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98円、見切り品を肴に

29歳、しがない会社員の園生(そのお) 真澄(ますみ)

元来男性として生まれ、社会に女性として埋没し今年で9年目となる。


趣味で続けている配信(ライバー)活動を通じて

10代の若年層の悩みに耳を傾ける日々


彼女の生きた平成後期の2010年代は変化の過渡期で

偏見や差別の多かった社会の中

“心のままに”生きることに苛まれていた。


29歳の今でこそ“普通”を生きる真澄の過去には

理不尽な理由での内定取り消し、不当な解雇。

取り合って貰えなかったストーカー被害

歓楽街でのホステス時代の出会いと別れ


様々な葛藤と経験を経て

偽りの記憶を無意識に刻み続ける。


真澄が女性として生きる喜びと二律背反で

“来世はイケメンに生まれたい”と切望するに至ったのは何故なのか。


自死を望む時期を乗り越えた生きる先々での邂逅から

“自分を大切にすること”を知る20代真澄の軌跡を


配信を通して少しずつ打ち明ける。


さて今夜も真澄の配信が始まる


この想いが誰かとつながるように‥。

【2022年、国宝級イケメン、岩瀬陽(いわせはる)”19歳】


(ほぉ‥良い顔じゃん)


夜勤明け22時の風呂上がり。

肩に流れる髪をタオルドライしながら

頭上に降るLED照明の内側で、写真共有型SNS“インストゥル”を流し見していた真澄は、透き通るようなイケメンの写真に目が留まった。


頬骨や両顎が端正な曲線美の中におさまった、切れ長の美しい目元、すっと通った鼻筋、メイクの映える血色感のある唇と、身長は171cmと平均的だけど、8頭身の小顔野郎で非常に可愛いイケメンさんだ。


どの角度から見ても美しい彼は、所謂“バズり”で大成した奇跡の星の元に生まれたようだ。

コメント欄には「俺もこんな風に生まれたかった」、「生まれてきてくれてありがとう」等と称賛と羨望が群がるほど。


有料動画配信サービスで見逃したドキュメンタリーを見ながら、頑として日中帯シフトの生活リズムを崩さない自分ルールに沿って、“夜食”は見切り品のフルーツとお刺身を口に含むけど、炭水化物を欲するジレンマ。


咀嚼回数を増やして満腹中枢を欺く姑息さは

アラサーの生乾きの人生に近しいものがある‥と自己分析。


1年前から始めた趣味の“配信活動(ライバー)”の時間まで30分程度。

スキンケアと明日のお弁当の仕込みは配信中のネタになるし、このスキマ時間に小さな幸せを詰め込みたい。


98円寒ブリ刺身の落ちた鮮度との違いなど素人目には分からないけど、真澄には辛いときに話せる友人も居るし、まあまあ良好な関係性の親も居て、平均的な固定給をいただける正社員雇用で、社会で女性として生きる礎があって、これ以上の幸せは勿体無いくらい。


(岩瀬くんが彼氏だったらなぁ‥。)


29歳になってから、“岩瀬陽くん”のような若手俳優は顔の造形としての美しさと、“まだまだ子供”という対立した審美眼が混在するようになった。


でも写真の“彼”の年齢を童顔の“32歳”に設定してしまえば、4歳年上のイケメンとして想像するには十分だから

“彼”との『春の新生活量販店巡り妄想デート』を肴に今夜はよく眠れそうだ。


「こんちゃっぴー!今日もみんなお疲れさま~」


23歳新卒設定からなる甲高い声色と舌足らず気味な口調

一体どこからこんな声が出ているのか

失笑を通り越した語彙力の無い“凄さ”の悦に浸る。


「わぁ~“しんすけくん”一番乗りありがと~!」

「“ゆめちゃん”ギフトありがと~!」


『副業にでもなれば』と始めた配信(ライバー)活動での収益はおよそ月5,000円程度だが、地方住みの車持ちには昨今高騰中のガソリン代として相殺でき得る立派な副収入である。


