今夜はエスコートして
「リアム様、今夜はエスコートしてくださるかしら?」
カトレアお嬢様が僕に問い掛ける。
「ええ、きっとしてくださいますよ。」
僕はカトレアお嬢様に紅茶を差し出してそう答えた。
この質問、何回目だろうと心の中で思いながら。
僕は17歳の執事、アスターだ。
僕の仕えているカトレアお嬢様は何故かいつも顔の隠れるローブをつけて過ごしている。人々の間では呪われているからだ、顔が醜いからだなどと噂されている。
カトレアお嬢様には幼い頃から婚約者がいる。それはこの国の王子であるリアム様だ。カトレアお嬢様は一目見た瞬間からリアム様に心を奪われたようで、普段からリアム様のことばかり話している。
今夜はカトレアお嬢様が楽しみにしていた学園の卒業パーティがある。
だからカトレアお嬢様はここでリアム様の迎えをずっと待っているのだ。
...だがパーティーの始まる10分前になってもリアム様はやってこなかった。
「今日も来なかったわね...」
リアム様は婚約者であるにも関わらず、カトレアお嬢様のエスコートを1度もしたことがないのだ。
「カトレアお嬢様、そろそろ会場へ向かいましょうか?それとも...リアム様のところまで行きますか?」
「...いや、もういいわ。会場へ向かいましょう。」
いつも以上に悲しそうなお嬢様を連れて会場まで案内した。
「こちらでございます、お嬢様。」
「ありがとう...ごめんねアスター、今日も頼んでいいかしら?」
「ええ、もちろんです。」
そう言って僕はお嬢様の手を取った。
リアム様の代わりを他の貴族の方が務めると変な噂が立つかもしれない。だから、毎回僕がお嬢様のエスコートをしているのだ。
「では行きましょう。」
会場の大きな扉がゆっくりと開く。扉の中はこれでもかというほど装飾されており、幾つものシャンデリアが輝きを放っている。
何度見ても、カトレアお嬢様たちは僕と住む世界が違うんだなと思ってしまう。
もう既に多くの生徒たちが集まっている。そろそろ開始時刻だが...
「あら、リアム王子がいらっしゃったみたいよ。」
誰かがそう言うと、全員が扉の方に注目する。
明るい茶髪で大きなの桜色の目をした少女を連れてリアム様が現れた。
「今日もミアさんと一緒だわ。」
「全く、王子は何を考えているんだか。」
リアム様は婚約者であるカトレアお嬢様をほったらかして男爵令嬢のミア様をエスコートしている。だが王子のすることに口が出せないのか、生徒はおろか、大人たちさえ誰も彼の行動を注意する者は居ない。
ともかく...これで全員揃ったようだ。今夜は学園の卒業パーティーなので学園の生徒と職員しか参加していない。それでも、会場にはかなりの人数が集まっていた。
リアム様が壇上へ上がる。おそらく、生徒代表の挨拶をするのだろう。
「みんな、卒業おめでとう。新しい門出を祝いたい...の、だが。」
「1つ言いたいことがある。カトレア。」
リアム様がお嬢様の名前を呼んだ。みんな、リアム様の突然の行動に困惑している。
「...なんでしょうか?」
「お前との婚約を破棄する!」
え?...この人は一体何を言ってるんだ?
「...私と婚約破棄したい理由を、聞いても良いでしょうか?」
「もちろん、お前がミアを虐めたからだ!」
「...え?」
「ミアはお前からずっと嫌がらせを受けていたと言っている。そうだろう、ミア?」
「はい、本当に怖かったです...」
ミア様が怯えた表情でお嬢様を見遣る。
「ミア、もう大丈夫だ。」
完全に2人の世界に入り込んでしまったようだ。
お嬢様を悪役のようにしているが、そもそも2対1の時点でお嬢様が可哀想だと思わないのか?僕から見たら、リアム様たちがお嬢様を虐めているように見えるけど。
「証拠だってあるんだ。カトレア、お前がこんな奴だとは思わなかった!」
「...なら、証拠を出してください。私はなにもしておりません。」
「お前...言ったな?」
「おい、あれを持ってきてくれ。」
リアム様が指示を出すと使用人たちが色々なものを持ってくる。
「まずはこれ、濡れていた教科書だ。これは噴水の中に放り込まれていた。この教科書にはミアの名前が書いてある。」
「そして...これは、破られた学園の制服だ。もちろんこれもミアのものだ。」
まあ、あとから破ってもそう言えるし、これだけではお嬢様という確信は持てない。
「そして次は...こっちに来てくれ。」
1人の男子生徒が前へ出てくる。
「僕はミアさんが学校で黒いローブの人と一緒にいるところを見ました。2ヶ月ほど前のことです。」
「あ、私もミアさんがローブを着た人と一緒にいるところを見たわ!」
「僕も去年空き教室にいるのを見た!」
かなりの人が目撃したことがあるようで、だんだん騒がしくなっていく。当たり前だが、ローブを普段から着ている人はお嬢様以外いない。
でも...誰でもローブを着たら、お嬢様だと偽造出来てしまうのではないか?
