休息と日記
※修正:「日誌」と「日記」という表記が混在していたので、正しい意味の「日記」へと修正しました。ご指摘ありがとうございます。
艦橋を後にし、エレベーターを降りた鞍馬。
エレベーターの中がしっかりと装飾されていて驚いたが、現在歩いている艦内の通路もたいがいである。
鞍馬としてはもっと薄暗く、狭いものかと思っていたが、全くそんなことはない。
人が数人すれ違うことのできる広さ、しっかりと手入れが行き届いた清潔な床。
そのどれもが鞍馬のイメージしていた軍艦とは違い、とても新鮮だった。
鞍馬をここまで案内してきた兵は一つの部屋の前で立ち止まる。
彼は案内された部屋の水密扉のハンドルを回していく。
重いハンドルを回し切り、力を込めて扉を押すと、ギィっという音を上げて扉が開いた。
「それでは、失礼致します」
彼はそう言うなり、機敏な動きで敬礼をする。
「ありがとう」
疲れで言うことを聞いてくれない体をゆっくりと動かし、鞍馬は見よう見まねの敬礼を返した。
部屋に足を踏み入れた後、鞍馬はその豪華さに驚愕した。
パッと見ただけでも革張りのソファや木材で出来た豪華な机、真っ白いシーツが敷かれたベッドや誰かの肖像画、女性の写真まであるのだ。
壁面と扉こそ、無機質な金属でできているものの、それら美しい調度品の数々がひときわ目立っていた。
先ほどまでいた艦橋の無骨さとの差異に、鞍馬は自分が部屋を間違えたのではないかと思ったほどである。
「こ、こんなに豪華でいいのかな……? なんかホテルみたいだけど……」
部屋に見とれていたのもつかの間。
猛烈な疲れが鞍馬を襲い、柔らかそうなベッドで横になりたいという欲求が大きくなる。
初めての海戦で疲労困憊となり、とりあえず休息が欲しかったのだ。
部屋の奥まで歩を進め、ベッドに横になる。
ふかふかのシーツが鞍馬の身体を柔らかく包み込み、その心地よさは今まで味わったことがないほど。
「はぁ……疲れたぁ……」
鞍馬は今までの疲れを絞り出すように大きく息を吐き、この怒涛の数時間を思い出す。
敵艦との戦闘、提督と呼ばれ、戦闘を指揮する立場となったこと。
どれもが鞍馬にとって、初めての体験だった。
その興奮の残滓があってか、疲れは感じるものの、不思議と眠気はない。
(エルザがこの部屋に来るって言ってたし……このまま起きてるか)
「……そもそもこの体、なに?」
眠れないならせめて体でも休めようと仰向けに寝転がり、自分の手のひらを顔の前に広げる。
普段見慣れた手よりも一回り大きく、肌が白い。
更に自分の髪をつまんで目の前に持ってくると、何故か金髪であった。
(どう考えても、他の人の体だよな……
この世界のこともわからないし、このままじゃ正直すごく不安だ)
鞍馬はまずこの体について知りたいと思い、体を起こす。
鏡を探す鞍馬だが、目につく場所に鏡はない。
(手鏡とかなら、机の中にあるか……)
鞍馬はベッドからおり、傍らにある机へと近づく。
大きな木製の机は暗めの落ち着いた配色に、年代を感じさせるアンティーク調の装飾がなされている。
机の前にしゃがみ込み、引き出しを一つずつ開ける鞍馬。
しかし、目当ての鏡どころか、机の中には目ぼしいものは何も見つからず、ゆっくりと立ち上がる。
すると、机の上に綺麗に並べられた本に目が移った。
「この体の持ち主は几帳面だったんだろうな」
綺麗に背表紙をこちらに向けて整えられている本たち。
本は高さごとに並べられ、鞍馬から見ても清々しい。
もともと雑多で汚い部屋に住んでいた鞍馬としては、ある意味尊敬にすら値する。
「あれ、これって……」
その中の一冊に目が行く。
背表紙には手書きで『日記』と書かれている。
おそらく鞍馬の体の持ち主が書いたものだろう。
手にとって表紙を見ると、そこには『日記』という題とともに、名前が書いてあった。
