ピースたちの集まり
目覚めの散歩には白殺しが秋めく空へと拡がっていた 〈静謐〉などと我が心にあまる言葉が浮かぶ まるで世界から私だけがいなくなったみたいだ
しばらく歩いているとたぬきが伏していた 首ねっこを失礼して道脇の草むらへと隠し その小さな頭をそっと撫でつける
いつかは私もたどる道であろう 寂しくはあれど絶望はない 死を内包するから生命たり得るのだ
山道を抜けて町をふたつばかり練るや 飲み屋の連なる一画へと道をつなぐ
「貴様、ダガーで複素転置されてえのか!」
「まっ待て! 話せば長くなる!」
「ゴミうるせぇ! 海のもずくとなれ!」
喧騒を背景音楽にジンを呷る 冷凍のとろみがついていた 儚き高級感だ
「そうだな。立てば芍薬、座れば牡丹、放つ臭いはラフレシアってとこか」
「おい最後の悪口すぎるだろ」
「いろんな香水つけすぎなんだよ」
呑み下すとともにふわりとひと揺れ 愉快々々
「色即是空・空即是色とは、つまり本質的実体の不存在を説いたものだ。万物は流転する。そして実体としての色と実体なき状態としての空は双方向性を持つ」
「つまり空とはエネルギーのことか? アインシュタインのエネルギー公式 E=mc^2 は、エネルギーと質量は等価であるという」
たった数杯でも少々酔いがまわってきた 残ったジンを梅酒とソーダで割るとあら不思議 さらさら胃の腑へ落ちてゆく
「おいおい、手持ちぶたさんだったぜ。あいつは?」
「下宿でふてねこしてる」
「まだ拗ねてんのか。矛盾に出くわしたら貫徹する論理を探すもんだろ。対立も選択もある意味矛盾だぜ」
「元来、盾と矛は一対で使用者を守り使用者に勝利をもたらすものだしな……」
ミニピザとパフェを楽しみに 酒瓶が軽い音を響かせる頃 誰かが皿の割れる怒号を散らした
酒に水をさすなど言語道断 大きい音がうるさいのではない 聴きたい音を遮る音こそがうるさいのだ
あれはケンカ売り尽くしセールか ならば買い尽くしてくれよう 数量限定とは言わせまい
「で、それによってキミはなにを得たと言うんだ?」
「新たにはなにも。ただ、失うのを免れたことを得たと表するなら、獲得したことになるな」
「命拾いなどの表現に見られる回帰性・不動性か」
瑣末事を片してピザとパフェを頬張る 背景とは川底の砂礫たちだ 基礎たる重役なれど場を掻き乱すような身のほど知らずになってはいけない
「雪解け方程式に春告鳥項を手で加えたのは誰だっけ?」
「初冬場の理論か。さぁな。だが結局、それは理論的に必然性を以て導かれる」
「然り。にしても初春まで記述するのに初冬場の理論とは」
「それは禁句であるぞ。して、この理論でおもしろいのが、初雪演算子を状態|冬>だけでなく状態|秋>にかけても初雪が導出されることだ。必要条件は増えるがな」
「数理的理論は難解で壮大だよね。人生に軽く絶望するよ」
「さりとて歩みも止めれんのだろう? 案ずることはない。山も砕けば塵となる」
酔いの宵にふと気づく 私は今ここにいる 生きていて 帰る場所がある ならばとヒップフラスクに果実酒を注ぎ 月夜道に帰靴を奏でる
道すがらぽつんと佇む小さき店に立ち寄った [パン生地を焼き上げました◎]なる謳い文句に手を伸ばす うむ 旨そうなパンである しかしその前に やはり肉まんであろう
はふはふはと白く染めてまわる これもまた愛嬌である
家路のなんと遠いことか 上着を落として絨毯に頬を押しつける
きらめきが闇に広がり 血が陰る
いつだって泣きたいような夜だった
耳鳴りが躍り まぶたの裏にあやしい光が咲き乱れる
仄暗い脈動を握り締めては解き放つように手をひらく
《眠る前に目覚めてみせよ》と嘯く風々
死よ いつからそれほどまでに芳ばしく 妙味を滲み出すようになったのか
月明かりに鈴虫が応えている 終わりの時代が始まる兆しだ
お月様に祈ることは許されない 想いは想いのまま 形を成さずに風化していくばかりだ
ゆえに空白に零すほかない
覚えておいて
私の孤独と自由はいつでも あなたのもとへ駆けるためのものだってことを
パズルピースが散乱している そのくせ妙な一体感を醸すのだから手に負えない 同じ絵を描くとも限らぬというに
甘い悪魔の誘惑に色が擦れる 形あるものはすべてゆがむ
区別と分類 異質が混ざることを拒絶する心情 錯覚に満ち満ちた社会 境界線の張り巡らされた世界
でも 空はひとつだけ
曖昧模糊々々と生きよ