ジャック・オー・ランタンの殺人
秋冬イルミネーション企画参加作品です。
平成二十四年。十月三十一日午前五時。朝日が空に昇ろうとしている。空は雲一つない快晴。
森林が周囲を覆う運動公園に一人の刑事がやってくる。黒く短い髪。眉毛に髪がかからない程度まで伸ばされた前髪が下され、襟足が長い。足の長いスマートな男。服装は黒いスーツ。
この男の名前は三浦良夫。大分県警竹田署刑事部の刑事である。階級は巡査部長。
ここは大分県竹田市にある緑地公園。公園は現場を保存するために、閉鎖されている。
三浦は現場を塞ぐ刑事に警察手帳を見せ、現場へと続く道を歩く。
舗装されていない天然の道。地面には紅葉が敷き詰められている。
三浦がこの道を歩いていると、大木の前に多くの人影が集まっている様子が見えた。三浦がその場所に駆け付けると、そこには竹田署の刑事たちがいた。刑事たちは三浦の到着を待たず実況見分を進めているらしい。
三浦刑事が現場に集合している刑事たちと合流しようとすると、彼の背後から低い声が聞こえた。そこにいたのはマッシュルームカットに低身長な黒いスーツを着た男、宮沢が立っていた。宮沢は三浦の上司で階級は警部補である。
「三浦。悪いな。こんな時間に呼び出して」
宮沢が謝ると三浦は現場の状況を聞く。
「こんな場所で殺人事件ですか」
「ただの殺人事件じゃない。猟奇殺人事件の可能性がある。口で説明するより、実際に見た方が分かりやすい」
三浦は上司に連れられて大木に近づく。その大木の根本に胸にナイフが突き刺さった女の遺体が転がっていた。遺体の体は黒いマントで覆われ、顔はジャック・オー・ランタンのマスクで隠されている。遺体の近くには、星型のペンダントが落ちている。
間もなくして白い手袋を付けた鑑識の男たちがマスクを外す。すると苦しみのあまり目を見開かせた髪の長い女の死に顔が露わとなった。
「遺体の身元は」
三浦が宮沢に聞く。宮沢は鑑識から受け取った運転免許証を三浦に見せる。
「死亡したのは降石蘭さん。二十九歳。遺留品の財布に多額の紙幣が入っていたことから、物取りの犯行ではないことが分かる。つまりこれは殺人事件。まあ自殺の可能性もないわけではないが」
宮沢が状況を説明する。その直後宮沢の携帯電話が鳴り響く。画面には竹田署の署長の電話番号が表示されている。
「宮沢です」
宮沢が敬語で答えると、署長は衝撃の一言を述べる。
「そうですか。分かりました」
宮沢が電話を切ると、彼は部下の刑事たちに署長からの伝言を話す。
「今回の殺人事件について。署長は遺体を不気味な姿にして遺棄するという犯行手口から、猟奇殺人事件と判断した。ということで竹田署の大分県警捜査一課が乗り込んでくる。この事件は県警との合同捜査になる」
その知らせは三浦にとって嬉しいことだった。久しぶりの県警との合同捜査。県警の刑事になることが夢である三浦にとってこれはチャンスだ。県警との合同捜査で良いところを見せることができれば、県警本部の推薦がもらえるかもしれない。合同捜査こそ所轄刑事の出世の近道である。
三浦は密な期待を抱き、周辺の聞き込みを行う。
午前八時。竹田警察署の廊下を見慣れない十八人の刑事たちが歩く。刑事たちの服装は黒いスーツ。刑事たちは三列になり、捜査本部まで歩く。
大分県警察本部から派遣された十八人の刑事。その中には一人だけ女がいた。前方を黒色の長髪に前髪をピンク色のピンで止めた女刑事。
その女が捜査本部のドアを開ける。所轄署の会議室に設置された捜査本部。その中では竹田署刑事課の刑事たちが着席していた。
スクリーンを挟んだ前方の席に座っていた署長が立ち上がり、県警本部の刑事たちに挨拶する。
「大分県警捜査一課の皆様。お待ちしていました」
