艦内の生活
鞍馬の身元を知り、それでも提督のふりをしてもらうために艦内を案内するというエルザ。
しっかりと艦内のことを覚えようと意気込む鞍馬がその隣を歩いていた。
灰色の金属でできた壁、そしてコンクリートの床が続く広い艦内通路では、ときおり兵たちが行き来をしている。
鞍馬たちを見つける度に兵たちは立ち止まって敬礼をするので、それに返礼をしつつの移動であった。
「エルザさん。まずはどこに向かうんですか?」
「まずは兵員の生活を知っていただこうかと思いまして、艦首近くにある兵員室に向かっております。そこから士官室も近いので、そちらも案内できたらと考えております」
「兵員室……艦内で働く方たちの寝室のような感じですか?」
「はい。寝室ですね。兵員室と士官室をご覧になりましたら、とても驚くと思いますよ」
そう言って、エルザはいたずらっぽく微笑む。
(驚く……? なんでだろう。兵員室より、士官室に差があるのは当然だし……)
「では、楽しみにしていますね」
「はい。士官室をご覧になられましたら、私たち上に立つものの義務を理解して頂けるかと思います」
しばらく艦内通路を歩くと、左右に水密扉が並ぶ区画へと足を踏み入れた。
規則的に並んだ水密扉は現在開け放たれており、その中は暗くて何があるかはわからない。
「提督、この辺りは兵員室が並ぶ区画となっております。数多くの兵員が働く我が艦にはこのような区画が数箇所存在しています」
そう言うなり、エルザはそのうちの一つの部屋へと入っていく。
鞍馬はそんなエルザの後に続いた。
「総員、起床!!」
エルザがそう言うなり、照明のスイッチを入れる。
突如明るくなった部屋には簡易な作りの三段ベッドが並び、並べられたベッドの半分から九人の兵員が飛び出してくる。
兵員は勤務中こそセーラー服だが、現在は就寝中であったため、上下ともにタイツのようなぴっちりとした下着姿だ。
「えぇ!? 起こしちゃうんですか!?」
(わ、わざわざ起こさなくてもいいのに……ってか、急に起こされると辛いよなぁ……
しかも、思いっきり下着姿だし……)
鞍馬は突然の行動に驚きを隠せず、思わずエルザの顔を見やる。
勤務中と割り切っているのか、下着姿の男性を見ても、エルザの表情は動かない。
エルザは鞍馬の驚きに満ちた表情を見て、兵員を起こした理由を説明する。
「たまにこのような訓練を行うのです。寝ていたから、という理由で船が沈んでは元も子もありませんから、準備完了まで5分以内を目安に起床するのです。皆、慣れておりますよ。ほら、ご覧になってください」
エルザに促されて部屋の中を見渡すと、寝ていた兵員たちはセーラー服に着替えてベッドの前に並び、鞍馬たちに向かって敬礼をしていた。
いつの間に整えたのか、ベッドシーツ、掛け布団は綺麗に並んでおり、起床の準備は完璧といえる。
「敬礼。……直れ。提督の査察に伴い、貴方達の練度を見せてもらいました。これなら、いつ敵襲があっても大丈夫でしょう。とても誇らしいです」
エルザは皆の顔を見渡し、そう告げる。
その言葉に、まだ眠いはずの兵員たちはパッと瞳を輝かせた。
(褒められて、こんなにわかりやすく喜ぶって……
エルザさん、慕われてるんだな)
エルザは感心している鞍馬に目をやり、微笑む。
見惚れてしまうほど美しい微笑みに釣られて、鞍馬も笑顔を見せた。
「では、提督からもお言葉をいただきます。総員傾注」
(……え?)
鞍馬は突然の出来事に驚き、表情を凍りつかせる。
そして、そんな鞍馬の後ろに退きながら、エルザは小声で鞍馬に耳打ちした。
「これから、このような場面はいくらでもございます。提督のふりを行っていただくためにも、慣れて頂かなくては……」
(えぇぇぇ!? いきなり!?)
