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カーボンニュートラルの矛盾

政治的な妥協案というものは人々の間の争いを避けるためには重要だ。

しかしその和を重んじる態度が、実は問題の抜本的な解決策を台無しにしてしまう、ということが時折り起こるのもまた世の常である。

カーボンニュートラル政策はまさにこの泥沼に嵌まった政治的妥協の産物だ。


 前段で、現代科学が描く、地球創世の物語から現在はどういう時代なのかを俯瞰して見ると、世情、常識のように扱われている、地球温暖化、もしくは異常気象は、人類の化石燃料の使いすぎによって生まれた二酸化炭素などの温暖化ガスの量が増大したのが原因、とする定説はとても支持できそうにない、ということは理解して頂けると思う。


 だいたい二酸化炭素を必要としているのは生命体なのだ。


 二酸化炭素から炭素を取り出すことが生命活動の行う炭素循環の最初にある、という関係上、二酸化炭素の排出を規制する意味があるとはとても思えない。


 しかし、現実の世界は、この定説に対し誰も異を唱えようとはせず、もはや新興宗教的なノリで、二酸化炭素排出削減を日夜叫び、やれ電気自動車だ、太陽光パネルを増やす、とか、最近ではアンモニアを混ぜることで二酸化炭素を出さないで火力発電を行うとか、炭素課税導入の議論とかをやっている。

 南無阿弥陀仏を唱えるごとく、カーボンニュートラルと唱えているわけだ。


 たいていの人はたぶん真実は違うとは分かっているが、それを指摘するメリットが無いと考えているようだ。


 つまり、ここは学界の論争の場ではなく、現実に生活している人が生活をかけて、どう生き抜くかがかかった政治の場に舞台は移っているわけだ。


 そして二酸化炭素原因説を採用して、基本的に誰も困る人がいない、このことが重要なのである。


 つまり人類全体レベルで、最適な妥協案がこの二酸化炭素説なのだ。


 だが、その二酸化炭素を原因とし、この議論はすべて終わりとしたことが本当にいいのか、という点では、ツッコミどころ満載だと、私は思うのである。


 あえてイジワルな言い方をすれば、二酸化炭素排出を抑制すれば、異常気象初め、すべてのことはいずれ解決する、というのが皆さん共通の公式の立場ということになるのだが、それ、本当に信じられる? ということである。


 まあそれはそれでいいだろう。

 百歩譲って、二酸化炭素が温暖化の原因だったとしよう。


 この場合でも、こういう疑問は残るはずだ。


 新たな排出を減らすというのは分かるが、それ以上に既に排出された二酸化炭素を減らすことは考えなくていいの? という話だ。


 この話を誰も出さない理由は、とんでもないお化けがこの話の続きとして出るからである。


 誰もが考える話は、植物の光合成をもっと増やせばいいんじゃないか、ということになる。


 そして農地やらも含め、さまざまな植生による光合成の違いなんかが明らかになると、農業のダメっぷりが如実に表現される。


 こんな不都合な事実が提起されると、農地の規制に繋がりかねない……、のである。


 いや、もっと不都合な話もある。

 本チャンの戦場である、化石燃料の使用をやめろ、って話でも、化石燃料の使用がもっとも多い産業が実は農業、とか、農業での化石燃料の使用をどうやって減らすか、などの議題は、誰も議論の場に出さないのだ。


 日本の江戸時代から続く労働集約型の農業ならともかく、現代の農業は石油無しには成り立たない。

 現代の食料というのは、エネルギーが姿を変えたものなのだ。

 なので石油の価格の指標、WTIが上がると巡り巡って農産物、食料価格も跳ね上がるのである。


 当然現代日本の農業も例外ではない。


 だから市場に出回っている多くの農作物は確かに国産であっても、実は輸入された原油から作られた輸入品に近いものなのである。


 日本の多雨環境でも世界各地から集めた、乾燥に強い、イコール過剰な水分に弱い作物を育てられるのはビニールハウスで雨を避けることができるようになったからだし、土地が痩せないのは豊富な石油由来の肥料が安価で手に入るからだし、消費地と産地の距離が離れてもそれが問題とならないのは、安価なエネルギーで保存や輸送ができるからだ。