「そしてこれが最後の証拠だ...あの壁を見てくれ。」
リアム様が示す方向に視線を移す。...よく見ると壁に穴が開いていた。
「昨日、ミアはあそこでローブのやつにナイフを投げられたそうだ。...つまり、これは殺人未遂だと言えるだろう。」
「持ち物を破るくらいならまだ良かったのですが...流石に命の危険を感じると怖くなってしまって。」
ミア様が声を震わせている。
「これ、本当にカトレア様がやったの?」
「でも、ローブを着ている人なんてカトレア様しか居ないよな?」
「もし本当なら...」
殺人未遂という言葉や、証言者の登場により、みんなかなり信じ始めている。
でも、ローブを着ているというだけでお嬢様だと決めつけるのは可笑しいような?
「お前がやったんだろう、カトレア!」
「...私ではありませんわ。その人はローブを着ていただけ、ですよね?私だという証拠はまだ足りないと思います。」
「ミアはローブの人からお前の声がしたと言っている!」
「王家の婚約者としてお前は相応しくない!俺はお前をここで捕らえる。」
リアム様の発言を聞き、騎士たちがお嬢様に近づいてくる。
「申し訳ありませんが、これだけでは証拠不足ですのでカトレアお嬢様を引き渡すことは出来かねます。」
そう言って僕はカトレアお嬢様の前に立つ。流石にこれだけでは足りない、リアム様だけの判断でカトレアお嬢様を渡すわけにはいかない。今、彼女を守れるのは僕しかいないんだ。
「ミアのことを殺そうとしたやつを放っておけというのか!」
リアム様、冷静さを欠いてしまっている。
「落ち着いてください。この証拠とリアム様の指示だけでは足りないということです。」
「ミアのことはどうでもいいということか!」
何も言っても収まらない...どうしようか。
「アスター、もういいわ。」
「...お嬢様?」
「とりあえずここは、リアム様に従いましょう。ですが、私はミアさんに何もしていませんわ。」
「カトレアお嬢様...いいのですか?」
「ええ、大丈夫よ。私が判断したんだから。アスターはお父様たちにこのことを報告してちょうだい。」
「...承知致しました。」
結局、お嬢様は騎士に連れていかれてしまった。
僕はすぐさま屋敷に戻り、当主様に事情を全て説明した。
「そうか、では王家からの連絡を待とう。」
「えっ?」
カトレアお嬢様がどこかへ連れられたのに...?
「えっと...こちらから連絡しなくて良いのですか?」
「ああ...まあ、良いだろう。もしかしたら、本当にカトレアが犯人なのかもしれないからな。」
当主様の言葉に僕は思わず絶句した。なんなら、僕はカトレアお嬢様を引き渡したことを怒られるとさえ思っていたのだが...
