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気づけばそこは戦場

 現実離れした轟音(ごうおん)、電車などとは明らかに違う揺れに鞍馬は目を覚ました。

 目を開くと、そこには雑誌などで見た光景――軍艦の艦橋(かんきょう)であった。


「提督、ご指示を……! 敵を射程内に捕らえたのですっ! あなたの号令なしでは何も出来ませんっ!」


 鞍馬の横で声を張り上げるのは、立派な軍服に身を包んだ鮮やかな金髪の女性。


(提督……? なんのことだろう?)


 鞍馬が寝ぼけた頭で必死に思考を巡らせていると、先ほどより強い揺れが襲う。

 目の前の海図が広げられた台にしがみつき、鞍馬はなんとか転倒を逃れた。


「っ! 至近弾ですっ!」


 艦橋の一人が叫ぶ。

 すると、金髪の女性が鞍馬をキッと(にら)み付け、口を開いた。


「回避運動をせよっ! 提督! 早く指示をっ!!」


 鞍馬はどうしたら良いか分からず、焦った様子でキョロキョロと辺りを見回す。

 無骨な鉄で出来た計器類。装飾などの一切を廃した内装。見たこともない陸地が書いてある海図。

 何より、艦橋の窓から見える海上では、見たこともないような大きさの水柱が絶え間なく出現している。

 それは、鞍馬が今まで生きてきた平凡な日常から明らかにかけ離れた風景であった。


 皆の視線が一気に集まり、明らかに挙動不審な鞍馬を射貫く。


(もう、やけくそだ。戦闘してるみたいだし、とりあえず攻撃を……!)


「え!? を!? ををををを!? と、ととととりあえず撃てぇぇぇぇぇぇっ!!」


「はっ! 主砲発射っ! 以降、指揮所の判断で砲撃を継続せよ!」


 鞍馬の号令に合わせ、隣の女性が伝声管で射撃指揮所へと主砲発射、攻撃開始を伝える。

 他の艦への打電準備など、にわかに忙しくなる艦橋。

 その間も敵艦からの攻撃で巻き上げられた海水が艦橋の窓を激しく打っている。


 攻撃開始の合図を今か今かと待ち、既に照準を敵にあわせていたのだろう。

 艦の前方に取り付けられた主砲が数秒の間の後、文字通り火を噴いた。

空気を切り裂き、伝わってくる重低音。

 主砲の発射により艦橋の窓はビリビリと音を立てて震え、船全体を振動が包む。


 主砲の発射音に驚き、鞍馬はしゃがみ込んで身体を丸めた。


(どうしてこんなことに……!

そもそも俺はなぜこんなところにいるんだ。

朝のバイトだったから、自分の部屋のベッドで眠ってただけなのに……!)


 鞍馬が頭を抱え、目の前の光景から逃げていると、伝声管を通し、艦橋に声が響き渡る。


「弾着!」


 主砲から発射された砲弾は敵艦の前方に着弾し、損害を全く与えられない。

 艦隊戦の砲撃は波によっても角度が微妙にずれ、当てるのは中々難しいのだ。


「はぁ……びっくりした……うおっ!?」


 鞍馬が息を大きく吐き出したのと同時に、敵の至近弾により船体がひときわ大きく揺れる。

 地響きにも似た、ゴーンという低い音が艦底より響く。

 鞍馬はあまりの恐怖に身体を固くし、この状況が早く終わることを祈った。


「損害は!?」


「ありませんっ! 近くに着弾したのみです! しかしエルザ艦長、このままでは……!」


 金髪の女性――エルザは鞍馬へと身体を向ける。

 そして、鞍馬に手を貸して立ち上がらせた。


「提督、このままでは味方に損害が出るばかりです! 最大戦速で接近して雷撃を……」


 瞬間、先ほどよりもさらに近い着弾により、船体が激しく振動した。


「うわっ!?」


 鞍馬は、体勢を崩して前のめりに倒れてしまう。


 しばらくして揺れが収まる。

 海図が広げられた台にしたたかに頭を打ち、強い痛みが襲う。


「くっ……!」


 その痛みが心のどこかにあった、「これは夢だ」という淡い幻想を打ち砕く。

 痛みを感じた頭に手をやると、金の長い前髪がはらりと目にかかった。


(なんで髪が金色なの?

