街並みとパーティ準備
グレーテが運転するジープに乗り込み、軍港の門を抜け、街へと着いたのはそれから一時間ほどが経ってからだった。
車の中から見る街は、戦時中とは思えないほど栄え、人々の顔には笑顔が絶えず浮かんでいる。
町並みは映画や写真で見たようなレンガ造りの建物が並び、その美しさに鞍馬は素直な感動を覚えた。
車は石造りの道路を走り、大きな通りの路肩で停車した。
「着きました。この辺りが市場となりますので、買い物はここで済ませてしまいましょう」
エルザの声に、皆が車を降りる。
「……まずは、何を買いますか?」
フローラが開口一番、問いかける。
ジャームポテト以外の献立が決まっていない今、皆の視線はカーヤへと注がれる。
「え、えと……そうですね……。あっ、シュヴァイネブラーテンとか、グラシュ・スープとかでいかがでしょう?」
(しゅ、シュヴァイネブラーテン……? グラシュ・スープ……?)
全く聞き覚えのない言葉に、鞍馬は困惑する。
そんな鞍馬の困った顔を見て、エルザが耳元に顔を寄せた。
「シュヴァイネブラーテンは我が国の伝統的な肉料理ですね。豚肉をオーブンで焼き、ソースをかけたもの、です。……つくり方は知りませんが」
(肉料理なのか。海外に行ったことないし、こういう料理が食べられるってのは嬉しいな)
「それで……グラシュ・スープというのは?」
「グラシュ・スープというのは……お肉の入ったスープです。肉と野菜を煮込んだもの、ですかね。我が国の陸軍でも食べられているようです。……つくり方は知りませんが」
いちいち「つくり方は知らない」というエルザに鞍馬は吹き出す。
軍艦での任務は平然とこなすエルザが、料理のこととなると、とても不安そうだ。
「……提督?」
突然笑い出した鞍馬にフローラが怪訝な表情を見せる。
「ううん、なんでもありません」
鞍馬は必死に笑いをこらえながら、返事をする。
その横では顔を赤くしたエルザが不服そうな目を鞍馬に向けていた。
「じゃあ、買い物に行きますか! 必要なものは言ってくれな、カーヤ!」
「はいっ! お、お任せを!!」
………
……
…
街は車内から見た印象を全く裏切らなかった。
市場には女性が多く、皆が笑顔を見せながら買い物をしていく。
石畳の上に並べられたテントのような屋台には多くの商品が並び、賑わいを見せている。
「すごい人ですね……」
「はい、夕方ですから、皆さん買い物時なのでしょう」
鞍馬はエルザの横に立って、色んな商品を眺める。
二人の前ではカーヤ、グレーテ、フローラが精力的に買い物をしていた。
鞍馬が商品を見ていくと、パッと衝撃的な光景が飛び込んできた。
「うわっ!」
「て、提督、どうしました?」
鞍馬の視線の先にあったのは、豚の頭。
それもたくさん積み重なったものだ。
「ぶ、豚の頭が……!」
「あぁ、豚ですか。あちらもよく食卓に並ぶんですよ」
「た、食べれるんですか?」
「はい。見た目にさえ目をつむれば……とても美味しいです」
エルザはさも当然といったように、鞍馬へと説明する。
(やっぱり外見に目をつむるんだ……)
食べ慣れているはずの自国民でさえ、外見に目をつむるというのが納得いかないが、各国の食文化である。
文化の違いは致し方ない。
それを批判するつもりにはなれなかった。
「エルザさん、あれは……?」
次に鞍馬の目に飛び込んできたのは、屋台の後ろに立ち並ぶレンガ造りの建物。
その壁に貼られた男性のポスターだ。
「あれは、提督のお父様です。ジャームの首相閣下ですね」
鞍馬は思い出す。自室に飾られていた肖像画を。
肖像画でもきらびやかな装飾の指輪を付けた手を、いかんなく見せびらかしていたが、それは肖像画に限ったことではないようだ。
ポスターでも宝石を手に、いい笑顔を浮かべ、こちらを見つめている。
「……あれが父親、かぁ」
「……外見はともかく。その手腕は確かなものですよ。この国が現在、このような生活を送れているのも、閣下の経済政策が正しかったという証明ですし。国民からの支持率もかなり高いのです」
「……そうは見えないけど。見た目によらないからね。って、それは豚の頭も同じか」
「そうですね。なにごとも実際に体験してみないと、わからないものです」
「提督、艦長、なにしてるんですかー? 先に行ってしまいますよ」
話している間に、皆との距離が離れてしまったようだ。
グレーテから声がかかる。
鞍馬たちは急いでその側へと向かい、買い物を再開した。
「おばさん、いいお肉入ってますかー?」
カーヤの快活な声が聞こえる。
買い物に慣れているらしく、普段の緊張した様子は全く感じられない。
「いいかどうかは食べてみないとわからないけどね、新鮮なお肉は入ってるよ」
頭にスカーフのようなものを巻いた、店主のおばさんが言う。
「そうなの? じゃあ、もらっちゃおうかなー。おばさん、豚肉を一キロちょうだい」
(一キロ!? どれだけお肉食べるの!?)
