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奈津子の話を聞いて少しホッとしていた。
自分のせいで川北集人の想いを壊してしまったのではないかと心配していた。だが、あの様子ではきっとそんなことにはならないだろう。
美空は街外れにある小さな家の前にいた。
その家について教えてくれたのは川北奈津子だった。
病院前で奈津子と話をしている時、ふと老人介護を仕事にしている奈津子ならば、白井澄子のことも知っているのではないかと思いつき、試しに聞いてみたのだ。
奈津子はすぐに思い出してくれた。
――白井さんなら、今は隣町の娘さんの家にいるはずよ。
奈津子が言うには、一時的に街外れに暮らしていたことがあるらしい。ケガをしたことで一時的に奈津子が務める施設に入所したのだが、その後、娘の住む隣町に引っ越していったのだ。
だが、わからないのは飼っていた犬たちのことだ。奈津子が言うには、白井澄子が施設に入所する時、自宅には一匹の老犬と暮らしていたそうだ。そして、その老犬も娘によって引き取られたのだそうだ。
では、その他の犬たちはどこへ行ったのだろう。住宅街で暮らしていた時、世話を出来ないほどの数の犬たちを飼っていたことは近隣の住民たちに目撃されている。だが、さすがに他の犬たちのことまでは奈津子も知らない様子だった。芽夢ならば、白井澄子を探し出して詳細を聞き出すことも可能だろうか。
その家の周囲は杉林に囲まれ、近所に他に家はない。ここならば犬たちが吠えても近所迷惑にはならないだろう。トラブルを避けてここに引っ越してきた老婆の気持ちがわかる気がする。
コンクリートブロックが胸元までの高さで積まれた塀で囲まれている。
鉄製の門塀を押すと少し抵抗があるものの、ギイと錆びついた音がしながら開いていく。思わず周囲を見回すが、やはり誰の姿も見えはしない。
庭を横切り玄関へと近づく。家の中からも人の気配はしない。
美空はドアノブへと手を伸ばした。鍵はかかっていないようだ。
(空き家でも勝手に入ったら不法侵入になるのかな)
少し躊躇したものの、ドアを開けて中へ足を踏み入れる。ここまで来てそのまま帰ったりしたら、あとで芽夢に何を言われるかわからない。
やはり人の気配は感じられない。
床にはホコリが溜まっている。そのホコリの中には犬の毛らしきものも含まれているのが見える。ある程度片付けられているが、そこに多くの犬たちが飼われていたことを容易に想像することが出来た。
さすがに靴を脱ぐのは躊躇われた。心の中で小さく詫ながら、美空はそのまま家の中の様子を伺いながら入っていった。
玄関を入ってすぐ右手に居間が見えた。
家具も何もない部屋の柱や壁に爪痕が残っている。
老婆と犬たちの生活。今は誰もいないこの空間が、どこか温かみが篭もっているように思われる。
「あなた、ここで何をしているんですか?」
その声に驚いて美空は振り返った。居間の窓が開けられ、その向こう側に花守芽夢の姿があった。
「花守さん、どうしてここに?」
「偶然です」
土足のまま居間に足を踏み入れる。
「偶然? 偶然? そんなわけないでしょう」
「確かにそうですね。ええ、嘘です。あなたを追いかけてきたんです」
周囲を見回しながら芽夢は言った。
「どうやって?」
「あなたの居場所は常にわかるようにしてあります」
「私の居場所……って、どうやって? まさかーー」
「ええ、あなたのスマホのGPSの情報が検索出来るように設定してあります」
当たり前のように芽夢は言った。
「いつの間に……」
「いつの間にかといえば、こちらに来てからです」
「どうして?」
「必要だと思ったからです。あなたは機械に弱そうなので気づかないとも思いましたしね。この話、まだ続けますか?」
文句を言いたい気持ちは強かったが、芽夢相手に言い勝てる自信はなかった。
「でも、どうしてここに?」
「ですからーー」
「いや、そうじゃなくて、京都に行ったんじゃなかったの?」
それを聞いて、芽夢は眉を潜めた。
「京都? なぜ?」
「でも、高木文枝さんのことを調べに行ったんじゃないの?」
「そんなことでいちいち京都へ行くわけないでしょう。京都で得られるような情報は既に調べてからこっちに来ています。もし、追加で情報が必要になれば、向こうに連絡すればいいだけです」
「向こうって? 事務局?」
「いいえ、私にもそれなりに情報収集の手段があるということです」
「じゃあ、どうして学校を休んだの?」
「情報はあってもその全ての分析が出来ているというわけではありません。その整理のための時間が必要なのです」
