拿捕作戦
暗く、深い海がうねっていた。
ジャーム領海内よりだいぶ北のためか、海水を含んだ寒風がリューツォーの装甲へと断続的に打ち付けている。
駆逐艦を撃破し、その後敵船団を補足したのは、午前四時ごろであった。
船団に張り付いたシェルダーの位置を頼りに、リューツォーはここまで休みなく、全速力で駆け抜けてきた。
「やはり、足の遅い船でしたね。あとは接近するのみです」
現在位置は敵船団の後方二万メートル。
エルザは更なる接近を指示し、海図を見やる。
「早く捕まえなければ、敵領内に深く入りすぎてしまいますね」
「そうですね。どのくらいで敵は有効射程内に入りそうですか?」
「一時間はかかるでしょう。今回、砲撃には正確性が求められますから。現在、我が艦は猛追しておりますが……敵も必死に逃げておりますので……」
「なるほど。では、それまではどうしようもないということですか……」
鞍馬は襲い来る眠気に懸命に耐えるようにして、目をこする。
今日はまだ一睡もしていない。
夜通しの追撃に、全乗組員は睡眠をとる暇もなかったのだ。
「提督、少しお休みになられても構いませんよ?」
「いえ、ここまできたら起きてます。みんなが起きてるのに、俺だけ眠るわけにはいきませんから」
エルザは鞍馬の頑張りを労うように微笑むと、海図台の上のカップを手に取り、口へと運ぶ。
もう何杯目かわからない。
いくら敵を追撃しているとはいえ、駆逐艦との戦闘から時間も経っている。
緊張の糸はたるみ、誰しもが眠気に襲われ始めていた。
「エルザさんこそ、少し休んだらどうですか? 俺がここに残りますから」
「ご心配ありがとうございます。しかし、艦長がここを離れるわけにはいきません。まだ戦闘中ですし、部下も必死に頑張っていますし。それに、熱いコーヒーを飲めば、いくらでも頑張れるというものです」
「あはは、熱いコーヒーは眠気がとれますよね」
(確か一杯とかじゃ意味ないんだよな、コーヒー。でも、これだけ何杯も飲んでるんだから、さすがに効果はあるはず)
その時、伝声管から声が響く。
『艦長、そろそろ撃ってはダメですか? もう、皆疲れておりますので、これ以上何もない時間が過ぎると、マズイです。コックリコックリ、頭が揺れてる奴まで出てきました』
「まだです。今撃っても完全に無駄弾となります。しかし、そうですね……烹炊班に言って、簡単な夜食を届けさせます。少しお待ちを」
『あぁ、それは助かります! 腹が減っては戦はできぬといいますし! では、皆に伝えておきます!』
会話が終わると、エルザは人を呼び、調理場へと伝令を出した。
「いいんですか? 今、ご飯食べても」
「はい。サンドイッチくらいですから。戦闘中だろうとなんだろうと、お腹は空きます。お腹が空けば、集中力も低下し、戦闘に支障をきたす場合もあります。なので、烹炊班は戦闘中でも食事を届けないといけないのです」
「仮に敵から砲撃を受けていた場合もですか?」
「その通りです。揺れる船内を食事が入った容器を持ちながら駆けまわるのです。彼らも機関室と同様、縁の下の力持ちの部署ですね」
「そうなんですか……大変です。でも、確かにお腹は空きますもんね」
二人が話していると、艦橋内に緊張した声が響く。
「か、カーヤ二等水兵、お食事を持ってまいりました!」
声の方向を見ると、片手に金属製の四角い箱のようなものを持ち、敬礼しているカーヤが見えた。
「早いですね。もう食事が出来たのですか? カーヤ」
「あ、伝令さんとは通路ですれ違いました。班長がそろそろ夜食が欲しくなる時間だろうと言ったので、既に烹炊班は食事を配り始めていますっ!」
「なるほど。さすがですね。では、先に皆に配ってあげてください」
「はいっ!」
エルザがそう言うと、カーヤは元気よく返事をし、艦橋の者たちにサンドイッチを配り始める。
カーヤに食事を手渡されると、皆が笑顔となり、艦橋に明るさが戻ってくる。
(カーヤさんが元気だから、みんなそれを分けてもらってるんだな)
そんなことを鞍馬が考えていると、ひと通り配り終わったカーヤが鞍馬たちにもサンドイッチを差し出す。
大きくはないが夜食には充分な二切れのサンドイッチ。
中身はハムと野菜。小腹を満たすには充分だろう。
