chapter3:把握
男、須下公康は笑いが止まらなかった。
なんだか分からないうちにバスに乗せられ、病院に放り込まれたかと思ったら自分には想像もつかないような力があった。
すぐに効果を発揮はしないがゆっくりと相手の思考を汚染し都合の良いように変えてしまえる能力に加え、高い身体能力。これさえあればハーレムだろうがなんだろうが思いのままにできることに気が付いた須下は早速行動に移した。
「俺に逆らうから悪ぃーんだよ!」
人生で初めて振るう暴力は高揚感に後押しされて快楽すら感じ、自然と呼吸も荒いものとなる。目をギラつかせて歪な笑みを浮かべたままステップを踏むようにテンポ良く足を動かす。
(ああ、楽しい、楽しいよ、最高だぁ、クソッタレ!)
欲望にまみれた頭の中では汚い言葉と罵倒だけがぐるぐるとループしまともな考えなど既にない。冷静さを喪失し、あるのは目の前で無様を晒す獲物を愉快に甚振ることだけ。
「もっとイイ声で鳴けよ、おい!」
夢中になって目障りなゴミを矢鱈滅多に蹴り続けている時。
ふと、目に映ったのはベンチに横たわるもう一匹の獲物。
虚ろな目で地面に突っ伏したゴミを凝視する姿に新たなオモチャを見つけた子供のように笑みを深めた。
嬉々として足元のゴミをベンチへと蹴り飛ばし、ゆっくりとした歩みで近づく。
今や何でも自分の思い通りになる。
邪魔するヤツは時間はかかるが手軽に片付けられるし、欲しい物は何でも手に入れられる力が手元にあるのだ、彼にとってはまさしく神にも等しい能力だ。
「あーぁ、簡単に壊れちまいやがった」
一度外れた箍は早々戻りはしない。
尚且つ暴力衝動に身を任せて好き放題した後に加減をするなんて考えは欠片も残ってはいない。寧ろ、壊れたら新しく交換すればいいかなんてさえ思っている。
「お次はもっと気持ち良ぉく盛り上げてもらおーかなぁー」
動かない女を見下ろしこれから行うことを思うと下半身に血が集まる、華奢なその身体を存分に堪能して可愛がってやるために。
因みにコイツを狙った理由なんて特にない。
近くにいた奴らで偶々好みの外見だったのと一人でぶらぶらしていたからで別に同じような条件なら誰だってよかった。
思わぬ邪魔者のせいで少しお預けを喰らったが今ではそれだって気分を盛り上げるスパイス程度にしか思っていない、メインの前の前菜は平らげただとか洒落たことを言うつもりもないが文字通り好きなように食い散らかしてやる。
下卑た笑い声を上げてゆっくり胸元に手を伸ばす、そしてーー
***
人は理解できない事態に直面した時、思考が停止し現状を正確に把握することが困難になるものだ。それは現実を受け入れたくないという自己防衛と受け入れて早急に対処しなければならないという生存本能が鬩ぎ合うからなのかもしれない。
ーー彼のように。
「……あ?」
身体が貫かれている。
比喩でも何でもなく実際に金属の塊が身体を貫いて外へと突き出し、今も血を滴らせて突き刺さっていく。
真っ白に焼けついた思考でさっき起きた光景を何度も脳内で再生し続けてはいるが理解を拒否している。
無防備に身体を横たえる女に手を伸ばしたところまでは良い、だがこれはなんだ?
触れようとした指先が腕まで縦に裂けた。
そのまま肩を抜けて穂先の先端が斜めに背中側から飛び出し、冗談のような量の血液が傷口から溢れ出し服と地面を汚している。
身体を貫いている金属の正体は槍だった。
剣十文字槍と呼ばれる十字架にも似た槍の穂先が胸元を含めて深々と貫いて須下の身体を宙に浮かせて今も抉り続けている。狂ったように叫び声を上げる須下を穂先にぶら下げたまま少女はベンチから身体を起こす、その表情は何の感情も浮かんではいない。
驚異的な腕力により片腕で自身より二周り以上も大きい成人男性を2メートル近い槍で掲げる様は異様としか言いようがない。
(ああ、クソ痛ぇ、悪かったよ、謝るから助けてくれよ!)