署長が握手をするために手を差し伸べる。紅一点の刑事はそれを拒む。
「挨拶は結構。早速捜査会議を始めましょう」
県警本部から派遣された女刑事は冷たく署長に接する。その後で女は署長の隣の席に座る。
女刑事の部下である十七人の県警の刑事たちが席に座り、捜査資料に目を通す。
それから数秒の沈黙が流れ、署長が席を立ちあがり、マイクを握る。
「それでは緑地公園殺人事件の捜査会議を始めます。先程皆様には伝えましたが、今回の事件からは猟奇的な何かが感じ取られるということで、大分県警捜査一課の皆様との合同捜査を行います。まずは捜査本部の責任者である大分県警捜査一課の須藤涼風警部。挨拶をお願いします」
署長の隣に座っていた髪の長い女が立ち上がる。三浦は女の顔立ちを観察する。歳は二十代後半くらいで、かわいい容姿をしていると三浦は感じた。
「大分県警捜査一課の須藤涼風です。よろしくお願いします」
須藤の挨拶が終わり、捜査会議が始まる。早速署長がマイクを握る。
「それでは事件の概要を刑事課の宮沢。説明しろ」
宮沢は立ち上がり報告書を読み上げる。
「遺体の第一発見者は公園を散歩していた近隣の住民。遺体発見当時第一発見者は不審な人影が走り去るのを目撃したそうです。その際不審な人影が星形のペンダントを落としたようです。現在防犯カメラの映像や第一発見者の証言を手がかりに不審な人影を特定しています」
宮沢の報告を聞き、署長が再びマイクを握る。
「鑑識課の西田。遺体の状況を説明してください」
鑑識の制服を着た男が立ち上がり報告書を読み上げる。
「被害者降石蘭の死因は胸を突き刺されたことによる失血死。死亡推定時刻は死後硬直のから死後三十分程度が経過していることが分かりました。即ち死亡推定時刻は午前四時三十分から午後五時までの間。凶器のナイフが胸に突き刺さっていました。ナイフからは三名の指紋が検出されています。もちろん前科者の指紋とは一致しませんでした。現在誰の指紋なのかを調べています」
鑑識の報告を聞き、須藤涼風が質問する。
「凶器から被害者の指紋が検出されたのですか」
「被害者の指紋は検出されませんでした。つまり殺人事件の可能性が濃厚になったということです。それと被害者が被っていたジャック・オー・ランタンのマスクの内側から被害者以外の毛髪が検出されました。犯人を示す遺留品かどうかは不明です」
「それと現場から発見された星形のペンダントからは指紋が検出されなかったのですか」
「いえ。ペンダントからは被害者の指紋と、もう一人別の指紋が検出されました。面白いことに凶器に付着した三種類の指紋Aと一致したんです。最後に被害者の靴底からたばこの吸い殻が検出されました」
西田の答えを聞き、三浦が手を挙げて立ち上がる。
「すみません。現場からは血痕が発見されていませんよね。あの現場は血の匂いが漂っていなかったと思いますが」
「そうですね。血液反応はありません。もちろん血液を拭き取られた形跡もありません。つまり犯行現場と遺体遺棄現場は別ということです」
三浦は答えを知り、着席する。そして 鑑識の報告が終わり、須藤涼風がマイクを握り立ち上がる。
「ありがとうございます。初動捜査の報告はここまでで十分でしょう。遺体発見時に現場から逃げた不審な人影の行方を追います。おれと被害者の関係者から聞き込みと任意の指紋提出を求め早期解決を目指しましょう。一班は遺体発見現場周囲の聞き込み。一班はそれと同時に犯行現場の捜索を行ってください。二班は被害者の関係者に聞き込み。二班は関係者から任意で指紋や毛髪の提出を求めても構いません。三班は遺体発見現場の捜索。まだ犯人に繋がる手がかりが見つかっていないかもしれません。以上で捜査会議を終わります」