「……エルザさん、一キロって普通なんですか?」
「普通です。本日は二品、肉料理がありますから」
「……あ、そうなんですか。普通なんですか」
この国の人たちは肉をたくさん食べる。
鞍馬のジャーム知識がひとつ増えた。
確かに艦内での料理も肉料理が多かったのを鞍馬は思い出す。
「……おばさん、そこのベーコンも欲しい」
フローラがカーヤの横から顔をのぞかせ、告げる。
身長が同じくらいの二人が並んで買い物をしていると、まるで姉妹のように見えた。
「はいよ、重いから注意して持つんだよ。って、アンタら軍人さんかい?」
おばさんが目を丸くして言う。
鞍馬たち五人の軍服に気づいたんだろう。
「うん、今日帰ってきたんだ」
「そうかい。ご苦労様。でも、アンタたち二人みたいな小さい子が軍人だなんて、大変だねぇ……」
「そんなことないよ。周りの人もみんな優しいしっ」
おばさんのしみじみとした言葉に、明るく返すカーヤ。
「そうそう、こいつらも立派な軍人だからな。人間、見た目で判断しちゃいけないよ」
グレーテが続けて言う。
「そういうもんかねぇ。でも、アンタたちと首相閣下のおかげで私たちは商売ができてるんだ。ほら、これもオマケだよ」
そう言うと、おばさんは店先に並んだソーセージを袋に詰めて、フローラに渡した。
(軍人さんはわかるけど……首相閣下のおかげってことは、ホントに人気あるんだ)
鞍馬がそんなことを考えていると、おばさんから声がかかる。
「……アンタ、この子たちの連れでしょ? ほら、こんな重いものを女の子に持たせてないで、持ってあげなよ」
瞬間、空気が凍る。
フローラとカーヤが恐る恐る鞍馬の方を見てくる。
それはそうだ。
この中で階級が最も高いのが鞍馬なのだから。
しかし、鞍馬は自分が最上級という意識が欠如しており、二人から荷物を預る。
元々軍人ではないのだから、当然といえば当然だが。
「気にしないでください。こういう時、男は荷物持ちなんですから」
鞍馬が微笑みかける。
「あ、ありがとうございます!
「……ありがとうございます」
二人はそれぞれに礼を言い、頭を下げた。
「ちゃんと、女の子には優しくしなくちゃダメよ。軍人さん」
おばさんはいいことしたと言わんばかりに笑う。
「あ、あはは……おばさん、ありがとね。オマケしてくれて」
カーヤがそう言い、「次行きましょうか」と鞍馬たちを促した。
………
……
…
一時間ほどして、買い物が終わり、五人は車内へと戻っていた。
色んな店を回るたびに、鞍馬の荷物は増えていったのは仕方のないことである。
食材を買う度に、本人が持つと言ったのだから。
「提督、ありがとうございましたっ! 提督はお優しくて……本当に男性の鏡ですねっ!」
カーヤが瞳を輝かせて言うと、鞍馬が照れくさそうに頬をかく。
「いや、当然のことだから……」
「……そんなことないです」
そこにフローラが加わり、鞍馬の言葉を否定する。
(な、なんで荷物を持っただけでこんなに褒められるの!?)
鞍馬が疑問に思っていると、三人の姿を微笑ましそうに見つめていたグレーテが口を開く。
「権力を傘にきて、なんでも部下にやらせる上官はいっぱいいますからね。提督のように自分で何かをやる、という上官は珍しいのですよ」
好意的な口調でそう告げるグレーテ。
鞍馬は余計に照れくさくなり、思わずうつむく。
「では、私の家に参りますか」
エルザの言葉に運転席のグレーテがエンジンをかけ、車がゆっくりと走り出す。
車は大通りを走り、軍港とは逆方面へと向かっていく。
「艦長、こちらで間違いないですよね」
「はい。このまままっすぐいくと、街から出ます。そうしたら、すぐです」
「承知しました。じゃあ、さっさと艦長の家に着いちゃいましょう。実はもう、お腹がペコペコでして……!」
そのモデルのような外見とは裏腹に、叩き上げの軍人のような口調で言うグレーテ。
そんな裏表のない性格が、部下に好かれる要因なんだろう。
「……砲術長はたくさん試食してたように思うのですが……」
フローラが言いにくそうに告げる。
「はっはっ、あれは毒味だよ。提督が食べるものに万が一があったら困るからな!」
(なんていう言い訳だ……)
そんな会話をしながらも車は走る。
街路樹の立ち並ぶ大通りを抜け、橋を渡る。
すると、道路が石畳ではなくなり、土をならしただけのものへと変わった。
「だいぶ景色が変わりましたね」
レンガ造りの建物もなくなり、木造の一軒家が増えてきた。
しかし、完全な田舎という感じではなく、閑静な住宅街といった様子だ。
「はい、この辺りは軍港で働く方が多く住んでいます。自然も多く、静かなので、とても住みやすいんですよ」
「そんな感じがしますね。こういうところで暮らしてみたいと思ってたんです」
「ふふ、ただ……買い物が大変という不便な点もございますが。バスを使わないと、街の中心には行けませんし」
「あぁ、それは大変かもですね」
「あ、あちらが私の家です」
エルザが指さしたのは、大きな一軒家だった。
白を基調とした外見はどこか上品だが、お金持ちの家というほどではない。
大きさも、他の家々より少し大きいくらいで、特段目立つというほどのものでもなかった。
「綺麗なおうちですねー! 私の実家は集合住宅なので、一軒家って憧れます!」
カーヤが感嘆の声をあげる。
「自分の家だと思って、くつろいでくださいね。カーヤ。あ、そこに止めてください」
エルザは優しげな口調でそう言い、グレーテに駐車する場所を指定する。
車がゆっくりと停車し、それぞれが降りていく。
道路に面した小さな門を抜け、庭を歩く。
庭も申し訳程度のものであるが、任務で留守にしていたわりに、綺麗に整っていた。
「さて、我が家へようこそ、みなさん。任務での疲れもあると思うので、少し休憩してから、料理に取り掛かるとしましょう」
そう言って、エルザは鍵を取り出し、自宅のドアを開いた。
一話更新です!