 さらに……、こんな話まである。

 最近はビニールハウスの中で作物の生長を促進するために石油ストーブを焚く、なんてこともやっているらしい。

 この場合は、意図的に温暖化と二酸化炭素濃度増大による光合成の促進をやっているわけだ。

 これをやると作物が普通よりもずっと大きくなったり、出荷するまでの時間が大幅に短縮できる、などのメリットがあるとのこと。


 そんなことするなら、せっかくビニールハウスで野菜作ってる農家はそこら中にあるんだから、工場や発電所でできた二酸化炭素を農家へパイプラインで送ればいいのに、なんて思うんだけどね。


 このように農業資材、肥料、農薬、輸送、保存これらすべてに石油由来のエネルギーが関わっている。


 海外の場合も同じだが、実は日本の場合には出て来ない使い方が、一番多い。


 それは水を汲み上げたり運んだりするためのエネルギーだ。


 一部過激な環境保護派が叫んでいる、化石燃料全面禁止するとなった場合、一番打撃を被る産業は農業なのだが、それについては誰もが見て見ないフリを決め込んでいるのである。


 余談だが、この過激な環境保護派、自分たちを何かと「緑」と表現したがる。

 それでいて植物や森のことを全く分かっていない。

 植物から見たら、とんだ食わせ物だ。


 石油の値段が上がれば食料価格も上がる、なんてことまで気がついていない人は多いかもしれないが、全部分かっててダンマリを決め込んでいる人も少なからずいるだろう。


 気持ちは分かる。

 天に向かって唾をする、っていう行為そのものだからだろう。


 この事実を冷徹に受け止めれば、実は食料生産、農業こそが異常気象を招いた真犯人になる、という意味になることはキモに銘じておくべきだろう。


 とはいえ、農業という産業は、炭素循環ということで言えば、空気中の二酸化炭素から炭素化合物の混合体である農産物を作る産業なんだから、その生産過程で、二酸化炭素を大気に多少出したって問題無いじゃないか、という反論もまあ、アリと言っちゃ、アリなんだろうが、環境過激派的な人達って、農業含め、グリーン関係はみんな絶対善、って感じの扱いをしているからね。


 私としては、その善人面が、ちっとばかし気に入らないのである。


 実は、全産業中、農業が石油を一番使ってました、は、そういう人たち向けの私からのメッセージだ。


 えっ、農業が化石燃料を一番使ってるって話に納得がいかない?


 そうかもしれないけど、事実は事実だし、さらに言えば、私としては、それは悪いことだからすぐやめるべきだ、なんて言うつもりはまったくない。


 そこだけは誤解しないで欲しい。


 私としては、二酸化炭素が温暖化の原因なんだから規制しよう、というのはやめにしてもらって、なんでもかんでもカーボンニュートラルを目指すなんて馬鹿げたことはやめよう、と言いたいだけだ。


 農業に二酸化炭素が必要なんて当たり前の話だし、今更化石燃料禁止なんて馬鹿げている。

 じゃんじゃん使えるうちに使ったらいい。


 何と言うか、よく映画館で、ちょっと離れた席に座った観客が、映画のストーリーを語りあっているのだが、その中身が間違いだらけで、イライラしている気分、と言えばおわかり頂けるだろうか。


 テレビのアナウンサーや解説者、芸能人が語る分にはまだともかく、政府のしかるべき責任を持った人物がこの手の話を語っているのを見ると、もういろいろと情けなくなってしまうのである。