1ヶ月で5,000円なら、確実にコンビニ夜勤に入った方が身入りが良いのは分かっているが、“休みたいときに休める”ことに重きを置いている真澄にとって、配信(ライバー)活動くらいがTHIS IS最高に丁度良い。


配信(ライバー)活動は好きなことを話していれば良いだけの簡単なものでもない。


特筆してそれらは『リスナーさんを覚えること』に尽きる。


現実(リアル)での人付き合いは、相手の顔や声、雰囲気と会話内容で「この人は○○さん」と認識して記憶するに至るが、

来てくださるリスナーさんには、顔も声も雰囲気という情報が一切無いので、リスナーさんが設定したお気に入りの“トプ画”と“HN(ハンドルネーム)”そして“会話内容”から固定ファンを増やす必要があるので、常に気遣いとインプットの連続なのだ。


真澄の配信のリスナー層は、圧倒的に10代~と若年層が占めており、彼らの“なけなしのお小遣い”や学業の傍らで行うバイト代で投げてくれる有料のギフトに対して、おねだりや無理強いは出来ないのが実情で


29歳の成人視点からすれば、正直若い子にはギフトに遣うよりも今しかない青春に投資してほしい気持ちが強いのだが、彼らには『真澄と過ごす空間』に金銭を投じる価値を見出だしており、“お年玉”をギフトとして投げてくれたと聞いた時は、どこか切ない気持ちを覚えたものだ。


例えば同じ年代の学生さんでも、好きだけど有料ギフトは買えない子と、バイト代から捻出してギフトを投げる子との心理と境遇を慮ると、有料ギフトを投げてくれる子だけを贔屓するわけにもいかないし、かといって学生さんには高額なギフトに対して喜びと感謝を伝えない訳にも行かない


同じ「ありがとう」でも、両者が不快にならないものを留意している自分なりの流儀がある。


活動当初は積極的に企画イベントをこなしていたのだが、最近は仕事終わりに友達と通話をする感覚で配信を行っているので、副業ではなく只の“公開家事”になりつつある。


真澄の配信上での設定は「23歳新卒」なのだが、今流行りの曲が殆ど分からないことが些細な悩み。


リスナーさんに『これ歌ってよ』とお願いされても、有線放送で聞き流した程度で、いつの日からか一切流行りを追わなくなった辺りに“老い”を感じる今日この頃。


年齢を偽った配信活動も3年目となるが、6歳サバを読んでも案外“流行りを知らない人”として受け入れられるもので、「低めの声の女性好きです!」とか「笑い方かわいい」等、若い頃あんなに悩んだ“声”も何の疑いもなく女性として受け入れてもらえる環境に、ただただやみつきになっているのかも知れない。


常に「23歳視点」を留意しているのに、若さ特有の無鉄砲さを出すべき箇所で、そんな過去を律したくなる自分と葛藤しているなんて、リスナーさんは露知らずだろう。


そんな“存在しない過去”を時系列に沿って話すことは

トランスジェンダーとして社会に生きる彼女にとって造作も無いこと。


社会人として生活する日常の中で、やれ“JK時代”、やれ“幼少期”を、まるで『生まれた時からの女性前提』として話し続ける労力と比較したら、6歳サバを読むことなんてお茶の子さいさい。


『生まれた時は○○だった』なんて言ってしまったら最後、自分への印象(扱い)が変わることの寂しさは身に沁みて分かっている。


態度を変えない人はほんの一握り。

しょうがないことだって分かってるつもり。


これは世の中の当事者への考えではなく

あくまで自分という個人を律する言葉として

“自分は気持ち悪い存在”だと言い聞かせている。


社会で生きられているからと調子に乗ると

沢山の悲しい思いをするものだ。


配信終了の20分前、“同接”がぽつりぽつりと減っていく中で、常連リスナーの男子高校生“しんすけくん”が突然


『実は俺、男が好きなんだ』と切り出した。


正直なところ驚きもしないが、彼の性格から茶化してほしいわけではないのは分かっていたので、こんな時に自分の中で定番化している大切な言葉(メッセージ)を伝えた。


「しんすけくん、大切なことを話してくれてありがとう!誰かを好きになることは、とっても素晴らしいことだと思うよ。」


この言葉は真澄が小学1年生の頃の大好きだった担任の幸子(さちこ)先生が口にしたもの。


何かのタイミングで、まだ「誰かを好きになること」に敏感で早熟な環境下で何気無く「好き」だと発した男の子を、クラスの皆は茶化して笑った。


その男の子は顔を赤らめて俯いたが

そんな雰囲気の中で幸子先生は優しい声で


『なんで笑うの?人を好きになることは素晴らしいことなんだよ~!』と教室を温かく包み込んだのを強く覚えている。


“人を好きになることは素晴らしいこと”