須藤涼風の号令で捜査会議が終わる。それから刑事たちは三つのグループに分かれる。三浦が所属する二班には、須藤涼風の姿があった。二班の班長となった須藤涼風は、一枚の白い紙を取り出し、メンバーたちに言い聞かせる。
「通例通り県警の刑事と所轄の刑事がコンビを組み、聞き込み捜査を行います。二班には大分県警本部の刑事が六名所属しています。それでは人員配置を発表します。人員配置の都合上トリオを組むこともあります。ご了承ください。……」
須藤涼風は淡々と業務内容とコンビを組むメンバーを発表する。だが三浦の名前は中々呼ばれない。
須藤涼風は最後に一呼吸置き、自分とコンビを組む刑事の名前を発表する。
「私と組むのは三浦良夫巡査部長です。以上です。それでは解散」
その一言で刑事たちが一斉に駐車場に向かう。そんな中で須藤涼風と三浦良夫は取り残された。
三浦良夫はこれが一世一代のチャンスだと感じた。だが彼にも分からないことがある。なぜキャリア組に所属する県警の警部と所轄署に勤務するノンキャリア組の巡査部長が組むことになったのか。
三浦の脳裏に謎が浮上した頃、須藤涼風が捜査本部の出口に向かい歩き始める。
「待ってください」
三浦は須藤を呼び止める。須藤は立ち止まる。
「何でしょう」
「一つだけ質問してよろしいですか。なぜ僕と県警のキャリア組刑事である須藤警部が組むことになったのか」
須藤は質問を聞き、背後を振り返りながら答えを述べる。
「大分県警の鳴滝刑事部長の推薦。正確にはあなたの上司の宮沢警部補が署長に直談判して、署長と鳴滝刑事部長が相談しました。その結論は、今回の事件を利用してテストしようということですよ」
「ネタバラシをしてよいのですか」
「構いませんよ。あなたは捜査会議の時、遺体発見現場から血痕が検出されなかったのではないかという事実に言及しました。この質問は私も考えていたことです。つまり着眼点が良かったということです。質問はよろしいですか。それでは行きましょう」
答えを知った三浦は須藤涼風と共に警察署の廊下を歩き出した。
須藤涼風と三浦良夫の二人は竹田署内にある遺体安置所を訪れる。この場所に降石蘭の遺体が安置されている。
須藤涼風が遺体安置所のドアを開く。部屋の中では黒いスーツを着た黒髪のスポーツ刈りの男が遺体に寄りかかりながら涙を浮かべていた。
須藤涼風は一呼吸置き、泣きじゃくる男に声をかける。
「大分県警捜査一課の須藤涼風です。降石蘭さんのご家族の方ですね。ご足労ありがとうございます」
「刑事さん。この顔は間違いなく蘭だった。彼女は俺の妻だった。結婚して一年しか経っていないのに。どうしてこんなことになったのか分からない」
須藤涼風は無情な言葉を被害者の夫に告げる。
「大切な人を失って悲しいのは分かります。しかし我々警察は一刻も早く真実を明らかにしなければなりません。遺体確認が終わったのなら、別室でお話を伺ってもよろしいですか」
被害者の夫は暗い顔をして、遺体安置所から出ていく。
須藤涼風が被害者の夫に続き遺体安置所を出ていこうとすると、三浦が彼女に声をかけた。
「あの対応は酷いと思います。あの人は大切な人を失って数時間しか経過していないんですよ。それなのに遺体を確認したら、突き放すなんて。酷いですよ。別室じゃなくても、ここで話しを伺えばよかったのではありませんか」
熱が籠るような三浦の言葉を聞き須藤は冷静に言葉を返す。
「聞こえませんでしたか。我々警察は一刻も早く真実を明らかにしなければなりません。その間に司法解剖が行われ、数日後には遺体があの人の元に送り届けられる。それから普通の葬式が行われることでしょう。真実を明らかにしなければ、あの人を救うことはできません」
三浦は須藤の言葉に言い返すことができなかった。須藤の言葉は正しいと思ったからだ。