ど、どうしよう。彼はカトレアお嬢様を取り戻す気があまり無いようだ。
...なら、僕がやるしかない。
カトレアお嬢様、すぐ助けますから、待っていてください。
2日間、僕は証拠やお嬢様を返してもらう方法についてずっと調べていた。証言者である男子生徒に話を聞いてみたが、「ローブを着ていたのは間違いないが、カトレア様かどうかは分からない」と言われてしまった。
今のところ、解決できそうな情報はない。なんなら、状況は悪化している。この2日間でお嬢様が犯人だという認識が世間の間で強まってしまった。
噂に尾ひれがついて広まり、ついにはお嬢様が殺人未遂をしたのを見た人がいるなんていわれている。
「もしかしたらお嬢様は処刑されるかもしれないわ」
休憩時間にメイドたちがそう言っていた。
早く、早くお嬢様を助ける方法を...!焦る気持ちを嘲笑うかのように、僕にできることは何も見つからなかった。
ある日の朝、当主様が屋敷の使用人たちを呼び出した。
「世間の批判も考慮して、カトレアは牢屋に入れられることになった。」
ああ、最悪だ...本当にまずいことになった。
「...今日ならカトレアの様子を見に行けるらしい。行きたいのなら好きに行ってくれ。以上だ。」
...当主様は自分の娘が牢屋へ入れられるのに会いに行かないのだろうか?
いや、今はそんなことを気にしている暇はない。僕はすぐにカトレアお嬢様の元へ向かった。
「こちらの部屋でございます。」
王家の使用人がカトレアお嬢様のいる部屋まで案内してくれた。部屋の前には見張りが2人立っている。
「ありがとうございます。」
そう言って僕は部屋の中に入る。
「...アスター?」
「お嬢様...!」
お嬢様はソファに座って本を読んでいた。
「まあ、牢屋へ入れられる前にわざわざ来てくれたの?」
「当たり前です!...すみません、まだカトレアお嬢様の無罪を証明出来ていなくて。」
「ああ、良いのに。アスターは別に何もしなくていいのよ。」
「えっ、どうして...?」
「だって、私の無罪を主張するのは難しいわ。無罪を証明する証拠なんてひとつも無いし、世間は私を犯人だと思ってる。今更主張しても、納得させるのは無理よ。」
「......お嬢様、聞きたいことがあるのですが。」
「ん?なにかしら?」
「ミア様の件...お嬢様が犯人なんですか?正直に、答えてほしいです。」
「...いいえ、私は本当に何もしていないわ。」
「分かりました。お嬢様、安心してください。僕がどうにかします。」
「え?だから、それはいいって...「失礼します」
扉の前にいた見張りがそう言って部屋に入ってきた。まずい、今の会話が聞こえてしまったか?
「...お時間になりましたので、退出いただけますか?」
「ああ...分かりました。ではカトレアお嬢様、失礼します。」
「ええ、来てくれてありがとう。」
話せた時間は1分もなかった。...でも、お嬢様が犯人じゃないと言ってくれて良かった。まあ、当たり前なのだが。
さて、時間はもう無い。早くカトレアお嬢様を助ける方法は...
証拠が虚偽であると言えたら1番良いのだが、カトレアお嬢様の言っていたように1つも否定できる材料がない。
これは...無理やりカトレアお嬢様を連れ出すしかないのでは?
正直、僕はカトレアお嬢様となら国外逃亡できる。一生隠れながら生活することも。
だって...あのとき、僕を助けてくれたから。
―――――――――――――――――――――――
僕は孤児だ。でも親は健在だった。
6歳の頃孤児院に預けられたときに「後で迎えに来るからね」と言われたことをはっきりと覚えている。僕はいつか家に帰れるんだと信じて、孤児院で過ごしていた。
12歳になったある日、僕は勝手に孤児院を抜け出して家族のいる街まで行ったことがある。多分、30分もかからなかったと思う。
ようやく着いた!ああ、懐かしいな。あのときよりこの街が小さく見える。
ノスタルジックな気持ちになりつつ街を歩いていると、見覚えのある人物を見つけた。
あの人は...僕のお母さんだ。
僕より幼い子どもを連れて歩いていた。
「お母さん、ぼく、鬼ごっこしたい!」
「ええ、良いわよ。後で一緒に遊びましょう?」
お母さん...?ああ、なるほど。そういう事か。
そのとき、ようやく僕は捨てられていたんだと知った。
僕はずっと歩き続けた。じゃないと気持ちが落ち着かなかったから。
ずっと歩いているうちに、僕の知らない道に入ってしまった。
そう、この歳にして僕は迷子になったのだ。
どうしよう、早く帰らないと!
...帰る?どこに?
僕は今までずっとお母さんとお父さんのいる、あの家が僕の帰る場所だと思っていた。
でも、もう僕の帰る場所じゃなくなってしまっていた。
もちろん孤児院のみんなは大好きだけど...あそこが僕の帰る場所だとはどうしても思えなかった。
もう僕の家族は居ないんだ...