シンプルな言葉だけど、齢7つの子供たちに理解出来るか出来ないか、大人になった今でも人生の命題にもなり得る最適解だと思っている。


幸子先生はいつも落ち込んでいる子供たちに『だいじょうぶだいじょうぶ』と声をかけていたっけ。


当時50代のベテランだったけど

きっと今もお元気でいると信じてる。


しんすけくんの「好き」の理由は

会話の中での共通点か、匂いやタイプなど外見的な魅力なのか、電流が走ったようなトキメキなのか、自分を守るための好意なのか


それらは本人にしか分からないけれど

改めて大切だと思うのは「人を好きになることの素晴らしさ」そのものだから、“しんすけくん”の無邪気で柔らかい価値観を尊重したかった。


『ごめん、キモいこと言っちゃって』


配信内の空気が変わったことを察知したしんすけくんは、すかさず自分の発言を引っ込めようとしたので


「なんでそんなこと言うの~。しんすけくんの優しいところを見てくれて好きになってくれる人と今後出会えたら良いね!私は心から応援しているよ!」に続けて


「しんすけくんは、キモくなんか絶対に無いからね!」と後付けで強調した。


綺麗事だと思われても良いし、大した事も言えない。


彼がどんな気持ちで告白したかも分からないけど

17歳の男子高校生が初めて大切なことを打ち明けた大人が、安心できる存在でありたいだけ。


『うん。話してよかった!聞いてくれてありがとう!』


文章だけど、しんすけくんは安堵しているように感じた


(私も14歳の頃、初めて勇気を出して打ち明けた大人に“こう”言われたかった。)


大人の勇気には、底はかと無い羞恥が混じるのに

若者の勇気には不安定な畏怖があって、“勝手に自分の中で作り上げた全否定”を予め用意しているから

到底傷つかない筈なのに確かに傷ついてしまう。


世間体と同じで存在しないものに

自由に生きられる視野を強いられる。


自分以上に自分を解っている人が居ないのなら

世の中で一番自分を傷つけているのも自分自身かも知れない。


しんすけくんの告白は和気あいあいとした配信の中でも

やや異質ではあったものの、真澄の言葉に追随して端を発したかのように文字通り全員から温かい言葉が溢れた


『うんうん♪』

『沢山恋しよう!』

『ちなみに好きな人はどんな人なの~?』


中には『多様性だからね!』と真澄個人にとっては鬱陶しい言葉も散見したが、その言葉の意味として素直に受け流した。


『多様性』、『ダイバーシティ・インクルージョン』、『皆ちがって皆いい』、『LGBTQ』、『レインボー』


実に汚い表現で申し訳ないが

真澄には反吐が出るような羅列だと感じる。


これらは当事者が用いる時と、第三者が用いる時で言葉の重みが変わってくる不思議な言葉たち。


真澄と同じトランスジェンダー当事者にも色んな価値観を持つ人が居て、育った環境も違えば、その人なりの“なりたい自分”が居るのに、『LGBTQ』なんて言葉のせいで十把一絡げにされてしまうこともしばしば。


