空へ
艦内の案内が終了してからしばらく経ち、太陽が真上に来た頃。
鞍馬とエルザは今まで着ていた軍服ではなく、仰々しい飾りの付いた礼服を身につけ、観測機発着場へと来ていた。
「わざわざ着替えなくちゃいけないんですね」
「はい。提督が訪問されることは僚艦にも伝えてありますので、あちらも礼服で応じる形となります。なので、こちらも礼を失することがないように、きちんとした格好をしなければならないのです」
灰色を基調とした礼服は通常の軍服よりも、上質な生地が使われている。
袖には豪華なカフスがつけられ、襟にも綺麗な襟章がつけられていた。
いつもの軍服と最も違うのは右肩に着用した飾緒と、腰に装着しているサーベルであろう。
右肩から胸のボタンまで伸びた金色の飾緒は、仰々しいほどにその存在感を主張している。
腰のサーベルは柄の部分に装飾がなされ、美しい輝きを放つ。
それら儀礼での使用を目的に仕立てられた服を自然に着こなすエルザは、いつも以上に凛々しく見えた。
当然、鞍馬もエルザと同様の服装をしている。
違うのは襟章と軍帽の表す階級だけなのだが……。
歩く度、足へと当たるサーベルに慣れず、あまり着た形跡のない礼服は洗濯のりでパリパリに硬い。
エルザとは違い、鞍馬の場合は服に着られていると言ったほうがしっくりくる。
そんな二人にフローラが声をかける。
「……準備完了です。搭乗して下さい」
フローラは先ほど会った時のラフな格好から、ダークブラウンの飛行服へと装いを新たにしていた。
水球の選手がかぶる水泳帽のような革製の帽子。
ツナギのような形状で全身を覆う布製の飛行服は、革のベルトで彼女の身体にしっかりとフィットしている。
更に手袋、ブーツを着用しているので、完全防備といった感じだ。
(やっぱり飛行服ってかっこいいな……)
「では、行きましょうか。グラーフ・シュペーは先の戦闘での被弾箇所を修理中で、シャアーにて会合を行う手はずとなっています。ただ、それまでは少し時間がありますので、シェルダーの説明をひと通りするようにと、少尉には伝えておきました」
フローラに追随し、各々が搭乗する機体に向かって歩きながら、エルザが今後の流れを告げる。
そして、機体の手前でエルザと別れ、鞍馬は操縦席の前に備え付けられた観測員席を見て、足を止めた。
「あれ? 俺が前に乗るんですか?」
「はい。その席で操縦したら、前が見えませんから……」
観測席の前方には上部ローターの付け根が存在しており、視界が開けていない。
一方で、操縦席はローターの付け根から少し遠くにあるため、視界の確保という点では十分といえる。
「な、なるほど。あ、でも、観測員は前が見えなくて問題ないんですか?」
「味方の弾着を観測するのですから、観測員が見るのは基本的に下です……操縦士は離艦、着艦で前方の視野も必要になりますが……」
鞍馬はその言葉に納得し、大きく頷く。
「では、そろそろ発進しますので、搭乗してください……」
先日、小柄な女性が搭乗すると言っていただけあって、観測員用の座席はとても狭い。
ただでさえ窮屈な座席に後部の操縦席とつながった伝声管が出っ張っているため、身体に当たりそうになるのを何とか避けながら、鞍馬は観測員席へと腰を下ろしていった。
居心地の悪い座席で身悶えしながら、キョロキョロと辺りを見回すと、思ったよりも視線が高いことに鞍馬は気づく。
(下から見るとそうでもなかったけど、搭乗席って意外と高い場所にあるんだ)
レシプロ機などはプロペラが地面につかないように、機体の脚が長いというのは鞍馬にもわかる。
しかし、本や映画で知っていても、実際に乗るとなると、その臨場感は全く違うもので、恐怖感すら覚えた。
「……それにしても、狭いですね。ちゃんと座れなくて、落ちたりしないかな……? これから空を飛ぶんだし、少し怖いかも……なんて」
なかなか上手く座れない鞍馬は身をよじりながら、不安をあらわにする。
「ベルト締めれば大丈夫、です……多分……」
「りょ、了解……あはは……」
伝声管から響いたフローラの返答に乾いた笑いを漏らしつつ、鞍馬は座席に備え付けられたベルトを、不器用ながらなんとか締めることに成功した。
「準備はできましたか……?」
「はい」
