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「彼が?」
芽夢が驚いて斑目克也のほうへ視線を向ける。
「今まで黙っていてすいません」
と、克也……いや、草薙響がすぐに申し訳無さそうに頭を下げる。
「そんな……」
と芽夢が身を乗り出して言う。「だってあなたは玄野響の体から作られたはずです。それなのにその姿は?」
「あなたは玄野響の顔を知らないのではありませんか?」
綾女の言葉に恵夢はすぐに首を振った。
「写真を手に入れています」
「その写真が違うものなんですよ」
「え?」
驚いて芽夢が月下薫流のほうを見る。「どういうことですか?」
「花守さんにあげたそれは偽物」悪びれもせず薫流が答える。
「じゃあ、あなたはーー」
「実ははじめから一条の人たちとは話をしてあったんだ」
「なるほど。シテヤラれたわけですか」
芽夢は口惜しそうに言った。
「ごめんね」
薫流は軽い口調で右手を上げた。
「構いません。もともとあなたを信じていたつもりもありませんでしたから」
「おやおや、厳しいなあ」
そんな薫流のことなど無視するように芽夢は響へと視線を向けた。これほど真剣な目をする芽夢の顔を見るのは初めてかもしれない。まるで今にも響に向かって飛びかかっていきそうだ。
「あなたは行方不明になっていると聞いていましたが」
「ミラノさんから聞いたんですよね? それは彼女がそう思っているだけです」
「では、御厨ミラノはグルではなかったわけですか」
「彼女のことを巻き込みたくはなかったので」
「双葉伽音は? 一緒ですか?」
「彼女も一条家で暮らしていますよ。伽音さんは姿を消すのが得意なので、ずっと自由に動き回っています」
「しかし、人目を避けて身を隠していたのは事実でしょう」
「そう……ですね」
「教えてほしいことがあります」
芽夢は真っ直ぐに草薙響の顔を見つめて言った。
「何ですか?」
「あなたは自分のことをどのくらいわかっているのですか?」
「ちょっと待ってください」
綾女が芽夢の言葉を遮る。「草薙君の話をする前に花守さんの話をしておいたほうがいいんじゃありませんか?」
「私の話? 何のことですか?」
顔を響に向けたまま芽夢は反応した。
「今さら恍けても仕方ないでしょう。全てを終わらせるためにはあなたについてもちゃんと話すべきことは話さなければいけません」
「私のことを知っているような口ぶりですね」
「あなたは小金井勉を知っていますね?」
それは先日、芽夢の口から出た名前の一人だった。
「……」
「あなたのことは調べさせてもらいました」
「なぜ私のことを?」
芽夢が綾女のほうへ顔を向ける。
「あなたの行動に疑問を感じたからです」
それを聞いて、芽夢はふっと小さく笑みをこぼした。
「そんなおかしな行動をとったつもりはないのですけどね」
「こんな街に一条家を頼って研修にやってくること自体がおかしな行動ですよ」
「そう言われればそうですね」
芽夢は諦めたようにニヤリと笑った。
「小金井勉はあなたの弟さんですね? あなたには目的があった。それは行方不明になった弟さんを捜すこと。あなたの本当の名前は御水屋千鶴。公安部特務機関13係。つまりは人智を超えた犯罪に対するスペシャリスト。名前を変え、年齢を誤魔化し、あなたは私立桔梗学園へ潜り込んだ」
「なるほど、しっかり調べてあるようですね」
「意外と素直に認めるんですね」
「少しあなたたちをナメてましたよ。いや、私の素性などもともとバレるようなものではないはずでした。まさか、妖かしにそんな調査能力があるとは思いませんでした」
「一条家もそれなりにさまざまな情報網を持っているんですよ」
「そのようですね。ご存知でしょうが、私の父親は政治家です。そして、私も弟もそれぞれ違う愛人の子供です。いや、愛人といえるほど深い関係でもない。ただの通りすがりのようなものだったようです。私自身、父と顔をあわせたことなど数回しかありません」
「今のあなたの地位はお父さんの力ではないんですか?」
「そのくらい私が父を利用してもいいでしょう。そもそも私が中学の頃に仕事を持ち込んできたのはあちらのほうです。そんなことが何回か続いたことで今の私の基礎が作られたのです。私が弟の存在を知ったのも、その仕事がらみでたまたまだったのです。私は弟に愛情など感じたことなどありませんでした。しかし、その弟が行方を消していた。そして、発見されたときには意識を失い、それから間もなくして命を落としました。何が起こったのか、誰もその事情を知る者はいません。それに疑問を抱いたまでです」
「それでも、弟さんがなぜそんなことになったのか調べようとするほどの情はあったんじゃありませんか?」
「情というよりも興味ですよ。弟が陰陽寮の高等部などという変わった学校に通っていたということも興味をかきたてました。姉としての行動ではなく、公安の人間としての務めというほうが正しいかもしれません。ただ、それだけですよ」
「それだけでこんな危険な仕事を?」
「陸奥の妖かしが危険ですか? もし、そんな危険な存在ならば、あなたが放っておくことはないでしょう」
「ずいぶん信頼しているのね。それとも妖かしの一族をナメているの?」
「どっちでしょうね。そんなことはどうでもいいことですよ。それよりも本題に入りませんか?」
「本題?」
「私の素性も目的も知っているのでしょう? ならば、教えて下さい。弟はなぜあんなことになってしまったのですか?」
そう聞きながら、芽夢の視線はチラチラと草薙響のほうへ行き来している。