 ま、既にいろんな人のメンツも莫大な金額の金も掛かった話になっているだけになかなかそうもいかない、という事情も分かるのではあるが。


 近視眼的に何でもいいから二酸化炭素を減らそうなどと言って、排出権取引なんかやり始めたら、真実がどうでもよくなり、みんなバカになってしまったのである。


 で、大真面目に二酸化炭素排出削減しましょうと言われれば言われるほど、こちらとしては、やっぱりバカが遷るから、近寄らないでって、気分になってしまうのだ。


 というわけで、私の二酸化炭素に対する弁護はこれでおしまいである。


 二酸化炭素が温暖化ガスであろうと無かろうと、そんなことは私からすると大した問題ではない。


 という事で、次は私が危惧していることという話に移りたいと思う。


 ヨーロッパの発展


 二酸化炭素のことを全く問題にするつもりはない、と言っても、私は温暖化を否定するつもりはない。

 温暖化もしくは異常気象と呼ばれる変動は間違い無く存在していると思っている。

 ただ、その原因を二酸化炭素に限定するのはおかしい、と言っているだけだ。


 が、何にしても漠然としすぎた話なのである。


 地球全部丸ごとレントゲンとかCTスキャナーなんかにでもかけられたら、いろいろと分かるんだろうなと思いつつも、今ある情報はおそらく本質から見れば、枝葉末梢レベルの、断片情報ばかりだからだ。


 こういう場合、まず考えるべきは、事実確認よりも推論の組み立てだろう。


 あんまり科学的な手法ではないが、実のところ、天文学にしても、物理学にしても、人類の科学の発展というのは、哲学者の推論が、事実確認につながる先鞭となったことは間違い無いのである。


 つまりどんな観測機材よりも直感やイマジネーションの方がまともな結果を期待しやすい、というのが人類の歴史だったのだ。


 現実に対し、観測技術やら観測手段が満足できるレベルになるのは、推論が出来て、それを確かめるためにそういうものが必要、とならなければ用意されないのが、人の世の常なのだ。