例えば『トランスジェンダーはマッチョが好きです!』


だなんて発信力のあるインフルエンサーが口にすれば

世間は『そうなんだ!』と受け入れてしまう事もある。


真澄は29年間の人生の中で、推定70人前後のトランスジェンダー当事者と接してきたが、その記憶の原点とも言えるホステス時代のことを思い出していた。


ーーーーーー


6年前。


大学卒業を控えた22歳を真澄は新宿歌舞伎町でドレスの上に厚手のコートを羽織り、区役所通りを高いヒールを鳴らして歩く。


「お姉さん可愛いね!お茶しようよ!」


真澄は男性たちに一瞥もくれず、真顔で夜道を進む。


時に『なんだよブス!』と悪態をつかれることもあれば、『ねえねえお願いご飯だけ!何食べたい?』と執拗に付いて回る彼らの素性が

ナンパかキャッチか飲みなのか判別なんて不可能だ。


バッティングセンター前を差し掛かったとき

突然、真澄の進行方向に如何にもなホスト風の男に割って入られ「かわいい!どこのお店の子?」と話しかけられた。


距離感がおかしいこの男は恐らく同年代

ルックスは子犬のように可愛らしいが、何を企てているかも分からないので、小さく身構えつつ

真澄は表情を変えず、「エデン」と呟いた。


狭い歌舞伎町で嘘をついたところで、同じ業界では直ぐに足がつくこともあって敢えて正直な勤務先を伝えた。


エデンは高級クラブ。


この胡散臭い男には初回料金でさえ払いきれないと踏んでの判断だったが、どこか“平成黎明期感”が漂うその男は満面の笑みで


「エデンさんか!おっけー!後で友達つれて行くね!」と陽気に笑った。


(いやいや無理だろウチの店高いよ!?)


真澄の健気な心配を余所に、そのホスト風の男は浮かれ足のまま、夜の新宿の雑踏に消えていった。


高収入バイトの宣伝、忙しないタクシー、新宿コマ劇場跡地にはゴジラが聳え、外国人観光客御用達の真珠色のレストランと。


真澄が曲がりなりにも“それらしく”生きられるのは

当時は歌舞伎町だけだった。


「おはようございまーす」


“エデン”の真っ赤なクッション素材装飾の扉を押し

生温い空気漂う開店前の店内に入ると、VIP席に足を投げ出して横たわる“エリさん”が、気だるげに顔を上げた。


「“ナナミちゃん”おっはよ~。」


“ナナミ”とは真澄の源氏名で、この店のママに初めてつけてもらった「女の子としての名前」だった。


「エリさんまさか‥またお店で寝てたんですか??」


「ちゃんとネカフェでシャワー浴びてるからっ!」


そういう問題では無いのだが、エリさんは真澄が20歳で入店した時からお世話になっているモデル顔負けの美女‥にも関わらず、平日の生活は非常にズボラで適当な人だ。


「ナナミちゃん、アセロラジュース飲む?お砂糖入ってるけど。」


バックヤードからひょこっとお人形さんのような可愛らしい顔を覗かせた“マキカさん”が、清涼飲料水にカテゴライズされることを懸念して1%の善意で200mlのペットボトルに入ったアセロラジュースを手渡してきた。


「たまには甘いものもいただきます!」


マキカさんの最後の砦とも言える残滓99%は

夜職で生きるには無くてはならない魅力のひとつ。


マキカさんは決して完璧では無いので「ナナミちゃんもっともっと太った方が良いよ~」と口を滑らせてしまう。


マキカさんは痩せ信仰に取り憑かれているけれど

対立してまで戦うまでの悪い人ではない。

飲み過ぎた日は率先して清涼飲料水と揚げパンで介抱してくれるし、その気遣いは真澄以外の全員に対してだ。


よって真澄の中でのマキカさんは“いい人”なのだ。


「もーエリちゃんったらまた寝ながらポテチ食べて~」


嬉しさが隠しきれていないマキカさんの事実確認を兼ねたウザ絡みが始まるも、エリさんは慣れた手付きでポテチをかっさらい続けている。


クローゼットの中にコートを掛けている真澄の背後から、勢いよく扉を押し開け、強い香水の匂いが鼻をつく。


「エリさん見た目は普通に可愛いけど臓器は男なんだからさ~!」


両手にブランド物のショッピングバッグを提げ、半開き扉を雑に1回足蹴りしたのは、店内随一のノンデリお姫様である“セリナ”。


セリナは知性も教養のカケラもない言葉のナイフにも、エリさんはどこ吹く風で“新装開店・満員御礼”と書かれた鶯谷のパチンコ店で配られたのであろう“うちわ”をパタパタと扇ぎながら、セリナにしっかり聞こえるように舌打ちをかました。