「……では、エンジンをかけます」
フローラが甲板上の整備兵に向かって両手で何かを合図する。
合図を受けた整備兵はハンドルのようなものを手に持ち、シェルダーの前部プロペラの少し後ろにある穴に差し込む。
「あのハンドルはイナーシャハンドルと言います……あれを回すことによってエンジンを始動します……シェルダーのようなセルモーターを積んだ機体だと、一般的な始動方法です……」
整備兵はハンドルをゆっくりと回し始めた。
周回を重ねるにつれて、最初は重そうだったハンドルも軽くなり、次第に速度を増していく。
フローラが操縦席でレバーを引くと、エンジンがかかり、プロペラが回りだした。
徐々に回転数を上げる暖機運転をし、プロペラなど一連の機関がスムーズに動くようにしていく。
そして、エンジンがある程度暖まったことを確認した後、クラッチを引いて、上部のローターにつなげた。
すると、ゆっくりではあるが、ローターが回り出す。
「……上にあるローターは最初、他力で回します。毎分180回転くらいに達したら、クラッチを切り、滑走に移ります……」
そう言った後、ローターの回転が規定の速度に達したことが確認できた。
フローラは手で合図し、車輪止めを整備兵に外させて滑走を始める。
徐々にスピードが上がっていく最中、エンジンが猛獣のように激しく唸り、機体が振動する。
(これが……シェルダー……!)
鞍馬は顔を叩くような強い風に耐えながら、離陸の時を待つ。
「行きます……!」
数メートルの滑走の後、伝声管から響くフローラの声を合図に、機体がふわっと浮き上がった。
(飛んだ……!!)
鞍馬は独特の飛翔感に身を震わせ、思わず機体の下を見る。
灰色の軍艦が小さくなっていき、海に溶けこんでいく。
リューツォーの艦体がぐんぐんと遠ざかり、その景色に感動を覚えた。
それも仕方のないことである。自分と空、その他の風景を遮るものは何もないのだ。
鞍馬の人生の中でこんなにも空を直接的に感じたことは、一度たりとも存在しない。
「すごい……っ! 飛んでるっ!!」
溢れ出る感情により、思わず口から漏れ出る声。
しかし、声を出した後に伝声管がつながっていることを思い出して、鞍馬はコホンと咳払いをした。
「……ローターを見てください」
鞍馬は言われるがまま、顔を上に向けた。
上部ローターが軽快に風を切って回っている。
それがどうしたというのか。
わざわざフローラが見ろといった意味が、鞍馬には見当もつかない。
「回ってますけど……これがどうしたんですか?」
「……現在、動力を使わずに回っている状態です。前部のプロペラが回る限り、その風で回って浮力を確保する仕組みになっています……プロペラが止まった時、落下速度を遅くする効果もあります……」
「え、これって動力を使ってないんですか!? なんだか、すごい勢いで回ってますけど……」
「……はい。前進する力と落下しようとする力で上部のローターが回っているのです……落下状態になった時もローターが回り、浮力を稼ぎます……様々な力を回転力にするので、動力は必要ないのです……少し、試してみますね」
フローラの言葉を皮切りに、エンジンの音が一気に小さくなる。
「……た、試すって……」
鞍馬が目の前のプロペラを見ると、その回転数が目に見えて少なくなっているのがわかった。
「……プロペラの回転数を落としています。現在、離艦が出来ないくらいには落としているのですが……」
いくら上部のローターが浮力を生むというフローラの事前説明があっても、プロペラがちゃんと回っていないという事実は、鞍馬に本能的な恐怖感を抱かせる。
「ローターが回っている限り、急降下することはありませんので、ご安心ください……」
鞍馬はフローラの言葉でつむりかけていた瞳を開き、機体の様子をよく観察する。
ローターの回転数は落ちたものの、落下する機体をよく支えている。
また、胴体部を形作っている布も骨組みに張り付いてなびくことなく、しっかりとその役目をまっとうしていた。
「プロペラを止めたんだから、一気に墜ちるかと思ってました。ジェットコースターの方が全然怖いかも……」
「ジェットコースター……?」
「あ、いえ、なんでもないですっ!」