身体も少し大きくなったみたいだし、意味が分からない……

もしかしたら、この身体は俺のものじゃないのかもしれない。

それに……現在の状況もよく分からないし)


 鞍馬は知らない場所で海戦の指揮を()らざるを得ない現状と、その切羽詰まった状況により、混乱の極みに達していた。


「提督、大丈夫ですか!? 状況を再度確認致しましょう。よろしいですか?」


「え、あ、うん。ごめん、お願いします」


「現在の状況ですが……敵は戦艦一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦二隻。こちらは装甲艦が三隻。数では劣りますが、勝てないほどの戦力差ではありません」


 頭を打って記憶が飛んだのかと思ったのか、エルザは鞍馬へと現状を一通り説明する。


「は、はぁ……」


 だが、やはり現在の状況が飲み込めず、気のない返事をする鞍馬。

 そんな鞍馬を尻目にエルザは説明を続けて行く。


「しかし、敵に戦艦の大口径砲がある以上、一発でも当たればダメージは甚大です。逆にこちらも大口径砲があるとはいえ、戦艦ほどではなく、何発も当てなければなりません。このまま遠距離での砲戦では勝ち目がほぼ無いと言えます」


 一通りの説明を終え、エルザは鞍馬を推し量るような視線とともに、彼女の意見を添えた。


「……ですので、接近しての雷撃戦を具申します」


(接近戦と言うことは……被弾する確率も上がる!?

そ、そんなことはダメだ!!)


 鞍馬は自身の頭の中で思考を繰り広げ、ぶんぶんと首を振った。


「そ、そそそれはダメだ! ここは……」


「ここは……?」


 エルザは小首をかしげ、鞍馬に問いかけた。

 その言葉に、艦橋の全員が鞍馬を見る。

 先ほどからのやりとりで指揮する立場にあることを悟っている鞍馬は、ゴクンと息を呑む。


「と、とにかく身を隠そうよっ! このままじゃ弾が当たってみんな死んじゃう! そ、そうだ、煙幕とかないの!?」


 直後にしーんとする艦橋。

 先ほどから着弾している敵の攻撃と回避運動のための操舵音(そうだおん)だけが、音を立てている。


「え、ないの? 煙幕」


 鞍馬の素っ頓狂な声が艦橋に響き渡る。


「……煙幕展開の信号旗を掲げよ! 煙幕の中から砲撃を……」


「ち、違います! 煙幕に隠れて逃げるの! 至近弾を浴びてるってことは危ないってことでしょ!? それに、煙幕に隠れて撃っても当たらないって!」


 鞍馬の本音としては、被弾のリスクが上がるためさっさと逃げ出したいだけなのだが、もっともらしいことを言って、何とか説得しようとする。

 実際、鞍馬の(つたな)い軍事知識も現状が危険だと告げていた。


「し、しかし、陸上戦力の援護という作戦が……!」


「いや、さっきまで一方的にガンガン撃たれてたんだから、先手を取られたってことでしょ!? もうその時点で不利だったんだよ!」


「まだ、接近さえ出来れば……」


「この船、駆逐艦じゃないよね!? 艦橋の広さが駆逐艦じゃないし! おっきな大砲も積んでるし、速度もそこまでじゃないはずだよ! 肉薄は無理だって!」


 あまりに逃げ腰な鞍馬の様子に怪訝そうな顔をしてエルザが考え込む。


「それで……煙幕はどれにしますか?」


 煙幕には種類があることを鞍馬は思い出す。

 燃料である重油を機関部にて不完全燃焼させ、多量の煙となって相手の視界を遮るタイプと、艦尾に煙幕発生缶を置き、そこで薬剤によって煙を発生するタイプだ。機関部の煙に比べ、煙幕発生缶は海上にとどまる重い煙りを発生する特徴がある。