エリさんも真澄と同じくトランスジェンダー女性。


彼女は女性として入店して5年間、ママにさえ隠していたのだが、2年前、ママが悩みに悩んて“初めて”トランスしきっていない色々粗削りで伸びきっただけの長髪の真澄を“ホステス”として育てることを決めた日のこと。


開店前のお店で、まさに武骨なドレス姿にプロにヘアメイクを施された真澄の表情を見て

エリさんは優しい表情で歩み寄り


『あー、これからは私がメイクとか教えるよ。

私も一応ニューハーフだからさ~。』と衝撃の告白をぶちこんだのだ。


入店して間もない真澄にもママや黒服さんの表情から

その告白がどれだけ衝撃的だったのかは伝わった。


『え、言ってなかったっけ?』と言わんばかりの

飄々としたエリさんがかっこよかった。


セリナとエリさんは一瞬、目線で不穏な会話を交わした後、先に目線を逸らしたセリナがクローゼットを乱暴に抉じ開け、『どいてよ』と言わんばかりの表情で真澄を見やると、ふて腐れた表情のまま


「ナナミちゃんを見習いなよ~!同じオカマなのにね~!」と常時イライラしているセリナは真澄にも牙を剥く。


ふと目が合ったセリナの顔は少しだけ腫れている。


(セリナまた整形したんだ‥。)


