水音準備
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
水面に浮かぶもの。
その中でも、泡などは人生がはじまってほどなく、接することになるもののひとつなんじゃないかと思う。
身体を洗うに、水やお湯はつきもの。そこに浸かっている間に、これらが浮かんでははじけて、消えていくのを目にするはずだ。
これが風呂とかならまだいいだろう。あぶくはじめ、浮かんでくるものの正体を探るのは難しくない。狭い空間でもあるしな。
けれど、こいつが広い場所だったりすると、いささか厄介。
海とか湖とか川とか、でっかいものばかりじゃない。それが池のようなコンパクトなものだって、関心がなければ目を向けず、スルーしてしまうのが人間だ。
これらの異常に、もし気づくことができていたなら、それもまた特別な存在なのかもしれないね。
僕自身も、少し奇妙な経験をしたことがあるんだけど、聞いてみないか?
それは小学校の低学年くらいだったか。
昼休みの最中、「どぼん」と大きい水音が学校中に響いたんだ。
グラウンドで遊んでいた子たちの、大騒ぎする声の中でも聞こえたから、相当な大きさだっただろう。
多くの子が遊びの手を止めて、音が出たと思しき方向をしばし眺めた。校舎の裏手あたりからのような気がした。
それでも、続く何かが起きなければ、対岸の火事とみなされていく。数秒ののちには、またあたりは子供たちの騒ぎ声に包まれた。
この場で遊ぶ多くにとって、目の前のボールを追うことが、この休み時間最大の関心事であろう。
僕はというと、誰と一緒に遊ぶでもなく、校庭のアスレチックたちを相手にしていたから、わだかまりもない。
興味をひかれるがまま、校舎裏へ回り込んでみる。
あれだけの水音が立つ場所といったら、自然と限られてくるもの。プールだ。
すでに泳ぐ時期は過ぎたが、水はなみなみとたたえられている。火事とかがあったときの、備えなのだったか。
地上から見る限り、プールには波紋も浮かんでいない。プールサイドも濡れた様子がない。
結構な物音だったから、かなりの大物が飛び込んだはずなのだけど……。
と、思案する間に、休み時間終わりのチャイムが鳴り、僕はいったん校舎へと引き返したんだ。
それから窓際の席であるのをいいことに、授業の合間を縫って、僕はちらちらとプールの様子をうかがってみた。
大半は静か。ときおり、物好きな水鳥がどこからか飛んできて、プールの水の上を滑っていく姿も見たっけなあ。つまりは、いつも通りだったというわけ。
――あれだけの水音、やっぱりプールしか考えられないんだよなあ。たとえ水たまりがあっても、みんなが手を止めちゃうほどの音が響くだろうか。
その日は何もなく、プールに立ち入ることもできないから、そのまま帰ったよ。
けれども翌日。
プールを見下ろせる校舎のフロアに立った僕は、プール中央に黒ずみが浮かんでいるのを見る。
水鳥たちの一羽にも満たない大きさだったが、そいつは確かにはっきりそこにあった。
後から来たクラスメートに、指さして見てもらうも「それこそ鳥のフンとかじゃね?」とのんきな回答をされてしまう。なまじ、そう見えないこともないから、反論もしづらい。
僕は引き続き、時間の許す限りで観察を行った。
もしフンだとするなら、何時間も経てば自然にバラバラになりそうなもの。それが、例の黒い塊は形を崩さず、ずっとそのまま。
水鳥たちは、今日は訪れることはせず、塊は水に揺られながらもとどまり続けていたよ。
クラスのみんなは関心がないようだったけど、僕はそれからもプールを観察し続けていた。
黒い塊は5日間。僕が一週間のうち、学校に通う日はずっとそこへ浮かんでいたんだ。
それが、週が明けると、もうひとつ。さらに次の週にはもうひとつと、次第に数を増やしていくのに気付いたんだ。
それはサイコロの目の増え方を思わせた。
一週目は中央にあった塊が、二週目には対角線へ見事に分かれ、三週目にはその中心を補い、四週目には四隅を固め……といった具合に。
そうして、六週目。
サイコロの6の目。そのものな位置に黒点たちが揃った日。
ご無沙汰していた水鳥たちが、こぞってプールに集まってきた。
彼らにも黒い塊たちが見えているらしく、そこを避けるように着水していくのだけど、いつもに増して数が多い。
せいぜい数羽で済んでいたところが、この時には10を超える鳥たちが集まって、すいすいとプールのそこかしこを泳いでいたんだ。
おりしも休み時間。天気は良好で、プールを気にする僕以外のみんなは教室を離れてしまっている。だからおそらく、その瞬間をとらえられたのも、僕だけじゃないだろうか。
6の目の黒点たちが、ふっと水の上から浮き上がった。
持ち上げるものなど何もなく、自力で浮上したようにしか思えない。
それだけじゃない。遅れてプールの水も、鳥たちもろとも浮き上がったんだ。
形をいかようにでも変えられる水。それがプールにおさまっていたときの大きな直方体のままで、6の目の黒点たちを追うように上昇を続けていく。
その水の全容が見える、フェンスすれすれの高さまで浮き上がるや、手品であるかのようにふっと、瞬時に消えてしまったんだ。
プールの水の、突然の消失。さすがに先生たちも、怪訝そうな表情を見せたよ。
あの黒点の正体は今でも分かっていないけど、僕たちはああして水鳥たちを水もろとも捕まえる布石だったのだと思っている。
あの時の水音は、黒点たちを根付かせるための準備で、時間をかけてああして場を整えた。
そこまで手をかけて、なぜ鳥たちが欲しかったのかは謎だけど、あの不可解な技術を使うほど大事だったんだろうね。