プロローグ
俺ははっきり言ってそれらしいものを望んだ事は一度もなかった。
それというのはいわゆる冒険とか戦いとか、まぁなんだ、非日常的な生活の事だ。
うちは父親が商家の奉公人で事務方の下っ端だったが、それなりに生活に困った事は無かったし、母親は普通に母親で、家事に明け暮れていて口煩かった。
普通子供は親の仕事を継ぐのが一番まっとうな道だ。
だけど俺にはどうも数字を扱う才能というものが抜け落ちていたらしくて、いくら父に手習いを受けても、業を煮やした両親がなけなしの金をはたいて塾に通わせても、それで食っていくのは見込みが薄そうだという結論を覆す事は出来なかった。
さすがに15を過ぎた頃には両親も俺自身も諦めというか達観というか、その道は捨てなければならないという事実に納得して、溜息をつきながらも新たな道を模索した。
「お前は計算は出来ないが、真面目で慎重だ。それに愛想も悪くない。そこは商家に向いてる」
と、父は渋々ながら、普段は自身より格下だと見下げている売り子だが、それなら俺でもなんとかなるだろうと妥協して、主に話して試しに使ってもらえるようにしてくれた。
それでなんとか将来の食い扶持に関して、俺としても決して楽ではないだろうが、安心はしていたのである。
こうやって挙げてみるといかにも何にも出来ない駄目野郎のようだが、俺にも特技といえるようなものが全くなかった訳ではない。
俺はゲームの的当てとかカードの絵当てとかはまるで駄目だったが、なぜか飛んでいる鳥に石を投げて落としたり、貴重な植物を見つけたりするのは上手かった。
ガキの頃はそれを酒場や薬屋に売って小銭を稼いでは、仲間と山分けして駄菓子を買い食いしたり、ちょっとした遊び道具を手に入れたりしてそれなりに尊敬を勝ち得ていたものだ。
しかし、どう考えてもそれらは将来に繋がる才能とは思えなかったので、俺の中でその事がさして重大な意味を持つ事は無かったのである。
そう、“その時”までは。
今傍らに在る、この尊大で美しい女性に魂まで持っていかれるまでの俺は、かくのごとく平凡で幸福で、波乱など想像すら、まして望みなどしなかったのだ。