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一条家についての情報は、こちらに来る前に事務局から簡単に聞かされている。
古くから宮家陰陽寮に仕える家柄だが、坂上田村麻呂による蝦夷征討以降この地に移り住みこの地に住む妖かしの一族を統括する立場になった。今でも一条家はこの地域を中心に東北一帯に広く強い影響力を持っている。今は一条春影が当主を務めており、宮家陰陽寮との関係も深い。
事務局からは『百花』については秘密裏に調査するように言われているため、たとえ一条家相手であっても詳しい事情を話すことは出来ない。それでもこの街で起こった異変については何か情報をもらえるかもしれない。
美空たちは学校を出て一条家の屋敷へ向かった。
屋敷の場所は調べるまでもなかった。それは美空たちの住むマンションから学校までの道のりの途中にあり、これまで何度も目にしていた。街の中心部でもっとも大きい武家屋敷で、それを真っ白な高い塀がグルリと取り囲んでいる。
その立派過ぎる門構えに、美空は訪問するのを止めて帰りたい気持ちになったが、背後に立つ芽夢の無言の圧力に負け、勇気を出して門の脇にあるチャイムを押すことにした。
心配したわりに美空が名乗ると、すぐに潜戸が開いて一人の若者が顔を出した。それは美空たちがこの街に着いた時、迎えに来てくれた若者だった。
決して口数の多いほうではないが、同じくらいの年齢で、市内の高校に通っていると話していたことは憶えている。会うのは二度目だが、それでも見知った顔を見るとホッとする。
「あなたは確か……」
「斑目克也です」と、すぐに名前を思い出せない美空のために若者は改めて名乗ってくれた。
「先日はありがとうございました」
美空は丁寧に頭を下げた。
「不都合なことはありませんか?」
「おかげさまで。斑目さんはこちらで暮らしているんですか?」
「いえ、僕はお二人と同じように学生なので、放課後と週末だけこちらの手伝いをさせてもらっています。暮らしているのはお二人と同じマンションの1階ですよ。管理人室です」
克也は爽やかに笑った。
「管理人さんって、あの女性は?」
「あれは……姉です」
気のせいか、克也は一瞬、戸惑いながら答えたように見えた。マンションの管理人である女性とは引っ越してきた日に顔を合わせたが、その弟が克也だとは思いもしなかった。
「そうだったんですか」
「なにかあればいつでも声をかけてください。今日はなにか?」
「えっと……一条様にご挨拶にと思いまして」
「そうでしたか。どうぞこちらへ」
斑目克也に案内されるままに、美空たちはそのまま屋敷の中へと入っていった。屋敷の中は外とはまるで違う光景が広がっていた。古風な屋敷に広い庭。まるでそこだけが時代を超えてきたような印象を受ける。
美空たちは長い廊下の奥にある広い座敷で待つことになった。
開かれた障子の間から中庭が見える。綺麗に手入れが行き届き、座敷からはそれが一枚の絵画のようにも見える。
だが、今の美空にとって、その美しい風景も決して心を落ち着かせてくれるものではなかった。一条春影にどう話せばいいか、そればかりを考える。
ソワソワして周囲を見回す。
その姿を見て、芽夢が声をかける。
「落ち着いてください。取って食われるわけじゃありませんよ」
「うん……わかってる。でも、どう説明すればいいんだろ?」
「普通に挨拶すればいいだけです」
面倒くさそうに芽夢が答える。
「それだけで情報をもらえるの?」
「そんな簡単なら苦労しませんよ。そもそも一条家が何を考えているのかわかりませんからね」
「不安になること言わないでよ」
「この程度のことで不安にならないでください。あなたは普通に挨拶すればいいんですよ。情報を聞き出すのは私がやります」
「普通にって?」
「普通は普通です。子供じゃないんだからあまりキョロキョロするのをやめなさい」
芽夢は周囲を見回している美空を横目で睨んだ。
「高校生は子供でしょ」
