夜間の戦闘
目標地点に着いてから二日後、艦内が一気に慌ただしさに包まれた。
水平線上に船影を発見したとの報告を受けたのは、日が沈んで二時間が過ぎた頃。
暗さも相まって、艦種は判別できていない。
戦闘艦橋に上がった鞍馬は肌をチクチク刺されるような緊張感を感じる。
室内は灯火管制のため、赤色灯に切り替えられ、薄暗い。
(……これで戦闘は三回目、か)
「エルザさん、状況はどうですか?」
鞍馬が尋ねると、カーテンの隙間から窓の外をじっと見つめていたエルザが向き直る。
「現在、二機目の観測機を発進させました。敵の数、艦種は判明しておりませんが、月が出ているので、じきに判明するでしょう」
その時、通信士から報告が入る。
「敵艦、九! 一隻は駆逐艦! 残りは商船、タンカー等の船団とのことです!」
「了解しました。ありがとうございます。引き続き、観測に入ってくださいと返信。また、照明弾はこちらから別命あるまで撃たないでほしいと伝えてください。あとは、敵に見つからないようにと」
エルザはそう命令すると、伝声管へと顔を近づける。
「砲術長。砲撃の準備に入ってください。ギリギリまで敵を欺くので、砲塔は動かさず、そのままで」
『承知しました! 砲撃準備、開始します!』
そこまで言うと、エルザは伝声管から顔を離す。
「提督、夜戦となります。非常に危険ですので、作戦指揮所の方に下がって頂いて構いませんが……」
(確かに怖いけど……どこにいたって、危ないのは同じだよね)
「いえ、ここにいます。ここで見ていたいですから」
「わかりました。では、これより敵艦に接近致します」
エルザは鞍馬にそう言うと、声を張り上げる。
「我が艦はこれより敵艦に肉薄し、護衛を一気に撃破する! 砲雷撃戦用意! 方位そのまま、巡航速度にて前進!」
すると、艦橋の人員が各所に指令を伝え始める。
夜戦と簡単に言うが、通常戦闘とは大きく異なる。
当然、砲撃命中率は下がり、暗がりの中、何があるかわからない。
今回は先に敵を発見することができたが、事前に敵を発見しないまま、いきなりの遭遇戦に発展する可能性も十分にあったのだ。
そんな知識を持っているため、鞍馬は緊張に自分の口が乾きつつあることを自覚していた。
しかし、エルザ以外の人もいる中、提督が情けない姿を見せられないと精一杯の勇気を振り絞った。
………
……
…
それからしばらくして、事態が動き始めた。
「敵艦より入電。『接近中の所属不明艦に告ぐ。貴艦の所属を明らかにし、接近を止めよ。さもなくば、攻撃する』です!」
「見つかりましたか……。仕方ありません。……最大戦速! 敵との距離を更に詰める! 観測機に通信! 照明弾を打ち上げよ!」
エルザが指令を告げる。
敵船団との距離は二万メートル。
視界が安定しない現状、まだ砲撃には早い。
「敵駆逐艦、こちらに向かってきます! 船団は進路そのまま!」
「観測機の一機は駆逐艦、もう一機は船団につけるように!」
船団と別れたということは、こちらと正面から戦うということだろう。
船団と行動を共にしていたら、流れ弾が輸送艦にあたってしまうかもしれない。
それはこちらにとっても困るので、敵駆逐艦の行動はありがたかった。
「エルザさん、このままだと反航戦ですかね」
「はい。最悪でもすれ違う時には敵艦を沈めます」
瞬間、照明弾が上がる。
漆黒に包まれた空に、もう一つ月が出たような錯覚に陥る。
光は海面へと降り注ぎ、無機質な船影を浮かび上がらせた。
『敵艦、視認! ぼんやりとですが、なんとか狙えます!』
グレーテから報告が入る。
