第1話 アーリーセンス
黒崎 創は、生粋のネットゲーム廃人だった。
それも、MMOというジャンルに人生を突っ込んできた人間だ。
新作MMOが出れば、仕事は切った。
寝る時間は削るものではなく、捨てるものだった。
サービス開始の瞬間から最前線を走り、狩場を押さえ、情報を握る。
勝ち筋が見えたら人を集め、気づけば最強ギルドが出来上がっている。
――そういう勝ち方しか、知らなかった。
だが、黒崎が走ってきたMMOは、もう残っていない。
次々にサービスは終わり、残った世界も形を変えた。
長く同じ世界に居続ける遊びは、いつの間にか減っていた。
仕事をして、飯を食って、ソファに沈む。
スマートフォンでデイリーを消化し、気が向けばPCで買い切りを一本触る。
遊んではいる。
ただ、あの頃の熱を思い出すことは、ほとんどなくなっていた。
――その夜だった。
視界の中央に、文字が浮かんだ。
一瞬、意味が分からなかった。
目をこする。
瞬きをする。
消えない。
喉が鳴る。
所属:――
RANK:F
「……は?」
声が、わずかに裏返った。
立ち上がり、半歩、後ずさる。
それでも文字は離れない。
距離感がおかしい。
画面でも、反射でもない。
視界そのものに、貼り付いている。
背中に、じわりと汗が滲んだ。
次の瞬間、文字の周囲に半透明の枠が展開する。
STATUS
HP :85
STAMINA :95
力 :10
素早さ :10
賢さ :14
幸運 :9
数字を見た瞬間、胸の奥がひくりと動いた。
理由は分からない。
ただ、かつて何度も味わった感覚が、一瞬だけ蘇る。
キャラ作成画面。
開始直後、誰も何も知らなかった時間。
呼吸が、わずかに早くなっている。
なんだ、これ。
現実なのに、
体が勝手に“構える”。
さらに下へ、表示が伸びた。
PASSIVE SKILL
・アーリーセンス(Early Sense)
名前を見た瞬間、今度ははっきりと胸が鳴った。
説明文が、遅れて浮かび上がる。
新しい環境において
後から取り返しがつかなくなる分岐を
直感的に感知する
――ああ。
これは、
使える。
そう思ってしまったことに、黒崎は一瞬だけ戸惑った。
まだ、何も始まっていない。
何が起きるかも分からない。
それなのに、判断だけが先に出てしまった。
過去に、似た感覚を何度も味わってきたからだ。
最初の選択で詰んだやつ。
様子見を続けて消えていった連中。
気づいた時には、もう席がなかったプレイヤーたち。
スマートフォンが、突然暴れ出す。
振動。
通知音。
連続。
「なんか出てきたんだけど」
「ステータス見えてる?」
「スキルって人によって違う?」
「俺、筋力上昇だった」
短文ばかりが流れてくる。
誤字。混乱。誰も整理できていない。
だが、全員が同時に放り込まれたことだけは、はっきりしていた。
黒崎は、ウィンドウを閉じようとして、指を止めた。
閉じたら、
何かを取り逃がす気がした。
理由は分からない。
だが、確かにそう感じた。
それでも、閉じる。
表示は、音もなく消えた。
心臓が、まだ速い。
落ち着け、と頭では思う。
だが、体が言うことを聞かない。
時計を見る。
一時間後。
視界が、もう一度、強引に割り込んできた。
【通知】
全世界に異常領域を検知
対象:亀裂
テレビが、速報へ切り替わる。
「――現在、世界各地で原因不明の空間異常が確認されています」
画面の中央。
街の交差点で、空間が裂けている。
その上に、巨大な数字。
23:59:58
23:59:57
減っていく。
侵入は許可されていません
映像が切り替わる。
別の街。
別の場所。
今度はビルの谷間で、空間が歪んでいた。
さらに切り替わる。
住宅街。
郊外。
山間部。
場所も規模も、まちまちだ。
「同様の現象が、複数確認されています」
画面の向こうで、人々が立ち止まっている。
誰も、近づこうとしない。
ただ、ざわめきだけが溜まっていく。
SNSには、すぐに“落ち着いた声”が増えた。
「国が対応してるなら待ちだろ」
「下手に近づくな」
「様子見でいい」
黒崎は、スマートフォンを強く握りしめた。
待つ。
様子を見る。
頭では、それが正しいと分かっている。
だが――
胸の奥が、強くざわついていた。
理由はない。
説明もできない。
ただ、このまま座っていると、
何かを永遠に失う気がした。
立ち上がる。
足が、わずかに震えている。
怖い。
それ以上に――懐かしい。
所属は空白。
RANKはF。
まだ、誰も始めていない。
黒崎 創は、上着を掴んだ。
この世界は、何も説明しない。
だが、
始まった瞬間だけは、はっきり分かった。