 観測された事実をいくら眺めても新しく分かることは極めて狭い範囲のことに限られてしまう。


 全体を俯瞰する観測技術が今存在していない以上、そこを推論で補うのは極めて真っ当な手法だと、私は思うのだ。


 そう言えばあの有名なSF小説「日本沈没」の中で同じようなことを小松左京が書いていたっけ。

 ま、あそこまで私は執念深くはないけれども。


 こんなことを書いているが、私は少なくともシリアスに人の道を探求している哲学者ではないし、もちろん何かの専門の学者でもない。

 ヒマに任せて時折り自作の小説を発表しているアマ小説家だ。

 文書としての信憑性やら信頼性、それって何?、おいしいの? というのが本書である。


 とはいえ、積極的にデマ、流言飛語を世間に広めたいなんて動機はもとより全く無い。


 あんまりマジにならず、こういう視点もあるのか、という感じに気楽に読んで欲しい。


 私自身の本書に対する期待は、本チャンの学者の皆さんに私の意見が多少なりともヒントとか刺激とか参考になって、なんか有意義な活動が生まれたらいいな、ぐらいのことだ。


 何が何でも二酸化炭素排出削減、なんていう非科学的な勢力が弱まってくれたらそれだけでも御の字である。


 で、環境問題を地球全体規模の問題にすることにこだわってきたヨーロッパにまず注目したいと思う。


 ヨーロッパの人が何故、この問題を大きく取り上げるようになったか、というのは、本書の冒頭に記した通り、引き金は公害問題だった。


 当時深刻に捉えられていたのは酸性雨だったと思う。


 日本では大きな問題になった光化学スモッグというのはついぞ聞かなかったのは、おそらく元々の日射が弱いせいだろう。

 酸性雨こそ、自動車の排気ガス中の窒素酸化物、一酸化炭素が原因と考えられた最たるものだったからね。

 当時の社会的関心がこれに集中したのはある意味当然だった。


 酸性雨の被害というのは多岐に渡っていた。


 歴史的建造物に使われている大理石が溶ける、なんてニュースは日本では珍しいから大々的に報じられていたが、現地の人にとっての最大関心事は、やはり農業被害だったろう。


 日本でも長いこと農家は一大政治勢力だったが、ヨーロッパでの農家の王様ぶりは日本の比ではない。

 農家に逆らえる政治家などいないのがヨーロッパだ。


 だから、これがすぐに政治的に大きな勢力となったのである。

 で、これがきっかけになって、環境にまつわる全てのことへと関心が広がり、雪だるま的に大きくなって、温暖化ストップにまで行き着いたのだ。


 ヨーロッパの環境保護関係の政治団体が、強硬な過激派なのも、彼等が元々は農業関連団体のつながりがある勢力だからだろう。


 実力行使は彼等にとって、一種のお家芸なのである。


 このようにヨーロッパというところは、農業が政治的に大きな力を持った地域なのである。


 では、そのヨーロッパの農業がどんなものなのか、概略を見ていこう。


 ヨーロッパはアフリカとの距離も近いから、最初の人類がヨーロッパに入ったのは、かなり早いはずである。おそらく五万年前ぐらいには、原人がもう入り込んでいただろう。

 が、採集狩猟生活を営む人類がいくら入っても、農業という森林にとっての本当の脅威は生まれないのだから、森林体系はビクともしなかった。

 彼等だけだったら今のヨーロッパは大森林に覆われていたはずだ。


 農業によってサハラが沙漠に変わったのは、遅くとも八千年前以前と考えられているので、多少のサバを読んでもそういうある意味危険な因子を抱えた人類がヨーロッパに入ったのは一万年前ぐらいではないだろうか。


 アフリカを出て森林を畑に変えながらヨーロッパに入った危険な人類がそこで何をしたかについてまず確認しておこう。


 なにしろ元はサハラやアラビア半島を沙漠に変えた人々の末裔である。

 しかも舞台は大陸の西の端だ。


 この流れから言えば、欧州全域がいかに深い森に覆われていたとしても、西から順次沙漠化していたとしてもちっともおかしくなかったはずだ。

 実際、スペイン南部、イタリア南部、ギリシャ、などを見ると沙漠になりかけとも言えるような状況がところどころにある。


 なぜこの程度で収まったのかの方が不思議だ。


 サハラやアラビア半島とヨーロッパの大きな差は、まず緯度の高さだ。

 緯度からすればヨーロッパは温帯ではなく冷帯とか亜寒帯と呼ばれるべき土地なのだ。


 本来ならもっと寒い地域になるはずだったのが、そうならなかったのは、大西洋の海流にある。

 メキシコ湾から流れてくる暖流が常にぶつかってくるということが緯度が高いくせに気温が下がりにくい土地を作っていたということが一つ。

 そして暖流が低温であるはずの高緯度のところまで辿り着いていたということは、海から湯気が年中立っている状況ということでもある。


 これが陸から水が蒸発するのを抑える働きをしていたのだろう。


 だからヨーロッパは大西洋岸から離れ東へ行けば行くほど、寒さと乾燥が厳しくなる。

 メキシコ湾流の恩恵を受けられないせいだ。


 また、アルプス山脈、ピレネー山脈などの山脈が大西洋との間にあるというのも大きい。

 これらの山脈は、一種のフタの役割をしているのである。

 これらがあるせいで内陸の湿気を含んだ空気が洋上へ逃げにくくなっているのだ。

 その証拠にその山地の恩恵を受けにくい、スペイン、ポルトガルの乾燥化は他よりも一段と激しい。

 大西洋に面していても、大西洋側からは湿気を含んだ空気はあまり移動して来ないのである。


 こういう条件が重なっていたことと、元々の森林の面積がサハラやアラビア半島よりもはるかに大きかったことなどで、沙漠化がずっとゆっくりと進行していたのだ。


 また人間側の事情の変化というのも見逃せない。


 最初はコロンブスによる新大陸の発見だ。


 新大陸の発見は二つの恩恵をヨーロッパにもたらした。


 一つはヨーロッパでの人口増大圧力が、新大陸やその発見によって始まった大航海時代の到来による、世界各地への移民によって大幅に緩和されたことだ。

 もう一つは新大陸から持ち込まれたジャガイモやトマトなどの新たな品種の野菜たちが、農業の効率を大幅に高めたため、農地を破棄する必要が大幅に減ったことだ。


 次に起こったのは産業革命による化石燃料の利用開始である。


 寒いヨーロッパの冬の暖房用燃料として木材が利用されることが大幅に減ったのである。


 そして水が不足になりがちだった農地への給水に、化石燃料のエネルギーを利用して行う方法が普及していく。

 地下水を汲み上げ、パイプラインやトラックで農地に水を運ぶというやり方が始まったのだ。


 しかし、森林伐採は止まったわけではない。


 開墾した農地が農地として長く使えるようになったというだけで、森林はヨーロッパの人間から見たら、何の価値もない、危険な野生動物の住み処であり、人間を苦しめてきた自然の脅威の代表だったのである。