それから二人は遺体安置所を出ていく。遺体安置所の近くに設置された横長な椅子に被害者の夫が座っている。三浦は自動販売機で缶コーヒーを買い、それを被害者の夫に渡す。
「これを飲んで落ち着いてください」
被害者の夫は缶コーヒーのプルタブを開け、一口だけコーヒーを飲む。すると被害者の夫は多少落ち着いた。
須藤涼風は早速被害者の夫に聞く。
「まずはお名前を伺います」
「降石健だ。武田運輸で働いている。彼女は武田運輸で働いていた同僚だった。いわゆる職場結婚という奴だ。彼女は結婚と同時に退職して専業主婦になったよ。暇になったら彼の幼馴染の虎倉銀三の仕事を手伝っている」
「虎倉銀三さんは何の仕事をしているのですか」
三浦が健に聞くと、彼は財布から一枚の名刺を取り出し、三浦に見せた。
「虎倉学習会っていう塾を経営している。そういえば昨日は虎倉銀三が主催するハロウィン仮装パーティーの打ち合わせに行くって言っていたな」
「次に降石蘭さんを恨んでいる人間に心当たりはありますか」
須藤が聞くと、健は顎に手を置く。
「ストーカー。三年前だったかな。蘭は俺と一緒に別府市内を観光中、ストーカーに襲われた。彼女を襲った犯人は現在も逃亡中。それから彼女は護身用にナイフを持ち歩くようになった。もちろんそのナイフには俺の指紋も付着している」
「それならば、毛髪と指紋を採取したいですね」
「構わない」
三浦は携帯電話を取り出し、鑑識を呼ぶ。その間須藤涼風は健に質問をぶつける。
「午前四時三十分から午後五時の間、どこで何をしていましたか」
「寝ていた。証人はいない」
「あなたは煙草を吸いますか」
「吸わないな」
その答えを聞き、須藤涼風が手を叩く。
「もう一つ忘れていました。写真を撮影してもよろしいですか」
「いいぜ」
須藤が被害者の夫の写真を撮影すると、鑑識が二人の元を駆けつけた。
鑑識は、これから被害者の夫の毛髪と指紋を採取する。
鑑識作業が終わると二人は降石健を見送る。彼の後姿を見ながら三浦が須藤に聞く。
「これからどうしますか」
「三年前被害者を襲ったストーカー。気になりませんか。捜査本部に設置されたパソコンから警察庁のデータベースにアクセスできます。調べてみる価値があると思います」
二人は捜査本部に行き、ノートパソコンを立ち上げる。それからパスワードを入力して、警察庁のデータベースにアクセスする。
須藤涼風が三年前と別府市という条件を撃ち込み、検索すると、その事件の捜査資料がモニターに表示された。
三年前別府市内観光していた旧姓石川蘭は、バッドを持った突然現れた男に襲われた。行動を共にしていた降石健の妨害によって、犯人は逃亡。犯人の顔はマスクやスキー用のゴーグルで隠れていて分からなかったが、大柄な男であることは分かった。被害者の証言や、被害者を付け回していたという同僚の証言によって武田運輸に勤務していた被害者の上司大神士が疑われる。しかし証拠不十分によって釈放され、事件は迷宮入りした。
事件の概要を知った三浦が呟く。
「大神士。ストーカー容疑を掛けられた被害者の元上司。気になりますね。須藤警部」
三浦が須藤の顔を見る。須藤涼風は頬に手を当てて、何かを考えている。
「三年前の事件について調べてみましょう」
須藤涼風が唐突に三浦に話しかけ、二人は捜査本部に向かい歩き出す。
須藤涼風がパソコンをシャットダウンさせると、鑑識課の西田が須藤涼風に歩み寄る。
「須藤警部。面白いことが分かりました。先程採取した降石健の指紋とナイフに付着した指紋が一致しました。それだけではなく、現場から逃げ去る不審な人影が落とした星形のペンダントから採取された指紋と降石健の指紋が一致しました」
「それは本当ですか」
須藤涼風が聞き返すと、西田が首を縦に振る。