 煙幕は第二次世界大戦中、実際に海戦で使用されていた。

 当時は有視界戦闘が主流であり、レーダーの精度も高くなかったため、砲撃の直撃を避けるためには有効な手立てであったのだ。


 鞍馬はそれらを全て使った方が煙の量が多くなると考え、エルザに告げる。


「ぜ、全部! 全部使おうよ!!」


「……煙幕展開の信号旗を掲げよ! 一種、二種両方を!! その後、全艦に打電! 『単縦陣(たんじゅうじん)を維持し、我に続け』だ!」


 エルザの命令が伝声管を通じて、各担当部署に通達される。

 単縦陣というのは艦隊が一列に並んでいる陣形である。

 後続の艦が先頭の艦に続いて行けばいいだけの陣形のため、無線等が発達していない時代には指揮しやすい陣形として主流となっていた。


「あ、エルザさん!」


 鞍馬はエルザへと恐る恐る声をかける。


「なんでしょう、提督」


「攻撃は続けてくださいっ! 接近されたら……あ、危ないし……その……威嚇的な意味で!」


「了解しました。グレーテ砲術長! 砲撃は継続! 当てることは考えずに敵艦に向けて主砲を撃ち続けよ!」


 エルザはすぐさま伝声管を掴み、自ら射撃指揮所に指示を出す。


『はっ! 砲撃は継続します!』


 伝声管から女性の声で返事が聞こえる。

 すると、時を同じくして艦橋の一人から報告が入った。


「全艦、煙幕の展開を開始しました」


 煙幕は風上から風下に流れる。

 敵が前方より接近し、すれ違いながら交戦する反航戦(はんこうせん)となりそうな今、運良く風上にいた鞍馬たちの艦隊から敵艦隊に向かって煙幕は流れていくはずである。


 鞍馬の乗艦の煙突、艦尾の煙幕発生缶から多量の煙幕が放出される。


「よ、よし、エルザさん、逃げましょう!!」


「全艦方向変換! 大きく弧を描いて、広範囲に煙幕を拡散させよ!」


 鞍馬の指示をエルザが命令として伝える。


 こちらの艦隊が一列で大きく弧を描くにつれて、敵艦隊の前面には煙幕が展開されていく。

 完全な反航戦に突入せず、敵艦との距離がまだ詰まっていない現在なら、戦艦を中心とした足の遅い敵艦隊から逃げ切るのは可能である。


「敵艦との間に煙幕が展開されていきます」


 鞍馬からは見えないが、報告によれば問題なく展開されているようだった。


「敵の砲撃の着弾点がだいぶ離れてきました。煙幕が効いているようです。とりあえずはあなたの作戦が成功しそうですね」


 実際、足下から響く敵の着弾音は大分小さくなり、その音は思い重低音より、少し軽い音へと変化していた。


「それでは油断せずに、このまま撤退することにしましょう」


 そんなエルザの言葉に鞍馬はコクッと頷いた。



………

……



「敵艦隊は巡航速度に移行した模様。我が艦隊の遙か後方へと離れていきます」


 その報告で艦橋には安堵の吐息が漏れる。

 鞍馬も例外ではなく、一際大きく息を吐いた。


「はぁ……死ぬかと思った。ありがとうございます」


 エルザに微笑みかける鞍馬。


「いえ、それはいいのです……それで、その……」


「どうしたんですか?」


「後は……敵前逃亡扱いにならなければ良いのですけど……」


 真面目な性格のため、相手が上官とはいえ、告げずにはいられなかったのだろう。

 エルザは気まずそうに視線を逸らし、自らの髪を指にクルクルと巻き付けて落ち着かない様子を見せている。


 この国の敵前逃亡がどのようなものになるかは分からない。

 しかし作戦を放棄した以上、まずいことになるのではないかという考えが鞍馬の脳裏を過ぎる。


 その結果、鞍馬はその言葉に引きつった笑いを浮かべるしかないのであった。


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