「あなた、子供扱いされたいんですか?」
「そうじゃないけど。でも、こんな大きな屋敷、子供じゃなくたって緊張するでしょ」
「家に緊張しているのですか? 一条家の立場を考えれば、このくらいの屋敷、普通でしょう」
「そうなの?」
「平安時代から代々、この地を束ねる立場だったのですよ。本気に支配する気になれば、この百倍くらいの大きさの屋敷であっても不思議じゃありません。むしろ小さすぎます」
「へぇ」
「そもそも一条家の資産状況は少し不自然なところがあります」
「資産……状況?」
「一条家はさまざまな事業に手を出しています。しかし、その事業の多さに比べ、利益があまりあがっていません。投資がうまくいっていないというわけではありません。神社仏閣などへの寄付や、利益のあがらないベンチャーへの投資や慈善事業などが多すぎるのです。もちろん、節税対策と見ることも出来ますが、その真意はよくわかりません」
「そんなことまで調べてあるの?」
一条家の資産のことよりも、芽夢がそんなところまで調査していることに驚かされる。あの分厚い資料はそういうことだったのか、と今更ながらに納得した。
「当然です。もともと一条家は宮家陰陽寮によって遣わされた一族です。しかし、それがずっと続いているとは限らないものです。妖かしの一族を管理するはずが、いつの間にか取り込まれてしまったということもありえます」
「それって……一条家が宮家陰陽寮を裏切っているということ?」
「そうは言いません。しかし、一条家は『妖かしの一族』に対してどうも対応がヌルいように感じます」
芽夢の話を聞き、ふと一つの疑問が頭に浮かぶ。
「ねえ、妖かしとモノノ怪の違いって何だろう?」
「は?」
芽夢は呆れたようにジロリと睨んだ。「あなた、それは入学して真っ先に教わることでしょう? 普通科でもそれは教わりましたよ」
「そ、そうだっけ?」
「同じものと見る人もいるし、違うものと考える人もいる。違うと考える場合にも、いろいろな定義はあります。しかし、宮家陰陽寮が定義しているのは『魂』の存在です。妖かしの一族にも言えることだが、彼らには魂がある。モノノ怪は『情念』のみで動く。だからこそ危険な存在になることもある」
「なるほど」
そのわかりやすい説明に思わず感心してしまう。言われてみると、授業で習ったような気もしてくる。
「しかし、私に言わせれば、そんなものはたいした違いじゃありません。どちらもただの化け物です」
「そんな身も蓋もない」
「ついでに言わせてもらえれば、霊力のない私には、あなたたち陰陽師もそれに近いもののように感じます」
その言葉に思わず美空は口をつぐんだ。
芽夢の真意はわからないが、陰陽師が一般の人々からどのように思われているか、美空も知らないわけではなかった。霊力など信じない人々からは詐欺師扱いされ、信じる人々からは怖がられているようなところがあった。
そんな美空の気持ちを知ってか知らずか、芽夢はさらに付け加えた。
「もちろん、私立桔梗学園の学生たちの全てが宮家陰陽寮に務めることが出来るわけではありません。それが出来るのはほんの一部。つまり特殊な霊力を扱える人間などほんの一握りしかいないわけです。あなたが今後、どのような道を歩むかはわかりません」
芽夢の言う通りだ。
霊力を持っているとは言うものの、それをハッキリと感じて扱えるなどということはなく、高校生のうちに霊力を身につけることが出来るようになるのはわずかしか存在しない。
美空自身、高校を卒業してからのことなどまだ何も考えられない。
少し緊張しながら待っていると、軽い足音が聞こえ一人の女性が姿を現した。だが、その黒のパンツスーツ姿の若い女性は一条春影ではなかった。一条春影には会ったことがないが、それが春影ではないことは美空にもすぐにわかった。
その若い女性は一度美空たちのほうへ視線を向けてから、表情を変えることなく二人の前に腰をおろした。
スッと背筋を伸ばしたその姿を前にして、美空も思わず身を固くする。