 アフリカ生まれの人類の最初に作り出した文明は、とにかく森林を伐採することで自然の脅威から身を守る文明だったのである。

 森林を伐採する、ということは自然な人間の習性のようなもの、と考えられていたのだ。


 ドイツ、フランスあたりの古い町の中心には必ず教会がある。

 おそらく町というのは森の中にまず教会が建てられ、そこを囲むように人が住むところから始まったものだったのだろう。


 だから森は未開と同義だったのだ。


 童話や神話などでも、森の奥深くに住む者として表現されるものには、人食い狼、悪魔、魔法使い、魔女、ドラゴンなどなどロクなものがいない。


 森は、本質的には、無い方がいいものと考えられていたのだ。


 森を切り開くということは人間の生存圏を拡げるということだったのである。


 だからこの活動は休み無くずっと続くことになる。


 ドイツでは、第一次世界大戦の前までに自然のままの森はすべて消えた、と言われている。

 今、ドイツにある森というのは、その後人間が植林して再生した森ばかりなのだそうだ。


 ドイツ以外のヨーロッパ諸国も似たりよったりの状況なのだろう。


 ここで注目しておきたいことは、彼等は水源涵養林が必要だから植林した、というわけでは無いということだ。

 なので植林されたのは、イトスギ、トウヒ、モミ、などの管理しやすい針葉樹が中心となった。


 ま、当時の気象条件では、落葉広葉樹にとってはすでに寒すぎる気候になっていたから、ということもあるんだろう。


 これが日本で歴史的に行われてきた植林との決定的な差である。


 彼等は森がないと淋しいからぐらいの理由で森を復活させたのである。


 土壌の保水力? 何それ、おいしいの、状態である。

 ヨーロッパの大半の人が、森林の持つ保水能力とか水源涵養能力について何も分かっていない、と考えるべきだろう。


 日本の文明と彼等の文明とは本質の部分で対極の位置関係にあるのである。


 で、トンチンカン極まりないカーボンニュートラルのお経を唱えて踊っているのだ。


 なので、私からすると、これで温暖化やら乾燥化が防止できるとはとても思えないのである。


 流域での土壌の保水能力が広い範囲で一定水準を下回ると、大した大雨でなくとも、下流で洪水になる。

 これは日本なら弥生人も知っていたはずのことだ。


 それを今体験させられているのがヨーロッパなのである。


 ヨーロッパでの大雨での洪水発生や、山火事の大規模化を招いた真の原因である。


 このように森林の立場から眺めたらかなりひどい歴史を歩んでいるわけだが、今度は農作物自体の方を見てみよう。


 環境問題だけなら、ここで話をやめてもいいのだが、実はこっちの方に、環境問題ではないトンデモ案件が隠れているのである。


 あんまり古い時代のことはよく分からないが、ギリシャ人やローマ人は小麦から作ったパンを食べていた。

 そしてローマ人から見たら未開だったガリア人、ゲルマン人もパンは食べていたらしいから、小麦というのは当時の畑で一番作られていた作物だったのだろう。

 もっともガリアやゲルマンは畜産による肉食主体だったとローマ人が書き残しているから、パンと小麦はローマ人が伝えたものと考えた方が良さそうだ。

 畜産でヒツジや牛を育てていたとすれば、メインはオオバコなどの牧草がメインだったろうが、冬の備蓄用の飼料穀物なども畑で補助的に育てていたのだろう。

 だから大麦やオートミールなどの栽培もやっていたはずだ。


 ところで共和制/帝政ローマ史の中では、しばしば小麦の値段というのが話題として記録されている。

 ローマが覇権国家となって、版図を拡げれば拡げるほど、新たに版図に加わった地域から安い小麦が流れ込み、元々のローマ周辺の農家が困って政治問題化した、というのが記述のお決まりのパターンだ。


