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牢の中の僕は愛を知っている  作者: 楠木 茉白
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無職となった僕は解放的な気分になったのも束の間ですぐにこれからの生活や将来、何より伯父さんに話すべきか悩んだ。


伯父さんに連絡する事が出来なかった、これまで育ててもらった人に対して仕事を辞めた事は報告しなければならないし、それは最低限のマナーだと分かってはいる。


でも、連絡することができなかった、伯父さんは会社を辞めた事を伝えても怒ったりする事はないと思う、むしろ僕のこれからを心配してくれる、だからこそ連絡ができない。


これ以上伯父さんの子供じゃない僕が世話を掛ける訳にはいかない、せめて再就職が決まるまでは連絡できない。


そんな事もあって僕は会社を辞めたからといって落ち込んで引きこもっている訳にもいかず貯金が尽きる前に何とか次の仕事を見つけなくては、せめてつなぎのバイトくらいはしておかなくてはと僕はすぐに行動を起こした。


係長の事を考えないように……


こういう場合はまずはハローワークに行くべきと最寄り駅から二駅先のハローワークまで節約の為徒歩で向かう事にした。


ハローワークは小綺麗な事務所といった装いだがなんとも言えないどんよりとした雰囲気をどことなく感じさせる場所だった。


そんな雰囲気の一部にも僕がなっていることに少し挫折感を感じた。


初めて訪れたが企業の採用条件の貼り紙を見ていると何だか不動産屋に訪れたかの様な自分の姿に少し可笑しくなった。


学生時代みたいに就職活動をするべきかもしれないと考えたが、一年程で辞職した自分を企業が雇ってくれるのかという不安もあったが何よりもまたあの会社の様な人を人とも思えない様な場に戻ってしまうのではないのかと、勿論全てがああではない事は分かってはいる。


でも、怖かった。


と言っても貼り出されている会社がそうじゃないとも言えない、頭が痛くなる。


僕は少し休憩しようとロビー前にあるベンチに座った。


「はぁ……」


駄目かもしれない、僕はもう社会に戻れないのではないかとそう思えて仕方なかった。


そんな項垂れている時、僕はふと目がいったのは公務員試験のパンフレットが並べられている陳列棚であった。


「公務員か……」


学生時代に公務員試験も視野に入れた就職活動をしていたが結局前の会社に直ぐに内定を貰った事から公務員は僕の中で選択肢からはずれた。


公務員は確かに給料面は安定しているが決して多い給料とは言えず、僕自身就職の条件として平均以上の給料が貰える大企業でなくては駄目であったからだ。


僕は別にお金が好きで裕福に過ごしたいという願望がある訳ではない、ただ、誰にも迷惑かけたくないという考えがあったからだ。


お金さえあればどんな場合であっても誰かに頼る必要もない、一人でもなんとかなるそんな思いが僕の思想を支配していた。


僕は本当の両親に者心がついてまもなく捨てられ、母方の伯父の家に預けられ、けして裕福ではなかったが大切に育てられた。


でも、僕は捨てられた当時の事ではっきりと覚えていることがある。


伯父さんに引き取らる時の事だ、伯父さんは僕を引き取ると決まって僕を迎えに来た時伯父さんは……


「宝、今日から君は伯父さんの家の子供になる、一緒に行こうか」


その時の伯父さんの顔を僕は今でもはっきりと覚えている、とても悲しそうで僕を哀れんでいる様に見えた。


僕の手を引く伯父さんの手はとても大きくゴツゴツしていて少し震えていた……


だからこそ伯父の家族には甘えることが出来なかった、親に捨てられた哀れな子供を育てなければならない、子供ながらにもその重圧と責任を僕は僕なりに感じていた。


こんな僕は誰かに迷惑を掛けてはならないそんな風に生きてきた。


迷惑を掛けない為にも早く仕事を決めなくてはならなかった。


僕は出来る限り条件のいい仕事を捜したが、ハローワークに降りて来る様な仕事に前の様な好条件は期待出来なかった。


この際、公務員試験も視野にいれて、幸い今年の採用試験はこれからで受付もまだ間に合う時期だから少しでも自分に合ったものを選びたい、僕は学生時代に剣道をしていた事から公安系の公務員の方と接する機会があったが、あの手の人種とは上手くやれる自信がなかった。


置いてあるパンフレットは公安系が多くなかなかこれといったものが無かった。


贅沢を言うような身分ではないが、前職の様になってしまったら意味がない、ここは市職員か県職員が無難なところと思っていて、端の方に目をやると児童相談所職員のパンフレットが目に入った。


学生時代に心理学を専攻していた事もあり、児童相談所職員については知らない分野のものではない僕にとっては興味が引かれる、自然とパンフレットを手に取っていた。


こんな身寄りの僕にとっても知らない仕事でもない。


遠い記憶の片隅に家族以外で初めて親身に僕の言葉を聞いてくれた人たちだった。


顔は覚えてないけど、捨てられたあの日、僕の為に優しく泣いてくれた、優しく抱き締めてくれたあの温かさを僕は覚えていた。


僕はその日に児童相談所職員の試験の児童福祉司任用試験の受付けを行った。





地方公務員試験一次は無事通過した。学力や専門知識については学生時代頑張っていたお陰で難なくクリア出来た、その事については頑張っていた自分を褒めてやりたい気持ちになった。