「シュレスビッヒ・シュレッシェン……」
これが現在の体の本当の持ち主の名であることは想像に難くない。
(この体の持ち主が書いたのだとしたら……
状況を理解するのに役立つかもしれない)
鞍馬は自分の体のことを知るため、机に備え付けられた椅子に座り、一ページ目を開く。
『○年○月○日 曇
私たちの祖国、ジャーム国がメリンゲン共和国に宣戦布告をした。
メリンゲンは先の大戦での敗北から立ち直りつつある私たちに対し、資源輸出の停止や、軍縮を盛り込んだ国際条約を締結して、再びの台頭を防ごうとしていたらしい。
しかし、そんな状況に不満を募らせ、結果的に私たちの国は立ち上がったのだ。
私は父上――フェルマン総統より国防第三艦隊司令を任ぜられてしまった。
本当はこんなことやりたくない。
戦いに向いていないことくらい、自分が一番知っている。
私が父上にそう言っても、「総統の息子が先陣に立つ。うむ、美しきことだ」としか返ってこない。
ママも私のことを父上に相談したらしいけど、聞き入れてもらえなかったみたいだ。
こうなってしまったからには、やるしかないのだろう。
ママにいいところを見せるのだ』
(もしかして、日記に出てくる家族ってこの人達かな……?)
まず部屋に入った際に見えた肖像画に目をやる。
肖像画に書かれているのは立派な純白の軍服に身を包んだ肩幅の広い男性だ。
色とりどりの大きな宝石のついた指輪がほぼすべての指にはめられ、ある意味男性よりもそちらの方が目立っている。
椅子に座り、手を顎に持ってきたポーズをしているため、宝石が肖像画の中心にあり、宝石を描きたかったのか、男性を描きたかったのかよくわからなくなってしまっている。
(なんか、すごく独特な人だな……)
次に木製の棚の上に置かれた写真立てへと視線を向ける。
(多分、ママはこの人だ)
写真に写っているのは、金髪の女性。
その写真が大事そうに、それでいてしっかりと見えるように飾ってある。
(恋人がいたら、その人のことが日記に書いてあるだろうし……。
この人が母親だろうな……)
鞍馬は思案した後、序盤の数ページの内容を頭の中で整理していく。
鞍馬やエルザの属している国はジャーム国という国家である。
ジャームではトゥーレ党による一党独裁が続いており、現在では熱狂的な支持を背景に拡大政策を採っている。
敵はメリンゲン共和国。巨大な国土、強大な軍事力を有する世界最大の国家だ。
そのメリンゲンの資源封鎖、海軍の力を削ぐための排水量制限に反発して、ジャームは宣戦布告していた。
そもそもそんな国名は鞍馬の知るところではない。
よって、ここが別の世界であることは間違いないと鞍馬は考える。
そうすると、艦橋にあった海図がどこのものなのかわからなかったのもおかしくはなかった。
ひと通り序盤の内容をまとめた鞍馬はその後のページをめくっていく。
『○年○月○日 晴れ
今日は実際に自分の指揮する艦隊に着任した。
緊張で胃が痛かったが、部下に舐められるのが嫌なので、先日の決意を胸に着任式へと望んだ。
そこには、幼いころ教会の宗教画で見たような天使がいた。
私の直属の部下になるリューツォーの艦長、エルザだ。
彼女は本当に美しかった。
それにママと同じくらい胸が大きく、近づくと女の子のいい匂いがした。
抱きしめたら、心地良いのだろう。
ぜひ、抱きしめて匂いを嗅ぎながら、愛でてやりたいものだ。
こんなに可愛くていい匂いのする女の子を部下につけてくれるとは……父上もちゃんと私のことを考えてくれているようだ。
優しげな微笑みを見せるこの子と一緒なら、軍艦での生活もなんとかなるかもしれない。
着任式が終わり、私はできるだけエルザと一緒にいたかったので、幕僚などはいらないと全員を追い返した。