言葉にしようにも口内は血沫にまみれてゴボゴボとまともな言葉にはならず無意味な音にしかならない。
片腕で支える穂先で藻掻く須下の姿をじっと見詰める。
「……外道が。地獄へ堕ちろ」
この場で柄を捻り、薙ぎ払えば簡単に須下の右腕と首は胴体と切り離されてしまう。しかし、興味を失ったように目を背けると槍を須下ごと地面に降り下ろし乱暴に縫い付けた。
衝撃と身体ごと地面に深く刺さった槍が決め手となったのか、獣のような叫びはぴたりと止んだ。
力に流されて傲慢な振舞いをした男は更に強い力に押し潰されて終わりを迎える結果となった、ある意味では自業自得とも言えるのだが。
「……っ、カケル!」
無言で立ち尽くした私は慌てて振り向いて屈み込む、うつ伏せで容態はわからないが下手に動かすと危険なので手を握り必死に声をかけることしかできない。ボロボロになって動かない痛ましい姿に涙が込み上げてきて止まらなくなる。
目の前の青年の姿が誰かが重なって見えた、だから私はーー
急に辺りが騒がしくなった、あれだけ騒々しく叫びを上げれば何かあったと思うのが普通だろう。すぐに人がやってくる筈だ、助けが来ることに安堵して全身から力が抜け落ちる。握る手にまだ鼓動を感じたところで私は意識を失った。
***
“神宿隔離区域に来訪した異能者集団の経過報告”
・初日に起きたような凶行に及ぶ異常な行動を見せる様子は確認されていない。寧ろ、あの事件があったことにより冷静に自分の行動を見つめ直すことができたのではないだろうか。驕りや慢心で下手に行動すれば簡単に踏み潰されてしまうと。
面倒がない反面、狡猾な人間が尻尾を出さないと思うと引き続き監視をする職員の補充を申請したい、できれば長続きするのを。
・要監視対象Aについて
須下公康は発見時の右腕から背中にかけての重度の裂傷と出血のため、緊急手術を執り行い一命を取り留めた。
彼が助かったのは異能者であった事とこの街の医療施設であったことが幸いしたとしか言えない、状況が違えば死んでいただろうが大した問題ではない。
彼を監視していた女性職員は既に使い物にならない状態で見つかった以上、まともな生活を送れやしないだろう。しかしながらこの男の能力には目を見張るものがあった、思考誘導と言えばいいのだろうか?
抵抗力のない人間には違和感を感じさせることもなく信頼や好意を獲得し、最終的に人格にも影響を及ぼすという精神感応系の能力では悪くはないものだ、諜報活動などに適している。
身体能力にしても優れていることを考慮に入れ、再教育を施してやれば化けるかもしれない。
・要監視対象Bについて
ロベリア・イェーガーについては特に記述することはない。
性格は内向的で考え込みやすく会話もどちらかといえば苦手な部類に入るだろう、しかし人付き合いが嫌いなようではないので概ね問題になる部分は見受けられなかった。
須下への傷害についてだが本人に殺害の意志は無かったと思われる。事実、彼女の腕なら右腕ではなく頸部を狙っていれば既に須下はこの世にはいなかっただろう、加えて治癒を須下に施していた痕跡が見つかったこともある。以上の理由で監視体制を通常体制に戻していただきたい。
彼女の能力に関してだが特筆すべき点は見つからない。
単純な身体能力に特化した異能である、身体能力は人類では対処できないレベルで強化されているため何らかの手段が必要だ。
武装に関してだが実体を持たないため常に持ち歩いていると考えて良いだろう、治癒についてだがこれは治癒ではなく譲渡の認識で間違いない。驚異的な回復力と生命力を相手に分け与えるのだが自身の生命力をも分け与えているので急激な譲渡により意識を保てなくなる弊害もあるようだ。
長々と書いたがご覧の通り、彼女はごく一般的な異能者で対処方法はいくらでもあるため脅威ではないと判断する。
・特異能力者について
安達カケルの異能が判明した。
異能……とさえ呼べるのかもわからない、判断に迷うところだ。
しかし、あえて例えるならば呪いが一番適している。
彼の異能は普段通りであろうとする能力だ、言い替えれば普通であろうとする力が働く。身体が欠損すれば治癒するし、精神の汚染や洗脳も効果を見せない、苦痛にも耐性が付く、これだけ聞けば不死身の能力や無敵の能力に聞こえるだろう。
残念ながら違う、あくまでも普段通りで“あろうとする”力だ。
精神汚染には異常のような強さを見せるも肉体の強度や回復力も一般人のそれでは最終的に回復するにしても中々死なないだけで役には立たないし、死ねばそれまでだ。
一般的に能力は死んだら発動しない、特殊な例もあるがそれは逆に死が切っ掛けで発動するものが殆どだし試せない。
この能力の本質は普通に生きて死んでいくことにある。
つまり、一般人として生活をするならば何ら不自由はない。
今回のようにイェーガーを普段通りの精神状態まで引き戻したような能力の行使も行えるのだろうが、近い内に必ず命を落とすだろうことが予想される、そうならないように願いたい。
※極端に増えた異能者への対応に人員の補充を早急にお願いしたい、やはり異能者には専門家でなければ対処できないことは上も承知しているでしょうし、現在の職員も手が回りません。
***
今日まで私は拘束服と懲罰房で過ごす生活を送っていた。
正当防衛と言うには過剰過ぎた行為と一つ間違えれば相手の命を奪っていたであろうことから大した抵抗もなく二つ返事で受け入れた、私自身もあんなクズの命を背負わなくて良かったという安堵と他人に重症を負わせたという後悔もあって周りの人間をどう見ればいいのか分からなくなっていたから静かに一人で過ごせる環境は有り難かった。
実際は何故か毎回やってくる女医の愚痴と雑談ばかりで落ち着いて本も読めない生活だった。それにしてもあの人は本当に仕事をしているのだろうか?