児童福祉司になるには、公務員試験を合格後に福祉施設での一年間の実施研修を修了し、ようやく児童相談所に配属されて児童福祉司いわゆる児童相談員として勤務する事となる。


しかし、まだその前に今日の二次試験の面接試験を通過しなくてはならない。


就活で嫌という程面接を行ってきたが、何度やっても面接は緊張するものだ。


僕は順番を待つ間に頭の中で面接のシュミレーションをしているといつも名前を言う時の反応を気にしてしまう……「たから」両親がどんなつもりで名付けたかは知らないが迷惑な事だ、低レベルの学力で考えていたのが丸わかりだ。


所詮、子供を虐待して育児放棄するような人種だ。


そんな事を考えていると、僕の順番が回ってきた。


面接室の扉をゆっくりノックすると室内から声が返ってくる。


「どうぞ、お入りください」


その声を聞くと緊張が一気にピークに達した。


呼吸を整え一つ深呼吸して扉を丁寧に開けた。


室内では三人の面接が厳しい表情やゆたりとした表情であったり、優しそうに微笑んだりしていて表情は三者三様であった。


僕は息をのみ一礼して席まで向かった。


「お掛けください」

「はい」


真ん中で厳しい顔をした小太りの如何にもな中年男性が席に座る様に声を掛けてきた。


「では、受験番号と氏名をお願いします」

「はい、三百七番、萩原宝です」


僕が名前を言うと厳しい顔とゆたりとした教官の二人は目を細めている、恐らく今までの面接と同じ事だろがやはり公務員の試験だけあって一般企業の様なあからさまな態度はとってこない。


「そうですか、では続いて」


その後淡々と面接は続いたが、定型文の様な質問ばかりでくせのきいたけ質問や圧迫感もなく、僕は拍子抜けした。


就職活動時代に今はなかなか面接で根掘り葉掘り個人情報を聞く事が出来ない為に面接官は質問がほとんど出来ないと言う事を聞いたが、一般企業であればいざ知らず、公務員はそういう影響をしっかりと受けるという事だろう。


「では……宮沢課長何かありますか?」

「えっ!?そうですね……」


左端の優しそうに微笑んでいた、中年女性の宮沢課長は僕の名前を聞いた途端から笑顔はなくなり、何か考え事をしている様でどこか上の空であり、気にはなったがこういう面接は質問が簡単な分、所作をしっかりと見られる。


この時の僕はそんな宮沢課長の事を気にしている場合ではなかった。




そして、他にも滑り止めとして日程の合う公務員試験を受験したりや繋ぎの短期のバイトで忙しくして、そんな事を忘れた頃、児童相談員の合格発表を迎えた。


ネットでの合格発表であったのでホームページにアクセスして掲示板を見るという方式で僕は就職活動の頃の様にいつ来るか分からない採用連絡とは違い、規定の時間に発表される。


僕はその時間までソワソワしていた、いつ来るか分からない時はここまで意識することは無かったが、時間が分かっていると半日前からは居てもたってもいられず、発表されていないのは分かっていても、ホームページにアクセスしてしまった。


「はぁ……」


落ち着かない、僕はやれる事はやった、僕が落ちる理由はないはず、あるとすれば前職を一年程で辞めてしまったという事実とこの名前くらいか……


いや、名前は関係ないはずだ、落ちる用意があるとすれば前者だろう。


そんな事を何度も考え否定しながらソワソワと部屋の中をウロウロしているとそんなこんなで発表の時間まで後五分となっていた。


たった5分だが、こういう場での5分はありきたりな意見だが、何時間にも感じてしまうもので、歯がゆさが永遠に続くようだった。


そして、待ちに待った発表の時間がやってきた。


こんなにも待ちに待った合格発表の時だが、いざ、結果が出るとなかなか怖くて結果を見る事ができない。


 これだけ待った、結果発表、最悪の結果であったらと考えてしまい掲示のページを開く指が動かない。


「すーっ、はぁー」


僕は大きく深呼吸して、覚悟を決め、掲示のページを開いた。


「はぁ……」


肩から一気に力が抜けた。


僕は持っていた受験番号を一度確認し、もう一度掲示されている番号を見た。


体の力が全部抜けていく様に深々とも垂れた。


ようやくこの緊張から解放された爽快感に少し浸った。


結果は合格だった。


後から考えてみれば、しっかりとした手応えは感じていたのだから当然な気もしていた。


「よかったぁー」


僕はそのまま放心状態になり、束の間の解放感に浸っていたが、すぐに思い浮かんだのは自殺した西山係長の事だ。


僕は結局、西山係長の葬式に参列することはおろか、線香一本も上げることもなかった。


体調を崩していたこともあるが、西山係長の家族にどんな顔して会えばいいのか、いや、何よりも僕自身が現実を受け止める事が出来ていなかった。


「なんだか、落ちてきたな……あーもう!」


そしてもう一つの気がかり、伯父さんに仕事を辞めた事もまだ話していない、流石に仕事が決まった訳だから電話の一本はいれておかなくはならない。


僕をここまで育ててくれて、育ての親でもあり、僕の人生で一番お世話になった人たち、迷惑をこれ以上掛けたくない、でも仕事を辞めて新しい仕事についた事は言わなくては人としての筋が通らない。


