第三話 ――解放まで、残り12時間
夜のニュースは、同じ言葉を何度も繰り返していた。
「現在、世界各地で確認されている空間異常について、
専門家は不用意に近づかないよう呼びかけています」
アナウンサーの声は落ち着いている。
言葉も、慎重に選ばれている。
だが、
映像は雄弁だった。
画面が切り替わるたび、
異なる街、異なる場所に現れた“亀裂”が映し出される。
交差点。
駅前。
住宅街の一角。
そして、
そのどれもが――
人の手で、少しずつ囲われ始めていた。
「安全確保のため、現場周辺では立ち入りを制限しています」
規制線。
カラーコーン。
警備員の姿。
大規模な統制ではない。
強制排除でもない。
ただ、
見つかった場所から順番に、入れなくなっていく。
黒崎 創は、その様子を黙って見ていた。
――一斉じゃない。
それだけで、
状況はかなり違って見える。
世界は広すぎる。
人の目も、手も、数には限りがある。
たった一日で、
すべてを把握し、
すべてを塞げるほど、
この世界は単純じゃない。
だからこそ、
今は――
まだ、残っている。
黒崎はテレビを消し、
上着を手に取った。
この夜にやることは、
探索ではない。
確認だ。
何が見つかっていて、
何がまだ、誰の視界にも入っていないか。
外に出る。
住宅街は静かだった。
ニュースで見るような緊張感はない。
だが、人々の動きはどこか落ち着かない。
スマートフォンを見ながら立ち止まる者。
意味もなく空を見上げる者。
黒崎は、そういう場所を避けて歩いた。
人が集まる理由のある場所。
話題になりやすい場所。
そこはもう、
誰かが見ている。
黒崎が向かうのは、
通り抜ける意味のない道だった。
行き止まり。
古いフェンス。
用途の分からない空き地。
昼間なら、
気にも留めない。
夜なら、
なおさらだ。
スマートフォンはポケットにしまい、
視線だけで周囲をなぞる。
何かを探す歩き方はしない。
ただの散歩と変わらない足取り。
数分歩いて、
黒崎はふと足を止めた。
理由は説明できない。
ただ、
空気が、わずかに重い。
視界が歪むほどではない。
光が曲がるほどでもない。
言われなければ、
気づかない程度の違和感。
黒崎は、数歩引き返す。
違和感は消える。
もう一度、同じ場所まで歩く。
胸の奥が、かすかに鳴った。
――ここか。
だが、
確信にはならない。
目を凝らしても、
空間は裂けていない。
表示も、出ない。
ただ、
“何もないはずの場所”が、
妙に目に残る。
黒崎は周囲を見渡した。
錆びたフェンス。
草が伸びた空き地。
奥には、使われていない倉庫。
人の気配はない。
監視カメラも見当たらない。
――封鎖する理由はある。
だが、優先順位は低い。
冷静な評価が、頭をよぎる。
黒崎は、一歩だけ前に出た。
その瞬間、
視界の端に淡い文字が浮かぶ。
【侵入は許可されていません】
【解放まで 11:41:06】
小さく、息を吐く。
やっぱりだ。
だが、
ここが“正解”だという証拠はない。
ただ、
外れではない。
それだけが分かる。
黒崎は、それ以上近づかなかった。
写真も撮らない。
動画も回さない。
ただ、
場所だけを覚える。
地図を開き、
目印になる建物と距離感を確認する。
ここに、
戻って来られるように。
黒崎は、その場を離れた。
振り返らない。
未練もない。
MMOで言えば、
未開放エリアの入口を見つけただけだ。
中に入るかどうかは、
まだ先の話。
歩きながら、黒崎は思う。
24時間。
長いようで、短い。
人が気づき始めるまでの時間であり、
組織が動き出すまでの猶予。
警察も。
自治体も。
自衛隊も。
できることには、限界がある。
だからこそ、
見つかった場所から、順番に閉じていく。
逆に言えば――
まだ、誰にも見つかっていない場所は、
今この瞬間にも、残っている。
部屋に戻る。
時計を見る。
解放まで、
残り12時間。
十分だ。
やることは、
もうない。
黒崎はシャワーを浴び、
軽く食事を取る。
胃に負担をかけない量。
水分多め。
全部、
体が覚えている。
床に並べた荷物を、
もう一度だけ確認する。
水。
現金。
モバイルバッテリー。
簡易装備。
派手さはない。
だが、
後から欲しくなるものばかりだ。
視界の端に、
小さな表示が浮かぶ。
《アーリーセンス》
初動保持:安定
選択変更:不要
数値も、説明もない。
だが、
「これ以上動くな」
という感覚だけは、はっきりしていた。
黒崎は、
素直にそれに従った。
布団に入り、
目を閉じる。
不安はない。
焦りもない。
――サービス開始前夜は、
こうやって過ごすものだ。
眠りに落ちる直前、
黒崎 創は思う。
明日、
世界は開く。
同時に、
現実は、さらに閉じていく。
だが――
自分の立つ場所は、もう決まっている。
それだけで、
十分だった。