「ありがとうございます。じきに戦闘が始まるので、気をつけてくださいね」
「はいっ! 提督からそんなお優しい言葉をかけていただけるなんて……一生の自慢とします!!」
(はは……そこまでいうほどのことじゃないけど)
「ではカーヤ、がんばってくださいね」
「はい! ありがとうございます! 次は砲術科の方々に配らないといけないので、失礼します!」
鞍馬につづいて、エルザもカーヤに声をかける。
カーヤはピッと敬礼をして、艦橋を去っていった。
「ふふ、元気をもらっちゃいましたね」
「そうですね。あとは……サンドイッチを落とさなきゃいいんですけど」
「確かにそうですね。また、砲術科の賭けが盛り上がってしまいますから」
「あはは、そういえば、グレーテさんが言ってましたね」
そう言い合い、二人はサンドイッチに口をつける。
(うん、美味しい……! これでまだ頑張れそうだ)
食事の大切さを再確認し、鞍馬は再び気を入れなおしたのであった。
………
……
…
「砲術長、砲撃準備をお願いします」
エルザがそんな命令を下したのは、食事が終わって、三十分ほどが経った後だった。
暗がりのせいで敵艦をみることはまだできないが、砲撃可能なほどに接近しているらしい。
『かしこまりました。やっと、出番ってわけですねっ!』
グレーテさんは興奮を隠さずに返答する。
「さて、初めましょうか。提督」
「了解です」
鞍馬はエルザに頷くと、すぅっと大きく息を吸う。
「目標、敵船団。作戦開始っ!」
吸った息を吐きながら、鞍馬は開始の号令を下す。
「はっ。観測機に通信。照明弾発射!」
通信士に命令をしたエルザはそのまま、伝声管をつかむ。
「砲術長、今回は最初から探照灯の照射も許可します。間違っても当てないでくださいね」
『はっ。任せてください! ピッタリ敵前方に落としてやりますよ!』
グレーテが力いっぱいそう言うと、探照灯が敵船団を照らしだした。
深い闇に溶け込み、何もないと思われた景色に敵船団が浮かび上がる。
探照灯に照らされたことで敵船団は砲撃開始が近いことを察知し、各船舶が回避運動に入る。
「あとは、砲術科を信じるのみです。グレーテ砲術長の指示の下、正確な射撃をしてくれると思います」
『砲撃準備完了。砲撃開始の許可を!』
伝声管から響く声に、エルザが緊張した面持ちで鞍馬を見つめる。
「お願いします」
鞍馬が一言そう言うと、エルザはコクっと頷いた。
「砲撃を許可します。目標は敵船団の進行方向。観測機と協力して正確な射撃を心がけてください」
『はっ。砲撃を開始いたしますっ!』
伝声管の蓋をしめる音が聞こえ、砲塔が回り出す。
そして、三連装の砲門のうち、一つが火を吹いた。
ごおんという大きな音、それが残響として耳の中に残る。
「三発撃たないのは着弾点の問題ですか?」
「はい、全砲門を開くと、どうしても着弾点がバラけてしまうので」
「なるほど。わかりました」
エルザの説明に納得する鞍馬。
そこに、着弾の報告が入る。
「着弾しました! 観測機より報告! 敵前方左、遠い、です!」
「了解しました。砲術長にもそう伝えてください。また、敵艦に通信。こちらはジャーム第三艦隊旗艦リューツォー、逃走をやめ、直ちに停船せよ」
敵艦に対して停船を呼びかける通信を投げる。
「止まるとは思えませんが……」
エルザはそう呟き、伝声管へと声をかけた。
「第二射の準備をしておいてください」
そんなエルザの予想に反して、
「敵艦より入電。『停船要求に応じる』とのことです」
エルザが怪訝な表情を見せる。
こんなにすんなり行くとは思わなかったんだろう。
「……なんだか、あっけないですね」
「はい。さすがに予想外です。あっ、砲術長に連絡しなければ……!」
エルザはそう言うと、急いで伝声管に呼びかける。
「砲術長! 敵が停船に応じました! 待機してください!」
『えぇ!? もう終わりですか!? こっちは夜通し起きて準備してたっていうのに……』
「私も困惑してます。しかし、停船に応じた以上、撃つわけには……」
『はい、わかってます。砲術科、待機します』
肩透かしをくらったのはグレーテも同様らしい。
鞍馬もここまで上手くいくとは思わなかったので、どうしたらいいものか、エルザの顔を見つめる。
