艦の心臓
先日に引き続き、艦内の案内があるため、鞍馬はエルザの隣を歩いていた。
目をこすり、必死に眠気を取ろうとするが、思わずあくびが出てしまう。
それもこれも、海軍の朝が早いからだ。
朝5時ごろ、起床のラッパが鳴り響き、鞍馬も目を覚ました。
直後に艦内を慌ただしく駆けまわる足音が聞こえ、否が応でも起こされてしまったのだ。
「朝に目覚めのコーヒーでもお持ちしたほうが良かったですか?」
まだ朝の6時だというのに、いつもと変わらず、背筋を伸ばした姿勢で歩くエルザが問いかける。
「いえ、大丈夫です……ふあぁ……ちょっと慣れてなくて……」
鞍馬はこの世界に来る前、フリーターだった。
仕事はコンビニの夜勤だったため、朝早くに起床する生活とは無縁であったのだ。
「ふふ、では早寝早起きを習慣づけなくてはいけませんね。健康にも良いですから」
「……健康ですか。全く気にしたことがなかったです……」
「敵は待ってくれませんから。体調が悪く、判断力のないまま戦闘に突入しても、相手は言い訳を聞いてくれません。なので、私たちは体調もしっかり管理しないといけないのです」
エルザの言葉は正しい。
生きるか死ぬかの瀬戸際に身をおいている軍人にとって、万全の状態を維持することが最も重要な任務と言っても良い。
「……肝に命じます」
「お願いしますね。さて、そろそろ目的の部署ですよ」
(目的の部署……? だいぶ艦内の奥深くまで来たみたいだけど……)
いくら寝ぼけていたとはいえ、艦内の階段を三層分降りてきたことくらいはわかる。
遠くからは低く唸るような音が断続的に聞こえ、かつて映画で見た潜水艦の艦内のようだと鞍馬は思った。
「ここらへんってもう海面よりも下ですよね?」
「はい。今回の目的地は艦内の深い場所にあるのです。だからといって軽視して良い部署ではなく、派手な功績こそありませんが、非常に重要な部署なのです」
重要な部署というのがこんなに深い場所にあると考えていなかった鞍馬は、少し驚きの表情を見せる。
そこから更に歩くにつれ、唸り声のような音は大きさを増していった。
歩く度に大きくなる、艦内で鳴り響く低い音。
そして、エルザの言っていた派手な功績はないが重要な部署という言葉で、鞍馬は現在向かっている場所を予測することが出来た。
「もしかして、今回案内してくれる部署って、機関室ですか?」
「その通りです。この扉の向こうが、今回案内させていただく、機関室となります」
エルザが示したのは一つの水密扉。
水密扉で仕切られた先からは、まるで工場のような大きな機械音が響いている。
重い扉をなんとか開くと、室内から油の匂いがムワッと漂ってきた。
「うっ……」
鞍馬はあまりにも強烈な匂いに、思わず鼻を押さえる。
「ここは機関部です。戦闘の結果を左右し、沈没の際には逃げられないかもしれない、私が最も尊敬する部署となります」
エルザの言葉を聞いた鞍馬はなんだか背筋が伸びるような想いで、機関室の中へと足を踏み入れる。
室内には照明が数個設置されており、十分な光量を持っている。
現在も船を動かすために多数の兵員が動きまわり、汗を流していた。
そのあまりの忙しさのため、鞍馬たちに気づいたような素振りはない。
部屋の中の気温は高い。
それを表すように、兵員たちは油まみれのタンクトップにハーフパンツという、ラフな格好をしていた。
「ここが……機関部……すごい迫力ですね」
何かの計器とパイプが並び、兵員がそれを操作、または確認する姿は、どこか鬼気迫るものを感じる。
エルザは誇らしげにその仕事ぶりを眺め、口を開いた。
「彼らこそ、艦の心臓です。ちょっとしたミスで艦が沈む可能性もあるので、その仕事は一瞬たりとも気が抜けないのです」
「確かに一人ひとりがとても必死に仕事をしてますね。少し気になったんですけど……さっき言っていた、沈没したら逃げられないかもっていうのはどういうことですか?」
エルザはなるべく機関部の兵員に聞こえないように声を潜めながら、答える。
「……機関部が艦内の最深部にあることはお分かり頂けたかと思います。では、その最深部から船外に出るまでどれだけの時間がかかると思われますか?」
今通ってきた道のりを考えると、鞍馬は返答に詰まってしまった。
「そもそも最深部では戦況がわからない上に、水密扉も壊れる可能性があります。私が総員退艦の命令を出したとして、この者達の脱出が間に合うかはわかりません。それに……ここを放棄するということは艦の足が止まるため、敵の的になってしまうのです」
(まさか……)
鞍馬はエルザが言外に言わんとしたことを感じ取る。
「おわかり頂けましたか? おそらくこの者たちは、沈む時まで機関を動かし続けるでしょう。特に機関部の将校は学校でも、職務をまっとうするように習っておりますので……」
「そんな……」
「しかし、彼らはそんな自分の仕事に誇りを持っています。海の男という言葉に最もふさわしいものがいるとすれば、彼らでしょうね」
鞍馬の口からは言葉が出てこない。
自分の命令の重さ、その結果に左右される兵たち。
そして、そんな兵たちの持つ覚悟。
それらを知り、目が覚める思いだった。
「提督……?」
鞍馬の表情を見て、心配そうに声をかけるエルザ。
「あ、いえ……すみません……」