仕方ない。エルザと話している時に話しかけられたりしたら、私は烈火のごとく怒ってしまうだろうから。
これからはエルザと一緒に大嫌いな戦争を乗り越えていこう。
おそらく二人で苦難を乗り越えたあかつきには、恋が芽生えているだろう。
ママ、私は生涯の伴侶を見つけたみたいだ』
「うわぁ……」
鞍馬はこれ以上読み進めていいものか、悩んでいた。
しかし、エルザとの関係を知るためにも読み進めないといけないという、半ば強迫観念にとらわれ、鞍馬はページをめくった。
『○月○日 雨
本日、エルザにプロポーズした。
今後のことで話があると夕食に誘ったら快く承諾してくれたので、
私はエルザのその様子から、大いに期待した。彼女も私との将来を望んでいるのだと。
海上で用意しうる最高の食事をとっておきのワインと共に堪能し、
他愛のない会話で打ち解けた後、私は想定しうる最高のタイミングで、
温めておいた最高の口説き文句をエルザにプロポーズした。
「私のママになって欲しい」と。
ところがおかしいのだ。
エルザは私のプロポーズを聞くや否や怒りの表情で席を立ち、
「この艦隊についてのお話だとばかり思っておりました」と強く言い放ったのだ。
求婚の言葉が気に入らなかったに違いない。
私はあわてて彼女の手を取り、第二候補であった台詞を投げかけた。
「ここに居る間だけでもいい! 毎晩匂いを嗅がせてくれ!!」
私の手は力いっぱい振り払われ、彼女は部屋から出て行ってしまった。
ママ、女性というのはよくわからないよ……』
鞍馬は黙って次のページをめくる。
『○月○日 曇
怖かった。本当に怖かった……
初めての海戦は怖くて、みんなにバレないようにずっと震えてたよ、ママ。
しかも、こんなことがあった。
エルザが現状を説明して、私はそれに対する指示を出した。
駆逐艦は接近戦を望んでるっていうから、相手の思惑にあえてのり、接近戦で倒そうと。
本当は怖かったが、部下たちの手前、少しくらい強気なことを言ったほうがいいかと思ったのだ。
そしたら、エルザが「確かに雷撃でも撃破できるとは思いますが……今回は防衛戦。地上からの援護を活かした遠距離砲戦が得策です」って反対してきた。
それでも、私が何度も主張したらようやく納得したみたいだった。
いざ戦闘に突入しようかと言う時、私は自分の艦を最後尾にって指令を出した。
旗艦、提督が沈められたら終わりなんだから、最後尾にいるべきだと思って。
すると、エルザは「そのようなことは承服できません。旗艦は前方で指揮を執るものです。兵達の士気にも関わりますっ!」ってまた楯突いたんだ。
艦橋には他の者もいるのに……私のメンツは丸つぶれだ。
だから……大声で「逆らうな」って言ってしまった。
私は提督で、エルザは艦長なんだから、黙って私の言うことを黙って聞けばいいのに……
結局、散り散りに撤退する駆逐艦を追う足もなく、接近戦にもならなかった。
それもこれも、エルザがのろのろしてるのが悪いんだ。
次の任務は近くのテーヴァーラント上陸作戦の支援だって。
すぐ近くだから、今から向かうんだ。
ママ、最初は頑張ろうと思ったけど、もう嫌だ。こんな仕事。
早く帰って、ママのジャームポテトを食べたい』
鞍馬は最後の1ページを読み終え、パタンと日記を閉じる。
おそらく最後に書いてあった、テーヴァーラント上陸作戦の支援が先ほどの戦闘なのだろうと予測する。
その時、ドアがコンコンとノックされる。
「エルザです。提督、起きていらっしゃいますか?」
鞍馬はその声を聞き、急いで日記を元の場所に戻し、居住まいを正す。
(来た……!! お、女の人が部屋に来たことなんてないから、すごく緊張する)
「提督……? 入ってもよろしいですか?」
「ふぁ、ふぁいっ! どうぞ!」
再び声をかけるエルザに情けない声で鞍馬は返事をするのであった。