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それから10分後――
「ちょっと冷たかったんじゃない?」
スタスタと早足で歩く芽夢の背にむけて美空は声をかけた。芽夢はさっきからずっと歩きながらタブレットを操作している。
すでに周囲はは薄闇に包まれている。
「何がですか?」
「御厨さんよ。あんな言い方しなくたって」
「彼女と一緒に調査したかったのですか? 彼女と今回の件についてアレコレと話をしたかったですか? 今回の件がモノノ怪と関係ないとは言えないのですよ。私たちが何をしているのか彼女に話すのですか?」
「そういうわけじゃないけど」
「今回のことは遊びでやっているわけではありません。仲良しこよしのクラブ活動をやっているわけでもありません」
「わかってるよ」
「さらに言えば、私達のやっていることは、決して危険がないものでもありません。もし、彼女に危険が及ぶことになれば、あなたは責任が取れますか?」
「そうだけど……じゃあ、花守さんは御厨さんのことを心配して断ったの?」
「いいえ、そんなわけないでしょう。私はああいう論理的思考よりも感情的な思考を優先する人間を好みません。それだけです。まさか私が彼女と本気で協力したいと思っているとでも」
あまりに正直すぎる。そもそもこの花守芽夢という女が気に入る相手というのはいるのだろうか。
「あ、そういえば草薙さんについて何かわかったの?」
「いえ、何も」
「だって、さっきミラノさんに一条家の人が関わってるって言ったじゃない」
「とりあえず言ってみただけです」
「そんな適当な……」
「あながち間違っているとは思いません。そのうち確実な情報に変わります」
その横顔は自信に満ちているように見える。その自信はいったいどこからくるのだろう。
「ねえ、川北集人君のことだってまだわからないことは多いでしょ。御厨さんにお願いすればよかったんじゃない? 家だってわからないのに」
「その必要はありませんよ。私たちが今、どこに向かっていると思っているのです?」
そう言われて美空はやっと気がついた。何も考えずに芽夢の後をついて歩いてきたがいつの間にか知らない道を歩いている。
「ここどこ? どこに向かっているの?」
「川北集人の自宅です」
芽夢はそう言ってスマホの画面を美空へと向けた。そこには川北隼人の名前とともに、住所とそこまでの道順が写っていた。
「これってーーどうして?」
「調べました」
「調べたって、どうやって?」
「彼が通っている陸奥中里高校のデータベースにアクセスしたのです」
「アクセス? それって……まさか」
「ええ、ハッキングです」
悪びれることもなく芽夢は答えた。
「そんなこと出来るの?」
「まあ、出来ますね。というかセキュリティ甘すぎです。これならあなたでも可能じゃないでしょうか」
「私は無理。だいたいさ、良いの? そんなことして」
「それはどういう意味ですか? 法律上という意味ならそりゃあ違法です。だから何ですか? 私は必要だと思うことをやるまでです」
「……必要なこと」
「そもそも消えた『百花』のメンバーについてはあまりにも情報が少なすぎます。事務局から渡された資料でさえ基本的な情報しか載っていませんでした。あれだけで彼ら全員を捜し当てるのは非常に時間がかかります。ですから、少しくらいの違法行為は大目に見てもらわなければ仕事にならないのです」
論理的にどこか間違っているのはわかっている。それなのに、それに言い返すことが出来ない。芽夢の言葉には妙に人を納得させる力がある。いや、『力』というより『圧』というほうが正しいかも知れない。そして、何よりもその本質は芽夢の言っているとおりであることに間違いない。
行方不明になった『百花』のメンバーについての情報は確かにあまりに少ない。それについては父親である楠木祥三にも聞いている。『百花』のメンバーが行方を消してすぐ、そのデータが何者かによって削除されたそうだ。
誰が、何のために、どのようにしてそんなことをしたのか、それは今でもわかっていない。
「でも、いつの間に?」
「いつの間? やっぱりあなたは私が渡した資料を未だに読んでいませんね?」
「え?」
「川北隼人についてはそこに記載しているはずです」
「それじゃさっきの話、花守さんは知っていたの?」
「そうです」
「どうして言わなかったの?」
そう言ってから美空は慌てて口をつぐんだ。
「私はこちらに来て、すぐに百花のメンバーについて調査をはじめました。この街に住む高校生のリストも全て洗い出しました。まさかそんなことで見つかるとは思っていませんでしたが、川北隼人の名前だけが載っていたのです」
「それなら直接言ってくれたって良かったのに」
「あなたがいつ資料を読んで行動に移すかと思って待っていたんです。まさか御厨ミラノからの情報をもとに動くことになるとは思いませんでしたよ」
叱られた子供のように美空は身を小さくした。
「……ごめんなさい」
その時、ふいに芽夢が足を止めた。
「あそこです」
二階建てのアパートの奥に赤い屋根の小さな家がそこに見えた。「川北隼人の母親の家です」
「どうするの?」
「灯りがついていませんね。まだ誰も帰ってきていないのでしょう」
「日曜なんだから家族で出かけているのかも」
「日曜日だからといって休みとは限りませんよ」
「あ、そっか」
「少し待ってみましょう」
「川北君って、もともとこっちの人なの?」
「いいえ、彼は兵庫の出身です」
「じゃあ、今はーー」
「あの家でご両親と暮らしているようです」
「両親?」
「もともと川北家は東京で暮らしていました。川北の両親は彼が中学一年の時に離婚しています。母親は実家のあるこの街へ引っ越し、父親は東京へ。彼は母親に引き取られ、その後、高校入学と同時に高校の寮に入りました」
「あれ? でも今はご両親とって言ったよね」
「そのようですね」
「じゃあ今は? 復縁したってことかな?」
美空は少し嬉しい気がして小さく微笑んだ。芽夢がすぐにそれに気づく。
「どうしてあなたが嬉しそうな顔をするのです?」
「え? だって、家族が一緒に暮らせるなら良いことじゃないの」
「……まあ、たしかに」
意外にも芽夢もそれには理解を示したようだ。
「そうだったとしたら、何も問題ないんじゃない?」
「さあ。それはわかりません。そもそもそんな理由でこちらに引っ越したとしたら、行方不明者とは認定されていないでしょう」
「じゃあ、どうして?」
「わかりませんね。さすがにそこまではまだわかりませんよ。ところで霊符は持っていますね?」
「うん」
美空はそっとポケットの中に手を入れ、そこに霊符があることを確認した。
それは楠木祥三から渡されたものだ。強力な陰陽術が組み込まれた術で、モノノ怪を消滅させるだけの力を持っており、相手に押し当てるだけでそれを開放することが出来ると説明されている。百花のメンバーがモノノ怪に関わっているかもしれないということで、人数分6枚を渡されていた。
だが、実のところ美空はそれをあまり使いたくないと考えていた。
その時――
小さな文房具店の陰から、ジーンズにトレーナー姿の少年が歩いてくる姿が見えた。
「来た」
思わず美空は声を出した。