「間違いありません。公園の防犯カメラの映像にも彼の姿が映っていました。遺体発見当時現場から逃げた不審な人影は、降石健ということでしょう」
「被害者の所持品には携帯電話がなかったでしょう」
須藤が西田に確認すると、西田は鑑識の報告書を捲る。
「そうですね。現場からは被害者の携帯電話が発見されませんでした。遺体発見現場から発見されたという報告は受けていません
「煙草の吸殻の鑑定は終わっていますか」
「銘柄はジャッコ・フライデー。一箱五千円する高級品で、一部のマニアの間で流行っています」
報告を受けた須藤涼風と三浦良夫は鑑識の部屋を出ていく。三浦は警察署の廊下を歩きながら、須藤警部に聞く。
「須藤警部。もう一度降石健を聴取しましょう」
「言われなくても、そのつもりだから」
須藤涼風は携帯電話を取り出し、電話を掛ける。彼女は部下の刑事に一言確認すると、御礼を述べる。
「そうですか。ありがとうございます」
須藤は電話を切り、隣を歩く三浦に電話の内容を伝える。
「降石健は自宅に戻ったそうですよ」
「尾行ですか」
須藤は三浦の質問を聞き、あっさりと答える。
「容疑者の動向を監視するのも、警察の仕事でしょう。事情聴取が終わった容疑者の尾行と張り込みは常識です」
「降石健は容疑者ではありません。あの涙は演技ではありませんよ」
「しかし彼が遺体遺棄現場から立ち去ったという事実を裏付ける証拠があります。もう一度彼から話を伺う必要があるでしょう」
三浦は須藤の言葉に言い返すことができなかった。二人は竹田署の駐車場に移動。須藤涼風は三浦が運転する覆面パトカーに乗り込む。三浦は運転席に座り、ハンドルを握る。
竹田市内にある住宅街に建設された青い屋根の一軒家の前に、一台の覆面パトカーが止まっている。三浦が運転する覆面パトカーが、最初から駐車していた自動車の隣に止まる。
須藤涼風は三浦が運転する自動車の助手席から降り、別の覆面パトカーの運転席側の窓ガラスを叩く。窓ガラスが下がっていき、彼女は仲間の刑事に声をかける。
「状況は」
「特に動きがありません」
「そうですか。これから彼に話を伺いに行くのですが、張り込みに支障はありませんよね」
「構いません」
部下への確認を済ませると、二人は降石健の玄関まで歩く。三浦がインターフォンを押すと、降石健がドアを開け、顔を覗かせた。
「何か用か」
降石健が二人に聞くと、須藤涼風は冷徹な事実を降石健に伝える。
「あなたは午前五時頃武井緑地公園に行っていますね。防犯カメラにあなたの姿が映っていましたし、目撃者もいます。あなたは現場に星形のペンダントを落としましたね。それからあなたと被害者の指紋が検出されました。あなたが現場にいたという証拠が揃っています」
「だから俺が殺したと言いたいのか」
「そうですね」
須藤涼風は完全に降石健犯人説を信じている。だが三浦は降石健が犯人ではないと信じている。三浦は須藤涼風と降石健の間に入り、両手を広げる。
「待ってください。まだ彼が犯人と決まったわけではないでしょう。あの事件には不可解なことが多いではありませんか。その謎がまだ解き明かされていないのに、犯人扱いしないでください」
須藤涼風は三浦の言葉に呆れる。降石健は三浦の言葉に賛同する。
「そうだ。そっちの刑事さんの言う通りだ。現場に行ったことを隠さなければ疑われる。刑事さん。俺は悔しいよ。実は昨晩俺と蘭は夫婦喧嘩をした。喧嘩が始まったのは、虎倉銀三が主催するハロウィンパーティーの打ち合わせに行く直前のこと。喧嘩の原因は他愛もないすれ違いだよ。帰りが遅いから浮気しているとか何とか。それから彼女は俺の家を出ていった。あの時喧嘩しなければこんななことにならなかったと思うと悔しい」