「とりあえず……拿捕部隊を準備させておきましょう……。伝えておいてください」
エルザが艦橋員に告げる。
「拿捕部隊……ですか?」
(そんな部隊が乗り込んでたんだ……知らなかった)
「はい。拿捕部隊とはいっても、我が軍に専用の部隊は存在しません。なので、陸戦隊にその役目をおってもらっています」
「兼任ってわけですね。でも、どうやって乗り込むんですか?」
「ボートです。通常の乗船と同様に、舷門から入っていきます。その後……」
エルザが淡々と説明をしていると、通信士が口を開く。
「拿捕部隊、すでに準備は完了しているとのことです」
「それでは、接近が完了しだい、敵の各船舶に移乗を開始。支配下に置いた段階でこちらに光信号を送るようにと伝えてください」
「はっ」
手早く命令を出すと、エルザは再び鞍馬へと向き直る。
「どこまで話したでしょう……。あ、乗り込むところでしたね」
「はい。舷門から入って……ってところだったかなと思います」
「艦内に乗り込むと、部隊はまず指揮系統を掌握します。結局、拿捕した船を動かすには操舵室をおさえないといけないので、当然ですね。その後、敵の最上位に位置する人間に艦内放送で抵抗しないで従うようにと、伝達させます」
「船の最上位っていうと、艦長さんとかですか?」
その問いかけにエルザは頷く。
「その通りです。そうすれば拿捕はほぼ終了です。我が軍ではいざという時に備えて、自沈用の爆薬も仕掛けます。そうすることで、艦内での反乱も防げるのです」
「なるほど。とにかく色んな手を使って、相手の抵抗を防ぐのが第一ってわけですね」
「はいっ。提督は覚えも早く、教えがいがあります」
(なんだか、こうして褒められることって今まであんまりなかったから、素直に嬉しいな)
「さて、なんでこんなに早く停船に応じたかも、拿捕部隊が乗り込んだらわかると思います」
(なんにせよ……あとは拿捕部隊の報告を待つだけってことか……)
………
……
…
それから一時間ほどが経ち、敵艦に乗り込んだ拿捕部隊から光信号が届いた。
内容は、『我、敵艦を完全に掌握す』というもの。
どうやら拿捕に成功したようである。
さらに届いた信号により、敵艦の四隻は商船、三隻はタンカー、一隻は客船だということが判明した。
駆逐艦はたまたま近くを通っていたので、一緒に植民地へと向かっていたとのこと。
「全部民間船だったわけですか。どおりですぐに停船したわけです」
そう。今回拿捕したのは、民間の商船、タンカー、客船だ。
既に拿捕部隊が乗り込んで船舶の照合も完了している。
商船に関してはメリンゲンで活動している外国人商人の船らしい。
「あはは……特に任務とかもないですしね。ところで、民間船って拿捕してもいいんですか?」
「はい、拿捕自体は問題ありません。ただ、無抵抗の乗員に危害をくわえるのは国際法に違反してしまいます。例えば……撃沈したら必ず救助しなければなりません。とはいえ、客船を撃沈しても弾薬を無駄に消費することになるので、滅多にそんなことにはなりませんが」
「なるほど……。まぁ、危害をくわえないように厳命して、連れて帰っちゃいましょう。行き先が少し変わるということで。一応メリンゲンの船ですし……一隻は一隻です」
鞍馬は冗談めかして告げる。
すると、それにつられるようにして、エルザも笑顔を見せた。
「わかりました。では、部隊にはそう伝えますね。滅多に行く機会のない、敵国へのクルーズを楽しんで頂きましょう」
そう言うと、エルザは再び通信士へと言葉をかける。
「光信号。作戦に影響なし。現状を維持し、我が艦に続けと」
「とりあえず、作戦完了、って感じですね」
「はい。この海域にいつまでもとどまるわけにはいきませんし、早く帰りましょう」
鞍馬が頷き、その言葉に同意すると、エルザは手早く指令を出す。
「これより、ジャーム本国へ帰還する。拿捕した船団に速度を合わせ、前進」
こうして、作戦は完了した。
あとは、本国にて指令へと報告を入れるだけである。
リューツォーは進路を変え、母港へとかじを切ったのであった。
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