加害者家族会
「ある日、警察から電話があって、夫が痴漢で逮捕されたと教えられました」
壇上では三十代半ばぐらいの女性がしゃべっていた。
市民プラザのセミナールームには二十人ほどの男女がいて、犯罪加害者家族会の会合が行われていた。
列席者の年齢や性別はバラバラだった。大学生の高杉圭太は部屋の片隅に座り、参加者の話に耳を傾けていた。
「満員電車で女子高生の体を触り、近くにいた人に取り押さえられたそうです。最初は何かの間違いだと思いました。えん罪に違いないと。ですが、警察に行くと夫は自分でも覚えてないけれど、たぶんやったと思うと言いました……」
女性は伏し目がちに自身の体験を語る。
「被害者の女子高生は同じ町に住んでいたので噂はすぐ広まりました。子供のママ友は口をきいてくれなくなり、家には無言電話がかかってきました……」
似たような経験を大なり小なりしているのか、参加者たちの顔に驚きはない。
「会社にも知られてしまい、夫は依願退職をしました。うつ病になり、今は自宅で療養中です。代わりに私が働きに出ています。夫の犯した罪が消えることはありませんが、彼が立ち直る支えになれればと思っています」
一礼をしてスピーチを終えると、パチパチと拍手が起こる。
加害者家族会は人の体験談に耳を傾けて互いに痛みを分かち合う、一種のグループミーティングの役目を果たしていた。
次に登壇したのはブレザーの制服姿の少女だった。
女の子は三宅優衣と名乗り、今は高校に通っています、と自己紹介し、おもむろに切り出した。
「私の父は三人の人を殺しました――」
その瞬間、ざわっと会場の空気が揺れた。
加害者家族会といっても、痴漢や詐欺などが多く、殺人は少ない。しかも三人となると極刑もあり得る重犯罪だ。
「マルチ商法をしていた父は、部下の女性たちを自宅に同居させ、彼女たちをマインドコントロールしていました。互いを競わせ、やがて成績の悪い女性に罰と称して拷問をするようになりました」
あどけない少女の口から犯罪の詳細が語られる。
「食事は一日一回、水とパンだけです。お風呂も水のシャワーで、睡眠時間も三時間に制限させ、隠れて眠っていないか交代制で見張らせていました」
部屋の空気が徐々に重くなっていく。
「営業成績の悪かった女性は食事や睡眠時間を減らされました。罰はエスカレートし、爪を剥がされたり、電流を流されるようになりました」
少女は表情ひとつ変えず、まるで他人事のように父の鬼畜の所業を語る。
「私は当時9歳で、父が連れてきた三人の女性と同居していました。女性同士の私語は禁止されていたので、とても静かな家だったのを覚えています」
今は高校生なので、今から7、8年前の出来事ということになる。
「女性たちは高熱が出ても病院に行かせてもらえず、薬も与えられませんでした。日に日に衰弱し、一人、また一人と亡くなっていくのを、私は黙って見ていることしかできませんでした」
父親の逮捕後、彼女は親戚の家に引き取られ、今は高校に通っていること、将来は人を助ける仕事――看護師になりたい、などと語り、壇上を降りた。
会合が終わると、少女はコートを着て一人で退出していった。建物の外に出たところで圭太は声を掛けた。
「あの……僕は高杉圭太と言います。大学生で、家族会の運営を手伝ってます。さっきの三宅さんのお話、とても印象に残りました。少しお話をしませんか?」
少女はぼんやりした目を圭太を向け、「いいですよ」と答えた。二人は近くの喫茶店に入った。
ウェイトレスが注文を取り終えると、圭太が口を開いた。
「……僕は兄が人を殺したんです……」
膝の上で手を握り、視線をテーブルに落として続ける。
「……会社帰りのOLの女性を、すれ違いざまに突然ナイフで刺したそうです……倒れた女性を三十回以上刺し、次の日は普通に大学に通っていました……特に女性と面識はなかったそうです……」
優衣は黙って圭太の話を聞いていた。
「兄が逮捕されると、自宅をマスコミに囲まれました……家族の名前や僕の通っている学校、父の会社もネットに晒され、両親と僕は家を捨ててホテル暮らしを始めました……」
ウェイトレスが来て、紅茶とコーヒーを二人の前に置き、テーブルの隅の容器に伝票を刺していった。