「無駄撃ちはしたくありません。もう少し距離を詰めましょう」
言外に砲撃開始を急かしてきたグレーテを、エルザが止める。
敵もこちらに向かってきているため、両艦の距離はぐんぐんと狭まってくる。
そして、十分ほど時間が経ち、エルザが鞍馬へと向き直る。
「そろそろ頃合いかと思います。提督、号令を」
「はい」
鞍馬は息を大きく吐き、気持ちを落ち着かせる。
自分の号令によって、戦闘が開始されるのだ。
戦闘の結果、自艦に出るかもしれない被害を思うと、なんだかとても罪なことのように感じた。
でも、やらなくてはならない。
艦橋の全員の視線が鞍馬に絡みつく。
それを断ち切るように、鞍馬は声を上げた。
「……砲撃開始っ! 撃てぇぇぇぇ!」
「砲撃開始っ!!」
エルザが鞍馬の号令を受けて、グレーテへと伝える。
鞍馬の命令を、各部署に伝える艦橋の兵たちの声が輪唱のように響いた。
そして――轟音。
戦闘艦橋の窓から見える砲塔に備え付けられた砲門が、黒煙とともに砲弾を吐き出す。
艦体に不釣り合いなほど大きい砲塔が、艦全体を揺らす。
一瞬、星のように輝いた砲塔から吹き出た黒煙は、すぐさま闇へと溶けていった。
数秒の後にゴーンという低い音が響き、順番に大きな水柱が三本上がる。
「観測機より入電、右、遠い」
「以降、砲術長にそのまま情報を送ってください! 砲撃を継続!」
エルザが声を上げる。
『第二射、撃ちますっ!』
伝声管から響くグレーテの声。
こうして、砲戦が開始された。
………
……
…
敵艦がどんどん大きくなってくる。
その間、両艦からは次々と砲弾が撃ちだされ、お互いを揺らす。
今、この瞬間にも、敵の連装砲から撃ちだされた砲弾がリューツォーの付近に着弾し、海面に大きな波をつくる。
その波を横から受け、リューツォーの艦内はゆりかごのようにゆっくりと揺れた。
「くっ……! 砲術長、なぜ当たらないのですか!」
エルザが伝声管に声を荒げる。
敵は駆逐艦だ。いわば格下の相手。
その敵を沈められず、敵船団が遠のいていく現状に、エルザは少しの苛立ちを覚えていた。
『敵艦が動いてるため、照明弾の光源から外れつつあります!』
「照明弾を再度打ち上げるよう、観測機に伝えてください!」
『それもそうですが……艦長、探照灯を!! リスクはわかっています!! ですが、必ず先に沈めますので、探照灯の使用許可を!!』
「確かに時間が惜しいですね……仕方ありません。探照灯の照射を許可します」
『ありがとうございます! これで皆、気持ちよく砲撃ができますっ! ではっ!』
戦闘艦橋より上部から一直線に敵艦へと、光の柱が伸びる。
敵艦の周りが先程よりも格段に明るくなり、その姿をあらわにしていた。
「提督、やむを得ず探照灯を照射しました。これで砲撃はやりやすくなりますが……同時に我が艦の位置も把握されやすくなります。夜間での光源確保は重要ですが、方法によっては様々なリスクがあるのです」
「はい。グレーテさんとの会話を聞いてました。リスクがあったとしても、今はエルザさんの言うとおり、時間が惜しいです。早く敵を沈めて、船団を追いかけましょう」
「はっ。そろそろ、魚雷の距離ですね。魚雷発射の許可を」
「そうですね。それでは……」
鞍馬がそう言った瞬間、艦橋内を切羽詰まった声が駆け巡る。
「魚雷、こちらに向かって来ますっ!!!」
エルザは即座に反応し、叫ぶ。
「回避っ!! 面舵っ!!!」
少しのラグがあり、艦が一気に右へ旋回する。
エルザの声を最後に、艦橋の誰もが口をつむぐ。
砲声とリューツォーが海上を進む音だけが艦橋へと響いた。
(……心臓の音が聞こえそうだ)