辞職願を提出する時よりも緊張する、驚くだろうし、心配もされるかもしれない、何よりも失望されるかもしれない。


でも電話を掛けなくては……


なかなか覚悟の決まらない自分がこんな時ものすごく嫌になる。


「ふぅー」


一つ呼吸をして、携帯に登録されている伯父さんの番号を表示させた。


勇気がでない僕は表示を切り替え自宅の固定電話に電話を掛けた。


これにどれほどの意味があるかは分からない、でも、固定電話なら伯父さんが出ない可能性がある、もし伯父さんが出たとしても僕が固定電話に電話する事なんて珍しい事ではない。


そんな卑怯な事を考えながらも呼び出し音はなり続ける。


誰も出なければ、また明日に回せる、でも留守電にはメッセージをと、そんな事ばっかり考える僕自身に自己嫌悪する。


「はい、萩原です」


僕は唐突な電話からの声に驚き、なかなか声が出せなかった。


「はい?萩原ですけど?」


その声は聞き慣れた優しい女の人の声だった。


「あっ……伯母さん、宝です」

「あー宝君だったの、固定電話に掛けてくるんだものビックリしちゃった」


そんなに驚く事だったのかと、少し僕は動揺していた。


「それがね、最近流行ってるじゃない」

「流行ってる?ですか?」

「ほら、なんて言ったかしら……そう、くりこみ詐欺よ」


くりこみ?


「ああ、振り込め詐欺の事ですか」

「そうそう、振り込み詐欺、ここ最近流行ってるじゃない、この間もね、お母さんって言うものだから亮介だと思って話してたらね、どうも違う人みたいでね、セールスの話をしてるのね、なんだかおかしいなって思ってたのよ」


伯母さんはとても優しくていい人なのだけど天然が強く、良くも悪くもこの伯母さんのお陰でいつも明るく笑いの絶えない家だった。


「あっ!?いやだ私ったら、ごめんなさい私ばっかり喋ってばかりで、宝君何か話があったんじゃない」

「あ、いえ、伯母さんが元気そうで良かったです、でも詐欺には気を付けくださいね」

「そうね、お父さんに怒られちゃうわ、フフ、そうそう、お父さんと言えばね」


本当に伯母さんが元気で良かった、僕はこの家にいずらさは感じていたがそれでも伯母さんのこの明るさに僕は救われていた。


初めて伯父さんに連れられて家に訪れた時に、その天真爛漫さと優しさで僕はあの家に入る事ができた。


「あの……伯母さん……」

「ん?どうかしたの?」


言わなくてはいけない、だけど、上手く声が出ない。


「僕……実は会社を辞めました」

「えっ?」


その事は言った時、僕の脳内では失望させてしまったのではないか、もしかして怒るのではないかとよぎった。


「そうなの……大変だったね、辛かったら家に帰ってきたらいいからね、大丈夫?」


分かってはいた、伯母さんはそんな人ではない、優しくいつも心配してくれている。


就職したての頃、初めての一人暮らしに慣れる前に心配して伯母さんは何かと連絡をくれるような人だ。


「大丈夫です、実は次の仕事はもう決まっていますので」

「そうなの、流石が宝君ね、それならよかったわ」

「はい」

「何のお仕事なの?」

「児童相談員です」

「あら!そうなの、凄いじゃない」

「そうですか?」

「ええ、だってね私、宝君の前の会社ってね、ご近所の人には一流企業で凄いって言われていたのだけどね、伯母さんよく分からないから、児童相談員って私でも分かる凄い仕事じゃない、だから、宝君は凄いって思うよ」


僕は伯母さんのその言葉を聞いて、心がホッと晴れた様な気がした。


「宝君は優しいからぴったりだと思うわ、沢山の子供達を助けてあげてね」

「頑張ります、それで……あの伯父さんは?」

「お父さん?今ね丁度出掛けているのよ、私が伝えておくわね」


それでいいのかとも思ってが、伯母さんの言葉に甘える事にした。


「ありがとうございます、伯父さんにもよろしくお伝えください、また改めてご報告に伺います」

「えっ、ええ、そうね、あんまり無理をしないでね」

「はい、伯母さんもお体を大切にしてください」


少し気は引けるがこれでいい、僕ももういい大人だいつまでも伯父さんたちに気を遣い過ぎる必要もない、僕は自立したのだから。


電話を切るとふと窓の向こう側を見ると薄暗く小雨が降りしきっていた。


まるで今の僕の様に晴れることのない、はっきりとしない天気に西山係長の最後の顔が過ぎるのを感じていた。





春の桜が咲き誇る頃、一年間の研修を終えて、僕は児童相談員になった。












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