「ねえ、ここで何をしているの?」
歩きを止めた僕に黒いローブの少女が問い掛ける。
「僕...捨てられてちゃってたみたい。」
そう言葉にすると涙が自然と溢れてくる。どうしよう、きっと困っているだろう。早く大丈夫だと言わないと。
「...それなら、私の家にくればいいわ。」
少女は予想外の言葉に驚く僕に手を差し伸べてくれた。
そう、その少女がカトレアお嬢様だったのだ。
―――――――――――――――――――――――
出来ることならお嬢様の代わりに牢屋へ入りたいくらいだ。
もう時間もないし、証拠も否定出来ないだろう。
本当ならこの国で生きていけるようにしてあげたかったが、そんなことも言っていられない。
カトレアお嬢様を連れ出すには、まず牢屋の鍵を手に入れなければならない。
出来ることなら誰にもバレずに鍵を手に入れたいが...鍵はどこにあるのかさえももちろん知らない。だから、場所を知っている人物に掛け合うしかないだろう。
場所を知っていて掛け合えそうな人物は...彼女しかいない。
次の日、僕は買い出しのついでに孤児院に寄った。そう、僕が12歳まで過ごしていた場所だ。
「あ、アスターだ!」
孤児院の子どもたちが僕に集まってくる。僕はお嬢様に仕え始めて給料の2割を孤児院に寄付しており、ときどきこうして買い出しの途中にここへ訪れている。
「みんな、久しぶり。ところで...今日ダリアはいるかな?」
「うん、いるよ!ダリア、アスターが来たー!!」
「はーい。あら、アスター!よく来たわね。」
奥から夕陽みたいに鮮やかな髪色をした女性が出てくる。そう、彼女がダリアだ。ダリアは幼い頃から僕の面倒を見てくれており、今は王宮で働いている。
「とりあえず、お茶でも飲む?」
「ありがとうダリア、でも今日は話があってきたんだ。」
「話?...ああ、分かったわ。こっちにいらっしゃい。」
「みんなー?アスターと話してくるから、ここで遊んでいるのよ?」
「はーい!」
元気の良い返事を後に、僕はダリアと奥の部屋に向かった。
「で、なんの用かしら?」
「実は...昨日、カトレアお嬢様が牢屋へ入れられたんだ。」
「...ええ、知っているわ。」
「噂ではお嬢様が犯人だと言われているけど...実際は犯人がローブを被っていただけなんだ。僕は何とかお嬢様を助けたい。」
「...」
「だから、僕はお嬢様を連れ出して国を出ようと思っている。」
「...アスターはそれでいいの?」
「えっ?」
「だから...その選択で、アスターは後悔しないの?もうこの国には一生戻れないのよ?貴方がカトレア様を放っておけば、ずっとこの国で平和に暮らせるのに?」
「後悔しないよ。僕にとって、お嬢様より大事なことはないから。」
「本当にわかってるの?普通の人の暮らしは、一生出来ないかもしれないのよ?」
「うん、分かってる。お嬢様のためなら、それくらい構わない。」
「...分かったわ。はい、これ。」
「えっ、これは...」
鍵?もしかして、牢屋の鍵?どうしてダリアがこれを...?
「アスターにそう言われると思って、用意してたの。」
「えっ...!で、でも、これじゃダリアが...」
「いいのよ。その鍵、結構誰でも取れるところにあったの。だから私が取ったとバレることはないと思うわ。」
ええ、それ、大丈夫なの?...いや、鍵を盗もうとしていた僕が言うセリフじゃないんだけど。
「それはもうアスターのものよ。その鍵をどう使っても構わないわ。最悪...カトレア様を殺してもいい。」
「えっ!?」
「カトレア様も、処刑されるよりは、アスターに殺された方が嬉しいんじゃない?...なんてね。」
「ただ、アスターがカトレア様を救うのを失敗しても、あたしに申し訳ないとは思わなくていい、って言いたかっただけ。」
「ダリア...」
「アスターは今まであたしたちのために頑張ってくれてたんだから、孤児院に帰れなくなっても、寄付できなくなっても気にするんじゃないわよ。...頑張りなさい。」
「うん...ダリア、本当にありがとう。」
「別に、大したことじゃないけどね。」
ダリアはいつもの様に笑ってくれた。精一杯、僕を励ましてくれているように感じる。
僕はダリアから貰った鍵を強く握りしめた。
帰宅後、廊下を歩いていると、当主様が誰かと話しているのを見つけた。あれは...カトレアお嬢様の弟君だ。
「...だから、覚悟しておいてくれ。」
「カトレアは明日の夜、処刑されるかもしれない。」
えっ?