「あなたの想像は半分当たっていて半分ハズレているってところですね。草薙響の存在は、たしかにあなたの弟さんが関わっている」
それを聞き、芽夢の目が怪しく光った。
「なら、やはり弟の魂と引き換えに玄野響の魂を呼び戻したということですか?」
「いいえ、そこが違っているんです」
「どう違っているのですか?」
「あなたは弟さんが草薙響という魂を生まれさせるための核となっていると考えているようですね」
「違うのですか? その実験には二人の学生が関わっていたはずです。そのどちらかの魂が草薙響に使われたと考えるのが自然でしょう」
「その実験にはもう一人関わっている人が存在しているのです」
「もう一人?」
「いや、一人という言い方は少し違うかもしれません。あなただって彼の存在には気づいていたのではないですか?」
「彼?」
芽夢には綾女の言葉の意味がわからないようだ。
「弟さんは一人暮らしを?」
「そうです」
「本当に一人? 誰かと一緒に暮らしていませんでしたか?」
「は? え? まさかーー」
芽夢の表情が変わった。何か思い当たることがあったようだ。
「そうです。使われたのはあなたの弟さんと一緒に暮らしていた子犬です」
「犬? 犬ですって? そんな……馬鹿なことが……」
芽夢はわずかに俯き混乱したように小さく呟いている。しかし、やがてその動きがピタリと止まり、ゆっくりと顔をあげて響の顔を見つめた。
「あなた……犬の魂だったの?」
「……はあ」
草薙響は少し恥ずかしそうに頷いた。「あまりハッキリとした記憶はありませんが」
「そう驚くようなものではありませんよ」
と綾女がフォローするかのように言う。「輪廻転生というものを信じるかどうかは人それぞれですあ、生きとし生けるものに前世というものがあるとすれば、前世が人間に限定されるものではないでしょう。人によっては前世が動物であってもおかしくはない。彼にとっては生まれ変わりを経験したようなものなんですから」
「でも、いったい……どうして? 私はてっきり弟が実験に立ち会ってーー」
動揺した眼差しで芽夢は草薙響を見つめる。
「それも少し違っています。そもそも小金井勉は実験の手伝いなどしていなかったんです」
「じゃあ、どうして?」
「彼は実験に興味を持って友人と一緒にこっそりと忍び込んだのです。その時、彼は飼っていた子犬を連れていました」
「それってどういうことですか?」
芽夢にしては珍しく混乱しているようだった。
「当時、桔梗学園ではある実験が行われていました。それは宮家陰陽寮の指示で霊的人形に霊的エネルギーを注ぎ込む実験でした。これはあくまでも秘密裏に行われ、部外者に口外されることのないものでした。そのため旧校舎にある研究所が使われました。しかし、小金井勉はそれに感づいた。もちろん何の実験が行われていたかまではわからなかったのでしょうが、それが何らかの重要な実験であることは感じたのでしょう。興味を持った小金井勤は、ある夜、友人と一緒にこっそりと忍び込んだのです。その時、彼は飼っていた子犬を連れていた」
「どうして犬を?」
「それはーー」
と草薙響がおずおずと口を挟む。「連れて行ったというより、勝手についていったんだと思います」
「ついていった?」
それに答えたのは綾女だった。
「彼は研究所のなかに潜り込み、そこに描かれた術を発動させてしまった。その結果、彼と友人はその術に巻き込まれて命を失うことになった。そして、その後をついていった子犬は玄野響の肉体と結びつき、草薙響という存在になった」
「弟はどうなったのですか?」
「残念ですが、彼の体はその時に命と肉体をも失い魂だけが彷徨うことになりました」
「彷徨って? じゃあ、今も?」
さすがの恵夢も少なからずショックを受けたようだった。
「いえ、今は違います」
草薙響が口を挟んだ。「昨年の秋、僕は小金井君の魂と出会いました。「そこでボクは自分という存在を思い出したのです」
「魂? そんな話……どう受け止めればいいのか」
「信じられないかもしれませんがーー」
「信じられないわけじゃない。どう受け止めて良いのかわからないんですよ。しかし、あなたたちが嘘をついているとも思えません」
「じゃあ、納得してくれましたか?」
綾女が芽夢に問いかける。
「納得したわけじゃありませんよ。まだ自体を把握出来ていないのですから。そもそも、なぜそんな危険な術式が高校で行われていたんですか? その件といい今回の件といい、不注意が過ぎるでしょう」
「宮家陰陽寮は古くから陰陽師たちを束ねる巨大な組織です。巨大な組織というものはなかなかに一枚岩ではありません。権力争いというものがつき纏うものです。宮家陰陽寮も同じです。だからこそ最も安全である場所が最も危険となる場合があるのです。桔梗学園は宮家陰陽寮配下の高校の一つです。そのため桔梗学園が選ばれたのです」
「弟はそんな派閥争いの犠牲になったというんですか? そして、百花のメンバーたちも」
「理解が早くて助かります」
「茶化さないでください」
「そんなつもりではないんですけどね」
「では、次の話に移りましょう」
「次?」
「百花の人たちの件ですよ。妖かし化の原因となったのはなんだったのですか?」
芽夢はそう言って綾女に詰め寄った。綾女は動じること無くそれに答えた。
「それは、美空さんならわかっているんじゃないですか? さあ、ここからはあなたの話ですよ」
やはり綾女は全てわかっているのだ。
綾女に促され、美空は口を開いた。
「ええ、全て思い出しました」
全てを話さなければいけない。




