異世界での居場所
扉の向こうから届いたエルザの声に返事をした後、鞍馬は軽く深呼吸をした。
いくら本来の自分の部屋でないとはいえ、女性が部屋に来るなんて初めての経験なのだ。
ハンドルを回し扉を押し開けると、その手にカップを持ったエルザが待っていた。
「ありがとうございます、提督。片手が塞がっていたので、助かりました」
その手には金属製のカップが握られており、コーヒーのいい香りが漂ってきた。
「体のお加減はいかがですか? コーヒーをお持ちしたので、よろしければ」
「あ、ありがとう。頂きます。体調は……少し横になったらだいぶ疲れがとれました」
「そうですか。それは何よりです」
カップを受け取りながら、鞍馬はエルザを部屋に招き入れる。
「そ、それで……ここに来たってことは何かお話があるんですよね? えっと……立ち話も何なので……」
鞍馬はキョロキョロとあたりを見回した後、来客用の椅子をさして座るよう促す。
そして、テーブルを挟んで自らも椅子に腰掛け、受け取ったコーヒーを口にして、ふぅと一息つく。
(……身体の奥底から疲れがとれる気がする。
それに、なんだか緊張も和らいできたかも)
「ありがとうございます。まずはご報告を。先ほど司令部に現状を打電したところ、作戦行動から帰還中の戦艦ヴィルヘルムと領海内にて合流せよとのことです」
「戦艦ヴィルヘルム?」
「はい。かの戦艦は我が海軍全体の旗印とも言えるものです。そのヴィルヘルムに乗っている海軍総司令に報告を、とのことだと思われます」
「そうですか。報告ありがとうございます」
そこでエルザは一息つき、何かを探るような視線を鞍馬へと向ける。
「……提督、あちらの写真ですが」
そう言って、エルザは棚の上に置かれている写真へと視線を向けた。
「はい、写真がどうかしましたか?」
「写っているのは母君ですよね」
(なんで突然写真の話なんて……)
鞍馬は疑問に思いながらも、棚の上に飾ってある写真を見つめる。
日記に書いてあった母親だろうと鞍馬が判断した写真だ。
金髪の女性が優しげな微笑みを浮かべ、大きな暖炉の前で佇んでいる。
「そう、ですね。母の写真です」
「大事なものでしたら、戦闘中は船も揺れることですので、写真をしまわれてはいかがですか? 万が一、割れたら危険ですし……」
(確かにその通りか。部屋に戻ってきて、ガラスが散乱してるのも嫌だな)
「気づきませんでした。次の戦闘までにしまっておきますね」
すると、エルザは何かを考えこむように斜め上へと目線を向ける。
「どうか、しましたか?」
エルザの変化に気づいた鞍馬は戸惑いながら、尋ねた。
「……失礼を承知で申し上げます。提督、貴方は本当にシュレッセン提督ですか……?」
「な、なんでそう思うんですか……?」
鞍馬はギクリとして問いかける。
「まず、我が海軍の旗艦、ヴィルヘルムをご存知ないなどありえません。それに何より……先ほどの写真の話、シュレッシェン提督ではありえない返事なのです」
「どういうことですか?」
「あの方はその……母君を溺愛しておりまして……前に一度同じことを言ったら、ママの写真を隠すなどありえないと一喝されております……」
(しまった。そうだったんだ。
確かに日記からマザコンなのはわかってたけど……そこまでか!)
「で、でも……! 心変わりしたのかもしれませんよ!?」
「あの方のマザコ……失礼しました。母君への溺愛ぶりは異常とも言えるものでした。心変わりなど、絶対にありえません」
エルザは尚も追及の手を緩めない。
「それに、先ほどの戦闘……。提督は私に撤退の指示を出しましたね?」
「はい、出しましたけど……」
「その……シュレッセン提督はなんといいますか……接近戦を好んでおりました。おそらく、私に好意を……寄せていたからかと思うのですが……。撤退の命令など、出さないのです」
(た、確かにエルザさんにいいところを見せようとしてたって、書いてあった……!)