「お待たせしました」
そう言って目の前に座った女性が小さく頭を下げる。少し茶色に染まった肩まで伸びた髪がサラリと揺れる。そんなわずかな動きでも大人の女性らしさを感じさせる。
「失礼ですが、一条春影さまは?」
「本日、お留守にしております。わざわざご挨拶にいらしていただいたのに申し訳ありません。私は春影様のもとで働かせていただいている栢野綾女と申します。春影様には私からお伝えしておきます」
「はじめまして」
美空は少し緊張気味に頭を下げた。
「日ノ本美空さんと花守芽夢さんですね。お二人のことは連絡を受けています。ずいぶん優秀だそうですね」
「いえ、そんなことは……」
「こちらでの生活には慣れましたか?」
「ええ、まあ」
「新しい生活というのは慣れるまでに時間のかかるものです。ゆっくりと馴染んでください。もし何か必要なものがあればいつでも言ってください」
これで話を終わらせようとするかのような雰囲気を読んで、隣に座る芽夢が美空に合図するように咳払いをする。
急いで美空が口を開いた。
「それじゃ……さっそくですが、一つお願いがあります」
「何でしょう? 何か生活に不便でもありましたか?」
「いえ、そういうものではありません。私たちは学校の指示でこちらに来ました」
「ですから、要望に応え、あなたたちを東上杉高校への転校の手続きをさせてもらいました」
「それは感謝しています。しかし、私たちはただ高校生活を送るために来たわけではありません」
「どういうことです?」
「えっと……私たちは陰陽師としてこちらの調査をしたいと考えています」
今回、美空たちがここへ来た目的については外部に漏らしてはいけないことになっている。もちろんそれは一条家に対してもだ。そんななかで有効な情報を得るためには、どう話せばいいか、未だにうまい言い訳が考えられていなかった。
「陰陽師として? あなたたちが?」
「そうです」
「調査とは?」
「あ……えっと、こちらでの勉強のついでっていうか……」
自分でも情けないほど言葉が出てこない。
「何が言いたいんですか?」
怪訝そうな目で綾女が美空を見る。
「なぜ東上杉なのですか?」
今まで黙っていた芽夢が痺れを切らしたように口を挟む。
「なぜ……とは?」
「なぜ転入先が、一条家が理事を務める陸奥中里高校ではなく、なぜ東上杉高校なのですか? 私たちはもともと陸奥中里高校への転校を希望していたはずです。陸奥中里高校では何か不都合でもあったのですか?」
「いえ、何も不都合なことはありません。確かに一条家は陸奥中里高校の理事を務めています。しかし、東上杉高校へのバックアップも行っている関係上、今回は東上杉高校に転入していただくことにしました。あなたたちは、何か東上杉高校では困ることでもあるのですか?」
「さきほど日ノ本さんが言ったように、私たちは陰陽師としての研修のためにこちらに来ております。ならば、妖かしと深く関係したところでのほうが研修になるのではありませんか?」
「あなたたちが何を望んでいるのかわかりません。桔梗学園とは違い、こちらには陰陽師のための専門課程をもつ学校はありません。陸奥中里高校も普通の生徒が通っている高校です。東上杉と何ら違いはありません」
「変わらない? 陸奥中里高校には妖かしについてさまざまな噂があると聞いていますが」
「妖かしですか? 噂に振り回されるようではいけませんね」
「では、噂はただの噂でしかないというのですか?」
「そういうことです」
綾女の口調にはまったく躊躇がない。これではとても情報をもらえるとは思えない。
「教えていただきたいことがあります。実は昨年、桔梗学園の学生がこの街に来たという情報を耳にしました」
「は、花守さんーー」
美空は慌てて止めようとした。だが、芽夢はそれを無視するようにして、さらに口調を強くした。
「その生徒がこちらで騒ぎを起こしたと聞いております。彼が何をしたのか、そして、今どこにいるのかご存知ないでしょうか?」