降石健の頬を涙が伝う。その表情を見ると三浦は彼が殺したとは思えなくなった。三浦は彼に声をかける。
「もしかして武井緑地公園に行った理由は、喧嘩した彼女に呼び出されたからではありませんか」
「そうだよ。午前四時三十分頃だったな。寝室で寝ていたら蘭からメールが届いたんだ」
降石健はポケットから携帯電話を取り出し、三浦にメールを見せる。
『今すぐ武井緑地公園に来て。ハッピーハロウィン』
三浦たちがメールに目を通していると降石健が口を開く。
「このメールの指示に従って武井緑地公園に行ったら、ジャック・オー・ランタンの被り物を頭に付けて胸にナイフが刺さった遺体を見つけて、怖くなって逃げ出した。星形のペンダントはその時に落としたんだと思う」
「そうですか。もう一つだけお聞きします。大神士は今も武田運輸で働いていますか」
「いいえ。あの事件以来リストラされて、消息不明だ」
「大神士の愛用する煙草の銘柄はジャッコ・フライデーですね」
「その通りだ」
「もう一度確認します。虎倉銀三は煙草を吸わない」
「吸わないよ」
「ありがとうございます」
須藤涼風が御礼を述べ、後ろを振り返る。三浦は携帯電話を降石健に返し、須藤の後ろ姿を追う。
それから二人は覆面パトカーに乗り込む。助手席に座った須藤涼風は運転席に座った三浦良夫に話しかける。
「あのメールは偽装かもしれません」
三浦は須藤の言葉から、まだ降石健が犯人であると疑っていると思った。三浦はその考えを否定するため、首を横に振る。
「だからあの表情は演技ではありません」
「何か勘違いしていますね。真犯人の偽装メールによって降石健が呼び出された可能性もあります。まさかあなたは、私が降石健犯人説しか信じていないとでも思っているのですか。それは間違いです。私はあらゆる可能性から真実を導き出す。あなたのように情に流されて、真実を見失うようなことはありません」
「なるほど」
三浦が自動車を走らせると、赤信号に捕まった。停止線の前で停まった自動車の車内で須藤涼風が腕時計を見ながら呟く。
「ところであなたは犯人が誰か分かりましたか」
「分かりません。須藤警部。あなたは犯人が誰か分かったのですか」
「大体は分かりました。しかしまだ情報が足りません。ということで一時間後、第二回捜査会議を開催します」
この発言を聞き、三浦が驚く。
「早過ぎませんか。午前十一時ですよ。まだ三時間程度しか経過していませんよ。こんな短時間で捜査員を捜査本部に収集して、捜査会議を開催することにメリットはあるのですか」
「三時間もあれば十分ですよ。三時間もあれば、この事件の謎を解き明かすパズルのピースが出揃います。もしパズルのピースが足りないようなことがあるならば、それは所轄署の捜査力が不足しているということになりますね」
三浦は侮辱されたような気分になり、自動車を竹田署に走らせる。
正午。捜査本部で第二回捜査会議が始まる。
異例の早さに多くの捜査員たちは戸惑っている。
須藤涼風がマイクを握り、席から立ち上がる。
「これから第二回捜査会議を始めます。とは言っても私から皆様に一方的な質問を行うだけです。私の質問に答えることができる人は手を挙げてください。まずは、三年前のストーカー事件の容疑者だった大神士が今どこで何をやっているのか分かった人はいますか」
二人の刑事が手を挙げ、立ち上がる。
「大神士はホームレスになって、竹田市内で暮らしているそうです。現場の緑地公園で暮らすホームレスたちに聞き込みをした結果なので間違いありません」
所轄刑事の言葉を聞き、須藤涼風は頬を緩ませ、三浦の顔を見る。須藤は三浦も同じ顔をしていることを知り安心する。
「次に虎倉銀三と被害者は何かしらのトラブルがあったのか」
須藤涼風の質問を聞き、二組の刑事が手を挙げ、起立する。