内心では驚く鞍馬だったが、鞍馬に寄せられた兵たちの視線を裏切らないように、なんとか平静を取り繕う。
「え、えっと……素晴らしい訓練の結果でした。いつ敵襲があっても対応できるように……その、あの……じゅ、準備を怠らないでください」
鞍馬がそういうなり、兵たちは敬礼をする。
それに対して、いつぞやの映画で見た提督のようにゆっくりとした動作で返礼をする鞍馬。
「では、しっかりと休み、英気を養ってください」
そう言って、エルザは鞍馬を連れて、部屋を後にした。
「エルザさん、さっきのは急すぎませんか!? 言うこととか何も準備してないのに……」
「申し訳ありません。しかし、このようなことも慣れて頂かないといけませんので。次からは予めお伝えするようにしますね」
「お願いします。心臓に悪いので……」
「ふふ、ごめんなさい。でも、意外と様になっていましたので、少し驚きました」
エルザはそう言って微笑み、どこか満足げな表情を浮かべる。
(そんな表情を見せられたら、怒れないじゃないか……)
………
……
…
兵員室から艦尾の方へ五分ほど歩くと、先ほどの区画と同様に水密扉の並んだ場所へとたどり着く。
違うのは水密扉の間隔が少しだけ広いことである。
「ここが……士官室ですか?」
「はい。この辺りには尉官以上の者しか居住を許されておりません。百聞は一見にしかず。まずは部屋の中を見ていただきましょう」
そう言って、エルザは開け放たれた水密扉の中に入っていく。
「そういえば、兵員室もですが……なんで水密扉が開いているのですか?」
「水密扉が開いていないと、迅速な対応が出来ません。なので、戦闘時以外は開いております。水密扉の開閉は割り当てがありまして、割り当てられた班が責任をもって、開閉を行うのです」
エルザは鞍馬の問いかけに答えると、照明のスイッチを入れた。
部屋の中は机があるのみでガランとしており、ベッドすら存在していない。
士官室とは思えないような質素な作りに、鞍馬は驚きを隠せなかった。
「驚かれましたか?」
エルザは微笑みながら、鞍馬へと問いかける。
鞍馬は口を開いたまま部屋の中を見回し、エルザへと視線を戻す。
「ベッドがありませんが……これ、どこで寝ているんですか?」
「実は……」
エルザは鞍馬の問いかけに応えながら、部屋の隅に積み重ねられた、布の塊を手に取る。
「これがハンモックとなっているのです。士官は皆、兵員よりも強靭な精神力を得るため、ハンモックでの寝泊まりを義務付けられております」
「へぇ……これって腰とか傷めないのですか?」
鞍馬の素朴な疑問に、エルザは引きつった笑みを浮かべながら、回答を口にする。
「……傷めます。私も艦長としてこの艦に着任する前は、別の艦でハンモックを使っておりましたが、勤務中、腰痛に悩まされていました……」
「……そうですよね」
「はい……」
二人の間を沈黙が支配する。
しばらくして、鞍馬がその沈黙を破った。
正確には鞍馬の『お腹』が。
ぐぅ……という何かを圧縮するような音が部屋に鳴り響き、鞍馬は顔を赤くする。
エルザも鞍馬の顔を見て目を丸くし、再びの静寂が訪れた後、ごほんと咳払いをした。
「その……食堂に参りましょうか? 皆の生活で大きなウェイトを占めているのが、『食事』です。なので、食堂の案内も兼ねてご案内します。もう、夕食時ですから」
「……お願いします」
「はい。すぐ近くに士官食堂がございますので、そちらへ行きましょう」
「ありがとうございます」
鞍馬は恥ずかしさを押し隠しながら、エルザの後ろについて、士官食堂へと向かった。
………
……
…
士官食堂は夕食時ともあって、多くの士官で賑わっていた。
白いテーブルクロスがかかった大きなテーブルが並び、士官たちが会話を楽しみながら、過酷な艦隊勤務の疲れを癒やしている。
「エルザ艦長、て、提督! こちらにどうぞっ!」
鞍馬たちの姿を見つけた少女が声をかけてくる。
「ありがとうございます、カーヤ二等水兵」
カーヤと呼ばれた少女はまだあどけなさが残る顔立ちをしていた。
おそらく十代の中ごろだろう。
給食当番を思わせる白を基調とした服装をしており、軍人とはとても思えない。
「彼女はカーヤ二等水兵。主計科烹炊班に属してます。艦内の配膳や調理を担当してくれています」
「カーヤ二等水兵です! て、提督様にお会いできるとは思ってもいませんでした! よろしくお願いします!」
カーヤは小さな身体をピンと張って、精一杯の敬礼をする。
「よろしく、カーヤさん」
「では、お席にご案内しますっ!」
カーヤが示した席は大きなテーブルの奥にある、部屋の隅にある円卓であった。
テーブルの上には他のものと同様に白いテーブルクロスがかけられ、清潔感が見て取れる。
他の席の間を通り抜ける際、士官たちは立ち上がって敬礼をしようとするが、エルザはそれを慣れた所作で制し、席へと向かう。
「普段は規律もありますので、提督や艦長は自室で食事を行うのが通例ですが……私はたまにここで食事をしています。士官たちとの交流も重要ですので」
(なるほど。あの日記では部屋で食事しているみたいだったけど……
確かに士官たちとは普段から話をしておいたほうが、意思の疎通とかも容易なのかもしれない)
鞍馬は説明に納得しながら、エルザの対面に座る。
すると、カーヤが一度調理場へと戻り、すぐさま戻ってくる。
手にはワインボトルがあり、鞍馬たちの席につくなり、グラスにワインを注ぎ始めた。
ワインを注ぐ小さな手は震えている。緊張しているのだろう。
「お、お食事をお持ちしますね! 少々お待ちください!」
カーヤはワインを注ぎ終わると、再び調理場へと去っていった。
「食事は全てカーヤたち、主計科烹炊班が作っておりまして、士官にはフルコースが出るのです」
(ふ、フルコース!? そんなに豪華なものを食べてるの!?)
