第4話
あまりにもショックで私は彼女の言葉を反芻するばかりでした。ここは死者が流れ着く三途の川、という事は私って……。
「死んじゃったんですね」
ここで今更どうしようが手遅れだと思ったのでしょう。相手に聞かせるつもりもない弱々しく出た声は、まるで自分の置かれた状況を確かめるように呟いた。
しかし、お姉さんは何故か疑念を抱きながら頷いている。そんな様子をよそに私は声を上げた。
「だってここは三途の川で、そこに私がいる理由といったら一つに決まっているじゃないですか!」
申し訳ないけど、これはもうただの八つ当たりになっている。でも仕方ないじゃないですか、普通は冷静ではいられませんよ。記憶が無いからどんな風に死んだのか思い出せませんが、自分が生きた証も何も残すこと無く気がついたら死後の世界に行き着いたのだから。ですから取り乱してしまっているのは本当に許してください。
「落ち着きなよ、そこは深く考えるな。たまに生きている状態でこっちに来ることはある、臨死体験というやつだな」
そういう人が来た場合はなるべく追い返しているらしい。だけど私の場合はどうなのかな、ちゃんと元いた場所に帰れるのでしょうか。そもそも記憶がないから帰りたいのかさえ私には分からないです。
お姉さんにさっきから三途の川でのルールを色々と説明してくれていますが、これから私はどうなるのでしょうという気持ちがいっぱいで耳に入ってきません。
「ここに来る方法はいくつかあるけど、あんたはどうやって来たんだい?」
「分かりません、目が覚めたら彼岸花がたくさん咲いている場所にいました。それで笹船が上流から流れて来たから、こっちに誰かいると思って川沿いをずっと歩いて……」
お姉さんは少し考えた後で何かを思い出しつつ、なるほどと言わんばかりの顔で納得していた。
それにしても質問と受け答え内容から察するに、これじゃあ迷子じゃないですか。ここまで来る時に、助けてもらう人が子供だった場合は頼りないと思っていましたが何も言えませんね。なんだか情けなくなってきました。
「そうだ!あたしは千石睦江って言うんだけど、あんたの名前は?」
気を利かしてくれたのでしょうか、会話の内容を変えてくれました。そういえば名前を聞いていなかったですね。こっちでは信じられない状況ばかりで常識的な事が抜け落ちていました。
しかし睦江さんは優しい人……いや優しい鬼なんですね。ずっとあんたって呼び続けるのも何だし、と言って自己紹介してから名前で呼ぼうとしてくれるんですから。でも私、気づいてしまったんです。ここに来るまで答える必要が無かったからしょうがないんですけどね。
「あの私、名前も分かりません……」
睦江さんの顔は分かりやすく引きつっていた。さっきから私がなにか言う度に困らせてしまっている。どうやって来たのかも思い出せない、名前も分からない。いくら死者を相手にしていても、きっとそんなの今までいないですよね。
「あれ? あのえっと……ごめんなさい」
自分の名前が分からない事に気がついた時から我慢していましたがもう無理です。ずっと潤ませていた目からはとうとう涙がこぼれました。止めどなく流れてくる涙は頬を伝わって地面へと落ちていく。両手で目をこすって止めようと思っても余計に止まらなくなってきて、もうどうしたらいいのでしょうか。
「まあ何処からどうやって来たとか名前とかはこの際は置いといてさ、ここは死者が流れ着く三途の川だけど心配するな」
睦江さんは私に起きているすべての事と励ましの言葉を完結にまとめた。その口調は穏やかでなだめるように落ち着いた声で、そのまま続けて語りかけてくれた。
「いろんな事情が重なっている上に、ちょっと不安になる場所かもしれないな。でもそれはあんたが生きているからこそなんだよ。ここで働いていると分かるようになるんだよ。本当に死んでいる奴は三途の川を恐怖に思わないって」
私はゆっくりと安定を取り戻しつつ話を聞いて驚くほど合点がいった。確かに三途の川が本当にあって怖いと感じるのは生きているからだなんて考えたこともありませんでした。
「だから安心しな、あんたは生きている。あたしが言うんだから心配するな!」
睦江さんは今までどこに仕舞っていたのか不明な金棒を左手で掴み地面に突き刺し、右手の親指では自分を差しながら力強く私を慰めてくれた。
「三途の川にいる鬼が生きている事を保証するなんて変ですよ」
矛盾しているような言動に、いつの間にか私の顔は笑い泣きになっていた。