「それで何かわかったの?」
「高木文枝の書いたブログを見つけましたよ」
「ブログ?」
「小学校の頃から中学生の頃まで続けていたようです。毎日のように書いていたので、それなりの量でした」
「何が書かれていたの?」
「主に学校生活のことですが、時々、犬や猫たちの写真がはいっていました」
「ペットの写真?」
「いや、彼女、ペットは飼っていなかったようです」
「飼っていない? でも、犬や猫の写真って」
「野良猫や野良犬ですよ。彼女、親からペットを飼うことは禁止されていたようです。よくある話です」
それを聞き、先日の声の意味がわかったような気がした。
「だから……何も出来なかった?」
「え? 何です?」
「そう言っていたの。何もしてあげられなかったって」
「誰が?」
「たぶん文枝さん……昨日、そんな声が聞こえたの。文枝さんが子供の時の記憶も見えた。文枝さんが飼っていなかったとしても、文枝さんにとっては大切な存在には違いなかったはず。でも、飼っていなかったからこそ、病気やケガになった時、助けたい命も助けられなかった」
「子供ならなおさらでしょうね」
「その積もり積もった過去の悲しみがあの感情」
「そのために彼女は『妖かし化』して白井澄子を助けようとしたということですか? そして、それがあなたには感じ取れたと」
「たぶん」
「それで? どうしてあなたがここに?」
「ここは白井澄子さんが引っ越した場所らしいの。隼人君のお母さんが知ってたの」
美空は病院で川北奈津子と会ったことを芽夢に伝えた。
「なるほど。噂なんていうものはあてにならないということですね」
「噂?」
「高木文枝が白井澄子を追い出したと言っていたじゃありませんか」
「ああ、あれ。でも、一時的とはいえ本当にここに引っ越してきたんでしょ?」
「大事なのは高木文枝が何をしたのかということです。高木文枝は白井澄子を追い出したわけではなく、彼女に協力したのです」
「協力?」
「ここを見つけ、引っ越しの手続きをしたのは高木文枝です」
「そうなの? あれ? どうしてそのことを?」
「調べたからですよ。まさか、あなたに先をこされるとは思ってもみませんでしたよ」
「じゃあ聞くけど、白井さんが飼っていた犬たちはどこにいったの?」
「それは私にもわかりません。川北奈津子が白井澄子のことを知っているのであれば、直接聞いてみるのはどうです?」
「ああ、そうか」
「これで高木文枝が何をしたのかもハッキリすることが出来るでしょう。あとはあなたが高木文枝の妖かし化を解くだけです」
「そんな簡単に言わないでよ。この前は花守さんがやってくれたじゃない」
「簡単に言ってるつもりはありません。それに私がこの前やったのは、新堀智を一時的に意識をふっとばしただけです」
「花守さんって……何者?」
「は?」
「だ、だって、いつも冷静だし、この前だって何も怖がってなかったみたい」
「怖がる必要なんてないじゃありませんか?」
「新堀君は私たちに対して攻撃的な感情を持っていたよ」
「私も攻撃的な気は感じました。しかし、あれはいじめられっ子が泣きながら騒いでいるだけのことです。もっとハッキリ言えば、あれは殺気ではありません。あくまでも敵意です。そのくらいの違いはわかります。それに新堀智という人間をわかっていれば無駄に怖がるような必要はありません。彼はイジメを受けて逃げることで回避しようとするような人です。敵意を向けた相手にも実際に攻撃を仕掛けるだけの勇気はないのです」
「イジメってそんなに簡単なものじゃないよ。花守さんにはわからないかもしれないけど」
「私がイジメられた経験がないと?」
「違うの?」
「そうですね。子供の頃から、暴力的な行為や直接的な行動は周囲よりも私のほうが強かったので、そういうことはありませんでした。しかし、一時期、私をクラスメイトが無視するという行動に出たことがあります。私にとってはどうでもいいことだったので、放っておきましたが」
「花守さんって昔から変わってないんだね」
「そうそう人は変わらないものです。さあ、もういいでしょう。とにかく戻りましょう。問題は高木文枝をどう見つけ出すかです」
そう言って芽夢は今入ってきた居間の窓に近づこうとして、ふいに立ち止まった。「困りましたね。無事に戻れるかどうか分からなくなりましたよ」
芽夢はそう言って周囲を見回した。その理由は美空にもすぐにわかった。
「囲まれてる?」
怪しげな気がいくつもこの家の周りから感じられる。
「そのようです」
「どうするの?」
そう訊いた美空を芽夢は何も答えずにジロリと睨んだ。