「分かりました...では失礼します、お父様。」
弟君がこちらに来たので、僕は慌てて隠れた。でも、まだ思考が追いついていない。カトレアお嬢様が明日の夜に?
...もうこうなったら力ずくでカトレアお嬢様を連れ出すしかない。
明日、お嬢様を連れ出す。そう覚悟を決め、僕はすぐに準備を始めた。
夜が明けた。今日は運良く1年に1度だけの大きなお祭りがある。さらに、今日は仕事がない。お祭りの間にお嬢様を連れ出すことにしよう。
「街のお祭りに行ってきます。少し遅くなるかもしれませんけど...」
「ああ、分かった。たまには楽しんできな。」
上司である執事長に許可を取り、僕は外に出る。
「ありがとうございます、行ってきます。」
街から少し外れた山まで来た。ちなみに、場所はダリアに教えてもらった。
...あった。大きな箱のような建物がぽつんと建てられている。
見張りは...いない?そんなことあるのか?
一応、息を殺して建物の中に入る。
建物の中にも外にも見張りが全く居ない。お祭りだからなのか?
にしても...大丈夫か?こんなにすんなり入れると思っていなかった。
なんの音もしない空間をひたすら進む。建物の中は明るさもほとんどなく、閉鎖的な印象だ。
さらに奥に進むと...大きな檻があった。
ここだ...この中に、お嬢様がいる。
ようやくたどりついた...
「カトレアお嬢様」
「えっ...アスター?」
「そうです、アスターです。来るのが遅くなってすみません。」
「ああ...大丈夫よ。会えて嬉しいわ。」
お嬢様の顔を見ると色んな感情が溢れてくる。もっと話をしたいと思ってしまうが、ここに長くいる訳にはいかない。
「お嬢様、鍵を持ってきましたよ。」
「あら...もしかして、私をここから出そうとしてくれているの?」
「はい、もちろんです。ですから早く...」
「いいのよ。」
お嬢様が僕の言葉を遮って言う。そして、困ったように笑いながら話し始める。
「私、ここからでるつもりはないの。」
「えっ!?ど、どうしてですか!もう出られるのに?ここにいたら...ここにいたら、殺されちゃいますよ?」
「...私、もうこの世界で生きていたくなくなったの。」
震えた声でお嬢様は言う。顔は見えないけど、きっと泣いているんだろう。
「リアム様に嫌われた私でずっと過ごすくらいなら、死んだ方がマシだわ。私は...早くいなくなりたいの。」
「お嬢様...」
「でも...僕がずっと一緒に居ますよ?」
「カトレアお嬢様がなんと言われようとも、僕は貴方の味方です。だから...一緒にここを出ませんか?」
「...ふふ、ありがとう。でも、私の気持ちはもう変わらないわ。」
その後、何度提案してもお嬢様の返事は変わらなかった。
「...僕じゃ駄目ってことですか?」
「...」
「気持ちは嬉しいわ、ありがとう。でも、私はカトレアとして生きていくつもりはないの。」
ああ、もう遅かったんだ。
「どうしても駄目ですか?」
「...ええ、ごめんなさい。」
何度聞いても同じ言葉しか返ってこない。
「...分かりました。じゃあ、僕も一緒に死にます。」
「えっ?」
「ちょっ、ちょっと、アスター、何を言ってるの?」
「僕はカトレアお嬢様が居ない世界で生きていたくないんです。だから、一緒に死にます。」
カトレアお嬢様にとってのリアム様のように、カトレアお嬢様は僕になくてはならない存在なのだ。
貴方が居ないなら、生きる意味などない。
「だ...だめよ!私と違って、貴方は普通に生活できるのよ?」
「良いんです、お嬢様のいない世界なんて、生きてる意味ないですから。」
その後何度も説得されたが、カトレアお嬢様と同じくらい僕の意思は固かった。
「...そんなに言うなら分かったわ。」