しかし、綾女はまったく表情を変えることはなかった。
「何のことかわかりませんね」
「わからない?」
「そもそも、あなたがこちらに来たのは単に交流を深めるための研修と聞いています」
綾女は鋭い視線を美空たちへ向けた。
「それは違います」
と芽夢はキッパリと否定した。「私達は行方不明になっている生徒を探しにきました。その生徒は『百花』という組織を作っていました」
「そんな話は聞いていませんね」
「ですから、今、話しています。学生は昨年の秋に勝手に学校を飛び出し、こちらにやってきました。そして、今年の2月、その身に何かがあったようで消息が掴めなくなりました。何かご存知のことを教えていただけませんか?」
綾女は少し視線をはずし、わずかに考えこむような仕草をした後で口を開いた。
「すいませんが、それについてお力になることは出来ません」
「なぜ?」
「私達はその人たちについて何の情報も持っていません」
「何もですか?」
「はい」
今度は芽夢のほうが間を開けた。それから再び問いかけた。
「では、モノノ怪については?」
「モノノ怪?」
「最近になって、モノノ怪についての噂が流れるようになったと聞いています」
「どこからそのようなことを?」
芽夢はニヤリと笑いながらーー
「私たちにもそれなりに情報網はあるのですよ。まさか、一条家の立場でモノノ怪について何の情報も持っていないとでも?」
「私もその噂は耳にしています。しかし、詳しいことはわかっていません」
「調べていないのですか?」
「もちろん必要があれば調査します」
「必要があれば? モノノ怪の噂がある時点で調査するべきではないのですか? それがこの一条家の役目と聞いていますが」
「噂話なんてものは山程あります。ひとつひとつ調査していたのでは時間がかかりすぎます」
「それが仕事でしょう?」
「大切なのはモノノ怪がこの街に、人々に害をなさないことです。そのために私たちは存在しています」
「それは妖かしの一族に対してもですか?」
追求するかのように芽夢は訊いた。だが、綾女の口から出たのは意外なものだった。
「妖かしの一族? それは何ですか?」
「惚けないでください」
少し苛立ったような声で芽夢は言った。「この地に住む妖かしの力を持つ一族です。あなたたち一条家は、その一族のお目付け役ではないのですか?」
「桔梗学園ではそんなことを生徒に教えているのですか?」
「それは違いますがーー」
「一条家は古くからこの地に大きな影響を持っていた豪族です。ですが、それは昔の話。今はただの資本家でしかありません」
「彼らを擁護するつもりですか? あなただって陰陽師でしょう?」
「やはり、あなたたちは何か勘違いしているようですね」
「勘違い?」
「私は確かに宮家陰陽寮で陰陽師としての修行をさせてもらいました。しかし、こちらでは陰陽師としてではなく、経営の勉強をするためにこちらで働かせてもらっているのです」
「では、妖かしの一族のことは?」
「ただの昔話です」
柔らかく微笑みながら綾女は言った。これでは一条家からは一切の協力は得られないと考えるしかない。
「そうですか、わかりました。しかし、私たちはただ学生としてこちらに来ているわけではありません。妖かしやモノノ怪が接触することがあれば、我らは桔梗学園の者としてそれなりの対処をさせていただきます。構いませんよね?」
低くドスの効いた声で芽夢は言った。だが、綾女は相変わらず冷静な口調で答えた。
「どうぞご自由に。しかし、あなたたちが領分を越えた行動だと判断したときは、こちらにも考えがありますのでそのつもりでいてください」
「覚えておきましょう」
「ところであなたたちは月下薫流君を知っていますか?」
なぜか綾女の視線が美空のほうへ向けられる。
「月下?」
その名前を聞いた記憶はなかった。「それは誰ですか?」
「いえ、知らないなら結構です。気にしないでください。他に聞きたいことは?」
「ではーー」
と、再び芽夢が口を開く。「こちらのお給料はいかほどですか?」