File,01 邪眼と夢
これは、異世界を夢見る人々と、異世界に絶望した者たちの物語。
この世界が異世界と通じて数十年が経った。
異世界を夢見る人々が、禁じられた異世界への通路を渡るようになる。
そこで多くの者は死んだが、稀に異世界に馴染み、その地で多種族と交わり、子を成した。
各国政府、特に日本政府はこの状況を重く受け止めた。
ただでさえ超少子化が叫ばれる中で若者が異世界に流出するのは嘆かわしい。しかも、生まれた子どもは異世界人との混血だ。
混血児は異世界でも日本でも疎まれた。
東京のビルの隙間を抜けると異世界の草原が広がっている。
青く澄んだ空の向こうには、海が広がっていると聞いた。
草原を凪ぐ風が僕の短い髪をさらっていく。
いつまでも着慣れない黒のスーツが窮屈だった。
「朔弥、ホシは?」
相棒の嶺さんは腰に手をやってから「そうだ、今回は帯刀なしだった」と呟いた。
程よくついた筋肉に、短い茶髪、凛々しい横顔は大人の色気を漂わせ、密かに女子に人気だという。
僕とは正反対だ。
「唯野聡、26歳男性。会社の上司を殴ったあと、そのまま異世界に逃亡しました」
僕は嶺さんに捜査ファイルを手渡した。
「殴った、って、こりゃボコボコじゃねぇか。よく死ななかったな」
一番上の被害写真を見て、嶺さんが呆れた声を出した。
凶器はデスクの横にあった上司愛用のゴルフバットだった。
唯野が同僚から羽交い締めにされて止められなければ、きっと自分たちへの命令は、唯野の拘束ではなく、処刑になっていただろう。
「目撃情報はあっちです。急ぎましょう」
日が暮れると厄介だ。
僕らは急いで草原を抜け、森の中に入った。
「朔弥、この仕事には慣れたか?」
「慣れません」
「即答かよ…」
僕がこの仕事に就いて半年が経過しようとしていた。
「毎回、任務も目的も相手も違うんです。慣れようがないじゃないですか」
「まったく、最近のガキは…」
地図を広げ、コンパスを手に森を進む。
ここでは現代の通信機器は使えない。
「待て、朔弥。足跡だ」
驚いて足元を見る。
その足跡は調査書に残された写真のものと酷似していた。
「スーツで…革靴のまま、こっち《異世界》に渡ったんですね」
僕らは足跡を追って、池の畔に近づいた。
「いました、唯野です」
「よし、挟み撃ちにするぞ」
「はい」
嶺さんが反対側に回り込む。
僕は木の陰に身を潜めた。
が。
キキっ!
「えっ、うわっ!」
ネズミともウサギとも取れない動物が僕の足を掴んだ。
「誰だっ!」
僕を確認する前に唯野は走り出していた。
「唯野!」
嶺さんの唯野に向かって伸ばした手が空を切る。
「くそっ!待て!」
「嫌だ!捕まってたまるか」
唯野が叫んだ。
「ほう、捕まることをした自覚はあるわけだ」
嶺さんが背中に手を回す。そこに警棒があることを僕は知っている。
「うるさい、あいつが…あいつが悪いんだ!俺はこの世界で生きていく!魔法を習得して、魔王を倒す!剣だって学ぶ!勇者になるんだ!」
「この世界に魔王はいない。勇者は100年前に死んだそうだ」
右手に警棒、左手に手錠。
嶺さんに殴られたら痛いだろうなぁ。
僕は唯野を見つめた。
◆◆◆
俺は悪くない。
パワハラ上司が悪いんだ。
俺は真面目に生きてきた。
それでも評価されないのは、生きる世界が違ったんだ。
厳つい男が警棒を振り下ろす。
俺は華麗に飛んで避けた。
右手を男に向け、神経を集中させる。
途端、広がった閃光に男が吹っ飛んだ。
「あははっ!倒した!倒した!やっぱり僕には魔法の適性があったんだ!俺が生きるのに相応しいのは日本じゃなかった!異世界だったんだ!」
もう一人…ちらっと見えたチビのガキは身動きさえしない。
ただ俺を見つめている。
◆◆◆
僕らの目の前で唯野は倒れ、夢を見ながら眠っていた。
「まったく世話が焼ける」
嶺さんが唯野に手錠をかける。
唯野の寝顔は少年のように幼かった。
目眩がした。体がよろける。
「おっと、あとは任せろ」
嶺さんが受け止めてくれた。
ドワーフの混血児である嶺さんの腕は逞しい。
「邪眼だっけか、使うと消耗が激しいんだろ?」
「すみません…」
僕は瞬きをしたあと、目を閉じた。
邪眼。
瞳を捉えた者に夢を見せる。
混血児はどの世界でも疎まれた。
他と違えば弾かれる。
どれだけ異世界の存在が普通になった現在でも、それは変わらなかった。
両親を亡くした子どもは異世界孤児と呼ばれ、その多くはある機関で働いている。
異世界捜局。
異世界への失踪人探し、異世界絡みの事件の捜査。
「さ、戻るぞ」
「…はい」
邪眼を持った母は死んだ。
父親はおそらく日本にいる。
聞いてみたいのだ。
なぜ異世界に行き、母と自分を置いてまた日本に戻ったのか。
これは、異世界を夢見る人々と、異世界に絶望した者たちの物語。




