秘密基地
「圭ちゃん、僕ね、秘密基地作ったんだよ!」
それは幼い頃の記憶だ。幼稚園の頃、近所に住む幼馴染が作ったダンボールの家。幼稚園生だった俺たちは、そのやたら大きなダンボールの中で蹲って昼寝をするのが日課になった。
「圭人、そろそろ帰るわよ」
「あらまあ。また、この子たち抱き合って寝てるわ。子犬みたいね。可愛い」
それから涼真に抱き癖がついたが、今では二人ともすっかり高校生だ。だから――――俺は、さすがに困惑していた。
「圭ちゃん、おはよう」
毎朝、きっかり午前七時四十五分に、神楽井涼真は俺を迎えにくる。
幼稚園も小学校も中学校も高校も同じ。俺の隣にはいつも当たり前のように涼真がいて、仲は良いのだが――――。
「……離れろドアホ! くっつくな」
玄関で抱きつかれた俺は、慌ててベリっと涼真引き剥がす。
「こら圭人! まずはおはようでしょう!」
後ろから、弁当を持ってきた母ちゃんに、ごつんと拳骨で頭を殴られた。
「――――ってぇ、何すんだ! 暴力ババア!!」
涙目で怒鳴ると、涼真がニコリと笑顔を作る。
「おはようございます。いいんですよ、おばさん。圭ちゃんは照れてるだけなので」
涼真は温厚でマイペースな性格だ。人当たりも良いし、学校の成績も優秀。加えて、俺よりもずっと背が伸びてイケメンで、申し分ない親友であるが……。
「圭ちゃん、希望校、決めた?」
「まだ」
「ふーん、そうなんだ。決まったら教えてね」
「嫌だ」
と即答すると、涼真が首を傾げる。
「なんで?」
「お前、また俺と同じ学校、行くつもりだろ」
図星のようで涼真が黙った。いくらなんでも、これは問題だ。涼真は俺に、物心つく前からべったりだが、さすがに大学まで同じというわけにはいかない。
「あのなー、お前、この前の全国模試で百位以内に入ったんだろ?」
「なんで、圭ちゃんが知ってるの?」
「先生に聞いたんだよ。職員室で変な踊り踊ってたから、何があったんだって聞いたら教えてくれた」
「――――最悪。先生ともあろうものが、簡単に個人情報を流すなんて酷いよ」
「そんだけ嬉しかったんだろ。お前、うちの高校創立以来の天才児だし、国立だっていけんだから、俺に合わせて三流大学になんて入ったらお前の母ちゃんと父ちゃんに、土下座しないといけねーじゃねーか」
「家族は関係ないよ。僕の将来だし。それに、自分のやりたいことをしていいって言われてるんだから、文句なんていわせない」
「あのなー……」
俺は、頭が良いんだか悪いんだか、良く分からない親友の肩をポンと叩いた。
「高校だって、もっと頭の良い進学校にいけたのに、俺と同じ普通のトコに通ったんだから、大学くらいは自分の実力のトコに行けって」
涼真が形の良い眉を吊り上げる。
「僕は、圭ちゃんと一緒じゃなきゃ嫌なんだ!」
温厚な涼真が、初めて声を荒げる姿を見て、俺は口をあんぐりさせた。
「僕は圭ちゃんさえいればいいんだ。法律で結婚はできないけど、そんなの関係ないくらい圭ちゃんが好きだから」
「……キモっ。お前さー、まさか俺と同じ会社受けようとか、そんなことも考えてるわけ?」
俺は目が半眼だ。べったりするのが好きなのは知っているが、これではやり過ぎってもんだろう。
「……涼真?」
涼真が足を止める。その顔を覗き込んで、俺は硬直した。まるでこの世の終わりを見たような、絶望した顔をしていたからだ。
「なー、最近、お前の嫁、迎えにこないじゃん」
学校から駅までの帰り道、クラスメイトにからかわれて、俺は顔を真っ赤にさせた。
「誰が嫁だ! 大体お前らが変なコト言うから、益々涼真がおかしくなるんだろーが!」
あれから一週間、涼真は俺を迎えにこない。帰りだけじゃなかった。朝も一人。電話やメールも一切ないし、クラスは階が違うので学校で会うこともなかった。
「何を今更。おかしいのは元々だろ」
「涼真は寂しがりやなだけだ。いつかは離れるんだし、丁度いい機会なんだよ」
「ふーん」
「なんだ、その納得いかねーって『ふーん』は!」