セリナは目、鼻、口、おでこ、胸もフルカスタム状態で

ご乱心なセリナが唯一心を開く相手は“両顎”を乗り越えた者にだけで、もうそれは典型的なソレ。


お店の入り口方向から一瞬だけ冷たい風が足元を流れる。


真澄はセリナに気圧されることなく、セリナのために余分なスペースは譲らずクローゼットの扉を閉めた。


セリナは腹いせにクローゼットの扉を強めに蹴りつけたとき、セリナの背後から毅然とした声が差し掛かる。


「セリナ、クローゼットを蹴らないで頂戴。」


「えっ?あっ!ママおはようございます!」


セリナは開店30分前に出勤してきたエデンのママに咎められるや否や即座に会釈をして取り繕う。


「ナナミ、気付いてたなら言えよな..!」


セリナはドスの効いた低い声で真澄に凄むが

約2年間の腐れ縁である彼女に今さら何の感情も沸かない。


「普段から物を大切にしたら良いんじゃないのかな」


「はあ?うっざ!!死ねよオカマが!」


セリナはママの前でも罵声を吐き捨ててマキカさんの2m程度右脇にどすんと座った。


「ナナミも怒っていいのよ?」


ママは呆れ顔で真澄の肩に手を置く


「お気遣いいただきありがとうございます。セリナのことなので気にしていないです!」


と今でこそ軽く言えたものの、セリナの言葉に涙した過去もあるので、それを知っているママは心配なのだろう。


セリナは暴力を振るう父親と、そんな夫に焦がれる母親のもとで育ったと聞いている。

彼女の普段の振る舞いや言動は許容できるものでは無いが、15歳から夜の街で生きていたという背景からも、相当の“生”への執念が垣間見える。


あのくらい強くないと、この街では生きていけない。


「じゃあ、今日もよろしくお願いしますね。」


ピシャリと和服に身を纏ったママは、当時“ニューハーフ”と呼ばれていた真澄を“女の子として育てたい”と雇ってくれた恩人でもある。


営業前、営業中のママは途轍もなく怖いので

連絡事項がある時は、全員営業終わりの3時間以内に‥と暗黙のルールが定められているほど、良く言えば仕事とプライベートのオンオフがはっきりしている。


お店のキャストは、ポテチのエリさん、砂糖配給のマキカさん、ギガトンキックのセリナと自称美少女な真澄。


情緒が不安定なモニカさん

アフターで爆睡するレイコさんと、ママの7人だ。


キッチンには竹を割ったような性格の女子大生と40代のワーママさんとで2人体制。黒服の男性は4人。


それまで世間話に花を咲かせていた全員が

ママの一声を合図に仕事モードに切り替わる。


開店と同時に入り口の白いライトがパカパカと点灯し

本日最初のお客様のご来店だ。


「いらっしゃいませ~!」


「きゃあ~!高橋さーん!セリナすぅーっごく会いたかったあ~!」


セリナは甘ったるい作り声のまま

小太りの自称会社役員の男性へ小走りで駆け寄っていく。


真澄が冷めた目で見ている横で、マキカさんが小さく「‥きしょ。」と呟いたことは今でも忘れられない。


「スタッフさーん?セリナのオリシャンお願いしまぁ~すっ!」


営業中のセリナの喋り方は、ナンチャッテ声優志望を彷彿とさせる、やたらハキハキとしていて違和感だらけの鳥肌ものなのだが、男性には超好評で、結局世の中は“顔”と“谷間”なのだなと痛感する。


開店から僅か10分で、店内は満卓となり大にぎわい。

真澄は、年中無休闇落ちのモニカさんの卓にヘルプとして、お酒を作り終え、「私も一杯戴いていいですか?」とワイングラスを頬に寄せた。


真澄は、モニカさん本指の非常に癖の強いお客が苦手だったので早く別の卓に移動したい気持ちを精一杯こらえて懸命に笑顔を作った。


真澄は密かに毎週水曜日に現れるこのお客を

13日の金曜日に準えてジェイソンと呼んでいた。


「ナナミちゃん可愛いねえ~。モニカはもうオバサンだしナナミちゃんに乗り換えちゃおっかな~!」


(あー、また始まった。)


この“推しを嫉妬させたがる”お客は一定数存在しており、この手のお客との接客手法はキャスト同士で口裏を合わせてお互いを罵りあってお客を取り合うのだが


年中無休闇落ちしているモニカさんに対して行われる場合は常軌を逸しており、“くわっ”と表情を変えて半狂乱で暴れるので非常に厄介なのだ。


このお客が来るとモニカさんが文字通り壊れてしまうので、黒服が2人控えているほどの用意周到さ。

そしてモニカさんが発する言葉の暴力も真澄を深く傷つけるので、本当にこの時間が億劫なのだ。


「もう~、モニカおばさんじゃないもーん!」


最初は平常心を保とうとするモニカさんだが、性悪のお客がモニカさんのプライドを矢継ぎ早に刺していく。


「ナナミちゃんは顔も小さいしスタイルも良いし、モニカのダルンダルンな肌とは全然違うよな!」


「ちょ、ちょっと酔いすぎじゃないですか?」真澄は牽制したつもりではあったが、モニカさんはお客の胸に項垂れて、真顔で真澄を睨み付ける。


賞味、未だにこの時の対応の正解が分からない。


「そんなことないですよ」なんて若い小娘が発しようものなら、このお客にバトンを渡すようなものである。


モニカさんは半泣きでお酒を飲みながら

少しずつわなわなと痙攣し、次第にその震えが増していく。もう危険なのだ。


お客は泣いているモニカさんの頭を撫でながら

わざとらしくモニカさんの腰に手を回した。


ああ、すごくすごく気持ち悪い。


黒服たちはモニカさんに耳打ちをして、モニカさんはそれに応えるように小さく頷くだけで、あのセリナでさえモニカさんの卓を警戒しているのがピリピリと伝わってくる。


普段のモニカさんを知っているだけに

胃がぎゅっと締め付けられて苦しい。


モニカさんは7年交際した男性が居たが

アダルトビデオに出演していたことがバレて

婚約破棄になったという過去を持っている。


本来そのようなプライベートな情報は露呈しない筈なのだが、1年前の夏にモニカさんと同郷の知人がお店でそれを暴露してしまい、それまで優しくて明るかったモニカさんが完全に堕ちてしまったのだ。


元々、「美人薄命」というブラックジョークそのものな夜職ガイドブックにも掲載される程の美人だったモニカさんは、すぐさまネット上の掲示板でも出演作品を大々的に晒されてしまい、この性悪ジェイソンにも弱みを握られている模様。


何度も未遂をしているほどの極度の精神状態だが

隠し子を育てるために必死に生きている苦労人なのだ。


「モニカは男に負けているんだぞ~!」


ここでいう“男”とは真澄のことだ。

こんなお客のネタにされるのも腸が煮えくり返る思いだが、真澄には何よりも恐れている展開が見えていた。


「クソオカマ!!調子のってんじゃねえよ!!」


モニカさんが遂に爆発した。


モニカさんはテーブルのグラスになみなみ入ったシャンパンを真澄に勢いよく投げつけた。


パシャン!