鞍馬の心臓は早鐘を打ち、恐怖を伝えてくる。
(こわい……もし魚雷があたったら……)
鞍馬だけではなく、全員が同じなのだろう。
その結果の沈黙であった。
「ぎょ、魚雷、我が艦の左を通過っ!」
裏返った声で報告が入る。
魚雷は恐怖の象徴である。
艦の底部に穴が空くということは、当然浸水が発生する。
そうなると、被弾箇所付近の重みが増加し、艦も傾斜するため、運動性が著しく低下してしまう。
当たりどころが悪ければ、機関部自体がやられかねない。
轟沈の可能性が最も高まる被弾――それが、魚雷攻撃を受けるということだ。
それを回避したことで、皆が大きく息を吐く。
「こ、こっちも魚雷を撃とうっ! これさえ当たれば、勝負が決まるから!」
「はっ。かしこまりました。……魚雷発射っ!」
鞍馬に返事をした後、エルザが伝声管に叫ぶ。
すると、少しの間をおいて、魚雷発射の報告が入った。
その間も、リューツォーは勇猛果敢に敵艦へと接近し続けていく。
「魚雷、外れました!」
敵艦が魚雷を回避してしまったようだ。
鞍馬の心を残念な気持ちが支配しかけたその時、夜空が白昼のように明るく輝いた。
一瞬の後に聞こえる、爆発音。
どこまでも響いていきそうな重低音がリューツォーを突き抜けていく。
『主砲弾が敵艦前部に命中っ!! 敵艦が炎上しています!!』
グレーテが興奮を隠さずに告げる。
それに対して、艦橋では歓声が湧き上がった。
吹き上がる炎が艦橋からも視認できる。
もはや、探照灯、照明弾の両方が必要ないような光源を敵艦自体が発していた。
(なんだか、こっちまで熱が伝わってきそうなほど燃えてる)
「このまま敵を沈めます! 砲撃を継続!」
『はっ!』
敵艦はなおももがくように、ジグザグに航行しながらこちらへと接近してくる。
速度が低下しているその動きは快速の駆逐艦とは、もはや言えない。
しかし、敵の戦意は全く衰えていないのか、吹き上がる炎の向こうから、まだ砲弾が飛んでくる。
「うわ……っ!」
リューツォーを何度目かわからない大きな揺れが襲う。
近くに敵弾が落ちたのだ。
駆逐艦の小口径砲といえども、至近距離に着弾すれば、リューツォーを揺らすには充分だ。
鞍馬は目の前の台に掴まり、なんとか転倒を避ける。
慌ててエルザに目をやると、台に身体を預けるようにして、懸命に揺れに耐えている姿が見えた。
「すぐに撃ち返してください! あとすこしです!」
エルザの命令――そして、再びの轟砲。
すでに敵艦を夾叉状態にした砲弾が一気に襲い掛かる。
二度目の爆発。
敵艦の横っ腹から更に大きな炎が吹き上がる。
炎を仄暗い海へとまき散らしながら、敵艦は次第に船体を傾斜させていく。
そこへ、またもや無慈悲な砲弾が突き刺さる。
悲鳴のような甲高い着弾音。
敵艦は船体を完全に横倒しにし、軍艦としての役目を終える。
もはや、その末路を確認する必要もない。
鞍馬が大きく息を吐く。
すると、エルザが興奮冷めやらぬ声音を懸命に落ち着かせながら、声をかける。
「提督、まだ終わってませんっ。これより、敵船団を追いかけます」
鞍馬はその言葉に力強く頷く。
「最大戦速を維持! 目標、敵船団! 駆逐艦の観測にあたっていた観測機を収容しつつ、敵船団に向かいます!」
まだ、戦いは終わっていない。
逃げる敵船団を追わなければならないのだ。
リューツォーは敵の駆逐艦を屠った勢いそのままに、敵船団の拿捕へと向かう。
敵船団を発見してから、数時間が経っていた。
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