「虎倉銀三と被害者は、高校時代付き合っていて、突然現れた降石健と被害者が交際しているそうです」
「降石蘭は虎倉学習会の脱税を暴こうとしていたという証言があります」
二つの証言を聞き、須藤が呟く。
「これで謎は解けました。皆様は捜査で収集した情報を捜査報告書にまとめてください」
すると鑑識の西田が捜査本部に顔を出す。
「皆さん。ジャック・オー・ランタンの被り物に付着した毛髪のDNA型と虎倉銀三のDNA型が一致しました。もちろん凶器から彼の指紋が検出されました。そして大神士の指紋も凶器から検出されました」
西田の報告を聞き、二人の推理は確信に変わる。
午後一時。須藤涼風と三浦良夫は虎倉学習会を訪れる。虎倉学習会は三階建てのビル。
二人はエレベーターに乗り込み、最上階にある虎倉学習会の事務所に向かう。
事務所のドアの前に立った三浦はドアをノックして、事務所の中に入る。部屋の中には後ろ髪が寝ぐせで立っている黒縁眼鏡の痩せた男がいた。
須藤涼風は警察手帳を見せながら男に話しかける。
「大分県警捜査一課の須藤涼風です。あなたが降石蘭さんを殺害した犯人ですね。虎倉銀三さん」
虎倉は突然の訪問客の言葉に驚く。
「刑事さん。初対面でいきなり殺人犯扱いですか。証拠がないでしょう」
「凶器からあなたの指紋が検出されましたが」
「あのナイフなら指紋が付着していてもおかしくありませんよ。あのナイフを一度見せてもらった時に素手で触ったことがありますから」
三浦は虎倉の発言を聞き、首を傾げる。
「なぜ凶器がナイフだと分かったのですか。その情報はマスコミ発表されていませんよ」
三浦の指摘を受け、虎倉は弁明する。
「蘭が護身用にナイフを持ち歩いていることは知っています。一度そのナイフに素手で触ったことは事実で目撃者もいる。だからナイフに私の指紋が付着していてもおかしくない」
「あなたの毛髪が被害者の遺留品に付着していたとしたらどうですか」
須藤が聞くと虎倉は笑う。
「ジャック・オー・ランタンの被り物にだって私の毛髪は付着しています」
「被害者の遺留品と言っただけでジャック・オー・ランタンの被り物を連想するのはおかしいと思いますよ」
「彼女が私の家からジャック・オー・ランタンの服装を持ち出したとしたら、何もおかしくない。犯人はストーカーだった大神士でしょう。彼女の靴底から煙草の吸殻が発見されたようですし」
虎倉の発言を聞き、三浦が苦笑いする。
「靴底から吸い殻ですか。それもおかしいですね。その情報もマスコミ発表していないのですが」
「捜査員から聞いた」
「それもおかしいですね。大神士はホームレスになったからお金がありません。彼が使用する煙草は一箱五千円する高級品。つまり煙草を買いたくても買えないんですよ」
三浦の推理に須藤が言葉を続ける。
「おそらくあなたはあなたの自宅で被害者を殺害。それから予め拉致しておいた大神士に凶器を握らせて指紋を付着させる。そして彼が愛用する煙草の吸殻を彼女の靴底に付着させる。これでストーカー疑惑のあった大神士に殺害の濡れ衣を着せました」
須藤涼風の推理が図星だったかのように、虎倉の顔が曇っていく。三浦は須藤の推理に続くように口を開く。
「あなたは二重の保険を使うために、被害者の夫降石健を遺体遺棄現場に呼び出し、目撃者に仕立て上げました。あなたは物的証拠を偽装することで自分の容疑から目を反らさせようとしましたね」
須藤の言葉が虎倉を追い詰める。
「それでも犯行を否定するのであれば、任意の家宅捜索をしましょうか。我々の推理では犯行現場は、あなたの自宅ということになっています」
完全に追い詰められた虎倉は肩を落とす。
「あいつが悪いんだ。あいつは私を捨ててどうでもいい男と付き合いました。それが許せなくて三年前私は別府市で彼女を襲いました」