一度恐怖心が薄らぐと、鞍馬の瞳は辺りの景色を映しだすようになった。
うららかな日差しを浴び、宝石を散りばめたように煌めく海面、機体に並走するように飛ぶ名も知らぬ海鳥たち。
昔、テレビの自然番組で見た景色のようだ。
そのようにどこか幻想的な海をキャンバスにして、鞍馬たちを中心に三角形の陣形で航行する三隻の軍艦が航跡という線を描くように、見事な艦隊運動を展開していた。
三角形の右下に位置する一隻は煙突の根本、ちょうど観測機発着場があるあたりに大きな穴があき、水兵たちが何かの作業を行っているのが見える。
極小の人影が細やかに動くさまは、人形劇か何かを見ているようで、奇妙な感覚を覚えた。
(あれが先の戦闘で被弾した、グラーフ・シュペーか。それで先頭の艦がリューツォーだから……。左側の船が目的のシャアーだな)
鞍馬はしきりに顔を動かし、空から見る景色を目に焼き付けようとしていた。
「そろそろ、プロペラの回転数を上げますが……せっかくですので、海面に接近してみたいと思います……シェルダーの機動をご堪能ください……」
フローラはプロペラの回転数を上げると、機首を下に向け、グングンと機体を降下させていく。
高度を下げるという明確な意思を持っているため、先ほどの自然落下とは段違いの速度で海面へと近づいていった。
「……っ!」
自重とプロペラによる推進で、その速度は一気に上がり、鞍馬を激しい風が襲った。
また、急激な下降によって、内臓がせり上がってくるような感覚を覚える。
「そろそろ海面ですので、水平飛行に移ります……」
機首を上げ、水平飛行に移ると、今までの無重力状態のような感じから一変、自分の身体はこんなにも重かったかと思うほどの圧迫感を感じる。
「くぅっ……!」
空気がいつも以上の重量を持って自分にのしかかったような感覚に、思わず身体中に力が入り、口からは苦悶の声が漏れる。
声を漏らして息を吐いたはいいが、強烈なGによって肺が圧迫され、空気を吸うことができない。
「……大丈夫ですか?」
数秒が経ち、機体引き起こしの際に感じた重みから身体が開放され、うまくできなかった呼吸を滞りなくおこなえるようになった。
(し、死ぬかと思った……)
「は、はい、なんとか……フローラさんは、大丈夫そうですね……」
「……訓練で慣れていますから。提督、見てください……現在、海面から5メートル程度を飛んでいます」
鞍馬はフローラに言われて初めて、辺りの景色が一変したことに気づいた。
先ほどまで遥か下の方で日光を浴びて輝いていた海面が、手の届きそうなほど近くに存在する。
また、海面すれすれを飛んでいるため、プロペラに巻き上げられた海水が小さな飛沫となって、鞍馬の頬を濡らした。
飛散する極小の海水からは、ほんのりと潮の匂いすら感じられる。
「すごいっ、海がこんなにも近くに!」
「喜んでもらえたようで何よりです……シェルダーは、このように低空での飛行もある程度安定して行えます……」
「普段もこんなに低空を飛ぶんですか?」
「いえ……観測任務の際は弾着が確認できる範囲で高高度を飛びます……こんなに低く飛んでいたら……味方の砲撃に巻き込まれますし……」
説明している間も機体の機動が不安定になることはない。
軽い機体というのは、風の影響やちょっとした気流の乱れ、操縦桿の微妙な操作に影響されやすいのだが、フローラは低空を維持しつつ、しっかりと機体を操っている。
「イルカ……」
不意に呟くフローラ。
その言葉の意味を知ろうと、鞍馬は視線を彷徨わせた。
すると、シェルダーの右前方で数匹のイルカがジャンプを繰り返しながら、泳いでいるのが見えた。
シェルダーの方がスピードがあるので、機体はイルカに近づいていき、すぐさま追いつく。
「こんなに間近でイルカを見るのなんて初めてだよ……!」
鞍馬はイルカの出現に瞳を輝かせて、興奮に声を張り上げる。
イルカをじっくり見たかったのか、フローラはシェルダーの速度を落とし、器用にも空中でほぼ静止させた。
「……私もです。イルカ、可愛い……」
フローラの表情を確認することは出来なかったが、和らいだ声色から、おそらく微笑んでいるんだろうなと鞍馬は思った。
「動物って、見てるだけで癒やされますよね。それにしても、シェルダーってこうやって空中で止まることも出来るんですね」