「5年ほど前に、この家族会のことを知って、ずっと参加しています……今は運営のお手伝いをしています」
話を聞き終えた少女がぽつりと訊ねてきた。
「……お兄さんはどうされてるんですか?……」
「裁判で刑が確定し、今は服役中です……面会を希望していますが、一度も会ってもらえません……」
「会ってどうするんですか?」
「なんでそんなことをしたのか訊きたいんです。三宅さんはお父さんに訊いてみたいと思ったことはないんですか?」
「ありません……父は死刑が確定して拘置所にいますが、私は一度も面会に行ったことはありません……あの、高杉さん……たぶん理由なんてないんですよ……」
少女は視線をテーブルに落としたままつぶやいた。
「え?……」
「殺人者たちは、みんなもっともらしい動機を言います。自分じゃなくて相手が悪い、生まれ育った環境のせい、主義や主張のためにやった……でもどれも相手を死なせるほどの理由じゃない。結局のところは、自分でもなんで人を殺したかわかってないんですよ……」
圭太は何も言えなかった。9歳の彼女は目の前で三人の女性が父に殺されるのを目撃している。凶悪な犯罪者に対するあきらめのようなものを感じた。
その後も彼女は加害者家族会にたまに参加してきた。会合に来るたびに、圭太は少女に声を掛け、喫茶店に行き、会わなかった間の出来事を話すようになった。
加害者家族会に若い参加者はあまりいない。しかも身内にいるのは同じ殺人者。彼女も圭太に多少はシンパシーを感じているのか、誘えば断られることはなかった。
「僕は今、大学でタンパク質とアミノ酸の勉強をしてるんです。知ってます? 人間の身体って60%は水分だけど、次に多いのがタンパク質なんです」
その日、圭太は大学で学んでいる内容を少女に語っていた。
「タンパク質を構成するのは20種類のアミノ酸の分子で、あまり知られてないけど、コンピューターのCPUの絶縁材にアミノ酸の応用技術が使われてるんです」
優衣は自分のことをほとんどしゃべらない。必然的に圭太が自分のことを話す時間が多くなった。
(こんな話、つまらないんじゃないかな……)
不安に思いながらも語り続ける。少女はたまに「はい」とか「いいえ」と答えるぐらいだが、興味はあるのか黙って聞いていた。
優衣がどんな女の子なのか、よくわからなかった。なにか透明な膜に包まれたようにつかみどころがなかった。
ある日、いつものように会合が終わると、珍しく少女の方から提案してきた。
「私、行きたいところがあるの……」
それは港の近くにある観覧車だった。会合の帰り、電車の窓から見えたので、いつか行ってみたかったのだという。
途中の駅で降り、二人で海の近くまで歩いた。観覧車に着く頃には空は暗くなっていた。
二人を乗せたゴンドラがゆっくりと上がっていき、港の夜景が眼下に見えた。青と黒が混ざった空、煌めくイルミネーション、ライトアップされた船……幻想的な光景が広がっていた。
「……きれい……」
優衣は初めて17歳の少女らしい笑顔を見せた。
「ちょうど日没だからタイミングが良かったね」
ぼんやりと窓外の夜景に目を向け、少女が言った。
「……私、子供の頃から家族の記憶が何もないの……お母さんは小さい頃に家を出て行ったきりだし、お父さんも急にいなくなって、よく親戚の家に預けられたから……」
圭太は黙って耳を傾けた。優衣が自分の過去や家族のことを話すのは珍しかった。
「家族三人で過ごしたのは、お母さんが出て行く前、おばあちゃんの家で過ごしたときだけ……家族ってなんなのか、今もよくわからない……叔父さんと叔母さんはいい人だけど、家族とは違う気がする……」
観覧車を降りた二人は近くのカフェでお茶をした後、駅に向かった。
歩きながら圭太が最近、読んだ本の話をしていると、三十代ぐらいのスーツ姿の男性が突然、目の前に立ち塞がった。
「三宅優衣さんですよね? 私こういう者です――」
男がポケットから名刺を差し出した。週刊誌の編集部の名前が記されていた。
「お父さんのお話を少し聞かせていただけませんか?」
少女の顔が強張り、男の横を強引にすり抜けた。男はすぐに追いかける。
「あなたがお父さんから虐待を受けていたという話は本当ですか?」
少女は口を引き結び、目を伏せている。圭太は記者と優衣の間に割って入った。
