63
透き通るほどの白い肌。銀色の目、銀色の長い髪。
その姿は以前、夢のなかで見たことがある。
その美しさに思わず息を飲む。だが、美園を驚かせたのはその美しさだけではなかった。
それが普通の人間でないことは明らかだった。
肉体を持たない霊的エネルギー。
だが、そこには明らかな人の姿が見て取れる。それは霊力を持たない芽夢にも同じらしかった。
芽夢の身体が硬直している。その右手が制服のポケットに入っている。それが何を握っているのかは想像が出来る。だが、それ以上動くことが出来ずにいる。
常に冷静な綾女までもがわずかに緊張している。その緊張を解こうとするように静かに深く息を吐いてから綾女は言葉を発した。
「やっと出てきてくれましたね」
その言葉に女はフフフと静かに笑った。
「私を呼び出して何をするつもりだ? 再び封印しようとでも?」
「あなたと争うつもりはありません」
「それにしてはこの館の周囲は幾人もの者たちで取り囲んでいるじゃないか。陸奥の神守りたちのようだな。ずいぶんと仰々しいではないか」
ゆったりとした物言いだが、その一つ一つにどこか鋭さも感じられる。
「念の為です。不慮の事態を考えておかなければいけません」
「戦う意思はないと?」
「ええ」
「それにしてはずいぶんと強い気を放っている者もいるみたいではないか。いや、そもそもお前自身が高ぶっているようではないのか」
「あなたが相手なのですから誰でも冷静ではいられないのは当然でしょう。あなたの存在に皆、高ぶっているんですよ」
「私が何者か知っているということか。それで? 何を望む?」
鋭い視線で綾女を見る。
「簡単なことです。あなたには美園さんから離れてもらいたいのです」
「断れば力づくでということか?」
「あなたは断らないでしょう?」
「自信があるのだな。おまえたちはそのために回りくどいことをしてきたのだから当然か。分散された私の力を一つにまとめたのもそれが理由なのだろ。言っておくが、私が望んでその少女に憑いたわけではない」
「知っています。しかし、あなたの力ならば抗うことも出来たのでは?」
「勝手なことを。おまえたち人間はいつもそうだ。自らがこの世界の中心だと思いこんでいる」
「勝手は承知のうえでお願いしています」
「お願いだと? 笑わせるな。私が断ったときのことまで考えているのだろ。この館の周囲には強い結界が張られておるではないか。おまえたちの一族で取り囲んでおるではないか」
「私たちもそれなりの覚悟を持っているということです」
「まあ、よかろう。それで? 私は自由になれるのか? 私がどこへ行こうと邪魔はしないのだな?」
「待ってください」
二人の会話に割って入ったのは芽夢だった。「話をそちらだけで進めないでもらえますか。いったい、その……その女は何者ですか?」
それを女はジロリと睨む。
「生意気な娘だ。話がわからぬなら黙っていればいい」
「彼女たちも当事者の一人です。知る権利はあるのです」
綾女は宥めるかのように言う。
「権利だと? 人間らしい言葉だ。だが、くだらぬな」
綾女はその言葉には反応せず芽夢たちへ向けてーー
「わかりました。あなたたちにもわかるように話しましょう」
そう言うと綾女は再びその着物姿の女性へと視線を向けた。「小鳥遊籠女、それがかつてのあなたの名前ですね」
「そんな名の時もあったな」
女が不愉快そうに言う。
「小鳥遊籠女?」
思わず声をあげたのは美園だった。それは早乙女芳恵から聞いた名前だった。
「そうです」
綾女が答える。「玄野響が愛した女性です。彼女は高校生の時、病死しました。それが原因となって玄野響は生命を蘇らせるための術を研究し、生命を落とすことになりました」
「その小鳥遊籠女さんがどうして?」
「小鳥遊籠女が亡くなった後、彼女の魂はずっとさまよい続けていました。その魂が美園さんの体に憑依したのです」
「待ってください。亡くなった人の魂がさまよい続けていた? そんなことが起こりえるのですか?」
「亡くなった人の魂がどこに行くのか、どうなのか。それは私たちもハッキリとした答えを持っていません。しかし、普通の人間ならば戻ってくることはありません」