「つまり三年前のストーカーはあなただったということですね」
三浦が確認すると虎倉は首を縦に振る。
「そうですよ。私は降石健とあいつが付き合い始めてからあいつのストーカーになった。私はあいつを見守る義務があると思ったからね。それでも彼女は振り向かなかった。だから三年前私は彼女を襲った。その時は馬鹿な警察のおかげで捕まらなかったのでラッキーでした」
「犯行動機も彼女が振り向いてくれなかったからでしょうか」
須藤が聞くと虎倉銀三は笑いながら答える。
「その通りですよ。私は自宅でジャック・オー・ランタンのコスプレをする彼女を彼女が護身用で持っていたナイフを使って刺し殺しました。遺体にジャック・オー・ランタンの被り物を取り付けた理由は不完全だから。黒マントだけだと奇妙に思えて疑われると思いました。犯行動機は今回の事件と三年前の傷害事件は同じ。三年前も明確な殺意があったから、殺人未遂事件の方が正確かもしれませんが。兎に角今回の殺人事件のスケープゴートとして大神を利用したのも、彼の犯行にした方が都合がよいと思ったから。彼は一度警察に捕まりかけているんですよ。最高のスケープゴートではありませんか」
虎倉の発言を聞き、三浦が彼の胸倉を掴む。
「何がラッキーですか。あなたの性で彼の人生は地獄に変わったんですよ。それが分かっていますか」
「それでも彼があいつを付け回していたのは事実でしょう。だから遅かれ早かれ彼は地獄に落ちる。だから罪悪感はなかったですね」
三浦は虎倉を殴ろうとするが、それを須藤が止める。
「本当にそうでしょうか。あなたは全てのストーカーが地獄に落ちると思っていますね。残念ながらそれは間違いですよ。恥ずかしいけれど、私もストーカー行為をやったことがありました。そのことがバレた後でも彼は、私と仲良くしてくれた。その理屈が正しいならば、私も地獄に落ちることになりますね。その前に彼は手を差し伸べて助けると思いますが」
「仮にそれが事実だとしたら、幸せですね」
虎倉銀三の身柄は竹田署に連行される。それから虎倉銀三の自宅から被害者の血液が発見され、自宅の倉庫から監禁された大神士が発見された。大神士は命に別状がないらしく、竹田中央病院に搬送された。
数日後の夕暮れ時大分県警本部長室に須藤涼風が呼び出された。須藤は目の前に座る白髪混じりの右の頬に黒子のある初老の男性の顔を見る。その席には鳴滝大分県警本部長が座っている。
「どうだった。竹田署の三浦良夫巡査部長は」
鳴滝大分県警本部長に聞かれた須藤は淡々と答える。
「私と互角の発想力を持つ熱血刑事でした。それでも大分県警本部の刑事としては合格点というところです」
「コンビを組んでみてやりやすかったのかな」
「それもありますが、彼は私が持っていないものを持っています。それを評価しての合格点です。彼を大分県警捜査一課の刑事として推薦してもよろしいですか」
「君が太鼓判を押すのだから、拒む理由はない」
「ありがとうございます。それでは十二月一日付で彼を異動させます」
鳴滝刑事部長は最後に須藤涼風に聞く。
「そういえば三浦良夫巡査部長の自宅は竹田市だったな。住居はどうするつもりだ」
「その心配は必要ありません」
須藤涼風は一言告げ、本部長室を出ていく。
その足で彼女はある日本家屋を訪れる。彼女は顔を赤くしてインターフォンを押す。
それから三十秒後、玄関の扉が開き、一人の男が現れた。
「遅い。いつまで待たせるつもり」
須藤涼風の目の前にいる男は、彼女の幼馴染で黒川壮の管理人をしている黒川修三である。
「涼風。こんな時間に何の用だ」
黒川に聞かれると須藤涼風は赤面する。
「別にあなたに会いにきたわけじゃないんだからね。入居希望者を紹介しにきただけだから」