「上級士官になるにつれて、責任は重くなります。なので、食事くらいは豪華なものを出そうというのが、海軍の伝統なのです」
鞍馬の驚きが表情に出ていたようで、エルザは鞍馬の疑問に先んじて答える。
少し経つと、鞍馬には前菜として魚のマリネが、エルザにはアイスクリームが運ばれてきた。
「え、なんでアイス……?」
鞍馬が指摘するとエルザは顔を紅潮させる。
そして、カーヤを呼び出した。
「な、なんでアイスを出すのですか!?」
「えぇ!? しかし、艦長はいつもアイスから召し上がられるので……」
「きょっ、きょきょ今日は頼んでいないでしょう!?」
「ご、ごめんなさいっ! 気を利かせたつもりだったのですが……そうですよね。私が気を利かせると、いつもこうやって失敗しちゃうんです。実家でもそうでした。お父さんがパンを焼いてるところに……」
カーヤは遠くを見つめ、どんどんネガティブになり、なぜか過去の話を始める。
「あ、いえ、なんだかごめんなさい。気を利かせてもらって、ありがとうございます……。そんなに気を落とさないでください」
エルザが反論を諦め、肩を落とす。
すると、エルザのお礼の言葉をしっかりと聞いたのか、カーヤの表情が一変してパッと明るくなる。
そして、元気よく一礼して、足取り軽く、調理場へと戻っていった。
「あはは……表情のコロコロ変わる面白い子ですね。それにしても、アイス……お好きなのですか?」
「その……はい……実は先ほど少しだけ嘘をついておりまして……ここで食べるのは溶けていないアイスを食べられるからという理由もあるのです……」
(ここから部屋までは確かに少し距離があるよな)
「そうなんですか。なんだか、意外です。アイスが好きとは……」
「海軍の人間でアイスクリームが嫌いな人間はいません。一日の癒やしですから。せっかく料理も来たので、いただきましょうか……?」
「そうですね。アイスも溶けちゃいますし」
鞍馬は茶化すように言う。
「もう……提督は意地悪です」
エルザは頬を染め、アイスをスプーンですくって口に運ぶ。
一口アイスを食べると、途端にエルザの顔が幸せそうにほころんだ。
「……美味しいです。提督もデザートで食べられますよ」
「そうなんですか。でも、不思議ですね。アイスが軍艦の中で食べられるなんて」
「製造機があります。アイスの他にラムネ製造機もありますよ。艦隊勤務の後には甘いものが一番ですから」
「なるほどです。その気持ち、わかります」
「提督もお食事をどうぞ。我が艦の料理はちょっとした自慢なんです」
「それは楽しみです。お腹もペコペコですし、いただきますね」
そう言って、鞍馬たちは食事を進めていった。
主菜として出てきた、仔牛のフィレステーキなど、その豪華さ、美味しさに驚きながら――。
食事を終え、二人は部屋へと向かっていた。
激動の一日を終え、その疲れから少し足取りは重い。
「提督、本日のご案内は終了といたしましょう。明日も艦内をご案内したいと思います」
「案内、ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
「はい。お任せください。提督には一日も早く慣れていただきたいので」
エルザがそう言い、鞍馬の部屋の前に到着した。
二人は部屋の前で向かい合い、挨拶を交わす。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「はい、提督。良い夢を」
鞍馬は重い扉を開き、部屋へと足を踏み入れる。
(あ、寝間着とかあるのかな……でも、いいや。
今日はこのまま……寝ちゃおう……)
満腹と疲労から来る眠気に抗うことが出来ず、鞍馬はベッドに横になる。
そして、明日への期待を胸に、深い眠りへと落ちていくのであった。
本日は一話更新ですっ!
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