 小麦のほかによく登場するのは、ブドウとオリーブである。

 ブドウはもちろんワインを作るためだ。

 典型的なローマ人の食事として、パンとワインとオリーブ油が欠かせないというのはかなり古い時代に固まったらしい。


 余談だが、残念なのは、このローマ人が飲んでいたであろうワインがどんな味だったか、今は知る手段が完全に無くなってしまったことだ。

 その旧来の種と見られていたものはフィロキセラというブドウの病気がイタリアで大流行したせいで、第一次世界大戦後、絶滅してしまったのだ。

 かくてワイン愛好家にとって非常に興味を惹く存在であった、カエサルや歴代ローマ皇帝が飲んでいたワインというのは今や完全に幻のワインとなってしまったのだ。

 今、イタリア産のワインに使われているブドウはどれもこれもイタリア以外の場所から運ばれてきたものもしくはそれらと掛け合わせた種なのである。


 ワインの話はともかく、ちょっと気に留めて欲しいのは、小麦、大麦、オートミール、ブドウ、オリーブといずれもヨーロッパよりもずっと南の温帯の乾燥地帯にもともとの原産地を持つ植物だということである。


 ブドウなど今でも沙漠のオアシスの代表的な植物だ。


 ということは、ローマ時代から既に、ヨーロッパの農業というのは、全体として、ここは乾燥地だということを強く意識した農業だ、ということを意味している。


 先述した通り、その後の新大陸発見によって、ジャガイモ、トマト、トウモロコシなどがこれに加わるわけだが、この付け加えられた作物についても、いずれもあまり水を必要としない、乾燥に強いものばかりだ、ということも留意しておこう。


 ところでローマ人の残した小麦の価格にまつわる記述は、歴史に記載されていない事実を推理する根拠になることも紹介したい。


 つまり、ローマ近郊、イタリア本土では元々は小麦畑が中心だったが、それが遠くの産地のものに価格的に太刀打ちできなくなった、ということは、需要自体が爆発的に増えたという話がない限り、少なくとも遠隔地からの輸送にかかるコスト差を吸収できない程度に生産性が悪化していた、ということを意味するのである。


 ではイタリア本土での小麦の収穫量が何故、下がったのか。


 理由はいろいろ考えられる。

 従来の農地の地力低下

 森林伐採によって得られる新たな農地の面積の増え方が鈍った

森林が無くなったせいで、水源が無くなり、乾燥化が進んだ


 先ほど紹介した、農作物の履歴を考えると、この中で一番ありそうなのは、最後の乾燥化だ。

 小麦をやめ、ブドウやオリーブの栽培が拡大した、ということは水が無くても育ちやすい作物に切り替えたようにしか見えないからだ。


 しかし小麦を止めたからパンを食べるのをやめますとなるわけがない。

 オリーブやブドウは小麦の代わりになるわけがないのだ。


 ここで問題にしたいのは、帝国の植民地が増えた後ではなく、前にもすでにこういう状態になっていたのではないか、ということだ。


 オリーブとブドウの生産量は確保できたが、小麦が足りない。

 そんな状態に置かれたローマ人が何を考えたのか、である。


 新たな農地となる森林の獲得である。


 南部で畑を拡大しても収穫量の増える見込みが立たないという見通しがあったから、ローマ人は北の森へと版図を拡げたのである。


 だから植民地から安い小麦が入った、というのはその後発生した一種の副作用だろう。


 動機が食糧問題だと考えると、北への軍事行動を共和制ローマが強力に進めたのも理解しやすい。


 ガリアから何度もローマの国境を脅かされたとかではなく、ローマがガリアに攻め入っているのである。

 カエサルの記したガリア戦記、これはガリア派遣軍総司令官だったカエサルが元老院に送った報告書というれっきとした公文書だ、では、ガリアの部族が同じガリアの部族に侵略されて、ローマに助力を求めたとされたのがそのきっかけとなっているが、それこそいかにもローマに都合のいい口実としか思えない。


 事実は人口が増大している中で、小麦の供給見通しに不安を感じたローマ人が、ガリア侵略を決意した、と考える方が、民主主義を重視しガリア人の部族長にまでローマ市民権を与えていた解放的なローマ人が、何故軍事侵攻を支持したのかという理由として理解しやすい。


 私がここで指摘しておきたいことは、森林喪失、乾燥化の進展による農地の能力低下は、戦争のきっかけとなりうるということである



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