「ま、別にいいんだけどさ。神楽井がフリーになったら女子が大喜びするだろうし。圭人も、念願の彼女を作れるしな」
そいつの言う通りだった。あまりにも涼真がべったりするものだから、十七年間、彼女もできなかった。涼真は、女の子にモテまくっているのに、俺は女たちには『敵』とか呼ばれている。
「ほんと……迷惑」
このまま離れていくのだろうか。ずっと十年以上一緒にいた幼馴染なのに、終わりはやたらとあっけない。
『圭ちゃん』
自分で望んだことなのに、それなのに。涼真が隣りに居ない生活は、つまらなくて味気なくて――――寂しかった。せっかく彼女だって作れると思ったのに、頭に思い浮かぶのは涼真の笑顔ばかりだ。
「あれ? 噂をすれば神楽井じゃん」
クラスメイトが指をさす方向に視線を移して目を剥く。
確かに涼真だった。でも――――、
「なにあれ。やっぱ、あいつガチだったの?」
あいつは知らないスーツ姿の男といた。しかも、馴れ馴れしく肩を抱かれている。
「ちょ!」
男が手を挙げてタクシーを止めた。二人で乗り込むつもりだ。そう思っただけで勝手に体が動き、無我夢中で走る。
「涼真! てめー、どこ行くつもりだ!!」
「……圭ちゃん」
涼真が目を飛び出しそうなくらい驚いている。
「誰? この子。お友達?」
すかした顔の、いかすけねー野郎だ。全身を舐めるように見られ、涼真の手を引いて男から引き剥がす。
「おっと、邪魔しないでくれる? 俺、そこの子と付き合ってるんだけど」
「はあ?!」
と、極限まで目を見開いた。涼真が男と付き合う? しかも、こんな得体の知れない男と?!
頭の中はパニックだ。そりゃー、俺に抱きついたりはしてきたけど、本当にガチって奴?!
「僕……キモイでしょ。だから、もう関わらない方がいいよ」
「ばっ……バカ! 何、言ってんだ! 俺は、お前のためを思って……」
やけに大人びた精悍な顔で睨まれる。こんな、らしくない顔をさせたのは、きっと……俺だ。
「どうしてもって言うなら、加わる? 君も結構可愛いし、俺は三人でも構わないよ」
ブチッ。
俺は、スーツ男の胸倉に掴みかかった。
「圭ちゃん、止めて!」
涼真に後ろから抱きつかれて止められ、一気に頭に血が上る。
「うるせぇ! お前、俺のことが好きなんじゃねーの? 男だったら誰でもいいのかよ!」
背中の感触で、涼真が泣いているのが分かった。俺の腰に回す手が力強く締める。
「そんなわけ、ないじゃん。僕は、ずっと……ずっと前から圭ちゃんだけ」
「じゃあ、なんでこんな男に着いていくんだよ! ふざけんな!!」
男が嫌そうに溜息を吐いた。
「あーあ。だから子供は嫌いなんだ。俺は、体だけ楽しめれば良い派なんで、痴話喧嘩に巻き込まないでくれ」
停まったタクシーに乗り込んで男が去っていく。俺は、涼真の手をぎゅっと握り締めながら家に戻った。
「ごめんなさい」
涼真は、俺の部屋の絨毯に額を付けながら土下座している。俺はベッドに座り鷹揚に足を組んだ。
「本当に、あいつとは何もなかったんだな?」
「ない、です。確かめてもいいよ」
顔を上げた涼真と目が合い、不適にもドキッとする。俺よりもずっと男前で背も高いのに、薄っすらと頬を染めた涼真の顔がなぜか可愛く見えた。
「んじゃ、確かめてやらぁ」
俺が両手を広げると、ますます涼真の顔が赤く染まる。
「え? え? あの、その、それは……」
「今から、このベッドの上が俺たちの秘密基地だ」
「圭ちゃん!」
涼真が遠慮せずに、抱きついてくる。そのまま、大型犬に乗っかられる感じでベッドに押し倒された。
「ったく。いいか? これから抱きつくのは秘密基地の中でだけだ」
うんうんと、必死に涼真が首を上下に揺らす。
「大学も、ちゃんと自分の実力にあったところにいけ」
「うん。わかった」
「大丈夫だ。俺は、ちゃんとお前の事が好きみたいだから」
唇と唇を重ねる。生まれてはじめてのキスは、昔から知っている涼真の匂いに包まれながら、新しい秘密基地でした。