのだ。もちろん路地裏なので重機が入れるスペースなんてものはありはしない。
しかし、梯子を使うなり時間をかければできないこともないだろう。つまり問題はこれでもないのだ。
誰が見ても異様な死体、それは手足が見えないこと。
切り取られていたならばまだ理解できる、だが現実は理解の範疇を越えてきた。
手首と足首から先は壁の中に埋まっている。なのに壁には罅割れた跡など見当たらない、完全に手足と同化……癒着しているようにしか見えない、境目がわからないほど。
苦しんだのだろうか、苦悶に歪んだ形相で死んだ姿から生きたまま壁に埋め込まれて息絶えたように見える。
「彼は何故こんな目にあったのだろうか」
いつの間にか警察官と話していた先生が隣りにいた。
その目は壁に磔にされた男性へと向いているが、私には死体を通して犯人へ向けて問いかけているような気がした。
「分かりたくもないです」
たとえ恨みがあったとしてもあんな姿にするのはまともな精神を持ち合わせているのならばまず行わないだろう、異常でなければおかしい。そんなイカレた精神状態を理解などしてやるつもりはなんて私には更々ない。
私の答えの何が面白かったのか、眉尻を下げて先生は私の頭に手を置く、大きな掌が少し重たい。
「それでいい。その気持ちを大切にしなさい」
そう言うと先生はまた警察の元へと歩いて行った。
いつまでも呆けていても仕方がない、急いで後を追わないと。
無惨な事件現場に背を向けて先生を追う。
警察からの情報はあまり多くはなかったのか、先生だけが残って写真やレポートを見ている。
死亡した男性は仕事の打ち合わせのために偶々神宿まで足を運んだらしい、いつもは来ることはないそうだ。つまり、彼を狙って行われたのならば事件はここで終わりだがーー犯人が無差別に標的を選んでいた場合は第二の事件が起きる可能性が非常に高い。
もし起こるとしたらすぐに起こる。
誰かに見せつけるように高い場所に死体を磔にしてみせた犯人は自分の犯行を誇示しているかのようだ。あえて見つかりやすくしていることから捕まらない自信もあるのだろう……。
気まぐれに人の生命を奪う。そんな相手に憤り、手が震える。
「現場の状態から考えて無差別殺人のセンが強いな」
眉間に皺を寄せて先生は呟くと資料を私に見せた。
書類には目立った外傷と争った痕跡が見当たらなかったことが書かれている、写真も殺害方法が異質なこと以外は読み取ることができない。
「服装に乱れもなく無くなった物もない、怨恨にしては死体が綺麗すぎるからですか?」
「そうだね、それに計画的に行われたものだろう。衝動的ではない、十中八九犯人に繋がる手がかりは見つからないな」
獲物は無差別、犯行は計画的、これでは次の犯行を防ぐのはかなり難しい。手口も分かっていない以上、手詰まりな感がある。
逆に分かっていることは相手は物質に干渉することができる能力か装置を持っているだろうということだけ。
「かなり不利ですね」
「そうかね? 分かることがあるだけ儲けものだよ」
そう言って笑う姿は、狩る側の人間にしか見えない。
本当に内面と外見が噛み合っていない、損な人物である。
磔にされた遺体が壁を削って降ろされていく。
死因はショック死、痛みに耐えきれず息絶えたと推察される。
誰だって自分がコンクリートと細胞レベルで一体化する苦痛なんて想像できない。
シートに包まれて運ばれる彼を見ていられず、現場を改めて眺めた。
建物と建物の間にある狭い路地裏、人はなかなか通らないものの誰かが近道として利用する可能性はないわけではない。
見つかる危険性を孕んだ上で及んだ凶行、見つからない自信があったのか、それとも目撃者も殺害するつもりだったのか?
どちらにせよ、犯人は相当な自信家だ。
「隔区の住人なら何かしらの能力で犯行が可能だからだろうな」
私の考えを読み解ったのか、憂鬱そうに言う。
「異能者が犯人ですかね」
「それならいいが……人間ですらない可能性もある」
「まさか異界の神やら妖かし、ですか?」
答えはないが空気で分かった、相手にとってはお遊びでも私たちにとっては冗談では済まないことをしてくる輩が犯人だった場合は関係各所に応援を頼まなければならなくなる。
その手続きやら費用を考えると頭が痛くなる思いだ、あちこちに借りを作る羽目になってしまいタダ働きをしなくてはならなくなるぐらいならまだマシだ、もっとえげつないものを要求された場合は背筋が寒くなる。
「人だといいですね」
「そうであることを祈るよ」
私と先生は二人して黄色いテープの張り巡らされた路地裏で重いため息を吐いた。