「……機首を15度くらい上向ければ、力が釣り合って止まることも出来ます。当然、普通に飛ぶよりも気を遣いますが……」
「へー、シェルダーってすごいんですね!」
「……はい。この機体こそが私の本当の身体じゃないかって思うことすらあります……旋回性能も良く、私の思い描いたように飛んでくれますから……」
機体の説明時にはどこか饒舌なフローラ。
鞍馬はそんな様子のフローラの様子をどこか微笑ましく思い、言葉を投げる。
「好き、なんですね。この機体が」
「好きです……この子は私を空に連れてってくれます……姉さんと一緒に。それに私たちは……空でしか、生きられないので……では、そろそろシャアーに進路を取ります……」
どこか含みのある言い方に鞍馬は引っかかるものを感じた。
しかし、さらなる質問を拒絶するよう言葉を切ったフローラの物言いに、鞍馬は何も言うことができなかった。
………
……
…
鞍馬たちが飛び立った後、艦隊は速度を落としながら進路を変更していた。
明日、自国の領海内でヴィルヘルムと落ち合うためだ。
三隻の軍艦に囲まれた空域での飛行を楽しんだ後、鞍馬たちはシャアーへと着艦するために、海面付近から高度を上げ、艦上空へと来ていた。
「……それでは着艦します」
先ほどからの沈黙を破り、フローラが告げる。
シャアーはリューツォーと同型艦というだけあって、ほぼ同様の形、装備をしており、上空からパッと見ただけでは見分けがつかない。
「同型艦が揃うと、どれが目的の艦なのかわからなくなりますね」
「意外と見分けるポイントはあります……シャアーはリューツォーやグラーフ・シュペーに比べて艦橋が少し前後に短いです……また、リューツォーとグラーフ・シュペーの二隻は砲塔の盾の形状で見分けがつきます……ようするに、細かな違いを見つけ、自分なりの目印にすることが大切となるのです」
鞍馬たちの乗るシェルダーはプロペラの出力を絞り、一度上げた高度を再び落としていく。
シャアーの斜め後方から接近する形で着艦に臨んでいるのだ。
「…………」
熟練したパイロットでも気を遣う瞬間なのだろう。
フローラが無言で機体を制御する。
その緊張感が背後から感じられ、鞍馬は思わず息を呑んだ。
(もう少しで着艦だ……!)
観測機発着場の甲板まであと少し。
次第に近づいてくる甲板。
着艦に失敗し、叩きつけられたら、無事では済まないだろう。
下がっていた機首を上げ、甲板と機体を水平にし、鞍馬を乗せたシェルダーは着艦の体勢に入る。
着艦するには、相対速度をゼロにして、三つの脚全てをほぼ同時に甲板へと降ろさなくてはならない。
車輪が甲板に降りようかという瞬間、機体を強い横風が襲った。
「……きゃっ!!!」
フローラが思わず声を上げ、機体が傾く。
(まずい……っ!!)
このままでは横転してしまうかと思われたその時、フローラが瞬時にエンジンの出力を上げ、操縦桿を思い切り引いたことで、機体がふわりと浮く。
そして、甲板上にいた兵たちの頭上を通過していった。
段々と空へと上っていくシェルダー。
第一回目のアプローチには失敗したようだ。
「……申し訳ありません。お怪我はしてませんか……?」
フローラが伝声管を通して呼びかけてくる。
「大丈夫です。フローラさんは?」
「私も問題ありません……横風にやられました……発着場は艦橋、煙突の後方にあるので、気流が乱れやすく、このようなことも頻繁に起こります……」
(なるほど。だから、空母とかって艦橋が横にあるのか)
「もう一度、着艦を試みます……」
フローラが告げると、再び機体は高度を落としていく。
機体は完璧な水平を保って、甲板へと近づいていった。
先ほどよりも集中しているのだろう。
緊迫感が針となって、鞍馬の背中を突き刺してくる。
再び車輪が接地。
大きな音が鳴り、ズシンとした衝撃がシェルダーを襲う。
ブレーキをかけると車輪はしっかりと甲板を噛み、機体が減速する。
数メートル進んだところで、機体は完全に停止した。
鞍馬は大きく息を吐き、無事到着したことにひとまず安心するのであった。
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