真澄の頬にシャンパンがぶち当たり、ランソンの酸味が少し口に入る。


咄嗟に受け身を取ったことで顔全体は避けられたものの

真澄のドレスの右胸あたりをぬるいシャンパンがびっしょりと濡らした。


モニカさんは真澄と目が合うと一瞬躊躇って、空になったワイングラスをテーブルに叩きつけたので、バランスを崩したワイングラスが大理石の床に砕け散った。


「ナナミさん着替えてきてください!」


さっと黒服が間に入り、キッチンの女子大生が駆け寄ってきてくれた。

真澄はモニカさんの口から放たれた「クソオカマ」という言葉を引きずり、自分をダシにされた憤りと色々な感情がぐちゃぐちゃに交錯した。


「ナナミちゃん、大丈夫?気にしちゃダメだよ。」


中には優しいお客さまも声をかけてくださったが

鏡を見るまで自分がどんな表情をしているのか分からないという好奇心もあった。


(私は皆の言うとおりオカマでしかないのに、何を傷ついているんだろう‥。)


頬にシャンパンなのか何か温かいものが伝わり

益々鏡に写った自分の表情を見てみたくなったので

足早に入り口近くのお手洗いに駆け込んで全面鏡の自分の顔を間近で覗き込んだ。


「あぁ‥!」


真澄は涙を流しながら口角を上げていた。

こんなに胸にズンと杭を打たれているのに

真澄はとても強いので笑い飛ばせたのだ。


きっとそうだったのだろう。


(こんな風に生まれた自分が悪い。

私は気持ち悪い存在だから我慢して当然なんだ。)


真澄はいつものように個室トイレのコンクリート壁に

頭を打ち付けて酔い醒ましを図った。


(頑張れ。頑張れ。頑張れ。)


もう一度鏡を見て、涙が伝った跡をメイクなおしして

また卓に戻ろうとお手洗いの扉を開けると

冷淡な表情のママが真っ直ぐ真澄を見据えて


「仕事中ですよ。しっかりしなさい。」と忠告した。


「シャンパンが目に入っちゃって‥!」


ママは真澄の嘘を一蹴し、卓側を見ながら

「ご新規のナナミ指名、4名いらしてる。」と厳しい表情のまま言った。


いつものように厳格なママであることに変わりは無いが

どこか心配そうな目と、指名が入ったことに対して「頑張りなさい」と言いたげな雰囲気を醸していた。


(4名も‥?どんな方だろう‥、)


真澄は最後にもう一度、鏡に映った自分の顔を確認して

笑顔で卓に戻ると‥。


「あ!きたきた!ヤッホー!!」


賑やかな店内でもひときわ胡散臭い人工的な光を放つ男性グループの面々で唯一見知った顔が、自販機でゾロ目が出たくらいの刹那的なハイテンションで手を振っていた。


“アイツ”が愉快な仲間を引き連れてやってきたのだ。


(うげ‥マジで来たの‥??)

本作品をお読みいただき、ありがとうございます。


この物語には、LGBTQ当事者への理解を

深めたいという意図はありません。


また当事者の方が傷つく表現もあると思いますが

これは「とある当事者の1ケース」として捉えていただきたいです。


社会には様々な生きづらさを抱えている人が沢山いらっしゃると思いますが、強く生きていく彼らと接する中で

答えの出ない答えを、拙いながら模索しています。


真澄が来世、“イケメンに生まれたい”とまで至った心理は

物語を最後までお読みいただいて一緒に考えていただければ幸いです。

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