「普通の人間なら?」
「小鳥遊籠女は普通の人間ではありませんでした。もともと妖かしだったのです。あなたは玉藻前という名を聞いたことはありませんか?」
「妖狐の化身であり、正体を見破られた後、下野国那須野原で殺生石になったという?」
「そうです。有名な妖かしです」
「そんな妖かしがどうして?」
芽夢は警戒するような視線を向けたまま訊いた。
「その辺りの事情は遠野火輪さんが調べてくれました。彼女は長い年月を経た後に封印から逃れ、その後、人間に転生し暮らすようになっていました。そして、玄野響と知り合い、恋仲になった」
「陰陽師と妖かしとの恋ですか。しかし、人間に転生していたのであれば、誰も気づくことはなかったのではないのですか?」
「そうですね。普通の人間なら……いえ、霊力を持つ者であったとしても気づくことはなかったでしょう。小鳥遊籠女自身ですら自らの本当の姿をずっと忘れていたことでしょう。問題は玄野響が陰陽師としても異才であったということです」
「小鳥遊籠女の正体に気づいたのですか?」
「彼女の生前には気づかなかったようです。しかし、それは時間の問題だったのでしょう。そのことを小鳥遊籠女は予測していた」
「予測していた?」
「誰よりも玄野響の力を信じていたのでしょう。だからこそ自らの妖かしの部分を切り離そうとした。それが命を落とすことになることになったとしても」
「どうしてそんなことを?」
「自らが妖かしであることを玄野響に知られることを避けたかったのです。正確にいえば、そうなった時、玄野響がどう対処するかを見たくなかったのかもしれません。宮家陰陽寮の陰陽師という立場である限り、見て見ぬ振りは出来ないでしょう」
「いつまでそんな話を続けるつもりだ?」
玉藻前はうんざりしたような声を出した。相変わらず顔はそむけたままだ。ふとその様子を見て、美園はあることに気がついた。彼女はさっきからある一方向だけは決して見ようとしない。その方向に座っているのは月下薫流だ。
月下薫流は黙ったままで玉藻前を見つめている。
「そう言わないでください」
宥めるように綾女は言った。「美園さんはあなたに憑かれたのです。すべてを知りたいと思うのは当然のことでしょう」
玉藻前は一瞬だけ綾女のほうを見てからすぐに拗ねたようにそっぽを向く。だが、それは綾女の言葉に対してというよりも、月下薫流から顔をそむけているようにも見える。
「木之本さんが使った玄野響が残した術というのは?」
芽夢がさらに綾女に問いかける。
「簡単に言えば反魂法です。正確には少し違いますが、それに近いことを美園さんは行っていたのです。その結果、小鳥遊籠女の魂を木之本美園さんの身体に蘇らせてしまうことになった。しかし、それは玄野響が残した術ではありません。彼らがそう思い込んでいただけです」
「しかし、どうして木之本さんは自らを日ノ本美空だと思い込んだのですか? 『妖かし化』とは自分の願いを叶えようとするものではないのですか?」
「そう単純なものではありませんよ。しかし、美園さんの場合、それがやはり彼女の願いだったからではないでしょうか。自分を否定し、違う存在になりたいと思った。そして、日ノ本美空という存在を自らに重ねるようになっていた。美園さん、違いますか?」
声をかけられ、美園はゆっくりと口を開いた。全ては自分が引き起こしてしまったことだ。黙っているわけにはいかない。
「私は偶然に日ノ本美園さんのことを知りました。事故のことも、父親である事務局長との関係も知りました。私は彼女が羨ましかったんです」
「どうしてそんなふうに?」
芽夢は不思議そうに美園を見た。美園はふぅっと一息吐いてからーー
「私は母を殺しました」
「殺した?」
芽夢が驚いて問い返す。「本当なんですか?」
「あなたのお母さんは病気で亡くなったのですよ」
優しく諭すように綾女が声をかける。
綾女が言ったことは間違ってはいない。しかし、あの時のことが美園には強い記憶として残っている。