その分の皺寄せが別の職員にいってなければいいんだが……。
しかし、一週間の拘束生活もそこまで辛いものでは無かったのだがこれからの生活は私にとっては未体験の生活が待っている。
共同生活、コミュニケーション能力に難のある私にはやはり敷居が高いような気がするのだ。
知らない相手と一つ屋根の下で寝食を共にする、駄目だ想像ができない。しかし、だからと言って……
「ロベリアさん?」
「あ、はい!」
久しぶりに他人(女医以外)に話しかけられて驚いて飛び上がった、正確にはバックステップ。何故回避した私。
確かに共同生活先の建物のまえでうろうろしていたら目立つだろうことは明らかだ、というか正面から話しかけてきたのなら普通だったら気がつくだろうってああ、駄目だコレ。久しぶりに会話をして自分でも何を話せばいいかわからなくなったときの状態だ、コミュニケーションに障害が起きてる。
「あのー、大丈夫ですか?」
「ひゃい!」
おおぅ、噛んだよ。犬か私はわんこか。
いい加減普段通りの私に帰ってきて欲しい、そもそも何を緊張している、相手は人類だ皆が兄弟も同然じゃないか、たかが共同生活先の住人にビビるなんてそんなものおかしいだろう。
そうだ、この青年だって……
「?」
「カケルだ」
「え、本当にどうしたの」
なんで気が付かないんだ!
目の前にいるのはカケルじゃないか、なんだか肩どころか全身から力が抜けて膝から崩れ落ちる、私の威厳も崩れ墜ちる。
なんか色々情けない、助けてもらったのにお礼も言えず泣き出して気を失い、久しぶりに会えばまともな会話もできていないし。
「大丈夫、ですか?」
凄く不安そうな顔しているけど見た所では目立った傷や後遺症は無いようで少し安心した、子どもっぽいカケルの表情も変わっていなくてなんだか落ち着いてしまう。
「心配かけた。そっちこそ怪我は大丈夫か?」
「起きたら治ってました、大丈夫です」
嬉しいそうに言う表情に陰はない、本気でそう思っているようで心配はいらなかったみたいだ。それよりも言わなければいけないこともたくさんある、お礼やこれまでの一週間何をしていたのかなどたくさんたくさん。
「遅れたけどありがとう。君は私を助けてくれた」
「ボコボコに蹴られただけですけどね」
恥ずかしそうに笑っているが私はそうは思わない、力もないのに立ち向かい、必死に耐えて私を救ってくれたのはカケルだ。
結果論とはいえ私もカケルも問題なくここに立っているのだから。
「それでもだよ、私はカケルと出会えて幸運だ」
「……え」
人付き合いも下手で見栄を張ってばかりの私に自然体で話せるカケルの存在は何よりも嬉しい、これからも善き隣人でありたいものである。
「さて一週間、私がいない間に何があったのか色々聞かせてくれどんな些細なことでも聞きたいんだ」
新しく生活はもしかすると私が思っていたより楽しいものになるのかもしれない。
「はい!」
慌てて私の後を追うカケルと一緒に建物に足を踏み入れる。
隔離区域神宿区のとある雑居ビル。
ここから私の異世界の生活が始まる。