「やめてください。彼女は嫌がってます」
記者は圭太を無視し、優衣に話しかける。
「あなたのお父さんが女性たちにやった拷問を、あなたが手伝っていたというのは本当ですか?」
少女の足が止まる。肩が小刻みに震えていた。
「お父さんの命令で逆らえなかったんですか? それとも自分の意志でやられたんですか?」
圭太が記者の胸ぐらをつかみ、身体を突き飛ばした。
記者はたいした驚いた風もなく、胸の埃を手で払い、優衣に向かって「また日を改めて伺います」と言い、その場を去っていった。
週刊誌に記事が出たのはそれから一週間後だった。
彼女が父親から性的な虐待を受けていて、父親の命令で、三人の女性への拷問を手伝ったと書かれていた。
情報のネタ元は拘置所にいる彼女の父親だった。編集部に事件の詳細を暴露する手紙が送られてきたらしい。
次の加害者家族会に彼女は来なかった。圭太がLINEでメッセージを送っても既読は付かず、返事が戻ることもなかった。
◇
ある日、携帯に知らない番号から電話があった。優衣の叔母からだった。
昨夜から少女が家に帰ってきていないという。圭太の連絡先は、家に残されていた彼女のスマホで知ったらしい。
『高杉さん、何か心当たりがないでしょうか? あのコ、ほとんどお金も持たずに家を出たと思うんです』
夜まで帰ってこなければ、警察に捜索届を出すつもりだという。
「わかりました。僕の方でも探してみます」
そう言ってから思い出したように訊ねた。
「亡くなったおばあさんの家ってまだありますか?」
『ええ……ウチで物置のように使ってます。それが何か?』
住所を教えてもらい、圭太はメモに書き取った。
◇
郊外の住宅街をスマホで地図を見ながら圭太は歩いていた。
バス停から徒歩で20分ほど離れた場所にその平屋建ての一軒家はあった。ドアのノブを回すと鍵が開いていた。玄関に女モノの靴が置かれていた。
「三宅さん?」
圭太は薄暗い家の中に向かって呼びかけた。靴を脱いで家に上がり、部屋を見て回る。
リビングの隅で少女が膝を抱えて座っていた。圭太は何も言わず隣に腰を落とすと、優衣が震え声で告白を始めた。
「……私もやったの……女の人に拷問もしたし、死体をバラバラにするのも手伝ったの……」
「……しかたないよ。君はまだ9歳だったんだ。それに手伝っただけで君が殺したわけじゃないだろ……」
「生きていたの……」
怪訝そうに圭太が眉根を寄せる。
「三人目に亡くなった女の人はまだ生きていたの……死にたくないって言ってた……殺さないでって……なのに私が電流を流して殺したの……」
涙を流しながら少女は言った。
「私は加害者の家族じゃなくて加害者なの……お父さんが言ってた……おまえにも俺と同じ血が流れてるんだって……おまえも俺と同じ人殺しだって……」
圭太は押し黙った。掛ける言葉がなかったのではない。彼もまた彼女に隠していた秘密があった。
彼の本名は高杉圭太ではなかった。富田圭太――彼女の父親にマインドコントロールされ、殺害された三人目の主婦の息子だった。
被害者の家族であることを隠し、5年近く加害者家族会に参加していたのは、母を殺した犯人の身内に会うためだった。
犯人自身は死刑が確定し、拘置所の中にいて面会はできない。母の最後を知っているのは、当時9歳の娘しかいなかった。
復讐心がなかったかと言えば嘘になる。だが、いちばん知りたかったのは、母がどうやって死んでいったのか、なぜ殺されなければならなかったのかだ。
今それを知った。だが、不思議と怒りは湧いてこない。
(たぶん……僕があの家族会に参加してきたから……)
5年間、加害者家族会で一人一人の話に耳を傾けてきた。被害者の家族と同じように、加害者の家族も深く苦しんでいることを知った。
(加害者の家族の中には、罪の意識で自殺する人もいる……)
圭太は隣にいる少女の顔を見た。頬に涙の筋ができていた。
いずれ自分の正体を明かさなければならないときがくる。彼女は驚き、恐らくは圭太を嫌悪し、家族会からも去っていくだろう。
ただ今は――今だけは彼女に寄り添おう。被害者の家族ではなく、加害者家族会の一員として、痛みを分かち合おう。
青年は少女の小さな頭を肩に抱き寄せた。
(完)