「大丈夫です。提督に重圧を背負わせる気はございません。それは……私が背負うべきものです。提督はまだ何も知りませんし、自分から望んでこのような状況になっているわけではありませんから。それに私が簡単にこの艦を沈めるとお思いですか?」
心を見透かしたように優しい声音で言葉をかけるエルザ。
鞍馬はエルザの心遣いに感謝し、笑顔を見せた。
「いえ……ありがとうございます。でも、前にも言いましたけど……俺もちゃんと艦内のことを知って、エルザさんを助けますから」
「ふふ、ありがとうございます。それでは、気を取り直して、機関の説明をいたしますね」
どこか心が軽くなったのを感じ、鞍馬はエルザの言葉に耳を傾ける。
「後ほどご案内しますが、我が艦の砲は来るべき決戦に備え、非常に大きいものです。砲が大きいということは、当然重量が増します。それを補い、作戦能力を向上させるために作られた最新鋭の機関がこちらです」
「最新鋭ということは、従来のものよりスピードが速い、とかですか?」
「いえ、スピードは従来のものとあまり変わりません。我が艦に搭載されているのはディーゼルエンジンなので、従来の軍艦に使用されていた蒸気タービン機関に比べ、最も違うのは航続距離です。従来型よりも燃料効率が良いため、同じ量の燃料でも航続可能な距離が全く違うのです」
「えっと……長く航海できることは重要なんですか?」
「航続距離が長いということは、作戦行動に幅が出ます。目的地を欺くための迂回行動も大きく取ることが出来ますので、現在攻勢に出ている我が軍にはとても重要と言えますね。ちなみに我が艦の航続距離は二十ノットのスピードで一万海里くらいです」
(一万海里というと……一万八千キロメートルくらい……かな)
「とてつもない距離ですね」
「メリンゲンの本土は遠いですから、本土侵攻に備えてこれだけの航続距離が必要なのです」
本土侵攻。それがジャームの目的なのだろう。
戦争は勝たなければ意味が無い。
それは古来より言われ続けてきたことだ。
戦争を勝利で終えるといっても様々な方法がある。
その中でも敵を降伏させる、有利な条件で和平を結ぶというのが最も現実的な方法であろう。
だが、国家が降伏させるというのはなかなかに難しい。
鞍馬はそれをよく知っている。
現在こそ平和だが、人類史上最も大きな戦争の渦中にあった国に生まれたのだから。
趣味である軍事知識は基本的にその戦争のものだ。
どのような経緯で、何を目的にして戦い、なぜ降伏したのかも知識として頭に入っている。
だからこそ、エルザの本土侵攻という言葉にはなんとも言いがたい不安を覚えたのだ。
むやみに戦線を広げていくことの難しさを知っていたから――。
「そう、なんですか。とにかく、高性能だってことですね」
「はい。問題がないわけではございませんが……」
エルザは語尾を濁し、表情を曇らせる。
「話を聞いていると、その問題というのが思いつかないんですけど……」
「エンジン自体に問題はございません。整備性も悪くはないですし、我が国は綿密な研究を繰り返して、この艦への採用を決定しております。しかし……問題は燃料です」
燃料というのはエンジンが心臓だとすると、血液にあたるものだ。
血液がなければ心臓は当然動かず、艦自体の行動が停止してしまう。
その燃料に問題があるとすれば、それは非常に重大な問題だと鞍馬には思えた。
「燃料は重油を使用しているのですが、我が国に油田はほとんどなく、戦前はメリンゲンから輸入することでまかなっていました。しかし、両国の緊張状態が増したので、その輸出を止められてしまったのです」
「えぇっ!? それってかなりの問題じゃないですか!?」
燃料がなくなるということは当然兵器を動かすことが出来ず、継戦能力の喪失を意味する。
そんな状態で戦争に乗り切ったジャームという国が鞍馬には信じられなかった。
「現在、この艦が動いている事実もありますし、初戦、陸軍との合同作戦で油田の確保には成功しております。しかし、油田はメリンゲンとの中間地点の海域にあり、いつ奪還されてもおかしくないのです」
(あ、それって前に日記で見たかも。資源の枯渇が戦争の引き金で……
結局油田の確保には成功したんだ)
「では、今のところは大丈夫なんですね?」
「我が海軍の一個艦隊が常駐しておりますし、陸軍の精鋭が島自体を要塞化しています。ですが、それもいつまで保つかわかりません。だからこそ、敵の本土に侵攻し、早期講和を成し遂げなくてはならないのです」
エルザは自然と拳を握り、胸の前に出す。
勝利を見据えるその眼には、一点の曇りも見受けられなかった。
「……うん。俺も頑張ります。戦争の真っ只中じゃあ、元の世界に戻る方法も簡単には見つけられそうにないですし」
「そうですね。共に平和な世界にしましょう。我が艦にはそれを成し遂げる力があるのですから」
「そのためにも、ここが重要な部署ってことですね。案内してくれてありがとうございます、エルザさん」
鞍馬の言葉に満足そうに頷くエルザ。
「はい。ただ、その……非常に申し訳ないのですが、急な軍務が出来まして、次は砲術長にご案内して頂きます。砲術長は甲板にて提督をお待ちしていますので、よろしくお願いします」
「あ、そうなんですか。わかりました。じゃあ、甲板に向かいますね」
鞍馬たちは機関科の仕事を邪魔しないように気をつけつつ、部屋を後にするのだった。
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