「ありがとうございます…ところでお嬢様、この世界でしたいことはもうありませんか?」
「ええ、もうなにもないわ。今死んでもいいくらい。」
「分かりました...では、今から僕がカトレアお嬢様を楽にして差し上げます。」
「え?で、でも、私処刑が...」
「僕がカトレアお嬢様の代わりに処刑されます。酷い言葉を投げかけられるような場所より、ここで楽になる方が良いですよね?」
僕はダリアの言葉を思い出してそう言う。
「それはそうだけど...でも貴方が処刑されるなんて...」
「しかも、貴方に私を殺させるなんてできないわ。」
「大丈夫です、カトレアお嬢様。僕もどうせ死ぬんですから。あとはいいようにやっておくので、安心してください。」
「...分かったわ。アスター、私の我儘を聞いてくれて本当にありがとう。」
「じゃあ...お願い。」
「はい...首を見せていただいてもよろしいですか?」
「ええ。」
お嬢様がローブを脱ぐ。
僕は初めてお嬢様の顔を見た。
長いウェーブがかった金髪に淡い紫の瞳が印象的だ。ローブで隠してたのがもったいないくらい美しい。なんでお嬢様はローブをしていたのだろうか?...なんて、今更聞けないけど。
「では、失礼します。」
僕はお嬢様の首に手を当てる。
「アスター、本当にごめんなさい。そして、ありがとう。」
「カトレアお嬢様...」
「ん?」
「僕はずっとカトレアお嬢様の味方です。だから...安心して眠ってくださいね。」
「...ええ。貴方を待ってゆっくり休むことにするわ。」
「じゃあ、後で会いましょう。」
僕は両手の力を強めた。
僕は眠ったカトレアお嬢様を抱えて山の中を進み、誰もいない原っぱに辿り着いた。
「ここでゆっくり寝ていてください。」
僕はカトレアお嬢様をそっと地面に置く。
「すぐいきますからね。」
名残惜しい気持ちを押し殺して僕はその場を離れた。
その後、カトレアお嬢様のローブを着た僕は看守によって処刑台まで連れてこられた。
処刑台の周りには数時間で多くの人が集まっていたようだ。
僕は大勢の視線を集めながら1歩、また1歩と進む。
顔を覆い隠していてもわかるほど嫌な視線を向けられている。
「この悪女が」
1人の罵声を皮切りに大勢の罵倒を受ける。でも僕はなんとも思わない。今はこうなって良かったとさえ思っている。
あっという間に処刑台の前まで着いてしまった。
今日の朝起きたときの僕はこんなことになるなんて思っていただろうか?
でも、カトレアお嬢様が処刑台に上がらなくて済んだのは本当に良かった。
どうせお嬢様が死ぬなら僕が殺したかったから。
お嬢様に苦しんでほしくないなんてただの言い訳だ。ただ、僕がお嬢様の人生に少しでも強く残りたかっただけ。
だって...僕はお嬢様のことが大好きだから。
お嬢様、ごめんなさい。当主様と同じように、僕もお嬢様を助けようなんて端から思っていなかった。
お嬢様のふりをしてミア様を虐めたのは僕だ。
お嬢様はリアム様のことが大好きで、僕のことなんて全く見てくれていなかった。だから、僕はどうにかしてお嬢様とリアム様を引き離そうとしたのだ。
もし、牢屋でお嬢様が僕と一緒に国外逃亡すると言ったら、きっと別の道もあったのかもしれない。でも...僕はそれじゃ満足できない。
お嬢様にはリアム様のことを少しでも覚えていてほしくない。
全部、僕の思惑通りだ。僕が...僕だけが、この世界でお嬢様の味方になれた。お嬢様がリアム様と婚約破棄したことが、リアム様のことを忘れてくれたことがこんなに嬉しいなんて。ああ、僕は誰よりも最低な人間だ。
「最後に何か言うことは?」
看守にそう聞かれて、僕が答えたのは…
「みなさん、さようなら。」
僕はもうこの世界に用はない。
お嬢様、次こそ僕が手に入れてみせますからね。