「それに、提督は私を『エルザさん』とは呼ばずに、『エルザ』と呼んでいました」
そして、エルザは核心部分に触れようと、言葉を続ける。
「そのことから導き出されるのは一つ。貴方はシュレッシェン提督ではないと判断せざるを得ません……貴方は一体誰なのですか……?」
(ここまで言われては仕方がない、かな。知らないうちにボロが出てたんだし……もう言うしかないか)
「……そうですね……実は……」
そこから鞍馬は経緯を話した。
自分の育ってきた世界、寝て起きたらここにいたこと、だから自分は提督はおろか、軍人ですらないことを。
エルザは鞍馬の言葉を茶化すこともなく、真剣に聞き入った。
時には頷き、時には相槌を打ち。
「そうだったのですか……いえ、今までの提督とは随分と雰囲気も違いましたので。説明を聞いて納得しました。それに観測機を『スイジョウキ』という聞きなれない単語で呼んでおりましたので、それは貴方の世界の軍事知識なのでしょうね」
ひと通り聞き終え、エルザは理解したようだ。
この若さで艦長になるほどの人物である。
思考の柔軟さ、頭の回転の速さがかなり高い水準にあるのは明白だ。
「それで……シュレッシェン提督はどうなったのでしょう? その……多重人格のように貴方の中に存在しているのでしょうか?」
「それは……わかりません。俺の中にもう一人いる感じはありませんし……そもそも、自分の中にもう一人存在するって感覚がわかりません……」
「そうですか……なるほど……」
(さて、全てを話したけど、どうなることやら……
普通に考えれば、この船を追い出されるな)
鞍馬は提督ではない。
そんな鞍馬をどうするかはエルザの判断一つだろう。
鞍馬は自らのこれからをエルザに委ねた。
「もう一つ質問です。あなたがどのような経緯でこちらに来たのかわかりませんが……元の世界に戻る方法はあるのですか?」
鞍馬はゆっくりと首を振る。
「それは……見当もつかないです。いつ戻れるかも、どうやって戻れるのかも」
「そうですか……先の戦い、あなたの采配は良かったです。その体の持ち主である、シュレッシェン提督よりも全然。あなたは私の話に耳を傾け、自分にないところを補える。これ以上、仕事のしやすい上司はおりません」
鞍馬はエルザの話にじっと聞き入っていた。
エルザはそんな鞍馬の様子を見て、緊張をほぐそうと表情を緩める。
「それに……私達の文化、地理、歴史、そして民族性。それらを知らないで生きていくのは厳しいと思います。平時ならまだしも、今は戦時中です。だから……」
鞍馬は喉をごくっと鳴らし、エルザの言葉の続きを待つ。
「今回の話は私の心にしまっておくことにします。貴方を……そうですね、戦闘中の記憶混同とでもしておきましょうか。実際に戦闘で結果を残しているので、戦闘指揮には支障なしというのも容易かと思いますし」
(ってことは……現状維持……?)
予想外の言葉に鞍馬は目を丸くする。
「私もできるだけのことはします。この世界のこと、貴方は何もわからないのですから。だから……元の提督もいつお戻りになられるかわかりませんし……ですから、貴方にはこのまま提督のふりをしていただきましょう」
鞍馬はエルザの言葉にホッと安堵のため息を吐いた。
全然知らない世界にきていきなり海戦に参加し、何よりいつ戻れるかもわからない、戻る前に死ぬかもしれない状況で、ずっと不安だった。
それがここに来て事情を知る理解者を得たことで、ようやく安堵できたのである。
「ありがとう、エルザさん……俺はここにいていいんですね……?」
「はい。あなたはここにいていいのです。私の目的のため、そしてあなたのために。知らない世界で居場所がないのは、辛いと思いますから……」
鞍馬は仮にも自分が必要とされた事実と、優しい言葉にこらえきれなくなり、涙を流した。
元々いた世界ではただのフリーターで、深く人と関わることなく生きてきた。
そんな自分の人生で、元の提督の代わりとはいえ、初めて認められて居場所が出来たのだ。
流した涙は温かく、鞍馬が今まで感じたことのないものだった。
(海戦は怖いけど……でも、エルザさんがいてくれれば頑張れる気がする)
鞍馬は一筋の希望をこの世界に見出し、帰れるまでの居場所も見つけた。
涙を拭い、鞍馬はまっすぐエルザを見る。
「何をどこまでできるかわからないけど……これから、ちゃんと勉強して、エルザさんの補佐をするから」
エルザは鞍馬の言葉に吹き出し、笑顔を見せた。
「ふふ、補佐は本来艦長である私の役目なのですが、それもいいでしょう」
エルザの楽しそうな表情に自然と鞍馬の表情も緩み、二人で笑い合う。
しばらく二人の間には緩やかな時間が流れ、エルザは真面目な表情へと戻った。
「これからも提督のふりをしていただくとして……艦内の様子や設備を知らないと色々と不都合が出てきますね……」
「確かに提督として、それはマズイですね。案内して頂いてもいいですか? 一度見て回りたいですし」
「はい。では、ヴィルヘルムとの合流までは2日ほどございますし、今日、明日と艦内をご案内しますね」
(軍艦の内部を見て回る機会なんて滅多にないし、楽しみだ。
でも、エルザさんは俺のために案内してくれるんだし、どこに何があるかくらいはちゃんと覚えないとな)
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
鞍馬がそう返事をすると、エルザは微笑み、席を立つ。
「では早速行きましょうか」
「はい」
鞍馬は立ち上がり、好奇心を抑えつつ、歩き出すのであった。
今日は五話まで投稿です!
これから、なるべく高頻度で更新していきます!
※5/2追記:五話まで、ルビを振りました。