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「どういう意味ですか? あれは」
病院を出るとすぐに芽夢が訊いた。
「美波さんが言っていたでしょ。自分は自分にしかなれないって」
「言っていましたね。それが?」
「美波さんは今の自分を消したいなんて思ってない。ただ、嘘をついて生きていくのが嫌になっただけだと思う」
「嘘?」
「両親に捨てられたことを悲しむ気持ち。そんな世の中を恨む気持ち。長い間、ずっとその気持を持って生きてきた。そんな感情いっぱいで生きていくことに虚しくなっていたんじゃないかな。その反面、その思いが強すぎて自分を変えてはいけないとも思ってた。それが今度のことで、本心を自分自身が認めることが出来るようになったんじゃないかな」
「それがあの絵馬ですか? では、彼女にとって井上達也はどんな意味があるのですか?」
「それはたぶん美波さんにとって一番大きな分岐点だから」
「分岐点?」
「美波さんは、もしも自分が養子になっていたら、どんな人生を歩んでいたのか。きっとそれを知りたかったんじゃないのかな」
「なるほど。わからないこともないですね。では、井上達也を助けたいというのは?」
「その気持も嘘じゃないと思う。けど、それはあとで考えた理由だと思う」
「つまりは嘘ってことですか。しかし、これで杉村美波は生まれ変わることが出来たということですか?」
「それは本人次第じゃないかな。生き方なんて、どんなときでも自分が変えようと思わないと変わらないものだから」
それを聞いて、芽夢はまじまじと美空を見つめた。
「あなたはやはり不思議な人ですね」
「え? どうして?」
「改めて聞きましょう。あなたはどうやって百花のメンバー助けているのですか?」
「い、嫌だなぁ。助けるなんて大げさなこと言わないでよ」
美空は冗談めかして笑ってみせた。しかし、芽夢はさらに続けた。
「私は真面目に聞いています。真面目に答えてください」
これでは誤魔化すことも出来ない。
「……よくわからない」
芽夢は眉をひそめた。その反応も致し方ないだろう。
「未だにですか? すでにあなたは5人の『妖かし化』を解いている。さっき杉村美波が言っていましたね。あなたに心の中を全て見られたと」
「あれも……わからない」
「いつまでもごまかせると思っているのですか?」
芽夢が睨むのを見て、美空は慌てて否定した。
「そんなつもりじゃないよ。本当によくわからないの。うまく説明できないの」
芽夢は大きくため息をつく。
「肝心なことは何もわからないのですね」
「ごめん」
「あなた、少し変わりましたね」
「どこが?」
「そんなにハッキリと物を言うタイプじゃなかったでしょう?」
「……そうかな。よくわからないな」
「自分のことになると曖昧になるのですね。百花の人たちもどこか自分で自分のことをわかっていないようにも見えます」
「意外と自分のことを知るって難しいのかも」
「かもしれませんね。しかし、そんなことを言っていても仕事は終わりませんよ」
「でも、ここまでやってこれたよ」
「そうですね。驚いてますよ。あと一人ですね」
芽夢はしみじみと言った。
「花守さんは早く終わらせたいんでしょ?」
「そうですね。あなたは早く終わらせたくはないのですか?」
「そんなことはないけど……」
「しかし、最近になって思うのですよ。そんな簡単なものでいいのかと」
「どうして?」
「今回の件の根にあるものが気になっているのです」
「根?」
「そうです。なぜ彼らがこんなことになったかです」
「え? その理由はわかったんじゃないの?」
「あなたが言っているのは彼らがそれぞれなぜあんな『妖かし化』をしたかということです。それは私の言う『原因』ではありません」
「じゃあ、何?」
芽夢が何を言おうとしているのか、美空は少し不安になっていた。
「私たちは彼らがなぜ行方不明になったのか、彼らが何のためにここに来たのか、未だにその理由を知りません」
「ああ、そう……だね」
それについては皆、忘れてしまっている。
「どんなものにもその原因である根があります。その根を知らなければ全てを知ったことにはなりません」
芽夢がそんなことを言うとは思っていなかった。芽夢はただ行方不明者を見つけることが出来ればそれでいいと考えていると思っていた。彼らの過去については知ろうとしていたが、それは彼らを早く見つけるためだけかと思っていた。
「でも、知るっていってもどうすれば?」
「それは……」
芽夢が言いかけて口を閉ざす。
何かを迷っているように視線を動かす。こんな芽夢の姿を見るのは珍しい。
「どうしたの?」
おそるおそる美空は声をかけた。芽夢は少し考えてから口を開いた。
「やはり、あなたにも話しておいたほうがいいかもしれませんね」
「何?」
「実は私立桔梗学園で行方不明になったのは今回の6人が最初ではありません。その前年に一人、そのさらに一年前に二人の少年が行方不明になっています。一人は向井瑛人、もう一人は小金井勉。その後、発見された二人は二人共亡くなりました」
「そんなこと初めて聞いた」
「あの学校はやはり異常なのです。厄介なことに政治的な力も持っています。その事件の前にも調査機関が秘密裏に調査に入ったことがあるそうですが、その調査員も行方を消したと聞いています。つまり、その程度の小さな事件くらいもみ消すくらいの力はあるのです」
「その程度って……他にも何かあるの?」
「具体的にはわかりません。しかし、おそらくあの高校には何かあるのです」
「今回の件にどう関係しているの?」
「わかりません。ただ、気になっているだけです。すいません、少し喋りすぎました」
芽夢はそう言って横を向いた。芽夢らしくないような気がするが、彼女は本当に後悔しているように見えた。
「花守さんもそういうことを気にするんだね」
「なんですか?」
その黒い瞳がジロリと美空のほうへ動く。
「仕事と関係ないことは興味がないと思ってたから」
「仕事に関係がないことは興味ありませんよ」
「でもーー」
「仕事に関係があると思うから調べているのです。もう少し時間をもらえますか? あなたには話しておいたほうがいいことがもう一つあります」
「何?」
「場所を変えて話しましょう。立ち話をするようなことではありません」
そう言って芽夢は歩きだした。




